2011年11月30日水曜日

PFドラッカー365の金言より 109

<< 本文 >>
時間と資源は限られ、行うべきことは多い。
戦略がうまくいかないときの鉄則は、もう一度だけ行う。それでも駄目なら別のことを行う。

(コメント)
PFドラッカー先生の言われることは良くわかります。しかし、凡人の私の性のため、固執して何度も行うことが多いようです。先生は、一回目の実行が失敗したときには、その原因を考え、改善してもう一回だけ実行してみなさいと言われています。しかし、得てして三度、四度と深追いをしてしまいがちです。
先生はこの本文の後で、「成果が得られないことを繰り返し行っているのでは屍しか残せない」と言い切られています。
世間では「損切り」といって、これ以上の損害発生を防ぐために今までかかったコストや手間暇を捨て、それまでやっていたことを中止することがあります。どうも、先生はそのことを言われているようで、それも2回目のときに損切り決断をしなさいと言われているようです。そうしなければ、われわれの資源と時間は限られている訳だから、別の機会(チャンス)を逃してしまうことになると・・・・・・。

一方、有名なカーネギー名言集では「続けている限り失敗は無い」と書かれています。エジソンほか有名な偉人は、失敗しても失敗しても諦めることをせず、最後に成功したと言います。

この両者の違いが経営者と発明家の違いではないかナ?と考えさせられる処があります。
エジソンは発明王と言われていますが、GEという会社を設立したものの経営者としては失格しています。成功するためには失敗しても継続し続けることが必要である(継続している限り失敗ではない)。しかし、資源と時間に制限がある経営者は損切りする勇気を持つことも必要であると言われたいのではないかと私は思います。それも2回目の失敗のときに決断せよと・・・。

2011年11月29日火曜日

PFドラッカー365の金言より 108

<< 本文 >>
善意で山は動かない。山を動かすのはブルトーザーである。使命と計画は善意に過ぎない。戦略がブルトーザーである。戦略が山を動かす。

(コメント)
最低限でも誰が、何を、いつまでに、どのようにして行うのかを決めなければ戦略を立てたことになりません。
実務で各社の相談にのっていて先生の言葉に追加したいのは、「実行」しなければ戦略をたてても「良き意図があった」で終わってしまうことです。
情報過多の現代においては、「戦略」をたて、「実行」して、「修正」を加えていき、目標を達成することが大切だと思います。神様でない限り、当初の戦略通りにモノゴトが進行したということはありえないと思っています。従って、当初の戦略を「修正」することを恐れずに、「実行」し始める勇気を持つことが大切なことだと私は考えています。

2011年11月28日月曜日

PFドラッカー365の金言より 107

<< 本文 >>
情報システムの究極の目的は不意打ちがなくなることである。
データのうち、意味あるものを知り、予めそれを情報として収集し分析しておくことで、データを情報に高めておくことが必要である。データを情報に予め高めておくことにより、行動が必要となる前にとるべき行動を決定しておくことである。

(コメント)
今春に東北大震災がありましたが、このことで通信システムの重要性と同時に危機管理の重要性に気付かれた方は多いと思います。通信システムが寸断されないようにして、正しいデータが入手できるようにしておくことが必要なことは言うまでもないことですが、正しいデータが入手できてもそれを元にどう対処すべきか予め考えられていなければ、データに振り回され狼狽するに終わってしまいます。
PFドラッカー先生は、情報システムの究極の目的は危機(リスク)管理にあると指摘されているようです。東日本大震災に限らず、会社や部門を経営(マネジメント)していると東日本大震災ほどの大きな危機でなくとも大小さまざまな危機(リスク)が伴うのではないでしょうか? そのリスクに備え、万が一発生してしまったときに狼狽することなくデータを情報に置き換えて冷静に行動できる体制を準備しておくことが必要ではないでしょうか?
私の仕事上の卑近な例となりますが、社内で不正事件が発覚した場合に狼狽したり感情的になり過ぎたりしてしまう会社が非常に多いのには驚きます(そうは言うものの、私も会社経営をしていた時代はそうでしたが・・・)。その都度、解決助力の要請がありますが、事前に解決パターン(「方法」ではなく「考え方」)を準備しておくと、会社の人が言われる事実データを情報に置き換えて冷静にアドバイスすることができます。
また、これは事業再生をお手伝いするときにも言えます。企業が倒産の危機に瀕したとき、経営者がパニックに陥っていることが多いのです。そのとき、外部から冷静に社内・社外のデータを集めて情報に転化し、経営者の意思決定に助力していくことが必要となります。
そして、一番私が重要だと考えることは、データも情報として正しく活用できるデータでなければ(体制が出来上がっていなければ)、単なるゴミの山を築くだけに終わるということです。書類や書籍または資料を机や本棚やパソコンに沢山収納している人を最近ではよく見かけますが、果たして「いざ」というときに使える状態にしてあるのでしょうか? 「いざ」というときに使えない情報であれば、寧ろ捨ててしまった方が良い場合も多いようです。「捨てる勇気をもつこと」、それがデータを活かす道と思います。

2011年11月27日日曜日

PFドラッカー365の金言より 106

<< 本文 >>
情報の誤りは災厄を招く。
情報システムとは事業環境についての情報収集のためのものである。外部の情報を分析して意思決定に反映させるためのものである。
産業を変える新技術の半分は、他の産業から生まれている。それらの情報を収集しなければならない。

(コメント)
PFドラッカー先生の非常に重要な教えだと思います。3つの段落に分けてご理解されることをお勧めします。
①「情報が間違えていると、とんでもないことになる」ことに異存はないと思います。
②情報システムとは、社内のコンピューター・システムのことだけではありません。寧ろ、コンピューターが取り扱うのは、社外データではなく社内データを集計・分析するものですから、インターネットを利用して社外データを集めるときを除けば、コンピューター・システムは「外部の情報を分析」するための道具として使われてないのではないでしょうか? 一昔前になりますが、スーパー(量販店)のPOSレジによるデータからだけでは本当の顧客ニーズは判らないと言われていました。
③時計屋さんが廃業して、カメラ・フィルム業界が衰退したのは、携帯電話やデジタル技術が発達したためではないでしょうか? 「産業を変える新しい技術の半分以上は他の産業で生まれる」とはこのことなのではないでしょうか?
要するに、時代の流れに上手く対応していくためには、社内情報以上に社外情報を集め分析する仕組みを創り上げることが大切なのではないでしょうか?
会社がどんなに忙しくても、自宅と会社を毎日往復しているだけでは社外情報は集まりません。
色々なベンチャー企業さんのご相談の応じていて、事業規模が次第に大きくなると日々の仕事に翻弄させられ社外情報(特に顧客情報)を収集するユトリがなくなった結果、暫らくの間は順調に推移することができても、それ以後は突然に業績不振に陥ってしまうケースが多いと思います。
偶には日常と違うことをしてみる、自分が嫌なことを敢えてしてみると、そこに「意外な気づき」が生まれることが多いようです。

2011年11月26日土曜日

PFドラッカー365の金言より 105

<< 本文 >>
大組織といえども万能ではない。それは敏捷(ビンショウ)さではなく、大きさによって成果をあげる。一人や少人数では不可能な能力を動員する。だが、規模は制約でもある。
象しノミと違って、身長の何倍も跳び上がることはできない。
何故なら
①組織は一時にわずかの仕事にしか取り組めない。組織構造やコミュニケーションの工夫ではどうにもならない。組織では集中力が鍵である。
②しかも、組織は変化しなければならない。変化とイノベーションの主導権をとらなければならない。そのためには、人財という稀少で費用のかかる資源を成果のあがらない分野から、成果と貢献の機会のある分野へと移す必要がある。資源の浪費は許されない。

(コメント)
日本には昔から「寄らば大樹の陰」という考え方があります。しかし、バブルが弾けてからは、その大樹と考えられていたものが、いとも簡単に消滅してしまう時代となりました。俗にいう組織の恐竜病です。
反対に「風にゆれる柳や竹の如く」という考え方もあります。変化に対応しながら、右や左に揺れ、それでいて芯は通され守られている状態です。
色々な企業から経営相談を承っていて、共通して言えることは、規模の大小に関係なく、中小企業でさえも、何かに拘ってしまっている結果(考え方のボトルネック)として、俊敏・機敏に環境の変化に対応できなくなっている場合が多いようです。そのときに必要なことは、その拘り(ボトルネック)を最大限活用することを考え、どうしても無理であれば「拘り」を無くしてしまうことではないでしょうか?
天下のJALはみごとに事業再生の成功の途を歩み始めたようです。このとき、経営の天才と言われ高齢の稲盛氏がとられた戦略は、経営陣と従業員の意識変革がベースになっています。世界の大企業であるJALのもつ「拘り」を捨てさせ、無駄なものは思い切って切り捨てることで、変化に対応できる新しい組織づくりをされた印象を私は持っています。それも出来る限り強制することは避け、コーチング的に自らに気付かせる手法のような気がします。その結果、いまではライバルのANAが窮地に追い込まれつつあるような態が見受けられます。

2011年11月25日金曜日

PFドラッカー365の金言より 104

<< 本文 >>
最高のサービスを提供する場合においても、マーケティングは必要である。
かつてのNPO(非営利法人)はマーケティングなど必要ないとしていた。しかし、現代ではNPOでさえマーケティングを必要とする。
マーケティングは販売とは異なる。それはサービスの受け手の側に立つことである。そのためには、何を、いつ、誰に提供するかを知らなければならない。

(コメント)
一流のサービスと料理を提供する一流料亭でさえ倒産・廃業せざるを得なくなる時代です。優れた技術や製品があったとしても、それが顧客ニーズを満たすものでなければ組織は維持できなくなってしまいます。
人間の欲求は飽くことを知りません。昨日の最高のサービスは、今日には当然のサービスとなってしまいます。そのため、組織は常に顧客ニーズを模索し続けることが必要となります。
そこで必要となるのがマーケティングです。
先生はコトラーのマーケティング理論を盛んに推奨されていました。確かに、今となっては古典理論かもしれませんが、現在でも通用する理論(技術論ではない)ですから一度は解説書を読まれ、マーケティングに対して正しい認識を持たれることをお勧めします。

2011年11月24日木曜日

PFドラッカー365の金言より 103

<< 本文 >>
組織というものは、自らの主たる使命に関しては最適化を求めなければならない。何が受け入れられるかではなく、何が正しいかを考えなければならない。
しかし、顧客以外のステークホルダー(利害関係者)に関しては、拒否権を行使されないよう政治的に対応し、満足化を求めなければならない。組織のマネジメントに携わる者は、拒否権をもつステークホルダーが誰であり、その最小限の期待とニーズが何であるかを知らなければならない。

(コメント)
目的、目標を追求することに没頭する余り、その目的や目標に直接的に関係しない人達を蔑ろにしてしまうことはよくあることです。そのようなときには、このような人達にも配慮することが必要であると先生は説かれているようです。

2011年11月23日水曜日

PFドラッカー365の金言より 102

<< 本文 >>
組織における意思決定は、4つの観点から分類される。
①影響する時間の長さ
②影響を及ぼす範囲
③考慮に入れるべき定性的要因(行動原理、価値観、信条等)の数
④問題が繰り返し発生するか、稀にしか発生しないか(反復性)
そして、意思決定は
(a)行動に近い低いレベルで行わなければならない
(b)影響を受ける全ての活動を見通せる高いレベルで行わなければならない。
意思決定のレベルに関わるこの相反する2つの原則から、個々の活動をどこに位置づけるかが明らかになる。

(コメント)
重要な意思決定を行うときに、惰性や感情に流されて決めてしまうことが無いようにするために、「一息ついて」、先生が言われる4つの基準で整理し直して2つのレベルがバランスする処で意思決定すると良いと考えます。
しかし、人間は感情の動物ですから、これが中々できません。そのため「一息おく」ことが大切です。

2011年11月22日火曜日

PFドラッカー365の金言より 101

<< 本文 >>
意思決定のフィードバックが、並の人間に一流の仕事をさせるようになる。
意思決定ほど学習しつづけることが大切な活動はありません。具体的には、「予期した成果」に「現実の成果」をフィードバックし、比較することを通じて学習していくのです。
①重要な意思決定を行ったならば、必ず「期待する成果」を予め書き留めてください。
②そして、実際の成果をフィードバック(予め書き留めていたものと実際の成果を照合する)してください。
③そこで得られた教訓を次の意思決定に生かしてください。
これによって、いかに多くを、いかに早く学べるかは驚くばかりです。

(コメント)
本文は少々難解なので私流にカスタマイズしてみました。
私は常にこのことを意識はしているのですが、残念ながら中々実行できません。
いつも時間に追われているので、何かを決めたら、すぐにそれを実行するか、何か別な急ぐことを始めてしまっています。
意思決定した直後にチョッと「期待する成果」をメモ書きしていれば良いのでしょうが・・・!!
やはり「ひと呼吸おいて」「節目をつける」ことが大切なようです。

2011年11月21日月曜日

PFドラッカー365の金言より 100

<< 本文 >>
意思決定に際しては、フィードバック(報告)の手段を講じておかなければならない。決定を行うのは人である。人は間違いを犯す。いつも最善の決定を行える訳ではない。また、最善の決定と言えども、間違っている可能性は高い。更に、大きな成果をあげる決定さえ、やがては陳腐化する。
軍隊では、誰もが自ら出かけ、自ら見ることが唯一の信頼できるフィードバックであることを知っている。

(コメント)
意思決定が成果あるものにするためには、自ら出かけて、自らが確かめることが必要です。意思決定が所期の成果(予期した成果)をもたらしているか否かを確かめることが必要です。
どんなに正しい意思決定でも、時とともに状況が変わると良い成果をもたらさないことがあり得ます。
大切なことは成果であり、過去の意思決定を遵守しているか否かでは無いと思います(修正も必要となる)。

2011年11月20日日曜日

PFドラッカー365の金言より 99

<< 本文 >>
組織としての意思決定でなければ決定とはいえない。(一部の人だけの決定だと)、意図があるにすぎない。そもそもはじめから、組織の意思決定としてスタートしていなければならない。
意思決定の結果にかかわりを持つ者は、自らの部局への影響を明らかにすることを求められ、賛否を問われるかもしれない。しかし、(それを通じて)トップマネジメントは各部局の考えを知ることができる。そのうえで意思決定を行う。
そこに参加型経営の要素はない。しかし、影響を受ける者は、(予め)意思決定の意味を知り、自らの立場を知り、備えることができる。(こうすれば)意思決定を売り込む(説明し説得する)必要はない。それは、既に売られている。

(コメント)
チョッと解り難い先生の教えですから、本文も加工しました。
「組織の意思決定として」とは??????? 意思決定の結果に関わりのある人達を巻き込むこと・・・。
意思決定するにあたっては、決めた後に関係者に説明するのではなく、実行にかかわりのある人すべてを事前に巻き込むことが大切であり、その上で実行にあたる人を決めることが必要であるという意味です。これをブレイクスルー思考法では「参加・巻き込みの原則」と呼んでいます。
日本流に言えば衆知独裁に近いとも言えるので参加型経営とは違います。
そして、この言葉の背後には「意思決定は行動に反映されて初めて意味がある(実行されなければ意味がない)」という意味があることも重要です。意思決定も行動に反映されなければ、意図があったに過ぎなくなってしまいます。

2011年11月19日土曜日

PFドラッカー365の金言より 98

<< 本文 >>
正しい問題提起を行うには、あらゆる角度から、
①そもそも何の問題か?
②何が問題か?
③何が大事か?
を考えることである。

(コメント)
私の実務経験上からは先生の言われることの前に、思い込みや憶測するのを止めて、必ず事実と照らし合わせることが必要であると思います。
また、事実と真実とは必ずしも一致するものではありません。事実とは、その人の経験を踏まえて習得された判断が織り込まれているものであり、それと真実との間にはその人なりのフィルターを通っています。
古い諺に「目の不自由な人が象を触ったとき、足を触った人は象とは太い柱のようなものと言い、鼻を触った人はそんなに太くはないが曲がりくねり良く動くものといい、耳を触った人は・・・」というのがあります。誰も嘘は言っていません。但し、象の全体ではなく一部分だけのことです。
更に、人間は先入観があると、その先入観を元にものごとを見てしまう傾向にあります。
このような状態を防ぐためには客観的にかつ全体を把握することで、事実を真実に近づけていき、その上で、先生が言われる「何についても問題か」「何が問題か」「何が大事か」と判断していくことが大切ではないかと思います。

2011年11月18日金曜日

PFドラッカー365の金言より 97

<< 本文 >>
意思決定において、問題の明確化ほど誰もが気にしない重要なことはない。
正しい問題提起への間違った答えは修正がきく。
しかし、間違った問題提起への正しい答えほど修正の難しいものはない。問題がどこにあるのかもわからない。

(コメント)
これは企業から色々な相談をうけていて、よくあるケースです。
要するに「現状の認識の仕方、問題のとらえ方」が間違っているのです。
特に、個別労働紛争の相談の場合は、従業員さんから考えた問題のとらえ方と、会社側から考えた問題のとらえ方が異なっている場合が多いようです。
そのため、ご相談事項の解決策を考える前に(正確には同時並行で)、本当の問題点はどこにあるのか、何が問題点なのかを捉えなおしてみることが問題解決のためには必要となります。
このときには現在発生している問題点を要件と要素に分解し、HOWツリーでまとめ直してみます。そうすると本当の問題点の在処、見方の違いが鮮明になり、正しく問題解決を図ることができるようになります。
尚、HOWツリーとは、ピラミッド形の構成図を横にしたものです。

2011年11月17日木曜日

PFドラッカー365の金言より 96

<< 本文 >>
あらゆる問題が4つに分類できる。
①一般的な問題
②自分にとっては初めてだが一般的な問題
③真に例外的な問題
④例外的に見えながら一般的な問題
の4つである。
(a)一般的な問題は、一般的な解決を必要とする。原則と方針によって解決しなければならない。状況に応じて原則を適用することで処理する。
(b)例外的な問題は個別に処理しなければならない。しかし、真に例外的な問題というものは稀である。
特に、組織が直面する種類の問題は、ほとんど全てがどこかで誰かが解決したことのある問題である。従って、ほとんどの問題は原則と方針を適用することによって解決できる。
最も多く見られる誤りは、一般的な問題を例外の連続としてしまうことである。

(コメント)
私は、今ある企業から「私生活上の某事件容疑者として警察で取り調べを受けている従業員に対する懲戒処分」に関する相談を受けています。一般企業からすると滅多にあってはならないことで、この企業は初めての経験をされるようなのですが、このようなときに私は過去の裁判判例を参考にしてアドバイスをします。これナンカが、この問題はこの企業にとっては例外的問題に見えるのかも知れないが、裁判事件(懲戒解雇)では一般的な問題と言え、PFドラッカー先生の言われることになるのではないでしょうか?
そして、先生が最も言われたいことは、問題を一般的問題か例外的問題かと問う前に「原則と方針」を適用することの大切さ(最初から応用問題として取り組まないこと)ではないかと私は考えます。人間の知覚・知識には限りがありますから、一般的か例外的かを判定することは非常に難しいことだと考えます。
そこで、私は「Simple is best」と考え、「モノゴトの真因はシンプルにバランスを保ちながら存在している」と考えています。事件や問題が発生すると、それが発生したこと自体で動揺(=感情)してしまい、原則や方針を見失ってしまう傾向が人間にはあると思います。そのため、複雑に見える問題こそ、自分を冷静にするために単純化して考えて真因を探り出す努力をするよう心がけています。

2011年11月16日水曜日

PFドラッカー365の金言より 95

<< 本文 >>
優れた外科医が不要な手術を行わないように、不要な意思決定を行ってはならない。
大昔から外科医は手術を行ってきたが、リスクの無い手術はない。外科医には3つの途がある。
①自然に治る見込み、あるいは安定する見込みがあるものであれば、定期的にチェックすれば良い。
②進行性の病であって、手術しなければ生命の危険があるのであれば手術を行う。
③最も多いケースのが、進行性でもなければ生命に支障もないが、自然に治る訳でもないということである。ここでは機会とリスクを比較考量する。
一流の外科医と並みの外科医の差が表れるのが、このときである。

(コメント)
他界した父が70歳を超えた頃のことですが、太平洋戦争のときに負傷したことが原因で加齢に伴い歩けなくなってしまいました。他の病気もあったので入院させましたが、医師から「足は手術されますか? 手術すれば歩けるようになる可能性はあります。しかし機能的に歩ける足になっても、そのリハビリ期間中に体力が減退して精神的に歩く気力が無くなってしまう可能性もあります」と選択を迫られました。これこそ機会とリスクがあることを教えてくれたのだと思います。このときには兄弟と母とで相談をして、手術はしないことを選択しました。
一方、私の末娘の様態が急変し緊急入院して調べた結果、医師から「今回の手術の成功確率は30%程度しかありません。しかし、手術しなければ娘さんは後もって1カ月程度でしょう。手術されますか? 」と医師が説明責任を履行するときに訊ねられました。このときは、妻に相談することもなく、直ぐに手術してくださいと依頼しました。
そして、色々な企業の問題や課題解決のご相談に応じていると、一番多いのは先生の言われる③のケースです。このときには、機会とリスクを考え、優先順位を決めて順番に問題や課題を解決していくか、悪化を防止してその後の状態を定点観測するかを選択してます。
ただし、その過程で企業自らは自覚していない病に陥っていることが発覚することも多々あります。
人間が創り出し、環境に適応しながら生き延びている企業組織って、面白いものですネ!! これが絶対に正解だということが無い訳ですから・・・・・!! ただし、他社がやって上手く行ったかといって自社でも上手くいく保証はないことだけは事実のようです。

2011年11月15日火曜日

PFドラッカー365の金言より 94

<< 本文 >>
意思決定にはプロセスがあり、ステップがある。1つでも必要なステップを省くと意思決定はできの悪い壁のように崩れる。
意思決定の6つのステップとは
①意思決定を行うべき「とき」を知る。
②本当の問題についてのみ行う。
③問題を正しく定義する。
④何が正しいかを考え、何が受け入れ易いかを考えない。
⑤やがて妥協が必要になることを覚悟しておく。
⑥実行の手配が済むまでは決定したことにならないことを知っておく。

(コメント)
PFドラッカー先生からの身に染みる助言です。
「いつ」の段階で意思決定をすべきかという判断は大変に難しいことです。
そして、実務で各企業の問題解決へのアドバイスをしていると、問題を正しく把握されていない企業が多いことには驚きます。会社の人から解決したい問題をお訊して、その原因であろうことを究明していくと、本当の問題(解決すべき真因)は全く違う所にあったということはザラです。真因を究明することなく目先の問題解決だけを図ろうとする訳ですから、その問題解決は応急措置に終わり、また次の問題が発生してしまいます。
従って、「チョッと待って!! 」と宣言してでも、問題を正しく定義しているか検証してみることが大切です。ただし、どんなに「問題の定義」や「解決方法」が正しくても、「いつ意思決定し、いつ実行するか」の判断を間違えていると問題は解決されないままとなる傾向があります。

2011年11月14日月曜日

PFドラッカー365の金言より 93

(コメント)
私が好きな一節です。特に、中段のスローンのやり方は意識しています。

<< 本文 >>
意思決定の原則とは、意見の対立が無いときには決定を行わないことである。意思決定においては、意見の対立がなければならない。
マネジメント上の意思決定は、全会一致によって行えるようなものではない。対立する見解が衝突し、異なる視点が対話し、いくつかの判断からの選択があって、はじめて行うことができる。
GMのスローンは、「では全員の意見が一致していると考えて良いか?」と聴き、異論が出ないときには、「では、意見の対立を生み出し、問題の意味について理解を深めるための時間が必要と思われるので、次回また検討することにしたい」と言った。
意見の対立を促すのには三つの理由がある。
①組織の囚人になることを防ぐことである。必ず誰かが何かを求めている。
②代案を手に入れることである。いかに熟慮しようとも、代案なしでは決定は賭け(バクチ)に終わる。
③想像力を引き出すことである。

(コメント)
色々な会社で取締役会や会議にオブザーバー出席していて、このことは痛感します。争いを避け早く会を終了するために審議不十分で結論を出してしまうのです。全会一致を「善」とする風潮が各社にあります。異論を唱え議題を次回に持ち越しても良いと思う状態のときもあります。
ここで大切なことは、「議論をどれだけしたか」ではなく、「異論・反対を唱える人がいるか、いないか」ではないかと思います。どうでも良いことと思っている人からは異論も意見も出ません。従って、重要な決定でも、意見や異論が出ないということは、本当は参加者がその問題を正しく理解していないことを意味するからです。
30年、40年という長い異なる人生経験を持つ人達が集まり、しかもそれぞれが分担する仕事内容と責任が異なる人達が集まっているのに、一つの問題を全員が同じ視点から見て考えているということはありえないことではないでしょうか?

2011年11月13日日曜日

PFドラッカー365の金言より 92

<< 本文 >>
意思決定とは行動を約束することである。起こるべきコトが起こらなければ、意思決定を行ったことにはならない。しかし、ほとんどの場合、意思決定する者と行動する者とが同一人物ではないことが多い。
従って、誰かの仕事として期限を定めない限り、いかなる意思決定もないに等しい。良き意図があっただけに終わる。誰かの仕事として期限を定めない限り、いかなる意思決定も無いに等しい。

(コメント)
色々な企業をお手伝いしていて、これはよくあるコトです。
例えば、現在お手伝いしている建設業の会社は、先月中頃に国土交通省の調査をうけ、見積書ほかの書類の不備を指導されました。そこで、この会社は早速、委員会を設立して問題解決にあたることにしました。そして国土交通省の人が参考として与えてくれた見積依頼書の内容妥当性をある部長が検討することを決めました。それから2週間が経過しましたが、部長は日常業務に追われて第二回委員会までにその修正案を考えていなかったのです。結局、第一回委員会で「見積依頼書を今後は発行するようにしたい」という意図があっただけで、第二回委員会では何の成果も上がらないことになってしまいました。尚、このときに、この会社の会長が激怒されたことは言うまでもないことです。
結局、この場合は「いつまでに」を決めていなかったことに原因があります。
一般的には「5W1H」が大切と言われますが、各企業のご相談に応じていて「誰が」「いつまでに」さえ決めていない場合が多いようです。そのため、私は色々な会社のお手伝いをしていて、組織行動の基本が出来ていない場合(これが大半です)には、『「誰が」「いつまでに」を決めてください』と繰り返し言い続けることが多いのです。「5W1H」など難しく複雑なことまで考えたり決めたりしなくても良いから、最低限の2H「誰が」「いつまでに」を徹底しないと、役割分担して仕事を進める組織活動は成果を上げることができなくなります。そして、「本当は〇〇〇したかったんダ!!」と言い訳をして、良き意図があったこと(絵に描いた餅)を事後説明することになってしまいます。

2011年11月12日土曜日

PFドラッカー365の金言より 91

<< 本文 >>
何が受け入れ易いかでなく、「何が正しいか」からスタートしなければならない。誰が正しいか等は論外である。そもそも何が正しいかを知らなければ、正しい妥協と間違った妥協の区別はつかない。
妥協には2種類ある。一つは古い諺の「半切れのパンでも、無いよりはまし」であり、もう一つはソロモン王の裁きの「半分の赤ん坊は奪われるよりも悪い」である。前者では、半分は目的を満足させる。だが後者では、半分の目的さえ満足させない。それも命あるものとしての子供の半分ではない。死骸の半分に過ぎない。
直面している問題について、正しい妥協と間違った妥協の双方を書き出し、何が正しいかを考えることで、間違った妥協をしないようにしなければならない。

(コメント)
会社の会議等で、誰が間違えており、誰が正しいか等と考えていませんか? 「誰が」ではなく、「どの考え方」が正しいかが大切なことです。「誰が」に固執してしまうと、正しかった人がその後に誤った発言をしても、また逆の場合にも、当初の「正誤」というイメージに引きずられてしまいます。
また交渉には必ず交渉には妥協や譲歩が必要となるから、最初は大きく要求しておき、交渉の結果で妥協や譲歩をして結論を得るという考え方があります。しかし、「何が正しいか」を知らずして妥協や譲歩を繰り返していると、間違った方向に結論がたどり着いてしまいます。
しかし、実ビジネス界では「何が正しいか」は中々分からない場合が多いのが実情です。ただ、その場合においても、少なくとも「半分の赤ん坊」になる妥協はせず、「半切れのパン」となる妥協をすることが必要です。
交渉ゴトではありませんが企業活動においても、雪印、吉丁、赤福あるいはエンロン事件のように、何が正しいかを考えることなく日常活動において妥協や譲歩を繰り返していると、気付いたときには犯罪になっている場合さえあります。
ツイッターやブログ等のSNSが普及し情報を隠ぺいしておくことが難しくなった現代においては、何が正しいかを考えて誤りに気付いたときには速やかに謝罪し、訂正・修正して正しい方向に向かい直すことが必要です。パナソニックは温風ファンヒーターの人身事故の際に速やかかつ大規模な反省・修正活動を行うことで寧ろ世風に好評されたことは周知の事実です。何が正しいかがわからない状態で進行しているときに謝りに気づいたら、隠ぺいしようとするのではなく、謝罪し修正することが必要な時代となっています。

2011年11月11日金曜日

PFドラッカー365の金言より 90

<< 本文 >>
やがて妥協が必要になるからこそ、何が受け入れやすいかではなく、何が正しいかを考えなければならない。そもそも、何が正しいかを知らずして、正しい妥協と間違えた妥協を見分けることはできない。

(コメント)
この先生の教えも文末から逆に読み解いていくと意味深いものとなるのではないでしょうか?
組織の中でも、社会生活においても、自分ひとりの我儘を通す訳にはいきません。全体で調整を図ることが必要となります。その為、どうしても多少の妥協または譲歩が必要となってしまいます。
しかし、大切なことは、このときです。
妥協または譲歩するにしても、「何が正しいか」を知らなければ正しい妥協や譲歩はできません。
妥協または譲歩が間違って為された場合には、寧ろ全体が変になってしまいます。
その為、妥協や譲歩が必要なときには、「何が正しいことなのか」をよく考えたうえで、妥協または譲歩することが必要となります。
私は社会保険労務士として会社の色々な問題を解決していくことを業としています。当然のこととして、法律を根拠として判断します。しかし、法律だけを根拠にするとその会社の状況に馴染まないことが多々あります。このようなときには、「何が正しいか」は「法律」に遡り考え、そのうえでその会社の現況も考慮して、「為すべきコト」を提案するようにしています。そして、時間を味方につけることで会社に「法律」と「人としての道」を理解してもらい、出来るだけ早く法律遵守できる会社になってもらいます。尚、それまでの間は放任しているのではなく、「つなぎの対策」として何らかの手法を講じて、法違反とならないように実行してもらうようにしています。
しかし、一般的には「損得」や「上下の人間関係」で妥協または譲歩してしまっていることが多いようです。
私は十数年前に経営していた会社を倒産させてしまうという苦い経験をしました。そして、その後で倒産に至った過去を振り返り、それまでの自分が「人間関係」を偏重した妥協や譲歩を繰り返していたことを学びました(二代目の甘さ)。このとき思い出したのが、PFドラッカー先生が言われるこの言葉です。
雪印、吉丁、エンロンのような不祥事をおこし消滅してしまった会社でも、中間管理職の中には事件となる前の初期段階で気付いていた人もいたことと思います。しかし、多分この人達は「何が正しいか」を考える前に妥協や譲歩してしまい「長いモノには巻かれろ」という考えに陥ってしまっていたのではないでしょうか? 初期段階で「間違った妥協」をしなければ会社が消滅することにはならなかったのではないでしょうか?
ツイッターやフェイスブックといったSNSが普及して情報共有される時代となりましたから、今まで以上にこの先生の教えは大切なものになっています。

2011年11月10日木曜日

PFドラッカー365の金言より 89

<< 本文 >>
意思決定が成果をあげるには、満たすべき要件を明確にしておく必要がある。要件が何かを明らかにしなければならない。要件を明確かつ簡潔にするほど、意思決定は成果をあげるものとなり、達成しようとするものを達成するようになる。逆に、いかに優れた意思決定に見えようとも、要件が曖昧であれば成果をあげられないことは必定である。
意思決定の要件は、問題を解決するために最低限必要なことは何かを問うことによって明らかにされる。

(コメント)
私は、色々な企業からご色々な相談を頂いたときに、ピラミッドを横にしたようなチャート図(HOWツリー)に必要条件を書き出したり、フローチャートにすることとで、満たすべき要件を出来る限り明らかにしていきます。特に、一般の人が煩わしく思われる法律的な問題に関してはそのようにしています。
このようにすると、その企業が達成したい目的を果たすにはどのような要件(条件)を満たすべきかが明確になっていきます。
私の原則は「Simple is Best」ですから、幼稚に思えるかもしれませんが、できるだけ図式化することで曖昧さや迷いを排除していきます。そして、このようなHowツリーやフローチャートが出来上がると後は実行していくだけです。しかし、Howツリーやフローチャートを描いていると「なにを幼稚なことをやっているのダ」と言われてしまうことが多々あります。何故なら、Howツリーやフローチャートが完成するとモノゴトは意外とシンプルに存在しており、自分の曖昧さがモノゴトを複雑にしていることが多いと分かるからです。私はこれらを考え方を整理して、協働する人達と必要な要件(要点)を共有し、更には目的を共有するために用いることが多いのが実情です。そして必要に応じて深堀りしていきます。
そのため、PFドラッカー先生の言われるように、意思決定のために最低限必要な要件に絞り込むためにも、Howツリーやフローチャートに描いてみることをお勧めしたいと思います。

2011年11月9日水曜日

PFドラッカー365の金言より 88

(コメント)
この本文は、コメントし難いのですが、生来セッカチで横着ものの為、集中力に欠け、手を抜いてしまう傾向がある私が自分自身の肝に命じ、努力していることです。

<< 本文 >>
いかに難しくとも、仕事で完全を求めてください。
紀元前440年ごろ、ギリシャの彫刻家フェイディアスは、パンティオンの彫像群を彫った。しかしアテネの会計官は、フェイディアスの請求書に対し全額の支払いを拒んだ。「一番高い丘のパンティオンの屁にあって、前面しか見えない。見えない部分まで払うわけにはいかない。」と言った。これに対し、フェイディアスは「そうではない。神々が見ている」といった。

(コメント)
芸術品は歴史という洗礼をうけ、本物だけが生き延びます。だから、名画・名曲と言われるモノも、本来は時代が変わり感性が変化しているにも関わらず名画・名曲として生き延びているのではないでしょうか?
大昔に船井総研のゼミナールで船井先生から「本物だけが生き延びられる時代がくる」と聴いていました。
インターネットが普及し、チャット他のSNSが普及した現代では「偽物」「悪いもの」は直ぐに排除されてしまいます。
また、ネットを上手く利用すれば、昔では考えられなかった方法・手段で仕事の目的を達成できる時代となっています。
そして更に、ユーザーのニーズさえも激しく変化を続けている時代です。
このような時代だからこそ、本物(真の顧客ニーズ)を常に求めて、手を抜かずに、そのとき自分と顧客が得心し得る水準の仕事を目指す必要があるのではないでしょうか(当然のこととして、コストとのバランスも考えますが・・・)?
しかし、時間に追われる現代では、これを常に目指すことは中々難しいことです。だからこそ、自分の肝に命じておくことが必要だと私は考えています。

2011年11月8日火曜日

PFドラッカー365の金言より 87

<< 本文 >>
誰でも報酬は必要である。だが、いかなる報酬システムにも人を間違って方向づけする恐れがある。
報酬システムにおいては科学的な公式はあり得ない。
従って、報酬システムは単純にしなければならない。
われわれに出来ることは、報酬システムが間違った行動を奨励し、間違った成果を重視し、共通の利益から離れることのないようにすることだけである。
報酬システムは、「個としての仕事ぶり」に報いるとともに、「全体への貢献」に報いるように設計することが大切である。

(コメント)
私は給与体系を構築することを業とする社会保険労務士です。その為、この本文は大変に意味深いものです。
私の給与体系構築の原則は「Simple is Best」で、出来る限り判り易いものにすることです。
まず、経営理念・社是・社訓・社長の経営方針を再確認することから取り掛かります。
次に、役職別・担当職務別に役割分担を明確にします。
これらを通じて、各人の方向性・努力度と全体への貢献の度合いを測定できるように仕組みをつくります。
そのうえで人事考課表の作成に取り掛かります。ただし、あまり細かくは細分化・点数化はしません。人間は右能と左能をフル活用して総合評価することが大切ですから、点数化するという左能だけの作業は極力避けます。ただし、判断するときの検討要素は明示します。複数の要素から総合的に評価ランクを決定して貰います。
これ以降は作業段階になりますので詳細は記述しませんが、出来るだけルールを決めてシンプルに判り易く運用できるように努めます。
組織において、人は昇給・昇格・賞与・懲罰等を通じて、その組織の価値観を実感し理解するとPFドラッカー先生が言われますから、とても重要なものです。社長が朝礼や会議でどんなに綺麗な言葉を並べても、従業員は昇給・昇格・賞与・懲罰等を通じて社長の本心・本音を理解します。戦国時代に、隣国との戦さでは勝利したが、その戦利品分配を間違えた為に不満が起こり、そのために国が潰れた例は沢山あります。
いまは戦国時代と同じような競争社会となっていますから、給与体系(特に評価制度)を定期的に見直し、組織の価値観が反映される仕組みを創り上げることが必要なのではないでしょうか? 
経営方針や経営戦略に応じて、毎年評価項目を洗い直し重点実施項目を明確にし直す必要があるのに、一回評価制度を構築すると後は毎年検討することもなく単純作業として評価を繰り返している企業が多いことには驚きます。「企業は変化適応業」と先生は言われていますから、その根本になる評価制度の要素年ごとに洗い直す必要か゛あります。

2011年11月7日月曜日

PFドラッカー365の金言より 86

(コメント)
今日の内容もPFドラッカー先生の有名なお話しです。

<< 本文 >>
三人の石切工の話がある。
何をしているのかと聞かれて、それぞれが「暮らしを立てている」「石切りの仕事をしている」「教会を建てている」と答えた。第三の男こそ、真のマネージャーである。
第一の男は、仕事で何を得ようとしているかを知っており、事実それを心得ている。一日の報酬に対し一日の仕事をする。だがマネージャーではない。将来もマネージャーにはならない。
問題は第二の男である。熟練した専門能力は不可欠である。確かに組織は、最高の技能を要求しなければ二流の存在になる。しかしスペシャリストは、単に石を磨き脚柱を集めているにすぎなくとも、重大なことをしていると錯覚しがちである。専門能力の重要性は強調しなければならない。だが、それは全体のニーズ(目的)との関連においてでなければならない。
「教会を建てている」といえることが重要である。
全員が自らの貢献を知ることのできる体制を構築することが大切である。

(コメント)
私はこの話しを「教会を建てるためのレンガ積み」の話として聞きました。しかし、レンガが石切りかはどうでも良いことです。
第一の男は生活のために働いていると言っていますが、先生はこれを論外と捉えていらっしゃいます。生活の糧を得るために仕事をするのは、仕事ではなく作業をするアルバイト君たちで充分でする。
先生が一番問題と捉えていらっしゃるのは第二の男です。仕事が細分化され専門化された結果、最近はスペシャリストが増えています。私も社会保険労務士という人事労務関係の専門職の仕事で生業を得ていますが、色々な会社をお手伝いするときにその会社の社長ほか経営陣のモノゴトの考え方と目的、経営方針・経営理念・社是・社訓も参考にしながらアドバイスするように心がけています。人事労務の問題に限らず、実社会や会社の諸問題解決にはこれが絶対的に正しい回答というものは無い(学校のテストのような正解は無い)訳であり、他社で正しいアドバイスだったものがその会社では間違ったアドバイスとなることもシバシバあります。例えば、「うつ病」に罹患して欠勤している従業員が発生した場合でも、ある会社では休職期間に入ることを勧めることが正しく、別の会社では退職勧奨することが正しい場合もあります。
これは、人事労務の問題に限らず会社の仕事に関しても言えることです。
社内の各担当者(社内における専門家)の仕事は会社全体への貢献において評価されるべきものですから、この各担当者が「自らどのように会社全体に貢献しているのか」、「会社全体の目的(目標てはない)」を語ることができることが必要となります。
私が給与体系の再構築を依頼されたときに、手間暇がかかるのですが、ワザと役割分担表(マイタスク表)を作成するのはこの為です。これがないと正しい人事効果表は出来上がりません。そして、出来上がったマイタスク表を全社一覧の表にして全社員(パート・アルバイトさんも含む)に周知徹底することで、PFドラッカー先生の言われる「会社目的の共有」と「自らの役割分担明確化」を図ることを目的とします。
専門家は得てして自らの専門分野に埋没し専門バカとなる傾向がありますから、第一の男以上に全体目的(目標ではない)を自覚させたうえで、自立した職務遂行をするように指導することが必要となります。
そして更に、色々な会社にお伺いして私が一番驚愕することは、全体目的を知らない人が管理者となっていることが多いことです。管理職だから自らの担当分野のことは熟知されている場合は多い(?)のですが、意外と会社全体の目的、或いは関連部門の目標等を知ろうとされていない管理職が多いことには驚かされます。最近になって企業理念の大切さを説かれることが多くなりましたが、そもそもの原因はこのあたりにあるような気がします。管理職にするときの選択基準を変更した方が良い会社が多いのは事実だろうと考えます。

2011年11月6日日曜日

PFドラッカー365の金言より 85

<< 本文 >>
マネジメントには2つの役割がある。
第一の役割は、部分の総和よりも大きな全体、すなわち投入した資源の総和よりも大きなものを生み出す生産体制を創造することである。
第二の役割は、自らのあらゆる決定と行動において、直ちに必要とされるものと遠い将来に必要とされるものとをバランスさせることである。

(コメント)
私は第一の役割のことを「1+1=3にするのが組織マネジメントの役割です」と言っています。そうしなければ付加価値(=利益=社会貢献すること)を生み出す組織になり得ないからです。昔、大学のクラブで学んだときには「組織のテコの役割(効果を増幅させる)」と呼んでいました。
会社組織では「1+1=2」では赤字となります。何故なら、運営・維持コストを創造できていないからです。ボランティア組織であれば「1+1=2」で自己満足していても良いのかもしれませんが、会社組織ではそうはいきません。会社組織では2人いれば3人分の成果が図れるように知恵を出すことが必要となります。
第二の役割には特別の呼び名をつけていませんが、従業員の教育訓練あるいは新規開拓分野への挑戦などの視点から顧問先にアドバイスするようにしています。地方の中小企業では、遠い将来のために先行投資したくても中々それができるユトリがない企業が多い実情ですが、これを少しずつでも良いから意識的に行っていかないと、いつまでも現状に留まることになり、それが原因で将来において滅亡の種を撒くことになりますと説明しています。特に、どんなに良いモノやカネが沢山に今はあっても、それを使いこなせるヒトが育っていないと宝の持ち腐れとなり、環境が激変していますから使いこなせるか否かはヒトのレベル次第です。従って、従業員教育は継続的に行い、かつ情報を共有することをお勧めしています。

2011年11月5日土曜日

PFドラッカー365の金言より 84

<< 本文 >>
人間組織においては、データによる管理には基本的かつ根本的な制約がある。組織とは、それぞれが独自の理念、目的、欲求、ニーズをもつ「人の集合」である。いかなる組織であれ、メンバーの欲求とニーズは満たさなければならない。この欲求とニーズを満たすものが賞罰であり、各種の奨励策、抑止策である。
人はいかに賞され罰せられるかによって左右される。彼らにとって、賞罰こそ組織の目的、価値観、位置づけ、役割を教えるものである。人事に表れる組織の価値観に合わないものは、全て無効である。それどころか摩擦のもととなり、組織としての機能不全をもたらす。組織のマネジメントは、事実上の管理手段である人事抜きには考えられない。

(コメント)
いかに賞され罰せられるかによって人は左右される。
私の顧問先のサラリーマン社長は、昇格、昇給、賞与の評価決定をする際に、社是・社訓・就業規則(企業理念は無い会社)を全く無視して、「社長である自分が他の取締役を説得してお前を昇格させた」と社員に恩を売ること(社員のご機嫌取り)に使う社長がいます。
悪いことに、このサラリーマン社長は、社員が就業規則違反をしても処罰しようとしません(社員からの社長の人気が落ちるから)。
これでは、どんなに人事労務管理を徹底しても、また営業方針を打ち出しても、それらが守られることはなくも社員は社長のご機嫌取りばかりをしてしまいます。その結果、この会社は無法状態となっていました。
そこで、本当は一機に変革させたかったのですが、色々な事情があり段階的に変革させています。
弁護士と連携して諸悪の根源をまずは排斥しました(本当は社長を解任するのが一番早いのですが、社長と一蓮托生となり社員に甘かった取締役のことです。社長には改心の猶予期間となっています)。社長は事情があって今期限りで解任となる予定です。
その効果が表れ始めたのか、今期になって業績が改善してきました。
また、今その一環として給与・賞与体系の再構築を図っています。その目的は、評価段階で社長の私的恣意性が出来るだけ働かないようにすることです。
そして、就業規則の賞罰規定の運用強化を図っています。このような社長ですから、罰するだけでなく、賞することの大切さを習得してもらいつつあります。しかし無理のようです。従って、諮問委員会(不正の疑いがある場合に取締役と他の社員の代表者数名で本人に本人が認識する事実を確認する場)を設け、その後に懲罰委員会(必要によって懲罰を決定する場)を設けるように進めています。
社長や上司が朝礼や会議でどんなに綺麗ごとを言っても、社員は昇進、昇格、昇給、賞与で社長や上司の本心を見抜いてしまいますから、これらには特に注意することが必要です。これらを誤ると、営業戦略も実行されることはなくなってしまいます。
変化が激しい時代だから従業員の一人ひとりが自立して仕事を行う必要があるため普段から会社理念を浸透させておくことが大切な時代と言われて久しいものがありますが、昇給、昇格、昇進、賞与等を通じて、社長の価値判断、会社理念・社是・社訓を従業員に浸透させていく努力をすることが今は大切な時期のようです。

2011年11月4日金曜日

PFドラッカー365の金言より 83

<< 本文 >>
前年度の利益よりも、人財を惹きつけて留めることができることは重要なことである。人財を惹きつけ留めることができなければ、死に向かうよりほかないことは誰でも知っている。
きわめて重要でありながら定量化(データ化)できないものがあることは誰でも知っている。しかし、それらは定量化することはもとより、定義することさえ困難である。
とは言え、把握不能ということではない。いたって明白である。データ化できないというだけに過ぎない。
データ化できないものを考えなければならない。データ化できないものについての配慮を忘れたデータ化は、組織を誤った方向へ導く。ところが、データ化に成功するほど、それらデータ化したものに囚われる。従って、優れたデータを手にしているように見えるほど、マネジメントが行われていない恐れがある。
重要な情報のうち、データ化できるものとできないもののリストをつくってみることである。そして、それぞれについて定量的分析とともに定性的分析を行ってください。

(コメント)
定量化できないものには人財を惹きつけるということの他にも色々なものがあります。会社の世評、コンプライアンス、企業理念・社是・社訓の理解度と浸透度等々、挙げ出せばキリがありません。
しかし、データ化できないからといって放置していると変化に気付くのが遅れたり、主観によってだけ判断したりしてしまいます。そこで、それらをデータ化するために代用数値を用いることは必要となります。しかし、所詮は代用数値ですから、必ずしも実態を反映したものとはなり得ないことがあります。
そして、この点を判断するのがマネジメントの役割ではないでしょうか?代用数値で普段は実態変化を把握しながら、定期的に代用数値の妥当性を検証してみることが必要です。
色々な企業の問題解決のお手伝いをしていると
第一段階 データ化された資料さえ見ていなかった場合(中小・零細企業に多い)
第二段階 データ化された資料は確認していたが、それを鵜呑みにし、実態の検証を怠っていた場合(中堅・大企業に多い)
が多いことに気付きます。組織化(分業が進化する)されるほど、主観を排除して客観性を確保するためにデータを盲信してしまう傾向が見受けられます。
組織の問題や課題とは、自動販売機のように一定の方程式があり自動的に結論が出されるものではなく、複数の要素・要因が複雑に絡み合って発生しています。マネジメントの役割・責任とは絡み合った要素・要因をどのように判断することでBETTERな(BESTではないかも知れないが)解決策を見つけ出すことにありますから、集められたデータが実態を反映したデータなのか検証してみることが必要と思います。
この点も大学時代のゼミナールの恩師(加藤寛教授)は力説されていました。加藤先生のご専門は経済政策ですので、官僚が集める提出するデータに多分に影響を受けます。官僚の特性として前例主義があり、いままでのやり方を世襲してしまいます。しかし、いままで提出されていたデータでは実態が正しく把握できない状態となったとき、提出されたデータ以外の事実を把握するよう努力しなければ誤った経済政策を実行してしまいます。従って、データを過信して現状把握せずに、現地・現場に行って、データ化されていない実態を把握することが必要となります。
今年3月11日に発生した東北大震災の影響に関しても同様のことが言えるのではないでしょうか?
私の叔母は釜石市に住んでいますが、通信不能となったことは別問題として、通信可能となった状態に復旧してからも、テレビ・新聞等のマスコミで得られるビジュアル・データと、叔母から時折ある電話連絡とでは、現地の生活状況とは一致しない点が沢山ありました。また電力不足の問題にしても然りと思います。そして、このとき政府のマネジメント力不足が指摘されたことは周知の事実と思います。
このときに必要とされていたことは、現地・現物主義であり、そこから①自らが得ることができた非データ的な情報と、②報告される非データ的な情報と、そしてそれらを裏付けるための③データ化され集められた情報を総合的に判断してよりBETTERな対策を講じることだと私は思います。
「乱気流の時代」「激変の時代」と言われ続けて久しいものがありますが、企業経営にしても同様のことが言えるのではないでしょうか?
そして更に、これらは全て人財によってなされることですから、PFドラッカー先生は「人財を惹きつけること」の重要性を説かれていると考えます。

2011年11月3日木曜日

PFドラッカー365の金言より 82

(コメント)
『成果は企業の外部にある。企業の内部にあるものはコストセンターに過ぎない』という先生の言葉は大変に有名な言葉です。今日はその節です。

(本文)
あらゆる組織が社会、経済、人間に貢献するために存在する。当然、成果は組織の外部にある。それは社会、経済、顧客に対する成果として表れる。企業のあげる利益にしても、それをもたらすのは顧客である。組織の内部が生み出すものはコストだけである。内部にあるのはコスト・センターに過ぎない。
管理的な仕事すなわち組織の内部の現象、事象、データについては惜しむことなく分析が行われてきたが、外部の世界への起業家的な活動については、それらの分析に比肩するものがほとんどない。効率すなわち努力を記録し、定量的に把握することは容易である。しかし、売れない製品を設計していたのでは、いかに効率的な設計部門といえども価値はない。
従って、今日の組織が必要としているものは外部に向けた感覚器官である。

(コメント)
「企業経営には、管理力と創造力とのバランスが大事である」と専門学校の教科書で習いました。
この場合の管理とは社内に対するマネジメント力であり、創造力とは顧客のニーズを探り出す力を意味します。
PFドラッカー先生は、この両者を比較して、マネジメントに関する教科書や先生やデータや分析手法は沢山用意されているからそれらから学び実践すれば足りるから、今日では顧客ニーズを探り出す力にもっと力を入れるべきだと言われていると考えます。
社長自らが顧客と接し、顧客から聞くのではなく、顧客に訊くことにより顧客ニーズを創造し探り出すことが必要な時代となっているようです。これは社長の五感をもってして初めてできることですから、社員まかせではできません。社員ができるのは補うことに過ぎず、社長や取締役の感覚が顧客に直接接していなければ、社員からの報告の可否の判断を間違えることになります。
「社長の現場主義」という言葉も誤解している人が多いように見受けられます。社長が社内の現場を回り社員とコミュニケーションすることは当然に必要なことですが、それだけではマネジメントはできても、顧客のニーズを創造することはできません。社長が忙しい為に会社と自宅と飲み屋さんの往復ばかりして買い物も自分でしたことがないようでは、顧客ニーズを「創造」ではなく「空想」してしまいます。生産財メーカーの社長といえども最終消費者の動向により自社製品の将来は大きく変わってしまいますから、お休みの日にはゴルフに行くのではなく意識してショッピングセンターや商店街で買い物をしてみる、あるいは散歩することが必要と思います。
因みに、私は社会保険労務士で労務管理に関する仕事をしていますが、労務管理も間接的に消費者の動向に影響をうけますから、時間がとれる日曜日などには、自宅から片道約1.5キロの大型電気店まで商店街を歩いて行くように心がけ、また仕事の合間に空き時間ができたならばショッピングセンターに立ち寄り消費動向を把握するようにして、私の感覚が鈍らないように努力しています。
因みに、昨日は忙しくて昼飯を食べる時間が無かったのですが、通りすがりに「牛丼のすき屋」があったので入りました。いま「強盗で有名な牛丼のすき屋さん」です。久しぶりの牛丼でしたが、入店して直ぐに強盗に狙われる理由がわかりました。経費節約のため人件費を極端に圧縮しているため、店員数が足らないのです。客数はそんなに多くなかったのですが、店員さんは店内を走り回っており、中々注文を訊いてれませんし、レジは全く無防備の状態となっていました。しかし、経費節減をしているせいか「大盛り牛丼」は昔しよりもボリュームがあったのでとても得をした気分にはなりました。行き過ぎた虚(必要最低限の人数さえ確保されていないこと)が強盗に狙われる理由となっているようです。これでは何のための人件費圧縮(経費節約)かがわからなくなってしまいます。
ショッピングセンターに立ち寄ったり、商店街を散歩したりしていると、思わぬ商品を発見したり、消費者の思わぬ行動に出会うことがシバシバありますから良い勉強になります。また広島市内電車に月に1~2回は乗ることがあり、最近感じることは、東京ほどではないにしても携帯電話よりもスマートフォンを社内で使っている人が増えてきたことと、若い人だけでなく年配者も使い始めてきたことに気付きます。このことを電話通信業を営む会社の取締役に「ここに貴社のビジネスチャンスが潜んでいる」とお伝えしても、この人達は通勤時間帯の電車やバスにのることが無いので理解できないのです。

2011年11月2日水曜日

PFドラッカー365の金言より 81

今朝は忙しくて6時から仕事をする羽目になり、ブログをする暇がありませんでした。そこで、今する次第です。

<< 本文 >>
企業などの人間組織では、データをとる行為は客観的でも中立的でもあり得ない。主観的な行為であって偏りをもたざるを得ない。しかも、それは対象を変えるのみならず、データをとる者自身を変える。
データにかかわる根本の問題は、いかにデータをとるかではなく、何のデータをとるかにある。

(コメント)
これは大学生の頃にゼミの加藤寛教授からも教えられました。データは必ずしも客観的ではないと・・・・・。
なぜならば、データを取られ出すと、その人達はそのデータの値を良くすれば評価されると理解します。従って、意識的に他の事柄よりも、そのデータの原因となる事柄を改善しようとします。その結果、「データを取る」という行為はデータを取られる人達の行動や価値観を変えてしまいます。そのため、今まで通りのデータではなく、意識して創り出された環境下でのデータが集まってしまいます。
この症状は、会社では顕著に表れます。どんなに社長が「売上高よりも利益額が重要だ」と言い続けても、賞与や昇給の査定のときに利益額ではなく売上高で従業員の優劣を判定していると、従業員は社長の本心は売上高にあり、口先だけで利益額が大事と言っているに過ぎないと考えて行動します。その結果、儲からないビジネスを売上高を確保するために行い続けてしまいます。
従って、「何のデータを集めるか」を決めることは「データ内容がどうであるか」よりも大事なことです。データをとるのは会社が価値ありと考えるものだけにした方が効果があがります。
また、そのためアンケート調査結果やマスコミが好評するデータを鵜呑みにしないことが大切です。
ゼミの加藤寛教授(経済政策専門)は「日本の新聞だけしか読まないのでは駄目だ。世界の新聞を色々と読むようにしなさい。英語が読めなければ、和訳されたものでも良いから・・・」とシキリに言われていました。
即ち、データはデータを取られる人達を変えてしまいますが、それを読む人も変えるので、偏ったガラパゴス的な情報だけを頼りにしてはいけないと警告されていたような気がします。

2011年11月1日火曜日

PFドラッカー365の金言より 80

<< 本文 >>
情報処理能力の増大とマネジメント手法の発展に伴い、データの設計能力が急速に向上しつつある。
しかし、そのことはマネジメントの向上にいかなる意味をもつか。データの設計能力の向上をマネジメントの向上に結びつけるには何が必要か。というのは、データはあくまでも目的に対する手段であり、目的はマネジメントそのものにあるからである。
データは、一人ことりの人間の動機づけにつながらなければならない。データによって得られる情報が行動につながるには、その情報が知覚に翻訳されなければならない。
さらに、人間組織においては、もう一つの複雑さ、つまり不確実性なるものが存在する。社会現象に対する人間の反応は、予測が不可能である。
収益悪化のデータは必ずしも値上げだけを意味しない。売上減少のデータは必ずしも値下げだけを意味しない。そもそもデータが示している事象に意味がないのかもしれない。たとえ意味があったとしても、その意味が理解できるとは限らない。

(コメント)
PFドラッカー先生は、パソコンやインターネットが普及して情報が氾濫する社会の到来を予見されていたようです。氾濫する情報やデータの中から、自分がその意味を正しく理解できて、しかも対策を考えることが゛てきるデータを集めなければ、データばかりを集めても意味がありません。
ある会社で女性従業員さんが一生懸命に毎日、新聞の切り抜きをしてファイルに集めていました。そこで私は「誰がこのファイルを見るのですか? そして、そこにある資料やデータをどのようにつかうのですか?」とお訊きしたところ、「誰も見ませんが、社長の指示で切り抜き作業を昔からやっています。作業が終わったら、資料棚に半年間は保管した後に焼却しています」と言われましたので、「その作業は直ちに廃止してください」とお伝えしました。
情報が氾濫する現代においては、目的を明確にして、不要な情報・データは排除する(必要なデータを集めるのではない)ことが大切です。この場合、不要なデータとは、意味がないだけではなく、自分が意味を理解できないと言う場合も含めた方が得策のようです。
また本文後段にあるように、データを正しく理解できなければ、そのデータを集める意味が無くなってしまいます。売上減少したら必ず値引きをしなければならないという訳ではありません。他にも対策はあります。収益が減少したときにも、値上げだけではなく、経費節減ほか色々な対策が考えられます。値上げすると寧ろ売上が減少して収益が更に悪くなる場合も多いようです。
より適切にマネジメントすることが目的ですから、その目的に沿ってデータや資料を集めることが重要なのであり、当然のこととして自分が理解できるデータでなければどんなに権威あるデータであろうとも意味はありません。
私の仕事上で、給与の世間相場を聞かれることがあります。社長さんが持たれている資料やデータを拝見すると、全国平均値のものであることが多いのです。ここで注意しなければならないのは、全国平均値は東京の異常に高い賃金が含まれた上での平均値ですから、地方の実態とは乖離してしまっています。社長が必要とするのは地域の商工会議所がまとめた、その地域の給与相場である場合が多いのです(社長の使用目的次第にもよりますが・・・)
また、個別労働紛争や裁判で、相手方が膨大な反論資料を提出してくることが、よくあります。しかし、それらの資料をよく読んで看ると、反論とはならずに寧ろ自らの非を認めるようなデータや資料が含まれていることが多々あります。自分の目的に沿わない資料・データを提出すると、紛争解決のときには自ら墓穴を掘ってしまいます。
ITが発達して便利な時代となった分だけ、自分の目的に沿ったデータや資料を集めるようにすることが必要となります。特に、部下にデータや資料を集めることを命令する場合には注意が必要です。賢い部下は、その指示されたデータや資料が会社の判断材料として使われることを知りますから、そのデータや資料に関する事項を重視するようになりますから・・・・・。