2011年3月27日日曜日

日帰りで東京に行ってきました。

地震にともなう影響が東京でもかなり出ているとテレビや新聞で報道されるので、埼玉の東松山市に学生でいる息子の所に行ってきた。
確かに、節電のため駅のエスカレーターは止められ、電車の本数は少なくなっているようだが、それでもまだまだ地方のJR線よりも本数は多く、乗り遅れてもすぐに次が来る状態だった。
東京駅から1時間30分ほど電車に乗る必要があるので、その車中では乗客がどの程度スマートフォンを使っているか観察した。確かに携帯電話だけのときと比べるとスマートフォンを使う人が増えてはいるようだが、雑誌が言う程のことはないようだ。それよりも任天堂のゲーム機を使っている人が多いことが目についた。
息子のアパートについたら、息子から「何しに来たん? こっちは何も変わらんヨ!!」と言われてしまった。電話が2日間通じなかったこと、地方で新聞を読んでいると東京も生活に支障がでていると思わざるを得ないので心配してきたのだと話ししたが、全く普段と変わらない生活をしていた。
息子の携帯電話は充電器が壊れたので充電していないとのことであった。
ヤレヤレ!! 無理して行くんじゃなかった。
帰路ではついでに新宿で電車を降りて、昔し懐かしい佳果ラーメンを食べてきた。20年ぶりだったが、量が減り、味も落ちたような気がした。東京駅の地下街を歩いていると行列ができているラーメン屋さんがあったが、もう流石にラーメンは食べたくなかった。
この東京往復の間に、シッカリ本が読めたし、私流の仕事マニュアルも出来上がった。よい気分転換になったと思う。

2011年3月19日土曜日

心安らぐひとときでした

広島市立中央図書館の入口で綺麗に咲いていました。思わず「も桜が咲いたの?」と思ってしまうほど見事に咲いた梅でした。被災地の人達に届けてあげたい。
そうはいうものの、広島でも資材が入荷せず業務に支障が出始めた企業がある。昨日あった社労士会研修会の主題は「時間管理について」であったが、講師の安西弁護士が冒頭で語っていた地震にともなう休業の話しは大変に参考になった。

2011年3月10日木曜日

DOCOMOの速さにビックリ

昨日、ウッカリして携帯電話をパジャマと一緒に洗濯してしまった。
大慌てしてDOCOMOショップに携帯電話を買いにいったら、「お客様は修理保証に加入されていますから、それを活用しましょう」と勧められた。
パソコン等を修理に出すと1ケ月以上かかるので、携帯電話を1ケ月以上も代用機で我慢するのは嫌だなと思っていたら、「翌日の午後には同機種がとどきますので、それまでの1日半だけ代用機で我慢すれば、費用が各段に安くつきます」と言われ、半信半疑ながらそうすることにした。
そして、今日の午後にDOCOMOショップにいった処、本当に同機種の新しいものが届いていた。
やはり、競争が激しい携帯電話の世界では、この位やらなければならないのだナと思い、経営的なモノの考え方の中に「競争原理は正しいが、市場原理は正しくない」というのがあるのを思い出した。
ところで、代用機を使用している間に、操作方法がよくわからないので色々なボタンを押していたら携帯電話のスピーカー機能が働くようになり、かかってきた電話の声が全てスピーカーで流れるようになってしまったのには参った。
そして、今日の午後は電話番号を登録し直すのに忙しかった。もう二度と携帯電話を洗濯しないようにしよう(しかし、今回で2回目だ)。

2011年3月9日水曜日

遺族年金と自分の老齢年金

夫の遺族年金と妻本人の老齢年金を妻は選択できること、通常この場合は遺族年金を選択した方が得であること、は知っていましたが、今日のご質問にはどう答えてよいのか不明なため年金機構に確認しました。
その人(妻)は、夫が昨年交通事故で死亡したので相談のうえ遺族年金を選択したそうです。
しかし、自賠責や事故加害者から慰謝料等をもらう示談が成立したら、遺族年金が2年金支給停止となる連絡があったそうです。
そこで、この人(妻)がいうには「支給停止されるのであれば、自分の老齢年金を選択した方がよかった。なんとかならないのか・・・・?自分が保険料を支払っていた老齢年金が貰えないのは可笑しい」とのご質問でした。
年金機構に相談した処、極めて稀なケースであり、この場合は自分の老齢年金を再度選択する手続きをすれば遺族年金が支給停止される間は老齢年金が貰え、死亡日から2年経過したときに再々度遺族年金を選択する手続きをすれば良いとのことでした。
非常に良い勉強になりました。
数年前に、通勤労災で夫が死亡した人の労災の遺族年金と社会保険の遺族年金の手続きをお手伝いしましたが、遺族年金の相談は稀にしかないためご相談を受けると非常に不安になってしまいます。因みに、年金機構の担当者も初めてらしく、色々な書籍で調べたり、上司に相談したりしていました。
そして、一般論でいう「遺族と老齢の選択の際には遺族を勧める方が良い」ということが必ずしも正しくないことを勉強させてもらいました。
労働・経営問題を専門とし、年金が苦手な社労士より

2011年3月2日水曜日

ラッキー ハッピー またラッキー の一日

3月1日は午後から「ラッキー ハッピー またラッキー」な1日になった。

業績が低迷している企業の社長から、「以前から取扱いたいと思っていたブランド素材メーカーの方から当社で取り扱って貰いたいと依頼があった」との連絡があった。閉塞状態に陥っていた状況の中で新しい活路を見出す種が見つかったので少しだけ安心し、社長には「チャンスの女神に後髪は無いと言います。また、チャンスは準備と機会がめぐり会ったときに訪れるとも言います。是非、このチャンスを活かせるような販売体制を組んでいきましょう。そのためには集中することが大切です」とお話しした。そして、私も「ラッキー、ハッピーまたラッキー」気持ちになれた。

求人しても2ケ月位全く応募がなかった会社の求人票の募集職種をハローワークのアドバイスに従い「営業事務職」から「事務職」に変えた末に採用する人を決めた会社があった。そして、会社でその人の履歴書を見せてもらった処、その人は過去8年間、人材派遣やアルバイトしかやったことがない人だったので、私はダメ元で企業を管轄するハローワークの担当者に『トライアル雇用奨励金』か『派遣労働者雇用安定化特別奨励金』の対象にはならないのかと問い合わせた処、その人に紹介状を発行したハローワークと話し合いをしてくれ『若年者等正規雇用化特別奨励金』の対象になるのでその手続きをしてくれることになった。紹介状を発行したハローワーク担当者は「トライアル雇用奨励金のことしか検討していなかった。過去に同職種の経験がこの人にはあったのでトライアル雇用は無理としか判断しておらず、他の助成金の検討はしていかった」と弁明していた。この人が途中で会社を辞めなければ、100万円の助成金を会社が貰うことができる。よかった! よかった! ラッキー、ハッピーまたラッキー!!

通信機器と携帯電話を取り扱う顧問先企業を別な顧問先企業に紹介した処、うまく商談がまとまったとの連絡が入った。両方の会社から感謝され、「ラッキー、ハッピーまたラッキー」な気持ちになれた。

土木建設業界は絶不調を極める不況業種だが、その中の中堅企業に、私は以前からなんとかその打開策を提案できるよう模索していたが、まずは60歳以上の人達の給与が高すぎる(皆さん役員並みの給与を貰っている)ので、その再検討から始めることになった。そして、今日はそれらの人の試算結果を企業に提示した。一歩前進することができた。ラッキー、ハッピー、またラッキー!!

2011年3月1日火曜日

お好み屋さんのバトル

自宅近所は、コンビニの激戦区です。無いのはポプラだけ。ポプラは既に敗退して閉店しました。
クリーニング屋さんも激戦区です。ワンルームマンションが多いせいでしょうか?
そこで、近所のお好み屋さんバトルを取り上げてみました。
一番古くからあるお店で、広島で昔からある典型的なお好み屋さんです。自宅から約50mの所にあります。
次に古いのが「ぽんた」。自宅から約10mの所にあります。ここは開店当時はあまり評判がよくなかったのですが、噂では上の写真のお店に焼き方を習ってからは評判が良くなりました。

数年前に、突然、チェーン店の「カープ」がオープンし、「ぽんた」のお客さんを取ってしまいました。ここは自宅から約20mの所にあります。「ぽんた」さん可哀そうだナ!! と思っていたら・・・

「ぽんた」と「カープ」の間に入り込むような形で、チェーン店「としのや」がオープンし、「カープ」のお客さんを取ってしまいました。ここは店のファサード(外観)や内装を頻繁に変え、若い客層を狙うお店です。「ぽんた」さんは閑古鳥が鳴き、「カープ」さんも客数が激減しているようです。

仕事柄、このような店舗の変遷を面白く観察させてもらっていますが、私が子供の頃は「新しいお好み屋さんにはシバラく行くな。鉄板にまだよく油が馴染んでいないから、おいしいモノが焼けない」と言われて育ちましたが、最近はそうでもないようです。また、お好み屋さんも店のファサード(外観)や内装を含めた雰囲気づくりが大切な時代となったのだなと感じています。
「競争の原理」では、一番に客が集中し、四番は生業として生き延びれるが、二番と三番は上と下から攻められるから経営が難しいといわれます。さてこの「お好み屋さんバトル」ではどこが生き延びることができるでしょうか? ただ言えることは、2軒しかお好み屋さんが無かったときと比べると、この地区でお好み焼きを食べる人の数はあきらかに増えているようです。

2年前に息子が東京から帰ってきた際、紙屋町で同時に2軒のお好み屋さんでお昼を食べて、食べ比べをしたことがあります。だから、2軒までだったら同時に食べ比べる自信は今でもありますが、4軒となると全く自信がありません。

また、お好み屋さんは今では年中お好み焼きを売っていますが、私が子供の頃は秋冬春は「お好み焼き」と「おでん」、夏は「かき氷」を売る原爆未亡人のオバちゃんが生業としてやるのが「お好み屋さん」で、それぞれに独特の味がありました。ソースも自家製のものが多く、メーカー既製品を使うのは邪道とされていました。あの頃が懐かしい思いもします。