2012年1月31日火曜日

PFドラッカー365の金言より 171

<< 本文 >>  「産業人の未来」
いかなる権力も、正統でない限り永続きしない。いかなる社会といえども、一人ひとりの成員を組み入れない限り機能しない。産業社会にしても、それを構成する一人ひとりの人間が「位置づけ」と「役割」を与えられない限り、解体ざるを得ない。
大衆は反逆しない。しらけるのみである。自由にともなう責任から逃れるだけである。自由とは、そこに社会的な意味がなければ負担と脅威以外の何ものでもない。
われわれには二つの道しかない。社会として機能する産業社会を構築するか、自由が無秩序や圧制のうちに消滅するのを座視するかのどちらかである。

(コメント)
本文の「社会」と「産業社会」を「会社組織」に置き直してお読みください。意味深い教えだと思います。
①権力には正当性が必要である。
②各構成員の「位置づけ」と「役割」を明確にしなければならない。
自由には責任が伴う。責任を伴わない自由は無秩序か、圧制を招くだけである。
会社組織と言えども以上を踏まえて運営しなければ、いずれは崩壊してしまうか、或いは独裁体制を招いてしまうという教えであろうと思います。
PFドラッカー先生の経歴は、欧州オーストリアに生まれ、ドイツに移り住んだもののナチスの圧制から逃れるためイギリスに渡り、その後にアメリカ合衆国に移住された筈でから、自由と圧制を体感されています。先生はこの体感を会社組織にも当てはめるべきだと教えられたいのではないでしょうか?

2012年1月30日月曜日

PFドラッカー365の金言より 170

<< 本文 >>  「現代の経営」
技術の発展はマネジメントの領域を拡大する。一般社員とされている人達の多くがマネジメントの仕事を行わなければならない。あらゆるレベルにおいて、責任、能力、ビジョン、リスクの選択、マネジメント手法、ヒトのマネジメント、意思決定能力に対する要求が増大していく。
新技術は最大限の分権化を要求する。中央の計画によって経済を運営すべく、自立した企業の自由なマネジメントを避ける社会は全て滅びる。責任と決定の権限をトップに集中する企業も同じ運命をたどる。
環境変化に対応できない小さな中枢神経によって、巨大な体をコントロールしようとした恐竜と同じように滅びる。

(コメント)
自立した社員を育てる必要性と会社理念・方針を徹底させる必要性が説かれる根拠はここにあります。
不規則で激しい環境の変化が続く現代において、またパソコンやインターネットが普及した現代において、中央集権的な組織運営をしていたのでは環境の変化に適応できなくなってしまいます。そこでは分権化が必要となり、また分権化が行われるから一般社員にまでマネジメント能力が要求されるようになったのです。役職者でない一般社員がプロジェクトのリーダーに選任され、プロジェクトのマネジメントを行わなければならないことは日常茶飯事です。また更に、プロジェクトではないにしても、それぞれの仕事が専門化した現代においては人間一人ができる仕事の範囲には限りがありますから、関係者を巻き込むことで自らの目的を達成することが必要かつ不可欠となっています。この状況下において、巻き込んだ人達をマネジメントする必要が生じてきます。
そして、会社が組織本来のメリットを活かすために「力の集結」を図ろうとすると、会社理念・方針を社員に浸透させることで、会社の方向性(基本戦略)を示し、各自のマネジメントの方向性を束ねていくことが必要となったのです。
そして、その為には「これをしろ・・・」「あれをしろ・・・」という命令ではなく、結果として従業員とのコミュニケーションが重要になる考え、従業員を自立させていくことが必要となっているのだと思います。そうしなければ、会社は不規則かつ急激な変化を続ける環境に適応できなくなってしまいます。

2012年1月29日日曜日

PFドラッカー365の金言より 169

<< 本文 >>  「すでに起こった未来」
経済的な発展は、経済的な富ではなく、人間のエネルギーによってもたらされる。人間のエネルギーを生み出し、その方向づけを行うものがマネジメントである。
資金しかなかった所に経済的発展は見られなかった。マネジメントの力によって人間のエネルギーを結集した所でのみ、急速な経済発展を見ることができた。
経済と社会の発展はマネジメントの結果である。発展途上国など存在しない。あるのはマネジメント途上国である。

(コメント)
本文の「経済的発展」を「会社の発展」に置き直してください。
会社が成長するには資金や設備(カネとモノ)が必要です。しかし、その資金と設備を生み出すものは人間の智慧です。また資金や設備があったとしても、それを使うのは人間(ヒト)です。従って、「会社を成長させるのはヒトであり、倒産させるのもヒトである」と言えます。そして、ヒトのエネルギーを結集させてパワーを生み出すためにはマネジメントが必要となります。
ここで注意すべきことがあります。よくマネジメントとは「管理することなり」と思い込んでいる人がいます。しかし、これはマネジメントの一部しか考えていません。マネジメントは「人間(ヒト)のエネルギーを集結されること」も必要とされます。従って、どんなに管理が徹底されていても、エネルギーを終結させることが出来ていなければマネジメントしているとは言い難い状態といえます。そのため、マネジメントには「ヒトの力を集結させる目的・目標を見つけ出し、創造することが必要である」と言われます。結果として、マネジメントには①管理力(狭義のマネジメント)と②創造力が必要であるということになります。
これをもっと具体的に表現すると、「◎◎が無いからできない」「××だから出来ない」と「出来ない理由探し」をしている限りはマネジメントしていることにはならず、「どうすれば出来るようになるか」を智慧と勇気を振り絞って考え実行している状態がマネジメントしている状態と言えると思います。これをMSRでは「出来ない理由探しよりも、出来る方法探しをしよう」とスローガンにしています。色々なベンチャー企業さんや、倒産の危機に瀕した企業の再生をお手伝いしていると「出来る方法探し」の大切さを痛感する次第です。

2012年1月28日土曜日

PFドラッカー365の金言より 168

<< 本文 >>  「断絶の時代」
再民間化とは、家族やコミュニティが担いきれなくなったために政府に任された仕事を、政府以外の組織に戻すことである。再民間化に企業が適しているのは、それがイノベーションのための組織だからである。他の組織はすべて、変化を阻止するか、少なくとも緩和するためにつくられている。それらは、止むを得ざる時に不承不承イノベーションを行う。
しかも企業には、政府に不可能な2つのことができる。第一は、事業を止めることができる。市場で活動しているならば事業を止めざるを得ないことがある。第二に、企業は社会が消滅を許す唯一の組織である。企業は仕事ぶりを厳しく評価される。消費者は製品がどれだけ役に立つかだけを考える。役に立たなければ、それをつくった企業が消滅しても残念とは思わない。投資家も残念とは思わない。
企業が優れている最大の理由は、利益の機能にあるのではない。赤字の機能にある。だからこそ企業は、あらゆる組織のうち最も適応性に富み、最も柔軟である。

(コメント)
郵便局が無くなっても、やまと運輸さんが頑張ってくれる時代となりました。一昔前に第三セクターが流行った時代がありましたが、当時の第三セクターは天下り集団に過ぎず、設立されて暫らくすると利益に対する責任意識が薄いためにイノベーションを拒否または回避するようになり、大半の第三セクターはその役割ほ果たすことなく消滅していきました。
本文で最も重要だと私が思う箇所は、最後の2行です。先生は別書籍で「企業とは変化適応業なり」と言われています。
しかし、民間企業でもイノベーションや変化を嫌う企業は沢山あります。そして、それらは大きなトレンドで見ると、いずれ消滅していっています。「もっと儲けるためにイノベーションを行う」のではなく「将来、赤字にならないために今イノベーションを行う」というと消極的に聞こえるかもしれませんが、投機的行動を避け地に足の着いた堅実なイノベーションを行うためには、最低限に必要とそれる考え方だと思います。
企業は環境の変化に適応し利益を上げて行かなければ、いずれ市場から淘汰され消滅せざるを得なくなります。イノベーションの妥当性・適切性を判断する指標が「利益」である(「利益」が先にあるのではない)と先生は言われたいのではないでしょうか?
私への相談依頼先に、変化を避ける企業があります。昨日まで、昨年まで、今までと同じやり方でなんとか生き延びていこうとしています。そのことに一生懸命なのですが、残念ながら変化に対応しないため利益が出ないため、年を経るごとに事業規模は縮小しています。一方では、協同組合でありながら、組合員のために変化に適応する事業を考え実行されている組合があります。この組合では、毎年利益がでていると聞きます。しかし、この組合は「利益」のためにイノベーションを繰り返している訳ではなく、組合員により一層貢献するためにイノベーションを繰り返すから結果として「利益」がてでいるという状態ではないかと考えます。
尚、この「断絶の時代」という先生の書籍を、いまから30年位まえの学生時代に私は読み、中小企業を経営する父親に話しましたが理解して貰えなかったことを今でも覚えています。あのとき「利益が先だ」と主張する親爺と、「利益は結果だ」と言う私の主張はかみ合いませんでした。いま思えば懐かしい親爺とのやり取りでした。

2012年1月27日金曜日

PFドラッカー365の金言より 167

<< 本文 >>  「ポスト資本主義社会」
組織は成果(社会への貢献)をあげる能力を取り戻さなければならない。再建されなければならない。企業、政府、労組、大学、病院のいずれであれ、再建には3つの段階が必要とされる。
ステップ① 機能しないもの、機能しなかったもの、有益性や貢献能力を失ったものを「廃棄」すること
ステップ② 機能するもの、成果を生むもの、組織の能力を高めるものに「集中」すること
ステップ③ 半ば成功し、半ば失敗しているものを「分析」すること
再建のためには、成果を生まないものは全て廃棄し、成果を生むものは全て更に行わなければならない。うまくいっているものに集中することによって成果を高めることが大切である。

(コメント)
俗に「選択と集中」と呼ばれる組織再生の原則は、PFドラッカー先生のこのお考えから生まれました。
ただし、先生が第一ステップで「廃棄」から始められていることに注意すべきです。廃棄・廃止しなければ、本当の意味での集中はできません。しかし、既得権や利害集団、あるいは過去の慣習に阻まれて「廃棄」が一番難しく、勇気とリーダーシップが必要とされるのです。
昨年末に私は自宅の色々なものを一機に廃棄しました。いつか使うだろう、もったいない、昔使った思い出の品等々が溜まり、日常生活に支障が出る状態となっていたのです。必要かつ最低限のもの以外は残さないようにしました。そうすると、無駄なく効率的な日常生活が過ごせるようになり、快適な日々が続いています。
よく同じようなことは会社の事務所でも見かけます。資料保管ロッカーは使いもしない資料が山積みにされている、机の引き出しの中に1年以上見たことも無い資料が入れられている。これらは、いずれも業務を妨げてしまいます。
だから、組織を活性化する第一歩は「5S運動」(整理、整頓、清掃、清潔、しつけ)から始まると言われます。整理整頓の習慣を定着させることで、無駄なもの、機能していないものを削ぎ落とし、効率的・能率的かつ有効性の高い活動が行えるようにすることが必要です。その上で、うまくいっているもの(相対的に判断)に集中していくと、業績は自然と上がってくるようになる場合が多いのが実情です。

2012年1月26日木曜日

PFドラッカー365の金言より 166

<< 本文 >>  「産業人の未来」
我々はすでに、経済発展が最高の目的であるとする信条を捨てた。経済的な成果を最高の価値にすることはやめ、数多くの価値の一つにすぎないことは、つまるところ、経済活動をあらゆる社会活動の基盤として扱うことを止めるということである。経済的な領域を社会の中心的な領域とすることを止めるということは、更に大きな意味をもつ。それは、人はみな経済人(エコノミック・マン)であり、行動の動機は経済的であり、自己実現は経済的な成功と報償によって測られるという信条を捨てることを意味する。
われわれは、人間の本質および社会の目的についての新しい理念を基盤として、じゆうで機能する社会をつくりあげなければならない。従って、我々は社会についての理念を見つけなければならない。
その為、マネジャーは全員が全力をつくして貢献することができる目標を示すことが必要である。

(コメント)
私は「顧客満足は従業員の満足から始まる」と考え、数年前からGPTW(Great Place to Work)による「働きがい」の定義を参考にアンケート用紙をつくり、給与体系を変更した後には従業員さんからのアンケートを募るようにしています。
私の考えとしては、労働条件(給与、労働時間、休日等)は従業員の「やりがい・満足度」を得る基礎となるもので、労働条件は従業員の期待値を下回ると不満の源となるが、逆にそれらが高いだけでは決して従業員のやりがい・満足度が高くすることは出来ない衛生要因のようなものであり、家を建てるときの基礎工事(土台)にあたるものだと考えています。そして、従業員のやりがい・満足度を得ようとすると、その土台のうえに「上司・経営陣との信頼関係」「仕事への誇り」「同僚との人間関係」という柱を立てることが必要であると考えてアンケート用紙を作成しています。
やり始めた頃は「何を無駄なことをしているのか?」と煙たがられましたが、最近では「ありがとう。良い参考になる」と言われるようになりました。明らかに、「給与は多い方が良い」「会社は規模が大きい方が良い」という価値観が変わり始めている証だと思います。その典型が、昇進させようとすると「管理職になると責任が重くなるから今のままの方が良い」と昇進を拒否する若人が現れていることではないでしょうか? 明らかに従業員の価値観が変化し過去の成長第一主義の価値観が通用しなくなりつつあります。
その状況下において、会社が肥満ではなく内実を伴った成長をするためには、会社の目的・理念が従業員さん達と共有され、目標が明確になっていることが必要不可欠であると考えます。

2012年1月25日水曜日

PFドラッカー365の金言より 165

<< 本文 >>  「企業とは何か」
企業にとっての利益の追求は、自動的に社会的責任の遂行を意味する。
経済的な目的は、企業が社会的責任を免除されるべきことを意味しない。逆に、企業にとっての利益の追求が、自動的に社会的責任の遂行を意味しなければならない。
企業を基盤とする社会は、個々の企業が自らの社会的意識にかかわらず、社会の目的と安定に貢献することによってのみ意味する。

(コメント)
この先生の言葉は、平常時に聞くと当然のことのように聞こえます。しかし、企業が存亡の危機に瀕しているとき、あるいは地域社会と板挟みになったときに大変に意味あることに聞こえます。
企業の「利益追求」と社会への「貢献」が矛盾するとき、それはどちらを選択しようかと迷うべき問題ではなく、そもそも社会に貢献しない利益追求は、その利益追求自体が間違えているのだと考えると良いのではないかと思います。
私は「競争の原理」は正しいが「市場の原理」は必ずしも正しくはないと考えます。

2012年1月24日火曜日

PFドラッカー365の金言より 164

<< 本文 >>  「新しい現実」
カリスマがはやりである。いたるところで論じられている。だが、カリスマ待望は集団的自殺行為である。カリスマを警戒せよ。
重要なことはカリスマ性の有無ではない。正しい方向に導くか、間違った方向に導くかである。20世紀における建設的な成果は、カリスマ性とは縁のない人たちによるものだった。

(コメント)
企業で相談を承っていると、シバシバ社長から「うちに優秀な社員さえいれば・・・」「どこかに優秀な社員はいないだろうか・・・」などとカリスマを求めるような声やボヤキを聞くことがあります。このような状態である限りは、他力本願ですから、その企業の業績が向上することは望めません。
ある会社での実話ですが、極めて営業力が高く社員へのリーダーシップも優れている人が幹部として入社しました。数年後にはその人を社長にすることになりましたが、それから更に数年経ったときにオーナーが気づいたときには手遅れで、その会社はその優秀な人に乗っ取られてしまっていました。この優秀な人は、秀でた点も多くあったのですが、問題点もかなりあり、結局は社長を辞任してもらうことになりましたが、その後が大変です。その間、その優秀な人のワンマン経営であったため代わるべきリーダーが育っておらず社内が大混乱を起こしてしまいました。
大切なことは、カリスマ性のある人を求めて一機に問題や課題の解決を図ることではなく、身の丈に合ったやり方で着実に堅実に問題や課題を解決していき、そうすることで自らに力(能力)をつけていくことではないでしょうか?
歴史を振り返ってみると、ヒットラー、スターリン、ムッソリーニ、毛沢東などカリスマ的政治家と呼ばれる人達は、結局は害をもたらしたが社会を良くすることはできなかったように思います。

2012年1月23日月曜日

PFドラッカー365の金言より 163

<< 本文 >>  「産業人の自由」「バージニア・クォータリー・レビュー」
自由とは「選択の責任」である。
自由とは楽しいものではない。幸福、安心、平和、進歩のいずれでもない。それは選択の責任である。権利ではなく義務である。真の自由は何かからの自由ではない。それでは特権にすぎない。
自由とは、行うことと行わないこと、ある方法で行うことと他の方法で行うこと、ある信条をもつことと逆の信条をもつことからの選択である。楽しいどころか重荷である。それは、自らの行動と社会の行動にかかわる選択の責任である。

(コメント)
うちの息子に言って聞かせたい言葉です。いま息子は大学生で学生生活を謳歌していますが、自由と放任(勝手気まま)とを勘違いしています。
このようなことは社会人にもよく見受けられます。「◎◎するのは私の自由でショ!!」と言って拘束されることから逃れようとします。しかし、会社(社会)は協働(共同)の場ですから、「責任を伴う自由」は許されても、「勝手気ままな自由」は許されません。
社会が豊かになったことは良いことだと思いますが、それに伴い道徳教育が改廃され、法律を元に個人の「自由」と「権利」ばかりが強調された結果、自由と権利に伴う「義務」が蔑ろにされ続けているような気がします。その結果、訳の分からない権利や自由を主張する人達が増えているようです。労働紛争が増えているのは、この辺りにも原因があるのではないでしようか?
うちの息子も早く気づいてくれれば良いのですが・・・!!

2012年1月22日日曜日

PFドラッカー365の金言より 162

<< 本文 >>  「傍観者の時代」
傍観者には、役者と観客には見えないものが見える。傍観者は自分の目で見、自分の頭で考える。
何をすべきか、何がなされるべきかを知る為に、敢えて傍観者になることが必要である。そして、その上で行動することである。ただし、人を驚かせないように気をつける必要がある。

(コメント)
大変に難しいことです。しかし、特に経営者(マネジメントする人)には必要なことです。
私流に表現すると、マネジメントしているとツイツイ自分の思い込みが入ってしまい主観的になる傾向が強いので、『決断し行動する前に一度は自分を第三者的にとらえて、全体の状況を客観的に鳥瞰し、そのうえで決断することが大切である』となります。
私は昔し小さな会社の経営をしていました(倒産しましたが)。その頃を振り返ってみると、当時は自分が環境の中にドップリと浸かってしまい、その上で主観的に判断をし、情熱と勢いと行動していました。その結果、前後左右には予め見えていないこと(気付いていなかったこと)が沢山あり、後でシマッタ!!と後悔することが多かったような気がします。仮に成功しても、自分の当初の期待とは違う成果となることも多々ありました。
そして、現在は特定社会保険労務士の看板を掲げてコンサルタントのような生業を営んでいます。この立場になると、主観、情熱、勢い等だけで活動する訳にはいきません。いまでは、何か大切なアドバイスをする際には、一晩おいて考えます。一晩の間をとることで、頭の中で熟成させるのです。そしてその際には、自分をAさん、相談者をBさんと匿名の第三者に置き換えて、鳥の眼で空から見るように状況分析と相談者の意図とを熟慮するようにします。必要な場合には体系図式化してみることでモレとダブリを防ぐようにします。
ただし、その後に相談者が決断したら、後は情熱と勢いをつけて一機に行動を開始します。
大手有名企業の経営者はコーチングを受けている経営者が多いこと、社外取締役の重要性が社会的に認識され始めていること等は以上のようなことを元にするからではないでしょうか?
「論語と算盤」の中に「小事は分別せよ、大事に驚くことなかれ」とあります。分別し、驚かないためには、一時は傍観者に敢えてなってみることも必要です。

2012年1月21日土曜日

PFドラッカー365の金言より 161

<< 本文 >>  「新しい現実」
マネジメントとは人にかかわることである。
マネジメントの役割は、人が共同して成果をあげることを可能にし、強みを発揮させ、弱みを無意味なものにすることである。これが組織の目的である。従って、組織にとってマネジメントは決定要因である。
マネジメントとは、「個の責任」と「コミュニケーション」を基盤とするものである。組織の成員すべてが、自らの目標を考え、他者がそれを理解していることを確かめなればならない。同時に、自らが他者の恩恵を被っていることを考え、他者がそれを理解していることを確かめなければならない。更に、他者に期待していることを考え、他者がそれを理解していることを確かめなければならない。
マネジメントは、ニーズと機会の変化に応じ、組織とそこに働く者を成長させなければならない。

(コメント)
大変に重要な箇所です。
第一行目で「マネジメントは人にかかわることである」と先生は言われています。野球界では「名選手必ずしも名監督ならず」と言われます。また実務でも、財務・経理に長けた人が長になった、売ることが上手い人(業績をよく伸ばした人)が出世して長になっても必ずしも経営が上手くできる訳では無い(これらの技術・知識・経験とマネジメントで必要とされるものとは別なもの)ことが多いようです。
私論ですが、「過去の成果と貢献だけを見て昇格させ部下をもたせていると、寧ろ悲惨な状態になることがあります。個人としての成績を上げるときに必要とされる能力と、上司としてチーム成績を上げるために必要とされる能力とは別なものです。課長職以上の昇格に関しては、人を動かす能力があるか否かも考慮してください」と依頼しています。
二段落目は昔から「組織の原則」=「テコの原理」と呼ばれているもので、組織はその成果が「1+1=2」では失敗であり、「1+1≧3」となって初めて上手く運営されているということになります。
三段落目では二段落目で必要となることを具体的に説明されています。「個の責任」を明確にして「コミュニケーション」することが大切となるのです。
①「自らの目標を考え」、
②「それを協働者に伝え理解してもらい」、
③「自らの仕事は他の人の仕事によって支えられていることを自ら考え」、
④「自らが考えた③の内容をその人に伝え」、
⑤「自らが他の協働者に期待することを考え」、
⑥「⑤の内容をその人に伝えること」
が必要なのです。何か酷く難しいことを言われているような気がしますが、経営の神様と言われる松下幸之助翁は「私は〇〇〇をしたいのだが、もしあなたが×××をしてくれ△△△という成果を上げてくれると大変に助かる。もし、あなたが△△△という成果を上げてくれると、あなたは□□□という良い状態になり、私は◎◎◎という良い状態になれるのだが、やって貰えないだろか?」と問いかけて、本人が了解したら依頼したそうです。
簡単に言えば、「各自の役割と責任」を明確にして、各自が自分だけの思い込みに走らないよう相互に確認するためコミュニケーションをするということが必要であるということではないでしょうか?
労働紛争の相談や、経営危機を乗り切る相談を承っていて、これらのことが出来ていなかったからそのような状態に陥ってしまっていたということは良くあることです。最近の傾向として、個の責任はそれぞれよく考えられるようになっています。しかし、自分が考えた自分の責任を協働者に伝えて間違っていないか確認をしないので、それが独善的判断で終わり、協働者との擦れ違いが生じ、そこから組織としての無駄が生じたり、組織と個人の葛藤が始まっているケースが増えています。昔のように上司から言われたことだけを黙々と実行する人は減り、各自それぞれ自分なりに考える時代となりましたから、今まで以上にコミュニケーションが大事な時代となっています。しかも本当のコミュニケーションはメールや文章だけでは充分な成果をあげることはできません。顔と顔、お腹とお腹を向かい合わせて話しをすることが大切だと考えます。
最終段落も大切です。マネジメントには「人を成長させる」責任もあると先生は言われています。しかも「ニーズと機会の変化に応じて」成長する機会を与えることが必要だと言われています。そのため、OJTは不可欠です。人間は、ニーズと機会が目の前にあっても必ずしもそれに気づくとは限りませんから、マネジメントの役割としてそれを本人に気付かせるようにする努力が必要となります。

2012年1月20日金曜日

PFドラッカー365の金言より 160

<< 本文 >>  「イノベーションと企業家精神」「すでに起こった未来」「未来への決断」
コミュニティと家族は「安定」のためのものである。安定を求め、変化を阻止し、あるいは変化を減速しようとする。しかし我々は、人の手によるあらゆるものが歳をとり、硬直化し、苦しみに変わることを知っている。それは成熟による腐敗から起こる。思想と機関の破綻から起こる。自己改革の失敗から起こる。改革は解決策とはならない。
企業、政府、大学、軍隊のいずれであれ、社会的機関が継続性を維持するための唯一の方法は、それらの組織構造そのものの中に、体系的かつ組織的なイノベーションのメカニズムを組み込むことである。そうすれば、生命を失った後も生き延びる。それらのものは、目的を達しても達してなくても生き延びる。
かくして、ビジネスにおいても社会的サービスにおいても、イノベーションと起業家精神が必要となる。現代の組織は不安定要因とならなければならない。常にイノベーションをもたらすよう構造されなければならない。

(コメント)
人間は安心、安全と安定を求める傾向にあると思います。しかし、それは家庭や仲間集団に求めるものであり、ビジネスに求めるべきものではありません。ビジネスに安定を求めると腐敗が始まります。
私の顧客の中に仏壇屋さんがあります。この社長は徹底して安定を求め、変化を避けようとします。そのため、会社規模はみるみる縮小してしまいました。しかし、この業種においても、この顧客から100mほど離れた所にある仏壇屋さんは、同じ期間内に日本有数の仏壇屋さんに成長されました。
別なお客様に調剤薬局のチェーン店があります。この社長は、顧客の一層の満足のために少しずつですが業務改善をされ毎年過去最高益を更新されています。一方、私の知人の調剤薬局は儲からないと言う理由で数年前に廃業し、貸しビル業に転業してしまいました。
「安定」は家庭や仲間集団に求めるものであり、企業においては既得権を主張したり安定を求めることは禁じ手であり、企業は常に顧客のためになる改善・改革(イノベーション)にチャレンジし続けなければならないものです。
一時は世界のフィルム業界の覇者であったコダックが経営破たんする時代ですから・・・・・。

2012年1月19日木曜日

PFドラッカー365の金言より 159

<< 本文 >>  「ポスト資本主義社会」
組織はコミュニティにおいて活動する。成果はコミュニティに現れる。しかし、組織はコミュニティに埋没されることを許されず、コミュニティに従属することを許されない。組織の論理はコミュニティを超越する。
組織の論理は、コミュニティによってではなく、その果たしている機能によって決まる。組織の価値観は、コミュニティによってではなく、その役割によって決まる。
組織の論理がコミュニティの価値と衝突するとき、組織の論理が優先する。さもなければ、組織は社会への貢献を行えなくなる。

(コメント)
先生の言われる「コミュニティ」をどう理解するかは昔しからの私の悩みの種です。先生がこの箇所で引用されている事例ではコミュニティは地域社会・小集団を意味しているようですが、私は「当面において直接・間接的に利害関係にあるすべての人々(ステークホルダー)」と幅広く理解するようにしています。
しかし、『組織は「社会への貢献」によってその正当性が認められる。従って、組織の価値観は社会の中でその組織が果たすべき役割によって決まるべきものである。社会への貢献、社会の中で果たすべき機能によってその組織は定義されることが大切である。そして役割・貢献・機能に基づく組織の論理はステークホルダーの論理よりも優先すべきである』という点は理解ができます。
社会(≒ステークホルダー)へ正しく貢献していれば利益は出る筈です。一生懸命に努力しても利益が出ないときは、努力する方向性を間違えており、自らの努力が社会(≒ステークホルダー)に貢献していないのではないかと考えることが大切です。
このように言うと何やら難しいことを言っているようですが要は『人間関係や過去の慣習・やり方に拘ることなく、為すべきことを為し社会に貢献すること』が大切であるということではないでしょうか?
また、色々な会社を訪問させて頂いていると、中小・零細企業の中には「うちは特殊だから・・・」と言われる社長さんが多いのが実情です。しかし、その会社が社会の中で果たすべき役割・機能と貢献から考えると同業他社と大差ない場合の方が多いようです(稀に例外はありますが・・・)。
競争が激化し他企業との差別化の重要性が叫ばれ初めて久しいものがありますが、本当の意味での差別化要因を見つけ出すためにも、自らの組織の役割、機能、貢献を導き出す企業理念・経営方針を再考することが大切ではないでしょうか? 組織の価値観・論理が最終的に最優先すべきものの筈ですから・・・。

2012年1月18日水曜日

PFドラッカー365の金言より 158

<< 本文 >>  「明日ほ支配するもの」
変革が常態となったからには継続性の基盤を堅固にしなければならない。
使命、価値、成果の定義など組織の基本にかかわることについては、継続性が不可欠である。変革と継続の両立を報酬、認知、褒賞のシステムに組み込まなければならない。継続に報いなければならない。もっぱら継続的な改善を行なう者も、変革を行なうイノベーターと同じように、認知と褒賞に値する者として評価しなければならない。
変革と継続の両立には、情報への不断の取り組みが必要である。情報の不足、信頼性の欠如ほど、継続性を損ない関係を傷つけるものはない。従って、あらゆる組織が、あらゆる変化について誰に知らせるかを考えなければならない。このことは、協力して働く者がIT機器を利用して別々の場所で働く時代にあっては、特に重要である。

(コメント)
このせいか、最近は中堅企業から従業員の処遇制度(昇給、賞与、昇格、福利厚生ほか)を再検討したいというご相談が増えています。これらの企業は、ここ数年で従業員の不祥事が続けて発生し、それを通じて従業員の価値観が変化し始めていることを理解することを通じて、自社の考え方の一部が時代にそぐわなくなり始めていることに気づかれたので、従業員の処遇制度(特に評価制度)の洗い直しを始められたのです。
そして、今のように変化が継続的に起こっている時代にあっては、大きな変革をもたらす者だけではなく、日々少しずつ改善を続けている目立たないが縁の下の力持ちとなっている人達を正しく評価することを忘れないようにしなければなりません。大きな変革は話題にもなるし目にも止まりますが、日々少しずつの改善は見過ごされ易く評価され難いものです。
そのことに気づかれた会社が人事評価制度あるいは従業員の処遇の洗い直しを始められたのです。
逆の事例ですが、労働紛争のご相談を頂いたときに共通して言えることは、馬鹿な人は一時に大きな悪事を働きますが、賢い人は会社側が「些細なこと」「そんなことなら・・・」と考えるような些細な改悪を少しずつ行い、会社が気付いたときには既に慣習化し既得権化してしまっている場合が多いようです。人間は少しずつの変化には鈍いものです。
ブレイクスルー思考法では「ゆでガエル」と「フライパン・ガエル」とを例にします。常温の水の中にカエルを入れて下から徐々に熱するとカエルが気づかず(変温動物のため)、逃げ出そうともせずに最後には「ゆでガエル」となり死んでいるそうです。それに対して、熱したフライパンの上にカエルを落とすと飛び跳ねて熱さから逃げ出そうとするそうです。これと一緒で人間は日々の少しずつの変化には疎いし、直に慣れてしまう習性をもっていますから注意することが大切です。
そのため、徐々に悪くしつつある人には大事に至る前に早めに警告・注意し、徐々に良くしている人にはそれを褒め認めることが必要となります。
そして、先生のご指摘の後半部分は特に大切です。以上の対応が適切に出来るようになる為には、「適切な情報を的確に伝えること」と「相互の信頼関係」が不可欠であるということです。信頼関係がなければ情報の伝達はあり得ません(音の伝達があるだけ)し、信頼関係を構築するためには普段からの的確・適切な情報の伝達が必要不可欠となります。俗にいう報告・連絡・相談以外に、相互のコミュニケーション(特に下の意見を訊く姿勢)が必要であると考えます。

2012年1月17日火曜日

PFドラッカー365の金言より 157

<< 本文 >>  「ポスト資本主義社会」
歴史の本から何を学ぶか、また、それをどう仕事に反映させるかが重要である。
知識は現実の世界にかかわらなければならない。
ポスト資本主義社会は、これまでのいかなる社会よりも教育ある者を必要とする。教育ある者は偉大な遺産を理解しなければならない。しかし、何よりも現実を理解できなければならない。

(コメント)
ドイツの名相ビスマルクの言葉に「愚者は自らの失敗から学び、賢者は歴史から学ぶ」とあります。
歴史としいう人類の偉大な遺産を理解することは大切なことです。
しかし、理解すること以上に、そこから学び取ったことを自らの現実に適用してみることが最も大切なことです。知っているだけでは意味がありません。
私の属する士業の世界では「知りて害をなすな!!」という言葉があります。「違法になることを知っていながら本人に注意・警告しないことにより本人や社会に害を為すことがあってはならない」という意味です。実務をやっていると、本人は自分がやろうとしていることは正しいと思い込んでいますから、注意・警告すると著しい反発を招くことが多く、そのため注意・警告することを躊躇してしまうのですが、このときにこの言葉を思い出します。そのため契約解除されたことも幾たびかあります。
歴史から学んだことを現実に適用しようとするときにも同様なことが起こるようです。ただし、これは前例主義に陥るということとは違うことだと理解してください。「前例主義」とは「前例がないからやらない」と「やらない理由探し」をするものであり、「歴史から学び現実に適用する」とは「出来る方法」と「注意・留意すべき点」を探し出すことを意味します。
いずれにしても、①歴史から学ぶこと、②学んだことを自分の現実に適用すること、が大切です。
そして、偉大な遺産(史事)も色々ありますから、どの歴史の事実を自分の現実に適用するかが一番重要なことです。

2012年1月16日月曜日

PFドラッカー365の金言より 156

<< 本文 >>  「断絶の時代」
現代社会の原動力としての知識は、仕事に使われて初めて意味を持つ。しかも仕事は専門分野によって定義することはできない。仕事の成果は学際的たらざるを得ない。そのため、いかなる知識が必要か、その知識は可能か、知識を意味あるものにするには何が必要かを明らかにするために、知識は意識的かつ体系的に適用されるようになった。つまるところ、成果を生むために既存の知識をいかに適用するかを知るための知識がマネジメントである。
そして、適切なマネジメントができるようになるためには、自らがどのような成果を生み出すことを期待されているのかを知ることが必要である。


(コメント)
懐かしい本「断絶の時代」からの引用です。いまから30年位前の大学生のときに読んで感激しました。そして、学生のときの恩師:加藤寛教授はゼミで盛んに学際的であることの必要性を説かれていました。加藤寛教授の専攻は経済政策であり、政府に対しての助言役を果たされていましたから、知識を学際的に活用することの必要性を説かれていたのだと思います。
私は10年前に会社を倒産させてしまってから社会保険労務士という看板を掲げてコンタサタントのような生業を営んでいますが、この生業を営むようになってからは特に先生方の言われる「学際的であること」「仕事で実践すること」の大切さを痛感しています。特に「私が果たすべき役割、「私に期待されている役割」を正しく認識することの重要性も痛感しています。
そして更に、「知識として知っているだけでは駄目であり、実際に知識を仕事で活用しなければ智慧とはならない(学際的に使えない)」ということも痛感しました。
その意味で、テレビ番組「知ってつもり」は面白い番組だと思っています。テレビを観ないので、今でもこの番組があるのか否かは知りませんが・・・・・。

2012年1月15日日曜日

PFドラッカー365の金言より 155

<< 本文 >>   「乱気流時代の経営」
乱気流の時代は、新しい現実を理解し、受け入れ、利用する者にとっては大きなチャンス(機会)となる。従って、企業において意思決定を行なう人達に
①新しい現実を直視せ
②通念に負けることなく
③間もなく迷信となる昨日までの現実から脱却させる
ことである。
乱気流時代のマネジメントとは、新しい現実を直視することである。それは、数年前の常識ではなく、今日の世界はどうなっているかとの問いからスタートする。
そして今日、最も危険な最大の乱気流は、企業、労働組合、政府のリーダー達が抱く幻想と現実のギャップから生じている。

(コメント)
昨年3月の大震災の直後から暫らくは、誰もが事実を掴もうとしてニュースを注視していたと思います。
デジタルカメラが普及する中で、昔し銀フィルムで世界に横臥していた米国コダック社は倒産しかけているそうです。一方で(旧)富士フィルムは変貌を始めていると聞きます。
世界で躍進を続ける中国では、昔し人民はその日の生活にも事欠く状態であるのに毛沢東翁の共産主義が謳歌されていました。いまの中国に変貌を始める第一歩は、鄧小平翁が「事実求是(ジジツキュウゼ)」と唱え、リーダー達に理想理念を追求するためにも人民の生活の実態を正しく捉えることが重要だと説いたからだと言われています。
さて、会社では業界の慣習や会社の過去の習慣に囚われてしまい「そんなことはある筈がない」「こうあるべきだ」と思い込んでしまっていませんか? これでは、気づいた時には「浦島太郎」になっています。私が生業の元とする労働諸法も昔は法改正があることが稀だったのですが、今は日常茶飯事となっています。法律そのものは変わらなくても、その解釈や運用方法が微妙に変わり続けているのです。
このような乱気流時代にあっては、現実から目を背けることなく、現実を直視して、自らの進むべき道(目的と目標)を見失わないように注意し、変えるべきコトと変えてはならないコトとを峻別したうえで変化に対応していくこと、過去の成功事例や過去からの慣習や常識に拘り過ぎないことが大切です。即ち、「大きな変化には対応するが、小さな変動に振り回されないこと」「小事分別し、大事驚かないこと」が大切です。
そうすれば、乱気流の時代がチャンス(機会)の時代となります。そのためには、「危機に陥った」と考えるのではなく「チャンスが到来した」と考えて事実を直視することから始め(モノの見方を変える)
、①その為に変えざるを得ないコトは何か、②それを変えることは目的・理念・信条に照らして許されることか、と考えれば良いと思います。

2012年1月14日土曜日

PFドラッカー365の金言より 154

<< 本文 >> 「産業人の未来」・・・・・原文では「社会」となっている箇所を「会社」と置き換えました。
一人ひとりの人間が、会社内での位置づけと役割を与えられなければ会社は成立せず、大量の分子が目的も目標もなく飛び回るばかりとなる。他方、権力に正当性がなければ、絆としての会社が存立し得ない。それは単に奴隷制、あるいは惰性が支配する真空が存在するだけとなる。
そのため、会社が機能するためには、秩序を組織化することができなければならない。物質世界に秩序を与え、それを意味あるものにし、会社の権力(=マネジメント)に正統性を与えることができなければならない。権力に正統性がなければ絆としての会社はあり得ない。
マネジメントがもつ権力の正統性の根拠は、
①人の強みを活かし、
②組織で人の弱みをカバーすること
である。

(コメント)
永年、この先生の教えは余りも当然なことなので重要視していませんでした。しかし、色々な企業でご相談を頂き、この教えの「絆としての会社」という言葉のもつ意味の重要性に気づきました。
会社で必要なことは
①目的を明確にして、目標をたてること
②その目的・目標を達成するために、各自の役割と位置づけを明確にして、日付が入った計画をたてること
③上司の指示が守られ実行されるためには、その指示が部下の強みを活かし弱みを組織力で補う指示であること
が必要であると先生は教えられたいのではないでしょうか?
「当然のことダ」「そんなこと知っているヨ!! 」と言えばそれまでですが、実務で中堅・中小企業の人事労務を中心とした色々なご相談を承っていると、「忙しい」ということを理由に上記①~③が出来ていないため発生している相談事項が多いのが実態です。だから類似した問題が再び発生するという「もぐら叩きゲーム」のような状態になっているのではないでしょうか?
「大量の分子が目的も目標もなく飛び回るばかり」の状態では、決して「絆ある会社」とは呼べないと思います。

2012年1月13日金曜日

PFドラッカー365の金言より 153

<< 本文 >>  「ネクスト・ソサイエティ」
急激かつ予測不能な変化の時代にあっては、基本的なトレンドにのった戦略をもってしても、成功が保証される訳ではない。しかし、それなくしては失敗が確実である。若年人口の減少と労働力人口の多様化が基本的なトレンドである。
日々の出来事を超えたトレンドを事業の基盤としなければならない。

(コメント)
どなたの言葉だったかは忘れましたが、「日々の変動には振り回されるナ! 大きな変化には対応していけ! 」という名言があります。また、渋沢栄一翁も「大事に驚かず、小事は分別せよ」と言われています。
私は昔、ファッション業界に属する人間でした。ファッションは毎年と言わず時々刻々と変化していきます。その流行の変化に対応し先取りしていくことが大変な仕事となります。しかし、半年毎に大阪で主催される船井総研のファッショントレンドセミナーで、ファッションには基本パターンが幾通りかあり、その基本パターンを組み合わせることで消費者に新鮮味を味あわせて販売を促進していくことを学んでいました。いま思えば、このとき刻々と変化する流行の変化に振り回されないように注意して、流行のトレンド(大きな流れ)を読み取るように教えられていたのではないかと思います。
眼前で発生している小さな変化に振り回されるのではなく、時代の大きな流れ(トレンド)を読み取り戦略をたて、その上で小さな変化に対応する戦術・戦闘を練ることが大切です。戦略なくして戦術・戦闘に明け暮れしていては徒労に終わり、余程運が良くなければ成功へとは結びつかないと考えます。
そしてPFドラッカー先生は、そのヒントは①若年人口の減少と②労働力人口の多様化にあると教えられています。

2012年1月12日木曜日

PFドラッカー365の金言より 152

<< 本文 >>   「現代の経営」
マネジメントを評価する究極の基準は、事実上の成果である。マネジメントとは実践である。知識ではなく成果こそマネジメントの目的であり、能力の証明である。

(コメント)
この先生の教えは「成果こそが全てだ」とも読み取れますが、先生はこれにより違うことを指摘されたいようです。
先生は、「知識として知っていても、実践し成果をあげなければ、マネジメントの役割を果たしたことにはならない」と言われたいのだと思います。
経験・体験(=実践)だけでは断片的な知識しか得られず、他の事案に応用することは難しくなります。友人の経営者から成功談を聴いて真似をしても上手くいかないのはその為が多いのではないでしょうか。
経験・体験したことを体系的に学び直し、学んだことを実践して「コツ」を掴み、成果を上げることがマネジメントには必要です。そして、しかも実務では色々な体系(=考え方)がありますから、どの体系を用いて目的を達成するかを判断することも大切なことです。
最近はインターネットが普及しましたから知識を手に入れることは容易になりました。しかし、便利な時代となった分だけ、苦労を体験・経験した人が少なくなっなっています。その結果、知識が知識にとどまり(一種の屁理屈)、知識が智慧になっていない場合が多いようです。
マネジメントの役割は成果をあげることです。もしマネジメントを「管理すること」と狭義に捉えていると激変する現代社会で成果をあげることは難しくなります。成果をあげるためには、「仮説をたてて、検証し、実行する」こと、すなわち創造することが必要になります。そして、効果的な創造をするためには、体系的に学習し、実践してコツを掴み、知識を智慧にして、無条件反射的に体が動く程度に体に染み込ませることが大切だと考えます。その為には、「実践」して「苦労すること」が一番の早道のようです。何故なら、人間は失敗から多くを学ぶことができるからです。
昔しのドイツの名首相ビスマルクは「賢者は歴史から学び、愚者は自らの失敗から学ぶ」と言っています。ただし、世の中には「懲りない人々」もいて自らの失敗も他責にしてしまい何も学ばない人もいることには注意が必要です・・・・・。子供の頃、私は父から「同じ失敗を2回以上するのを馬鹿という」と言われて叱られた記憶が鮮明にあります。
いずれにしても、マネジメントは「実践」して「成果」を上げることが大切なことであり、知っていても、また資格を有していても実践して成果を上げることができなければ意味がありません。

2012年1月11日水曜日

PFドラッカー365の金言より 151

<< 本文 >>   「マネジメント・・・課題・責任・実践」
ヘンリー・フォード(米国フォード自動車の創業者)は事業にマネジメントは必要ないとの信念ゆえに失敗した(一時は倒産しそうになり、その後ヘンリーフォード二世によりマネジメントが必要とされ同社は再生された)。
ヘンリー・フォードは、事業に必要なものは、オーナー起業家とその助手だけであるとした。いかに有能な部下であっても、自らがマネジメントとして行動し、自らが意思決定を行い、ヘンリー・フォードからの命令なしで行動した者をクビにするか左遷するという彼の行動は、自らの信念の間違いを証明する実験となった。
彼が失敗したのは、自らの性格や気質のためではなかった。マネジメントを「機能」と「責任」に根ざすものとして受け入れることを拒否したためだった。
あなた自身、従業員を助手としてしか扱わない経営者となっていないか注意すべきである。

(コメント)
この指摘は正しいと思いますが、企業規模にもよると考えます。業種にもよりますが、30人未満の企業であれば経営者一人が率先することで従業員を引っ張っていくことが可能です。この段階までは助手としての従業員がいれはコト足ります。しかし、この規模を超えると、個人で引っ張っていくことに限界がきて、組織としての役割・役割の分担とそれを管理・コントロールするノウハウが必要になります。
組織とその運営に用いるノウハウは、丁度、子供と洋服の関係のようなものだと私は考えています。子供に大人の洋服を着せると、着ることはできますが大きすぎて無駄が多く、また、大人に子供の洋服を着せようとしても無理です。組織経営とその運用のため用いるノウハウはこの関係に似ているのではないでしょうか? 成長を続ける企業は、現在の自分より少し大きめな洋服(=ノウハウ)を着るし、老衰期に入った企業は現状を維持する程度の洋服を着ていることが大切ではないでしょうか?
企業経営で用いるノウハウは、その企業規模とともに変化していくものであり、時によっては、毛虫がサナギになり、サナギが蝶々と変貌するかのごとくに変貌することも必要となると私は思います。従って、大企業は大企業なりの、中堅・中小企業は中堅・中小企業なりの、また零細企業は零細企業なりの経営ノウハウを活用することが大切だと考えます。そのため、中小企業が大企業の真似をするのは止めた方が良いとも考えます。
そして将来のためには、従業員を単なる助手として扱うのではなく、将来のパートナーとして教育・訓練していくことが経営者には必要なことだとも考えます。
しかし、これが、出来そうで中々出来ないのが人間の性のようです。毛虫がサナギとなり、サナギが蝶々と変貌するにはかなりの時間と自己改革が必要となります。

2012年1月10日火曜日

PFドラッカー365の金言より 150

<< 本文 >>   「マネジメント・フロンティア」
あなたのマネジメントの仕方は思いつき的ですか? それとも体系的ですか?
体系化されたことによって、はじめてマネジメントは役に立つようになった。
私が50年前に書いた「現代の経営」によって、マネジメントの仕方、つまりそれまでは才能ある者だけが行うことができ、そうでない者にはできないと思われていたことが学べるようになった。
ノコギリや金槌しかもたず、あるいはペンチというものを聞いたこともなければ大工はできない。それらの道具を一揃えにしたとき、はじめて大工道具を手にしたということができる。
私は「現代の経営」を執筆することによって、マネジメントを体系として纏めたのである。

(コメント)
マネジメントは、会計学、心理学、行動科学、法学、労務管理ほか色々な分野の知識が必要です。そして、それらを、それぞれ別個のものとして扱っていると余り役に立ちません。それらを体系的に纏めて、包括的に運用することが必要です。
私は大学生の頃、慶応大学加藤寛教授のゼミで経済政策を学びました。この経済政策を学ぶときに教授は同じようなことを教授して下さいました。当時は、ゼミで経済政策を学ぶ傍ら、クラブでは会社の組織論について学んでいました。この二つが相乗的効果をもたらしていたのです。
正しくマネジメントするためには、それぞれの分野の正しい知識を持つことが必要となります。社会が細分化し専門化した現代では、自らの経験や友人から聞いた耳学問だけでは正しい知識を得ることは難しいのが実情です。従って、それぞれの基本となる考え方を正しく学ぶこと、又は専門家からアドバイスを貰うことが必要となります。
しかし、それぞれの分野の知識を正しく学んだとしても、運用するときの前提となる基本的な考え方が間違えていると誤った運用をしてしまいます。そのため、「人としての道」、すなわち「論語」(儒教や朱子学では無い)を学ぶことが必要となります。
エンジニアのようにマネジメントに必要となる各要素をバラして学び体系化して習得し、運用するときには「人としての道」をわきまえた運用をすることが大切です。

2012年1月9日月曜日

PFドラッカー365の金言より 149

<< 本文 >>    「創生の時」「すでに起こった未来」
今日の社会と組織では、ますます多くの人が、技能ではなく知識によって働く。知識と技能には基本的な違いがある。技能は余り変化しない。知識は変化する。自らを陳腐化させる。しかも急速に陳腐化させる。従って、知識で働く者は自らを再生させていかなければならない。
そして、継続と変革の両立を社会と文明にかかわる中心の問題として捉え、自らを進歩保守主義者、あるいは進歩主義者と見做すことが必要であり、保守保守主義者や進歩進歩主義者とならないことが大切である。

(コメント)
先生は「継続学習」の勧めを説かれています。
確かに、モノづくりの工場においても生産が機械化・システム化されマニュアル化されましたから、永年の修行・徒弟を要する仕事は減り、知識に基づく仕事が増えています。「巧の技」を要する仕事は減り、更に「巧」でなくても仕事ができるように「標準化」「見える化」が進められています。そのため技能を習得していることよりも、知識を体得していることが大切になっています。しかし、知識はすぐに陳腐化してしまいます。特にコンピューターの発達により、その陳腐化は加速されています。
そのため、継続的な学習が必要不可欠になります。そして、継続的学習のためには、昨日までのやり方・考え方に拘り過ぎない進歩的保守主義あるいは保守的進歩主義になることが大切です。
生産に限らず、経理・財務・在庫管理ほかの間接部門においても機械化・システム化が進展しましたから、昔しのような熟練者は不要になりつつあります。
ただし、変化する人を相手とする「営業」「労務管理」に関しては機械化・システム化は遅れています。最終的には「人間の心理」を相手とするこれらの職種では、孫子の兵法に色々な組み合わせがあるように、知識だけではどうにもなりません。機械化・システム化あるいはマニュアル化するにしても限界があります。これらの職種においては必ずしも「1+1=2」とはならないのであり、知識に体験・経験を加えて智慧に変える必要があります。
しかし、この分野においても、「人間心理」「脳医学」「行動科学」などの研究は日進月歩ですから、継続的学習か必要不可欠なものであることに変わりはありません。古代コペルニクスの時代のように、それまで当然として受け入れられていた「天動説」がある日突然に「地動説」に変わる時代ですから・・・。
最終的には「顧客は現在と近未来において何を求めているのか」を考え、その考えに照準を合わせ継続学習することが大切ではないかと考えます。

2012年1月8日日曜日

PFドラッカー365の金言より 148

<< 本文 >>  「創生の時」
自らの強みを知り、それをいかに強化するかを知り、かつ、自らのできないこと(弱み)を知ることが継続学習(継続的成長)の鍵である。
重要なことを行おうとするときには「期待する成果」を予め書き留めておき、9カ月後に、実際の成果と比べてみることが継続的学習の助けとなる。
こ方法は、自らの強みは何かという、自らについて知るべき最も重要なことを明らかにする。何について改善が必要か、いかなる改善が必要か、更には自分には無理なこと、従って行おうとしてはならないことを教えてくれる。
イエズス会の司祭とカルヴァン派の牧師は、こうすることが義務付けられていた。そのおかげで自分は何がよくできるか、何が強みかを知った。あるいは、何を学ばなければならないか、どのような癖を直さなければならないかを知った。そして、どのような才能に欠けるか、何ができないかを知った。私自身この方法を50年続けている。

(コメント)
何かを始めるときに、当初の自分の期待を書き留めておくこと、そして、予定全体の3/4(本文では12カ月中の9カ月)の期間が過ぎたときに、自分の当初の期待と実際の途中結果とを比較してみることで、自分が出来たこと、出来ていないことをハッキリとさせることを通じて、自ら強みと弱みを明確にしていくことができるようになります。
私も出来る限りこの方法を行うようにしていますが、中々できません。普段、何かを始めるときは「期待すること」が色々とあり、かつ結構漠然としているからです。中々書き出せない、または書き出すとキリが無くなってしまうから、時間に追われる毎日の中でこの方法を中々実行することができなのです。しかし、「思い」はあっても実行し始めると「修正」が必要となることは世の常です。そのため、「当初の期待」を明確に書き留めることを通じて、「目的」(目標ではない)を明確にすることが大切です。
そして、いまは年の初頭です。日本人の習慣として、「今年1年間はこういうことをしてみよう」等という年初の所信をたてる習慣があります。今年の所信は「これをしたい」というだけでなく、それを行うことでどんなことを「期待」しているのかも「書き留めて」おき、9月末に実態との比較をすると、自らの「強み」と「弱み」を理解し易くなり良いと思います。
日本の経営の神様と呼ばれる松下幸之助翁は幹部に仕事を任せるときに「〇〇さん!!私は君に△△をやってもらいたい。君が△△をやってくれると、私は□□□と良くなり、君も×××と良くなるのだが、どうだろうか?」と、まず問いかけることから始められたそうです。この問いかけは上記のPFドラッカー先生の教えとは関係ないように読めるかもしれませんが、自らの期待と目的を相手に伝えているのではないでしょうか?相手に伝えることを通じて自らの頭の中を整理しているのではないでしょうか? ただし、松下幸之助翁がその期待・目的を書き留められていたか否かは定かでない処ですが・・・!!
PFドラッカー先生の教えのポイントは
①コトを始める前に「期待すること」「目的」を明確にすること
②「期待すること」「目的」を書き留めておくこと
③予定期間の3/4が過ぎた処で、書き留めていた当初の「期待」「目的」と照合すること
④以上を通じて、自らの「強み」と「弱み」を明らかにしていくこと
ではないでしょうか?
そして更に、松下幸之助翁の言葉を借りれば「短所(弱み)は別の角度から見ると長所(強み)として活かせる」のですから、長所を一層活かすことと同時に、短所を別な見方から長所して活かす方法を考えれば良いのではないでしょうか? 例えば、「オッチョコチョイ」という短所は「迅速さ」という長所に、「トロイ(鈍い)」という短所は「慎重さ」という長所に繋がるものがあります。このように考えることで、強み(長所)も弱み(短所)も活かせるように継続学習し続けることが大切だと思います。

2012年1月7日土曜日

PFドラッカー365の金言より 147

<< 本文 >>   「現代の経営」
マネジメントが社会のリーダー的存在であるためには、公共の利益が自らの利益を決定すると言えなければならない。この確信だけが、リーダーとしての唯一の正当性の根拠である。これを実現することが、リーダーとしての第一の責務である。
社会にとって良いことを企業にとって良いことにするためには、
「懸命に打ち込める仕事」
「優れたマネジメント」
「高度の責任感」
「大きなビジョン」が必要である。
それは「完全」を追及することである。その実現には、鉄を金に変える賢者の石が必要である。
この原則を行動の原則とし、意識して遵守し、現実に実行していかねばならない。なぜならば、優れた社会、徳ある社会、永続する社会は、私人の徳を社会の福祉の基盤としたとき実現されるからである。

(コメント)
PFドラッカー先生は、明治時代の偉人:渋沢栄一翁の「論語と算盤」を読まれたのでしょうか? 「論語と算盤」の「仁義と富貴」の章と「理想と迷信」の章にも全く同じ内容が記載されています。感嘆しました。
社会に貢献する良い会社(正しい方法で利益をあげる会社)になるためには
①無我夢中になれる仕事
②それを正しい方向に導くための管理(マネジメント)
③ 高度の責任感
④将来に対する大きなビジョンや夢
が必要であり、困難や誘惑を乗り越えるためには賢者の教え(論語など古の教え)から導き出された「信念」が不可欠であるという意味だと思います。
松下幸之助翁や本田総一郎翁も
他人から馬鹿にされるような大きな夢をかかげ
その夢に向かって、
一生懸命に仕事に打ち込み、
自らの方向性が正しいか否かを第三者(参謀役・女房役)からアドバイスして貰いながら企業を大成させていかれたそうです。

2012年1月6日金曜日

PFドラッカー365の金言より 146

<< 本文 >>   「すでに起こった未来」
シュンペーター(経済学者)は、イノベーションこそ経済の本質、特に現代経済の本質であるとした。その経済発展理論は、利益に経済的な機能を与えた。
変化とイノベーションの経済にあっては、利益は、マルクス(社会主義経済学者)とその理論がいうような労働者から搾取した余剰価値ではない。それどころか、利益は雇用と所得の唯一の源泉である。シュンペーターの経済発展の理論は、イノベーターだけが真の利益を生み出すとした。ただし、そのイノベーターの利益は短命であるとした。
シュンペーターの有名な言葉によれば、イノベーションとは創造的破壊である。それは、昨日の投資を陳腐化させる。今日利益をあげている事業が、明日は金食い虫になる。従って、経済が発展するほど資本形成が必要になってくる。

(コメント)
何か、難しいことを先生は言われているような気がしますが、私なりの理解では、
①変化する環境(無常)の中にある企業が現状維持又は発展するためには、イノベーションが必要不可欠である。
②イノベーションを実行するにはコストがかかる。
③そのコストを補ってくれるものが利益である。利益はマルクスが言うような労働者から搾取したものではない。利益は雇用を維持し、所得を補償するものである。
④利益が確保されなければ、明日への投資であるイノベーションはできなくなる。投資(イノベーション)のためにも「利益」は必要なものである。
と言われたいのではないかと思います。
私が実務経験上で思うことは、
(a)創業したての企業(ベンチャー)が躓く一番大きな原因はここにあるということです。最初に手掛けた事業で上げた利益を「全部が儲けだ」と考えてしまい、投資に回すことを考えず、事業以外のことに食いつぶしてしまう結果、最初の成功も維持できなくなってしまうケースが非常に多いのです。
(b)明日ために投資するとしても、身の丈にあった投資をしなければ無駄な投資となってしまいます。投資したものが活かされるか否かは、それを使う人間次第です。但し、投資と投機(博打)は違うものであるといことも認識することが必要です。
また、投資はタイミング(機)が重要ですが、投資するタイミング(機)は常時あるものではありません。
従って、人を教育し人を成長させることを常に意識し実行していなければ、折角の投資も無駄に終わってしまうことがあります。明治の偉人:渋沢栄一翁も「事の成否は普段にあり」と言われています。
(c)売上高とは顧客がどれだけ「喜んだか」を教えてくれる指数、利益額は自分達がどれだけ「正しい努力」をしたかを教えてくれる指数と考えることが大切ではないでしょうか?
従って、会社(事業)を評価するに際して、「利益」を指標とすることが大切です。

(赤字続きなのに頑張り続けようとしている人へ)
何年やっても利益を生まず、今後の展望も無いのに頑張っている人がいます。昔しの私もそうでした。これでは明日のために投資するにもその財源が確保できません。このようなときには、何かを間違えている訳ですから、利益を生まない事業を継続させる努力をするよりも、一端規模を縮小して(場合によっては廃止して)、新たなこと・新たなやり方でチャレンジし直す方が良いと考えます(考え方を変えることが必要)。昔しの太平洋戦争のときに、アメリカ軍は初戦では無駄な抵抗を避けて引く所まで引いて態勢を立て直しミッドウェー海戦を機に反抗し始めました。それに対して日本軍は硫黄島を失い制空権がなくなった後も変な精神論で頑張り続けようとした結果、最後は無条件降伏と言う最悪の事態に陥ってしまいました。
私は約10年前に倒産してしまいましたが、倒産後に人生を振り返り、自分の今後の生き様を色々と考えた末に社会保険労務士という国家資格にチャレンジすることにしました。運よく資格を取ることができ現在に至っていますが、この生業を始めて自分の天職を得たような気がしています。正に孔子の言う「五十にして天命を知る」ではないかと思っています。しかし、自己破産はしなかったので、全ての財産を失うと同時に今でも残債務を返済し続けています。
このような状況を避けるには、恥と思ってもそれは一時のものですから、資産が残っている間に事業を縮小または廃止して、人生に再チャレンジする方が良いと考えアドバイスするようにしています。私の友人には、私同様に倒産後に別事業を立ち上げ、人生に再チャレンジしている友人もいます。ただし、大半の倒産者は世捨て人に成り果ててしまっていますが・・・。
私が倒産した10数年前と比較すると、事業整理・再生に関する制度も数段に整備されましたから、良きアドバイザーを得て、勇気をもって決断することが大切です。

2012年1月5日木曜日

PFドラッカー365の金言より 145

<< 本文 >>   「断絶の時代」「ポスト資本主義社会」「すでに起こった未来」
あらゆる組織が、自らの「目的」とするものを明確にするほど力をもつ。
評価の基準となる明確な「尺度」をもつほど大きな成果をあげる。
自らの存在の正当性の基盤を「成果」におくほど正当性を高める。
「実りによって彼らを知れ」との言葉こそ、多元社会の原理とすべきものである。
今日、企業以外の組織がマネジメントを学ぶために企業に学ぼうとしている。しかし、このことは企業以外の組織が、企業のマネジメントをそのまま移植できることを意味しない。それどころか、それらの組織が企業から学ぶべきことは、マネジメントは「目標の設定」から始まることであり、企業以外の組織は企業とは異なるマネジメントを必要とするということである。
企業以外の組織が企業にマネジメントの基本を見出そうとしていること自体は正しい。企業は例外としてではなく最も集中して研究されてきた。企業には「利益」という尺度がある。企業以外の組織は、企業にとっての利益に相当する尺度を必要とする。言い換えるならば、利益とは、組織のマネジメントに不可欠な尺度の手本たるべきものである。

(コメント)
PFドラッカー先生は「利益とは活動の成果であり、明日のための原資となるべきものである」と考えられています。従って「正しく儲ける」ことは必要なことであり、「儲ける」ことは後ろめたいことではありません。日本の誤った考え方に「武士は喰わねど高楊枝」というものがあります。明治時代に発祥したと言われるこの考え方は負け惜しみに過ぎず、江戸時代以前の武士は戦費を賄うために兵糧(経済財政)を熟慮して戦略を練っていました。豊臣秀吉翁は、人命を大切にする考えから武力衝突を避け兵糧攻めにして城攻めをしていました。
私は昔から、「売上高はお客様がどれだけ満足したかを教えてくれる指数、利益額は自分達がどれだけ正しい努力したかを教えてくれる指数」だと考えています。
これら売上高や利益額のように自らの活動の成果を計る尺度がなければ組織は上手く機能しなくなります。昨年に相談されたNPOさんの理事には、理事会が纏まらないのはその為だと教授しました。
また、先生は「マネジメントは目的を明確して、目標を定めることから始まる」と言われます。しかし、「うちの会社には方針がない」ということを若い人からよく聞きます。社長が方針を明確にしないのであれば、上司か自分自身が方針を明確にすれば良いのだと私は考えます。方針を明確にしない社長や上司と言えども、部下が自ら方針を立てて行動しているとき、もしその方針や行動が社長や上司の方針と異なるときには異議を唱え始めます。その意義の中から、暗黙知としてしまっている方針を嗅ぎ取っていけば良いのです。「間違っていたら嫌だから目的は言わずにおこう」と考えるのではなく、日々環境が変わるのがビジネス社会の常なのだから、状況が変われば目的や目標も変えざるを得ないこともある。しかし、今現在の目的や目標を不明確にすることは企業の力を結集することの弊害となるから、間違っていても良いから今現在の目的と目標を明確にしようと考える方が良いと思います。状況や環境の変化だけでなく、企業の成長と伴に企業の目的も成長・変化していくものですから・・・。
私は職務上、就業規則の作成を依頼されることがあります。私がつくる就業規則の第一条は企業理念(又は目的)です(拒否されない限り)。しかし、ご依頼される企業の中には企業理念(又は方針)というものが明確にされていない企業の方が多い実態です。いままで業績を上げることに全力が尽くしてこられたから、企業理念とか目的などを考えるユトリが無かった企業さまが多いのです。このとき、私は社長や従業員さんとコミュニケーションしながら、または応接間や社長室に飾られている額縁の中から、その企業の企業理念又は方針のたたき台を創ります。そのたたき台を見せると、初めて社長や会長は「ここが違う」「こんな意味のものは付け加えられないか」とかいう意見を言われ始めます。こうして企業の暗黙知を探り社内で共有できるようにしていきます。そして、時期が来て変更が必要になったときには再度検討してもらいます。
さあ、年初です!! 今年の目標を再確認して、具体的な計画を組み立てましょう!!

2012年1月4日水曜日

PFドラッカー365の金言より 144

<< 本文 >>   「マネジメント・・・課題、責任、実践」
マネジメントは方向づけを行い、成果をもたらすことに責任をもつ。
使命を決める。目標を定める。資源を動員する。マネジメントはこれらの機能を果たすべく行動する。仕事を組織し、働く人達に成果をあげさせる。社会に与えるインパクトに責任を持つ。そして何よりも、自らの組織が目的とする成果をもたらすことに責任を負う。

(コメント)
組織が十分な成果をあげているか再確認することが大切です。それが不十分という結果であれば、まず最初に「行うべきこと」を「紙」に「手」で「書き出してみる」ことが必要です。過去の私の経験では、自ら心が乱れているときには十分な成果があげられず、また紙に手で書き出す作業も億劫になってしまいます。その結果、悪循環に陥っていくのです。
こんなときには、「チョッと待てよ!!」と一呼吸置くことが大切です。この一呼吸置くときに、「行うべきこと」を紙に書き出してみるのです。
子供の頃、おつかいを頼まれると何を買ってくるべきかを紙に書いて持たせてもらっていました。こうすると、好奇心旺盛な子供が外に出て途中で色々なことに興味を持っても、頼まれたモノは間違いなく買ってくることができます。私達はすでに子供ではありませんから、これを自らが行うのです。自らが「紙に書き出してみる(PC入力では駄目)こと」で自ら混乱している頭の中を整理して、優先順位をつけて、着実に実行していくのです。自らが紙に手書きしたものを持っていると、途中で修正が必要となっても本来の目的からブレることが防げるようになります。
組織は、成果をあげることを約束して、お金を払うことを通じて社会からヒト・モノ・カネ・情報という限られた資源を借りています。従ってヒト・モノ・カネ・情報という資源を遊休させ成果をあげられずにいることは社会に対する約束に反することになると私は考えます。
遊休のヒト・モノ・カネ・情報が組織内部にある場合、組織はそれらの遊休資源を社会に返し、もっと有効に使うことができる人達に活用してもらう方が社会の為になるのではないでしょうか?
マネジメントの役割は、組織の方向づけを行い、資源を有効活用して、成果をあげて社会に貢献することだと私は思います。結果として、その組織には余剰利益が生まれることになります。
そして更に、文中の「マネシケメントは・・・行動する」にも注意すべきです。報告された事実を元に机上の空論を並べてるだけではマネジメントしているとは言えません。自ら行動して情報を集め、組織が各機能・役割を果たすべく自ら行動することを通じて、成果をあげることに責任を持つことが必要です。実務をやっていると「行動しない社長さん」が最近は多いことに驚愕しています。

2012年1月3日火曜日

PFドラッカー365の金言より 143

<< 本文 >>  「現代の経営」「経営者の条件」より
二つの言葉が、あるべき組織の精神を要約する。
①「己よりも優れた者の助けを得る技を知れる者、ここに眠る」( アンドリュー・カーネギーの墓碑銘 )
②「重要なことは、出来ないことではなく、出来ることである」(身体障害者雇用促進キャンペーンのスローガン)
の二つである。

(コメント)
両方ともに組織を運営するには大変に重要な言葉だと考えています。
①豊臣秀吉公、徳川家康公、松下幸之助翁いずれもそうでした。自分よりも優れている者を使う方法を心得ていたのです。得てして人は他人に負けたくない、弱みを見せたくないと思い、我を張ってしまいまう結果、優秀な人の手助けが得られない状態になってしまいます。
私も社会保険労務士という看板を掲げて企業活性化のお手伝いをするようになってから、この性格のために何度も失敗をしました。考えてみなくても、部外者である私よりもその会社の社長や従業員さんの方がその業界のことに関しては詳しくて当たり前なのに、自分で調べたことを元に話しを進めようとするから失敗してしまったのです。その為、最近では「訊くこと」「気付いてもらうこと」を中心にコンサルティングをするように心がけています。
②「重要なことはできないことではなく、できることである」とは、「できない理由探しではなく、できる方法探しをすることが大切!! 」に結び付くものだと思います。これは私の原則です。PFドラッカー先生によれば「部下や同僚の強みを見つけ、それらの強みを伸ばす手助けをしてください」と言うことですが、松下幸之助翁によれば「弱みも反対の見方をすれば強みとなるから、強みも弱みも活かしすようにしなさい」と言うことになります。私としては、松下幸之助翁の考えを支持しています。何故なら中小企業は人材が限られており、また日本の法律では解雇は簡単にはできません。そのため、人の強みだけを活かして人を使おうとすると、折角の人材も強みが発揮できない状況では使うことができなくなり無用の長物となってしまいます。しかし、ここで松下幸之助翁の言われるように「その人の弱みを逆の見方から見て、強みとして発揮させることができないか」と考えると、人材は余すところなく使うことができ、またその人材も成長していくことができるようになると考えます。人間は磨けば光る無限の力を秘めているからです。ただし、組織の規律・規範を乱す者は組織から容赦なく排除(解雇)することをお勧めしています。
しかしながら、PFドラッカー先生の言われるこの二つの言葉が組織運営の要となるという意見には大いに賛同する処です。

2012年1月2日月曜日

PFドラッカー365の金言より 142

<< 本文 >>
あらゆる生産手段のうち、人的資源ほど効率の悪いものは無い。この人的資源の活用に成功した僅かな企業が、生産性と産出量の飛躍的な向上を実現する。人的資源こそ生産性向上の主たる機会である。従って、今日関心を集めている設備や技術のマネジメントではなく、人材のマネジメントこそが最大の関心事でなければならない。
しかも我々は、人的資源の生産性をもたらす鍵が何であるかを知っている。報酬や手法ではない。考え方としてのマネジメント的視点である。仕事と製品をマネジメントする目で見ること、すなわち、それらのものを「全体との関連」において見ることである。

(コメント)
この和訳に私はかなりの抵抗を覚えます(①ヒトを資源として扱っていることと、②人的資源を効率が悪いものと決めつけていること)。しかし、PFドラッカー先生が伝えたいことには同感します。
企業はヒト・モノ・カネ・情報を活かすことが大切といわれますが、どんなに優秀な「モノ・カネ・情報」があったとしても、それを使いこなせる「ヒト」がいなければ、それらは充分な成果となって現れることはなくなります。
急成長していた企業が急に失速する大半の理由は人財不足にあります。また、老舗が長寿する所以は「ヒトを大事にして、ヒトを育てること」にあるようです。ただし、「ヒトを大事にする」とは従業員を甘やかすという意味ではなく、寧ろ厳しく躾けて教育しています。
企業の盛衰は、経営者を含めたヒトにかかっていると言っても過言ではありません。
そして、PFドラッカー先生が「人的資源の生産性をもたらすものは報酬や方法ではなく、考え方だ」と断言されている点に留意すべきです。
その結果、ヒトを育てる要点は「全体との関連において考える習性」を身につけさせることだと思います。この習性を身につけると、感情ではなく客観性と論理性が身につきます。
その為には、何か考えたり決断したりするときに人間は目先のことにばかり左右されがちですが、「チョット待てよ!! 全体的視点から考えてみよう(鳥瞰する)」とすることを習慣化することが必要です。この習慣は最初は煩わしくかつ時間が惜しいような気がしますが、会得すると無意識に然も瞬時にできるようになります。「何か変だ」と気づけるようになります!!
それ故に、労務管理、特に人財教育は大切なことなのです。
よく「現場に経営者の視点を持たせることが大切だ」という人がいます。しかし、ここで注意しなければならないことは「経営者(≒マネジメント)の視点」とは「損得勘定」だけではなく「全体との関連」において考えることだということです。これが出来ていれば雪印事件、赤福事件、吉兆事件、エンロン事件他の企業不祥事はかなり防げたのではないでしょうか?
人材が「人財」となるか、「人罪」となるか? それはマネジメントと本人次第です。

2012年1月1日日曜日

PFドラッカー365の金言より 141

<< 本文 >>
意思決定の前提にしているものが陳腐化していないか再考することが必要である。意思決定の前提とすべきものは「すでに起こった未来」である。
「すでに起こった未来」を知るには、今日まで当然ときたものに反しているものは何か? 新しい現実をもたらしつつあるものは何かを知らなければならない。
学者や知識人は、はじめに理論があり、政治・社会・経済・心理の現実はそれに従って形成されていると考える。そういうこともある。だが滅多にない。理論が実践に先行することはない。理論の役割は、既に有効であると確認された実体を体系化することである。個を一般化し、教えを学ぶことのできるもの、一般に適用できるものにすることにある。
そのため、市場で勝つには、自らの思考の枠組みも変えなければならないときがくる。

(コメント)
お正月休みを利用して、自らが「当然のこと」と考えていたことで上手くいかないことを一覧表に書き出してみてはどうでしょうか? そこにどんな共通点が見い出せるか!!
人間は過去の自分の慣習に流されやすいものです。そして、無意識となり自分に染み込んだ慣習・価値観は意識しなければ変わるものではありません。一方、世の中の慣習・価値観はドンドンと変わっていきます。 その為、気づいたら「浦島太郎」になってたということもあり得ます。
ただし、そのときに「変えるべきもの」と「変えてはならないもの」とを自覚するとが大切です。
表面的なことは変わっても普遍的・本質的なことは変えてはならないと考えます。
そのため一覧表にして、鳥瞰してみることが大切だと考えます。また、お正月休みを利用して、普段なら絶対に行かないような所に行ってみる(体験)のも一つの方法だと思います。
昨年末に、夫婦伴に小学校の校長をやっている甥と数年ぶりに話しをする機会がありました。そして、最近の小学校の校長がどんなことを考えているかを学ばして貰いました。道徳教育の必要性を痛感しているそうなのですが、父兄の中にはそれに抵抗する人達もいる(父兄自身が道徳教育を受けていないので知らない)ため公共の教育機関である小学校では何も出来ないそうなのです。そのため私学に期待するしか方法はないということでした。いまの小学生が十数年後には社会に出て会社に入ってきます。そうすると会社も変わらざるを得なくなります。実際に、一部の会社では既にその兆候が現れ始めており、「人として道」を説いた論語的な社員教育を始めています。