2012年4月24日火曜日

人を動かす  カーネギー

経営者の間では有名なアメリカのカーネギー氏の書籍「人を動かす」より、人を動かすための秘訣部分を抜粋しました。

書籍「人を動かす」 著者:カーネギー
①相手を非難するかわりに、相手を理解するように努めよう。
②相手を認め、相手に重要感を持たせよう。
③相手の立場になって考え、相手の心の中に強い欲求をおこさせよう。

(コメント)
時代が大きく変わり始めた今こそ新しいタイプのリーダーが渇望されています。そして今、リーダーシップのあり方が変わり始めています。
現代の平時(緊急時を除く)においては、一昔前のように率先筆頭型で部下を強引に引っ張っていくリーダーではなく、コーチング等に見られるように、部下に方向性を示し、部下を動機付け、部下自らの意思でやってもらうタイプのリーダーが必要とされています。
一見ひ弱なリーダーのように見えますが、飽食の時代となり、人々の価値観が変わった現代において協働して目的を達成するためには、新しいタイプのリーダーの方がより有効なのだと思います。
このタイプのリーダーであれば、最近急増している鬱病などの精神疾患に部下が陥ることを防げるかもしれません。

2012年4月23日月曜日

PFドラッカー365の金言より  オマケの8(最終回)

PFドラッカー先生は「機会(チャンス)は自ら見つけるものであり、やってくるものではない。」と言われていますが、どうやってチャンスを見つければ良いかも教えられています。

<< 本文 >>
機会を見つけるためには、予期せぬ成功と失敗を利用する。

(コメント)
「強みを活かせ」とよく言われますが、自分の強みに気づくことが一番難しいことなのです。
論語でも「自らを知るものを智者という」とされています。
自分自身の「強み」と「弱み」に気づくためには、「最初に何を期待してモノゴトを始めるのかを書き出しておき、それを実際の成果と比較することである」と先生は別の箇所で教えられています。
こうすることで、「最初には予期しなかった成功」と「予期しなかった失敗」に気づけるようになり、その中から自分の「強み」と「弱み」を見つけ出すことができるのです。最初の自分の「思い」と実際の成果を比較することで、自らの「強み」「弱み」に気づくことができるようになるのです。
先生は「これはキリスト教カルビィン派の修道僧が数百年前から行っていることである」と紹介されています。
チャンスを見つけ活かすことができるようになる為には、まずこの第一歩を踏み出す事が必要です。

2012年4月22日日曜日

PFドラッカー365の金言より  オマケの7

<< 本文 >>
意思決定は速さが重要なのではない。
意思決定すべき事柄を増やしてはならない。
意思決定は速さではなく、その内容が重要である。
そして、意思決定には集中が必要である。

(コメント)
先生の言われる通りだと思います。
私もシバシバ意思決定を急ぐ余りに判断ミスをしてしまうことがあります。そのため、意思決定には「焦り」が大敵であると肝に命じています。そして判断ミスに気づいたときには素直にミスを認めて誤り、修正するように心がけています。基本的に意思決定は時間との競争状態になりがちの傾向がありますから、時間的に追い込まれない工夫をすることが必要です。ブレイクスルー思考法では「壊れる前に直せ」という原則があるので、これを習慣化することが追い込まれた意思決定をしないためには大切です。
そして、意思決定には「集中できる環境」をつくることが先生の言われる通り必要だと思います。忙しい最中に片手間に重要な意思決定をしてはいけません。ミスをする原因となります。また、疲れいてるときや、深夜時間帯に意思決定をしてはいけません。独善的な判断をしてしまいます。私は、重要なことは業後に考え直し(その場で直感で判断もするが公言はしない)、しかも一晩自分の頭の中で熟成させ、そうして早朝に再度考えたうえで最終の意思決定するようにしています。何故なら、早朝の時間帯は誰にも邪魔されることなく、電話もなく、冷静に、かつ論理的に考えることができる「集中できる時間帯」だからです。そして更に、最も重要な事柄は3回(3日)考え直すようにしています。その上でベストと自分が思えるものを選択する決定を下します。
更に、PFドラッカー先生は「意思決定すべき事項を増やしてはならない」とも教えられています。その為には、権限移譲すること、自分ひとりで抱え込まないこと、意思決定すべきことに優先順位をつけること(「急ぐ」ことからではなく「重要」なことから決定を下す)を普段から心がけることが大切です。

2012年4月21日土曜日

PFドラッカー365の金言より  オマケの6

<< 本文 >>
人は強みを活かして初めて何かができる。何かをすることによって、何かを達成できる。

(コメント)
何やら意味難解な文章です。
ここで先生は『人は自分の強みを発揮することで、初めて自分がやろうとしていることが達成できる。しかし、何もしなければ何も達成することはできないのだから、何かをやり始める(思い考えるだけでなく、実際に行動する)ことが大切である』と教えられたいのではないかと思います。
また、「強み」に関してですが、「強み」とは絶対的なものではなく相対的なものであることにも注意することが必要です。同一人物でも、レベルの高い人たちが沢山いる中ではその人の持つ特定の能力はその人の「強み」とはなりません。しかし、レベルの低い人しかいない状況の中では、大してレベルが高くない能力でもその人の強みとなります。従って、「強み」とは自分の持つ能力と周りの人達が持つ能力の相対によって決まるものなのです。
私はこの「強み」に関しては、大学の経済学で学んだ国際取引における比較優位の法則を思い出します。A国とB国が製品(a)と製品(b)を生産していると仮定します。そしてA国は(a)(b)製品のいずれにおいても生産能力がB国よりも優れており、更にはA国内において(a)(b)両製品の生産能力を比較すると(a)製品の能力が秀でているとします。この状況下で最大成果を生むためには、A国が(a)(b)の両製品を生産するのではなく、A国は(a)製品だけを製造し、(b)製品はB国が生産することが必要となります。
人間の「強み」に関してもこれと同じことが言えます。あらゆることに優れた人がいたとしても、その人が全てを行うよりも、その人の最も得意とする「強み」を発揮できることをその人は行い、他はほかの人に任せることが最大成果を生むことになります。そうして組織のテコの原理を活用すれば、「1+1=2」ではなく「1+1>3」となるのです。
ただし、繰り返しになりますが、思い考えるだけでは何の成果も得られません。実際に行動する勇気をもち、行動を開始することが大切です。

2012年4月20日金曜日

PFドラッカー365の金言より  オマケ の5

<< 本文 >>
成果をあげるためには「貢献」を中心に考える。そのためには、
①顧客は誰か?
②顧客にとって価値あるものは何か?
③顧客にとって価値あるものに、あなたは何で貢献するのか?
④あなたの顧客戦略は何か?

(コメント)
事業活動の基本とすべき考え方だと思います。
①どんな顧客を主たる顧客とするのかを明確にすること
②その主たる顧客が価値があると考えるものは何かを考えること
③その価値あるものに、自分としてはどのように貢献しようとしているのかを明確にすること
④そのうえで、自分の営業戦略を考えること
が必要であると言われています。
しかし、現実の社会を見ると、「売りたい」「儲けたい」「これは客に喜ばれる筈」という自分の思い(思い込み)だけが先行してしまい、身勝手な業務活動をする人々が多いことに驚かされます。
また大昔と違い、現代は顧客を明確にする必要がある時代となっています。昔はモノが不足していましたからモノが先にあれば、それを必要とする人々が群がってきた時代がありました。この時代には「お客様は神様です」と唱え、全ての人を客と想定すれば良かったのですが、現代はモノが豊富になり客の欲求水準も高度なものになっています。その結果、どんな顧客を主たる客にするのかを明確にしないと中途半端なことを行ってしまうことになり、成果があがらない結果を招き易いのです。
私の顧問先に居酒屋チェーン店を営む会社があります。この企業は社歴10年強の若い会社ですが、「20代後半の若い女性が友達と楽しく会話しながら食事を手頃な価格で楽しむ場を提供する」ことを事業目的にしています。私が大学生の頃には「養老の滝」という居酒屋がありよく行ったものですが、ここは男性サラリーマンが安くお酒を飲む場を提供するお店のようでした。また、牛丼の「吉野家」さんは最近は多少は変わり始めたようですが、昔しはどちらかというと男性の肉体労働者を顧客としていたようです。それに対して「すきや」さんは家族づれでも女性でも牛丼が楽しめる場を提供されているようです。その結果、「吉野家」さんと「すきや」さんとではメニューが違い、また店づくりも違います。
そして、一番大切なことは「顧客が価値ありと認めるものに自分が如何にして貢献するか」を考えることです。このときは、自分の「強み」「弱み」と「競合相手」の状態を考慮したうえで顧客の「真のニーズ」を満たすことが必要です。
そして絶対に忘れてならないことは、「タイミング」です。「いつ」「どのタイミング」又は「いつまでに」顧客のニーズを満たすのかを熟慮する必要があります。

2012年4月19日木曜日

PFドラッカー365の金言より のオマケ 4

<< 本文 >>  私が最も重視しているPFドラッカー先生の言葉です。
成果をあげる者は、仕事からスタートしない。時間からスタートする。計画からもスタートしない。
何に時間がとられているかを明らかにすることからスタートする。
次に、時間を管理すべく、時間を奪おうとする非生産的な要求を退ける。
そして最後に、得られた時間を大きくまとめる。

(コメント)
少々、意味難解な教えです。
私は、仕事で成果をあげるためにはその仕事に「集中」することが大切である。
そのため、仕事を始める前に「集中できる時間」を確保することが必要となる。
集中できる時間を確保するためには、非生産的な仕事(例えばテレビを惰性で見る、意味の無い世間話しや噂話しをする等の成果を生まないこと)を止めることが必要である。
非生産的なことを止めて時間を確保し、更には雑用によって分断されがちな自分の時間を纏め、大きな時間の固まりを確保することが必要である(会社によっては電話取次・打合せ等を禁止する時間帯を設けて社員が自分の仕事に集中できる時間帯を設けている会社もあります)。
その上で、その時間帯に集中して仕事に取り組むことが成果をあげる秘訣だと先生は教えられています。
そして、大きな時間の固まりを確保できたならば、自分がしなければならない仕事に優先順位(「重要性」と「緊急性」)をつけ、優先順位の高いものをその大きな固まりで処理するようにすることが必要です。
何故ならば、人間は集中するとその人の持つ能力以上の力を発揮することができますが、集中しなければその人が持つ力以下の能力しか発揮できなくなるからです。
優先順位の低い仕事は空いた時間を利用して処理していきます。
電話やインターネットが普及して情報が氾濫する世の中では、自らの時間を如何に管理していくかが成果をあげるための大きな秘訣となります。兎に角、注意すべきことは「惰性・習慣に流されない」ようにすることです(「日々新たなり」の気持ちが大切)。

2012年4月18日水曜日

PFドラッカー365の金言より  のオマケ 3

問題解決のために経営資源(特に時間)を費やすよりも、機会を活かすことに経営資源を使え!!

(コメント)
社会保険労務士&経営アドバイザーという業を行っていると、「問題」解決するのに時間を費やしている会社が如何に多いかということに改めて驚かされます。みなさん、問題が発生してしまってからご相談に来られます。しかし、問題として発生した後では打てる手立てが限られてしまうのが実情です。予防措置を講ずるのに比較すると、問題が発生してしまってから解決するには3倍以上の時間と労力が必要となると言われます。
ブレイクスルー思考法では、「壊れる前に直せ」と教えます。
問題は発生してから解決しようと考えるのではなく、予め対策を講じることで問題が問題とならないようにすることが大切です。即ち、解決すべき「課題」の間に解決することで問題とならないようにしてしまうのです。
将来問題になりそうなことを予め見つけ出し(この段階では問題ではなく「課題」に過ぎない)、その課題に優先順位をつけて解決していくことが大切です。こうすることが、最終的には時間を節約して経営資源を有効に活用することになります。

2012年4月17日火曜日

PFドラッカー365の金言より のオマケ 2

<< オマケ >>
失敗する罪よりも行動しない罪の方が大きい。最高の計画と言えども計画だけでは意図に過ぎない。

(コメント)
私が若い頃に聴いたセミナーで、警備保障会社のセコムの創業者のお話しがあります。
その方いわく、
「起業して暫らくたった頃、自宅に「あなたのやっている事業は私も考えていた」という電話がシバシバあった」ということで、
その方はこのような電話には
「ありがとうございます。あなたが実際に事業として行わなかったお蔭で私は成功することができました」と言われたさうです。
考える、思うだけなら一定レベル以上の人であればだれでもできます。しかし、実際にコトを起すと、当初は予期しなかった困難に遭遇し、その都度打開していかなければなりません。従って、「考えていた」ということと「実際に行動した」ということとは天地ほどの差があります。
考えていても失敗することを恐れて実行しなければ真剣に考えていたとは言えません。先生の言葉を借りれば、それは「良き意図があったに過ぎない」ということになります。
私は、人生において考え抜くことは大切なことだが、実行することはそれ以上に大切なことだと思っています。実行しながら修正していき、最後に目的を達成することが大切ではないかと思います。

2012年4月16日月曜日

PFドラッカー365の金言より のオマケ 1

前回(第255回)で書籍「PFドラッカー365の金言」から私が抜粋した記事は終了です。先生の教えは365日分あるのですが、中には政府のこと他、企業経営にはあまり関係のない社会現象の変化が記載されていますので割愛した結果、365のお話しが255回で終了しました。
最後に、それらの先生の教えの中で私が特に好きなものを7つほど選んで7日間に分割して記載させて頂きたいと思います。

<< オマケ-1 >>
①機会は自ら見つけるものであり、やってくるものではない。
②チャンスの女神は、準備している者だけに微笑む。
③チャンスの女神に後ろ髪は無い。

(コメント)
①&②準備していなければ、機会(チャンス)が訪れても、そのチャンスに気づくこともなく、また活かすこともできもせん。普段から問題意識を持ち、準備しておくことが必要です。そして更には、チャンスは自ら仕掛けて創り出すことが必要です。「思っているだけ」「考えているだけ」ではチャンスは活かされません。
しかし、この時に注意すべき点があります。一般的に、人はチャンスを直ぐに創り出そうとして無理をしてしまいます。無理をして創り出したチャンスは、チャンスの方から逃げて行ってしまいます。そうならない為には、チャンスを生み出す「流れ」を創り出すことが必要です。チャンスの流れを創り出すためには、小さな歯車から廻し始めて、徐々に勢いをつけ、そのうちに大きな歯車が回せるようになることが必要です。
③チャンスに気づかず過ぎ去ったあとでチャンスに気づく人は多いものです。こうならない為にも、普段から問題意識を持ち、それをメモにしておくことが大切です。

2012年4月15日日曜日

PFドラッカー365の金言より 255

<< 本文 >>  「未来企業」
NPO(非営利法人)の成功の根底にあるものがマネジメントである。40年前、NPOにとってマネジメントとは営利活動を意味する汚い言葉だった。NPOは営利とは無縁であることを誇りにしていた。
しかし今日、NPOの大半が、収支という基準を欠いているからこそ企業以上にマネジメントが必要なことを知っている。NPOは善を為すためにある。だが、今日彼らは、良き意図といえども、組織、リーダーシップ、責任、仕事、成果に代わることはできないことを知っている。

(コメント)
昨年、労働紛争のご相談があるNPOからありました。数か月間、ご相談に応じていたのですが、お話しは段々とNPO内部の人間関係に終始するようになってしまいました。当初から私は「どんな成果があがったらNPOの目的が達成されつつあると判断されるのですか?」とお尋ねし続けてきました。要するに、目的が共通していない、目的が明確でなく各自が自分なりの目的を持っている、そのため目的達成の為の手段・方法が適切なものでなく、かつその成果を評価する物差しがない(企業の場合には「利益」という物差しがある)から、NPOが組織として纏まらない結果となり、中には甘えや驕りが入り混じり、組織が組織として機能せずに単なる人間集団に終始してしまっているのではないかとお話しし続けてきました。結局、NPOの評価は個人の感情(好きか嫌いか)で判断せざるを得ない状態となっている訳です。
その後、このNPOさんはご相談に来られなくなりましたから、労働紛争がどのようになっかは分かりませんが、このような事例は一般企業でもよくある事例です。私財を投入して赤字の企業を存続させ続けている社長さんも沢山いらっしゃいます。この場合は、確かに一般企業なのですが、価値判断の基準が利益ではなく、企業の存続維持だけに終始していますから、事業再生は大変に難しいものになります。大半の場合は、社長の私財が底をつき、社長個人の感情による判断と評価ではなく、利益を上げ会社を維持しなければ倒産してしまうということを社長が本当に認識したときからが事業再生となってしまう場合が多いようです。
企業を存続させ、かつ将来への投資資金が確保できるだけの「適正利潤」を得ることは必要なことです。利益とは汚い言葉ではなく「社会への貢献を示す指標」だと私は考えています(暴利を貪ることには反対しますが)。組織から「共通の目的」「それに基づく目標」「実績に対する評価基準(≒利益)」が無くなったとき(不明確になったとき)に、その組織は衰退への道を歩み始めるのではないでしょうか?

2012年4月14日土曜日

PFドラッカー365の金言より 244

<< 本文 >>  「マネジメント・・・課題、責任、実践」==>本文が少々解り難いのでアレンジしています。
人の強みを生かし組織として成果をあげることが、マネジメントの権限の基盤である。

(コメント)
マネジメントの権限の根拠は、「人の強みを生かすこと」であると先生は随所で指摘されています。メンバーそれぞれの「強み」を組み合わせて生かすことで、それぞれの「弱み」を意味のないものにし、組織としての目的を達成すること(=成果をあげること)がマネジメントの役割であり、権限の根拠であるということです。
従って地位に甘んじて一方的な指示や命令ばかりを出す人(上司)、あるいは逆に全くの自由放任で指示も命令も出さない人(上司)には、マネジメントが持つ権限の根拠が無いことになります。
マネジメントの目的は「組織の目的を達成すること」ですから、組織の目的が達成できるようにメンバーの強みを生かした対策を練り、その上でメンバーに指示・命令を出すことが必要となります。

2012年4月13日金曜日

PFドラッカー365の金言より 243

<< 本文 >>  「ミーティング・ザ・マインズ」「アクロス・ザ・ボード」
仕事ができる人は、仕事を楽しむ。全てが面白い訳ではない。決まりきったこともしなければならない。決まりきったことは山ほどある。決まりきった仕事は、「指に命が宿るまで」習慣化することが大切である。しかし、決まりきったことでも楽しむことはできる。
仕事を楽しむ人についても同じことが言える。彼らにも同じように決まりきったことがある。しなければならないことがある。しかし、仕事は楽しい。
組織にも違いがある。凡庸と一流の違いというよりは、学んでいる組織と学んでいない組織の違いである。前者は組織さのものが成長している。後者は仕事はできるかもしれないが、5時を過ぎれば忘れられる組織である。

(コメント)
私は「飽きっぽく新しいモノ好き」なので身に染みる教えです。新しいことには興味深々なのですが、慣れてくると飽きて興味がなくなってしまうのです。なんとか克服しようと毎日心しています。
いまの生業である社会保険労務士という仕事にもハローワークや年金事務所への諸届代行という仕事があります。これなどは定型的なものですから飽きてしまいます。しかし、基本的なことですから蔑ろにしないように心しています。考えなくても体が動く位に体で覚える(体に染み込ませる)ようにしています。しかし、最近は法改正が頻繁にあり、また手続きも頻繁に変更されるので、比較的にワンパターンですが多少は面白く感じています。
それに対して、経営相談や個別労働紛争の相談は、それぞれのご相談に特徴がありますから、解決する基本パターンはあるにしても、それぞれの相談はユニークであり、類似した相談といえども真因が異なる場合が多いので解決策はその都度慎重に考えるようにしていますから面白い仕事です。

2012年4月12日木曜日

PFドラッカー365の金言より 242

<< 本文 >>  「ネクスト・ソサエティ」
知識労働者にとっても報酬は大事である。報酬の不満は意欲をそぐ。しかし、意欲の源泉は別のところにある。
知識労働者にとって重要なことは、
①組織が何をしようとしており、どこへ行こうとしているかである。
②責任を与えられ、かつ自己実現することである。そのためには適した仕事に配置されることである。
③継続学習と継続訓練の機会を持つことである。
④敬意を払われることである。特に、自らの専門分野が敬意を払われることである。
⑤その専門分野では自らが決定を行うことである。

(コメント)
現代の従業員の大半が知識労働者であることを考えると、この先生の指摘は、経営者の「発想の転換」が必要であるということです。やり方や方法だけではなく、従業員に対する考え方や接し方、あるいは権限移譲・職掌に関しても考え方を改めざるを得ません。そこでは、従業員との関係を上下関係で捉えるのではなく、パートナーとしての関係で捉えることが必要になります。リーダーが「教えて導く」という考え方から、「共に働き、共に学び、共に進むべき道を見出していく」という関係をつくりあげていくことが必要となります。その結果、マネジメント、リーダーとしての役割が大きく変わることが必要となります。
昨日、ある人から電話で「工場の生産性をあげるための方法」を問われました。その人は「インセンティブを設けること」を検討されていましたが、私は「インセンティブだけに頼って生産性を上げようとする方法は馬の目の前にニンジンをぶら下げて早く走らせようとするようなものです。その対策だけでは、いずれ息切れしてしまいます。作業を標準化したり計画化すること、目標を設定すること等も必要なのですが、一番大切なことは経営参画意識を従業員に浸透させて良い社風をつくりあげることです」とお話ししました。その人とお話しをしていると、古典的経営学にでてくるテイラーによる生産効率化のお話しをお聴きしているようでした。

2012年4月11日水曜日

PFドラッカー365の金言より 241

<< 本文 >>  「非営利組織の経営」
成長に必要なものは「責任」である。あらゆるものがそこから始まる。大切なのは「肩書き」ではなく「責任」である。責任をもつということは、仕事に相応わしく成長したいといえる処まで真剣に仕事に取り組むことである。責任に焦点を合わせるとき、人は自らについてより大きな見方をするようになる。
自己啓発に最大の責任を持つものは、本人であって上司ではない。

(コメント)
成長する人は、与えられた仕事で一流になろうとします。その結果、その仕事で必要となる事柄を学習し、成長します。与えられた仕事に責任を持とうとして真剣に取り組みます。そこでは「肩書き」「地位」「権限」は関係ありません。自らに権限が無い場合には、その権限を持つ人を巻き込み協力してもらいます。
「権限がない」「地位ではない」「肩書きがない」というのは「出来ない理由探し」にしか過ぎません。成長する人は、丁度「大きな時計の歯車を最初はユックリ、ユックリと回し始める」ように、責任を果たすために一途に学習を続けて成長していきます。
成長した結果として、「肩書き」「地位」「権限」が後からついてきます。

2012年4月10日火曜日

PFドラッカー365の金言より 240

<< 本文 >>  「創生への時」
10年、15年にわたって有能だった人が、なぜ急に無能になるのか?
私が見てきた限り、原因は、それらの例のほとんどにおいて、昇進した人が、前の任務で成功したこと、昇進をもたらしてくれたことを新しい任務においても行い続けることにある。その挙句、無能な仕事しかできなくなる。正確には、無能になるのではなく、たんに間違ったことを行うために無能な仕事しかできなくなるのである。
新しい仕事を行ううえで必要なことは、卓越した知識と才能ではない。それは新しい任務が要求するもの、新しい挑戦、仕事、課題において致命的に重要なものへの「集中」である。

(コメント)
『失敗しようとして失敗する人は愚か者であり、そんな人はほとんどいない。人が失敗するのは、自分の過去の成功体験に拘り、状況が異なることを意識しなかったときである。』と言われます。またブレイクスルー思考法ではユニーク差の原則と言われ、それぞれの事象には独特のものがあるからそれを判別することが大切であると教えます。
課長から部長に昇進した、部長から取締役に昇進できた。このときに、どうしても人間は過去の自分の成功体験を元にその後も判断しようとしてしまいます。しかし、それぞれのポジションは、組織においてその果たすべき役割と権限が異なります。権限を行使して役割を果たし組織が期待する成果を上げるためには、自分の過去の成功体験を参考にするが拘ることなく、いまのポジションに期待される役割に集中することが必要です。

2012年4月9日月曜日

PFドラッカー365の金言より 239

<< 本文 >>  「マネジメント・フロンティア」
従来の組織は「権限」に基礎をおいていた。これからの情報型組織は「責任」に基礎をおく。
情報を中心に組織を構築するには、誰が、どのような情報を、いつ、どこで必要としているかを考えなければならない。
情報型組織が必要とするのは、現場監督者からトップにいたる「自己規律」と「責任」である。
情報型組織は、組織内の個人および部門が、自らの目標、優先順位、他との関係、コミュニケーションに責任を持つときにのみ有効に機能する。そうしてはじめて迅速な意思決定と対応が可能となる。情報型組織の利点は、組織内に「相互理解」と「共通の価値観」、なかんずく「相互信頼」があって現実のものとなる。
演奏者一人ひとりが楽譜をもつためには、共通の言葉、共通の核がなければならない。情報型組織の場合、資本が唯一の核であるような多角化は、バブルの塔のように崩壊する。

(コメント)
情報を活用するためには、その情報を誰がいつ必要としているのかを知っておくことが必要です。情報は時間の経過と伴に陳腐化しますから、モノづくりと違って完成したモノが予め出来上がっていれば良いというものではありません。そのために組織内おいて「相互理解」が必要となることは言うまでも無いことです。
そして、情報は取捨選択され伝達されていきますから、組織内において「価値観を共有」しておくことが必要です。
そしてその為には、各自が自らの目標、優先順位、他との関係、コミュニケーションに「責任」を持ち、「自己規律」を保ち職務遂行をすることが必要となります。
その結果、現代社会では、企業は自立した意識を持つ従業員を育て、価値観を共有し、相互理解に努めさせる工夫が必要となります。
本文末尾の事例として、私の顧問先に土木建築・証券・コンピューターソフト・ゴルフ場を営む企業グループがありました。昔しは、企業名はそれぞれ別々でしたが、金融面では繋がっていました。しかし、創業者が死去して数年経ち、経済環境が悪化すると、それぞれの企業の価値観に差異が生じ始めました。結論としては、各企業の金融的関連性を絶ち、それぞれが自立した連邦型企業グループ(緩い関係)として存続・発展を図る道を選択されることになりました。創業者によって統一されていた価値観が分裂した結果ではないかと推測しています。

2012年4月8日日曜日

PFドラッカー365の金言より 238

<< 本文 >>  「新しい現実」
情報型組織が成立する条件は、全員が情報に責任を持つことである。
成功の鍵は、自分の情報を必要としているのは誰か、それはどのような情報か、逆に自分は誰の情報を必要としているのかを全員が自問することである。

(コメント)
組織は、その構成員の一人ひとりが組織の追い求める目的・目標に貢献して初めて成果を上げることが出来ます。そして、その上で各自が役割を分担しています。そのため、自分の役割を遂行している過程で得た情報を誰が必要とし、またどんな情報を必要としているのかを知らなければなりません。これを知らなかったがために、情報を見落とし、または伝達し忘れて衰退・消滅していった組織は歴史をひも解けば枚挙にいとまがありません。そのため、組織で情報が活用されるためには、目標・目的を全員が共有し、それぞれの役割分担を相互に理解することが大切です。
現場(営業)は顧客の情報を知っている。技術・開発は技術的情報を知っている。社長は経営に関する情報を知っている。しかし、顧客の情報を活かすことができて初めて技術・開発の人も社長もその目的・目標を達成することができます。何故に顧客情報が技術・開発や社長に伝わらないのか悩んでいる組織は、「目的・目標の共有」と「役割分担の相互理解」についてできるだけ具体的に再考してみることが必要です。

2012年4月7日土曜日

PFドラッカー365の金言より 237

<< 本文 >>  「新しい現実」
情報型組織に必要な条件は何か?
オーケストラにおいて、一人の指揮者のもとで10人の音楽家が演奏できるのは、全員が楽譜をもっているからである。病院では、あらゆる専門家がルテを楽譜の代わりにして共通の任務についている。楽譜やカルテは、全員にとるべき行動を教える。換言するならば、情報型組織には、具体的な行動に翻訳できる明確で単純な共通の目標が必要である。情報型組織は、期待する成果を表現した目標を中心に組織しなければならない。更には、期待と成果についてのフィードバックを中心に組織しなければならない。

(コメント)
ホテル・リッツカールトンは全従業員が会社の行動規範を持ち歩いていて、顧客へのサービス提供はその行動規範を元に従業員自身が判断するそうです。
リッツカールトンやディズニーランドなどを事例として「企業理念」の大切さが叫ばれてから久しいものがあります。しかし、企業理念も難しい言葉が使ってあったり、抽象的な表現になっていたのでは使いようがありません。判り易いことが必要です。判り易くするためには、企業理念を行動規範にまで落とし込むことが必要です。その上で、毎日の朝礼で具体的事例を発表して、行動規範の解釈の仕方を繰り返し発表して、解釈方法を統一化し、行動規範を頭で理解するのではなくお腹(胆)で理解する事が必要です。
PFドラッカー先生はここで「目標」という表現をされていますが、私は「行動規範」のことを言われたいのではないかと考えます。
頭で理解する・・・解る
心で理解する・・・善悪の判断がつく
お腹(胆)で理解する・・・体に染み込むくらいに理解しており、無意識のうちに行動として現れる

2012年4月6日金曜日

広島の平和公園の桜

小雨の中を急いで撮ったのでピンボケですが、広島の平和公園の桜が咲き始めました。芝生の上には場所取りの洋上シートが敷いてありました。

PFドラッカー365の金言より 236

<< 本文 >> 「すでに起こった未来」
短期と長期の両立こそ、マネジメントにとって決定的な試金石がある。イノベーションと生産性が道しるべである。イノベーションと生産性を犠牲にした利益は、利益ではない。資本を食潰しているに過ぎない。逆にイノベーションに成功して生産性を向上させるならば、必ず利益を上げることができる。今日だけでなく、明日も利益をあげることができる。
知識は仕事に適用されて富の源泉となる。仕事に適用されない知識を有していても、単なる情報通(モノ知り)に過ぎない。そこに企業の機能がある。

(コメント)
私は事業活性化のお手伝いをするときに必ず「1人1時間当たりの生産性」を指数として毎月チェックするようにお勧めしています。業績不振に陥っている企業ですから、従来通りのことを継続するだけでは決して事業活性化を実現することができません。しかし、何を行えば事業活性化を果たすことができるのかは中々判断し難いものです。そこで、最初に十分なコーチングを行ったうえで何か新しいことを始めてもらいます。最初の間は「1人1時間当たりの生産性」は無視して、生産性(利益額)の変化だけを注視しています。売上高は生産性を示す指標ではありません。そして、新しいことの中からより効果の高いものを取捨選択して、それに集中するようにして貰います。こうして危機的状況が乗り切れ体力的に少し余力ができる兆しが見えたら、直ちに将来に向かっての投資をおこなって頂きます。そして、この一連の事業活性化の過程の中で、特に重視するのが人材の育成です。「将来に向かっての投資」というと、何かの設備投資を連想する人も多いと思いますが、私は人材を人財に育てる投資こそが本当の意味で将来に向かっての投資であると考えています。
いにしえの言葉に「一人の人によって国は興り、一人の人によって国は亡びる」とあります。
また、どんなに優秀な設備や機械、あるいは豊富な資金があったとしても、それを使いこなせる人財がいなければ、企業は存続・維持・発展のために必要な利益を確保することは難しくなってしまいます。
しかしながら、人財の育成には時間がかかります。「人材」は雇うことができますが、「人財」を雇うことは難しく育てるものだと言います。従って、人財への投資が本当の意味で「将来に向かっての投資」であると考えています。
長期と短期のバランスをとることがマネジメントの宿命です。目先の利益最大化だけを目指していては明日は保証されません。しかし、いまの利益が確保されなければ明日の準備はできません。人のもつ知識と経験を活かして今日の利益を実現し、そのことを通じて知識と経験の幅またはレベルを高めることで明日への準備をしていく仕組み創りが組織には必要です。

2012年4月5日木曜日

PFドラッカー365の金言より 235

<< 本文 >>  「ポスト資本主義社会」
知識の生産性をあげるには、色々な専門知識を「結合(統合)」することを学ばなければならない。
学んだり教えたりする上では、道具に焦点を合わさなければならない。しかし、仕事をする上では、成果、課題、仕事に焦点を合わさなければならない。
結合(統合)するには、問題解決の方法論よりも問題定義の方法論が必要である。知識や情報の分析とともに、問題への取り組みにかかわる方法論が必要である。
従って、意思決定にあたっては、方法論よりも問題の定義に時間を割くべきである。

(コメント)
インターネットが普及したので、情報を得ることは容易になりました。しかし、自らの問題・課題を解決するためには、手に入れた色々な情報・専門知識を結合(統合)して解決を図る必要があります。そして更に、自らの本当の問題・課題が何であるかを間違えていると、どんなに良い解決方法を考え出しても、本当の問題・課題が解決されることはありません。従って、方法論を説く前に、本当の問題点(真因)を解明することが大切です。
社会保険労務士としての業を行いながら、各企業さんから色々な問題・課題のご相談を承っていますが、問題・課題を捉え間違えていらっしゃる場面によく出くわします。これでは、どんなに一生懸命に頑張っても、本当の問題・課題が解決されることは無いのです。そして、一番多いのは、真因を解明して方法論を説明すると、「知っとる、知っとる」と言われる人です。いざ、このような人に実行してもらうと出来ないことが多いのです。何故なら、私が提案する解決策は色々な専門知識を結合(統合)したものですから、断片的な専門知識を知っていても活用できないのです。
私は何かご相談を頂いたときに、ロジック・ツリーを描くようにしています。ロジック・ツリーを用いることで、漏れやダブリを防ぎ、それぞれの情報・知識・方法を結合(統合)するのです。ロジックツリーを描くことは一見、手間のかかる作業ですが、結果的にはこの方法を最初にやる方が有効かつ効率的に問題・課題の解決を図ることができるのです。そして、その際には必ず「本当の原因(真因)」は何なのか?を考えるようにしています。

2012年4月4日水曜日

PFドラッカー365の金言より 234

<< 本文 >>  「明日を支配するもの」「知識労働者の生産性」
今日、知識はいかなる分野においても急速に変化している。そのため、知識労働者は自らの仕事に継続学習を組み込んでおかない限り、急速に時代遅れとなっていく。
しかも知識の専門家たる者は、同僚が何をしているかを知らなければならない。それぞれが別の専門領域にあり、連携して一つの成果を成し遂げるからである。従って、知識労働者は自らの専門領域について同僚に知らせる責任を持つ。特に専門領域において知識上の変化があったときに、このことが言える。
ということは、知識労働者たる者は、
第一に、自らの専門領域において知識の最先端にある為には自らが何を学ばなければならないか、
第二に、自らの専門領域とその貢献について同僚は何を知らなければならないか
について本腰を入れて考え、答えを出さなければならないことを意味する。

(コメント)
継続学習を続けなければ、知識が直ぐに陳腐化する時代であることは明らかであると思います。余り変化しないものと考えられていた法律でさえ、ここ数年で様変わりし始めています。社会保険労務士として業をなしていると、企業の総務担当者が一昔前の法律しか知らない場面をよく体験します。
また、パソコンを初め通信機器に関しての変化は目まぐるしいものがあります。
そして更に、先生がここで言われたいことは、「仕事は自分一人でできるものではなく、他に協力者がいて初めて成果があがるものだから、自らが継続学習を続けることは当然のこととして、更に協力者にもその変更点・改正点だけは連絡をしておく必要がある。その為には協力者が有効な協力者であるためには何を知っておく必要があるかを知らなければならない」ということだと思います。
例えば、私は社会保険労務士として業をなしています。社外から社内の人事・労務に関する仕事をサポートしている訳ですが、企業内部の情報が私に正しく伝わってこないと仕事ができません。その為、企業内部に私への連絡窓口を設けることを依頼しています。そして、私はその窓口になった人に私に伝えるべき情報は何であるかを予め伝えています。こうして業務を開始すると、後は業務処理を繰り返しながら、その窓口になった人に段階的に必要最低限の法律知識を教育していきます。
いま、ある企業の給与体系と評価制度の洗い直しを行っていますが、この場合にも、総務の2名(部長と課長)に対して約半年間に渡り基礎知識を教育します。こうして私に正しい情報が伝わる状態を創り上げたうえで、技術的な変更手続きを開始します。不思議なもので、このやり方を取ると、現在の2名もそうですが、副産物として経営者意識が芽生えてくるのです。私のスタンスは、「先生が来て教えてくれて新しいものを創ってくれる」(結論だけを求めるときにはこの方が早いのですが)というものではなく、「共に悩み、共に学習・研究し、共に創り上げていく」というスタンスです。こうすると時間はかかりますが、給与体系だけでなく組織の中で色々な新しい動きが起こり始めます。

2012年4月3日火曜日

PFドラッカー365の金言より 233

<< 本文 >> 「企業とは何か」
人間社会に関わる事柄について重要なことは、「正しい」か、「間違い」かではない。「うまくいく」か、「うまくいかない」かである。常々言っていることだが、マネジメントは神学ではない。実学である。マネジメントの値打ちは、医学と同じように、うまくいくか、いかないかによって判断しなければならない。もちろん私は、基本的な価値、特に人間の価値を信ずる。しかし、唯一無二の答えというものは信じない。いかなる答えにも誤りがある恐れがある。少なくとも、あらゆる答えを試してみるまでは、その恐れがある。経営政策というものは、人が考えたものである以上、唯一絶対たり得ず、せいぜいの処、正しい問いを見つけるための問題提起に過ぎない。

(コメント)
この指摘は非常に重要だと考えます。得てして、考え抜いて得た結論を実行しようとするときに絶対に正しいと思い込んでしまう傾向があります。ある反面では、そう思えなければ成功するものさえ失敗してしまうことがあります。しかし、ここで大切なことは「絶対に正しい」と独善的にならないことが必要です。
まず何かをやり始めようとするときには、その「ことの善悪」を考えることが必要です。そして次に、それを実現する方法を考えるときには、何が正しいか、何は間違えかではなく、どうすれば上手くいくかと考える必要があります。最初にその目的を考えるときには「善悪の判断」は必要ですが、達成する方法を検討するときには「善悪」の判断ではなく、「どうすれば上手くいくか」の判断が必要です。同じ目的を達成するにしても、協力してくれる人達が異なり、顧客が異なり、地域も異なり、経営資源の貧富も異なる訳ですから、いかなる状況下でも絶対的に正しい方法というのはあり得ないのです。しかし、人間の性としてのリーダーの「思い込み」により、得てして絶対に正しいと考えてしまい、上手くいく方法を排除してしまう傾向があるので注意を要します。
これを防ぐには、「聞く」「聴く」「訊く」ことが必要であると考えます。

2012年4月2日月曜日

PFドラッカー365の金言より 232

<< 本文 >>  「明日を支配するもの」
高度の知識を必要とする知識労働において、既に我々は仕事の質を測定している。心臓手術など難度の高い手術については、成功率によって外科医の腕前を測定している。
だが、問題は測定にあるのではない。そもそも仕事が何であり、何でなければならないのかを明確に定義できないことにある。
その良い例がアメリカの初等教育である。都市部の公立学校がひどい状況にある。その公立学校のすぐ隣に、同じような子供を相手にしながら立派に躾けをし、学ばせている私立学校がある。違いの原因については様々なことが言われている。だが、最大の原因は仕事の定義が異なることにある。
公立学校では、恵まれない子供を助けることを仕事としているのに対し、私立学校とくにカトリックのミッション・スクールでは、学びたい子供が学べるようにすることを仕事としている。前者が失敗を基準としているのに対し、後者は成功を基準としている。

(コメント)
この先生の文は難解です。しかし、言われたいことは理解できます。「何のために」と問うことが大切であり、目的を明確にしたうえで行っていることの進捗状況を測定しないとトンデモナイ方向に行ってしまうこと、進捗状況や成果を評価する尺度や基準は目的に沿ったものを選択しなければならないということではないかと思います。
教育という同じ行為を行う学校でさえ、アメリカでは公立学校と私立学校とでは目的が違うから自ずからその成果にも差が生じてしまうと言われたいのではないかと考えます。そして、企業においても同様のことが言えると先生は言われたいのではないかと思います。同業種の企業でも、その目的(=企業理念)が違うから、これからやるべきこと、選択すべき道に違いが生じ、成果に対する評価にも差がでることを指摘されたいのではないかと考えます。
私の顧問先に2つのゴルフ場があります。一つは一般企業ですが、残りの一つは社団法人です。社団法人と一般企業とでは目的が違いますから、同じゴルフ場でも業績を評価する際には評価時に使う指標に差があります。そして、選択すべきこれからの道にも差が生じます。

2012年4月1日日曜日

PFドラッカー365の金言より 231

<<  本文>>  「明日を支配するもの」「知識労働者の生産性」
仕事の定義が、もたらすべき成果を明らかにする。しかし、何を成果とすべきかの答えは複数ありうる。デパートの場合、買い物一回当たりの売上げかもしれないし、リピート率も正しい。
知識労働者の生産性向上には、あげるべき成果を明らかにすることが必要である。見方は分かれて当然である。リスクもともなう。しかも、知識労働者自身の目的と組織の目的が一致しなければならない。
買い物一回あたりの売上げとリピート率のいずれを成果とするかは、それぞれのデパートのマネジメントが決定することである。知識組織においては、この種の決定が変わることのない重要な問題となる。

(コメント)
「何のための仕事なのか?」「この仕事をすることで会社はどんな目的を達成しようとしているのか?」を考え、もたらすべき成果・結果(=目的)を明らかにすることが非常に大切な時代となっています。そうしなければ、やらなくても良い仕事、つくらなくても良い資料など無駄なことをやってしまうからです。
その上で、仕事を遂行する途中で達成度合いを測定するために「目標となる指標」と「期間」を定めなければなりません。これがなければ、やっていることが目的に沿った成果をあげつつあるのか、それとも目的とは違うことをやっているのかさえも判断できません。目標となる指標がなければ、時間だけが無駄に経過し、成果があがるか否かは全てが終わらなければ分からないという博打的な状況になってしまいます。
肉体的労働であれば成果は目で見ることができますが、知識的労働は成果を目で見ることは難しい場合が多い(特に途中経過)ので、先生が言われるように「目的を明確にして」「期間を定め」「達成度合いを測定する指標(目標)」を事前に決めておくことが必要です。何故なら、現代社会は、また特に知識労働は一人でやるものではなく、他の人に利用されて初めて成果となるものですから、他の人にもわかる状態にしなければならないからです。
最近の実話として、ある会社の営業開発部の部長を評価する必要がありました。既に過去3年間にわたり大きな目標を立ててチャレンジすると発表していましたが、いつまで経っても成果があがりません。そこで会社としては、そのプロセスを明らかにするように求めましたが本人は話しを濁して明らかにしようとしません。その為、やむなく実績数字で評価することにしました。その結果、ハッキリと判ったことは、その部長の部門は過去3年間の自部門の人件費さえ稼ぎ出しておらず、平均的営業社員の半分程度の利益しかあげていないことが分かりました。そこで、会社としては部長に今後の明確な計画を明らかにするように要求しましたが、部長は「頑張ります」「是非、続けさせてくださいる」「お願いします」というだけで一向に計画さえもあきらかにしようとしません。その結果、会社としてはその部長を降格せざるを得ないと言う結論に達しました。
この部長はモバイル通信分野、デジタルサイネージ、LEDなど時代の最先端の市場に進出すことを目論んでいたのです。これらの市場は拡大していますから、やり方によっては大きな成果を達成することができます。しかし、その分、競争も激しい市場ですから、中途半端なやり方では敗退してしまうのです。そこで会社としては、成果が上がらない現状を踏まえて、この部長を手助けしようとしたのですが、部長が計画も過去のプロセスも秘密にしてしまうので、会社としてはこのような部長では手助けすることができないと判断した次第です。

2012年3月31日土曜日

PFドラッカー365の金言より 230

<< 本文 >> 「明日を支配するもの」「知識労働者の生産性」
肉体労働者は、なすべき仕事が決まっている。
これに対し知識労働者は、「何を行うべきか」が第一の、しかも決定的な問題になる。
知識労働者の生産性を向上させるためには、知識労働者自身に対して、行うべき仕事は何か、何でなければならないか、何を期待して良いか、何が邪魔であり無くすべきか、を問わなければならない。知識労働者では、いかに行うかは、何を行うかの後に来る問題である。

(コメント)
だから、昨今は「目的を明確にすること」が大切であると言われるのです。目的を明確にした後に、いかにしてその目的を達成するか(手段・方法)を考えるべきなのです。今では機械にさせることが出来る作業を人間が行っていた時代は大半の人が肉体労働者(=作業員)でした。しかし、現在ではコンピューターが発達した結果、工場ではロボットが作業を行い、事務所ではPCが作業を代行してくれる時代です。ただし、ロボットにしてもPCにしても、その使い方を間違えると、目的としたゴールにはたどり着けません。従って、最初に目的を明確にして、次にその目的を達成するためにロボットやPCを如何に使いこなすかを考えることが必要です。
このため、私は「仕事」と「作業」とは別なものであり、目的を明確にして如何にして実行するかを考える所までが仕事であり、それ以降は作業ではないかと考えています。
目的を明確にして、期間と担当者を決めて、目標を定めること、そして出来る限り具体的な方法を計画にすること(後々に変更が必要することが必要となるので事前に計画をつくる)が必要な時代となったと私は思います。

2012年3月30日金曜日

PFドラッカー365の金言より 229

<< 本文 >>  「明日を支配するもの」
知識労働者の生産性向上の条件は、大きなものだけで6つある。
①なされるべきことを考えることである。
②働く者自身に生産性向上の責任をもたせることである。即ち、自らをマネジメントさせることである。自律性を持たせることである。
③継続してイノベーションを行わせることである。
④継続して学ばせ、かつ継続して人に教えさせることである。
⑤知識労働者の生産性は、量よりも質の問題であることを認識させることである。
⑥知識労働者をコストではなく資本財として扱うことである。何にもまして知識労働者自身が、組織のために働くことを欲しなければならない。

(コメント)
①目的を明確にさせ惰性・慣習に流されないようにすること
②1時間当たりの生産性を比較すること。もし生産性を計る尺度がなければ、代用数値を決めること。
③カイゼン活動、QC活動をさせること
④自己啓発を継続させ、かつそれを他人に教えされることで理解を深めさせること・・・人は他人に教えることを通じて自らの理解を深めることができる。
⑤量に惑わされないようにすること。
⑥会社組織への帰属意識を強めること

2012年3月29日木曜日

PFドラッカー365の金言より 228

<< 本文 >> 「明日を支配するもの」
知識労働にも肉体労働の部分がある。
自動車工場のベルトコンベアー上の作業をする肉体労働者の生産性を向上させたアメリカ人(テイラー)による生産性向上の方法は、極めて簡単だった。仕事を動作に分解して、それらの動作に要する時間を測定する。その上で、無駄な動作を捨てる。残った動作を、肉体的心理的に負担をかけずに短い時間で行えるようにする。それらの一新された動作を組み立て直す。仕上げとして、それらの動作に必要な道具をつくる。
このテーラーの方法は、今後とも肉体的労働が成長分野であり続ける国において、大きな役割を果たし続ける。だが、先進国にとって、中心の課題はもはや肉体労働の生産性向上ではない。知識労働の生産性向上である。
しかし、知識労働にも肉体労働の部分がある。それらの生産性向上にはテイラーの発展型としてのインダストリアル・エンシニアリング(IE)が必要とされる。
知識労働者も、自分の仕事を知識集約的な部分とそうでない部分に分け、後者の部分にはIEの手法を適用していくことが必要である。

(コメント)
私は、毎日行っている職務には、「仕事」としての部分と「作業」としての部分があると考えています。仕事とは人間にしかできない「考える」「決める」「コミュニケーション」等が必要なことを言います。そうでない部分を作業と呼びます。作業は出来る限り機械化(例えばパソコン処理、ロボット化)をして、人間にしかできない「仕事」の部分を行う時間を創り出す工夫をしましょう、とお勧めしています。
しかし、残念ながら前記「仕事をしている間」は、側目に観ると仕事をしていないように見えてしまいます。反対に「作業」をしていると仕事をしているかのように観えます。その結果、作業をすることで仕事をしているようなフリをする輩が続出することになってしまいます。悩み解決しなければならない問題・課題は放置して、作業に逃げ込み、問題や課題を解決するタイミングを先延ばしにしてしまうのです。
これを防ぐには、問題に対する意識を鮮明にして、解決すべき問題・課題に優先順位をつけ、時間配分を明確にしたうえで集中(期限を設定)して問題・課題の解決を図るようにし、作業は空いた時間に行う習慣づくりを心がけるしかないのではないかと思います。

2012年3月28日水曜日

PFドラッカー365の金言より 227

<< 本文 >>  「未来への決断」
人はコストではなく資源である。
働く人達こそ同僚であり、主たる資源であるとの私の考えに、最初に敏感に反応してくれたのが日本企業だった。真の生産性は、働く人達にそのような敬意をもつときにもたらされる。
人はコストではなく資源である。共有する目的に向けて共に働くとき、大きな成果が得られる。マネジメントとは地位や身分ではない。かけひきでもない。仕事、生活、人生にかかわることである。
成長するものとして人を見ることが大切である。そして、共に学ぶことが大切である。学んだことを使えるようにすることが必要である。

(コメント)
全く同感です。
経営相談に応じるとき財務分析をしてアドバイスをしますが、このときに「人件費比率」という言葉をよく使います。この時、私はいつもこの言葉に後ろめたさを感じています。人件費とは人はコストという考えを元にしたものだからです。
私は基本的に「人は成長・変化するものである。だから教育訓練をして能力を高めることが必要である。給与・賞与は、成果を分かち合う手段であると同時に、そのための投資の一部である」と考えているからです。その意味では給与や賞与の一部は投資であると言えます。投資ですから、人選、方向性、方法、時機を間違えて教育訓練投資するとリターンは少なくなります。教育訓練と言えどもON-JTがベースとなります。OFF-JTはON-JTでは補えない部分を補う方法に過ぎませんから、ON-JTを行う習慣がない企業が従業員にOFF-JTを受けさせても効果はあがりません。仕事をしながら教育訓練をして、そのときに「人としてのモノゴトの考え方(人生や生活)」も自然と教育していくことが大切です。人生や生活について教えることなく仕事のこと(技術的なノウハウ)だけを教えていると、人間として偏った人間になってしまいます。ときには論語のような古書をひも解いてみることも必要になります。人生や生活を押し付けるのではなく、自らで悟らせていくことが大切なのです。最近の企業動向を見ていますと、景気が低迷する中で競争が激化している結果、これをするユトリと心構えがなく、人を使い捨てのように使い捨ててしまっている企業(人をコストとしてだけ見做している)をよく目にしますが、これでは早晩企業は行き詰ってしまいます。銀行など金融資本と民間経営者の一番の違いはここにあるような気がします。

2012年3月27日火曜日

PFドラッカー365の金言より 226

<< 本文 >>  「ネクスト・ソサイエティ」
今日、人材マネジメントが大きく変わりつつある。雇用業務代行会社(PEO)が急成長しつつある。主たる原因は雇用関係規制と記帳報告義務の増大であり、それを処理するための専門能力へのニーズの増大である。雇用業務代行会社は主として中堅企業と中小企業を顧客にしている。この代行務を利用することによって、規制への対応と記帳業務から解放され、その分、本業に力を入れることができるようになっている。コンサルタント会社の調査によれば、これら雇用業務や人事業務のアウトソーシングは、30%のコスト削減と大幅な従業員満足をもたらしているという。

(コメント)
先生がここで言われる雇用業務代行会社(PEO)は、日本では社会保険労務士が公式の資格とされています。ただし、社会保険労務士にも、会社の人事労務を専門とする人、年金を専門とする人ほか色々な専門分野に分かれています。
手前味噌となりますが、私は会社の人事労務を専門とする社会保険労務士です。諸届事務代行、給与計算代行、労働紛争解決、社員教育、給与・退職金制度の提案、組織図の提案、戦略立案のためのコーチング他、会社が円滑に運営できるように、また本業に専念して頂けるように、人事・労務管理を受託しています。会社は私に社内情報を提供する社内担当者を指名するだけです。
ここ数年を振り返ってみますと、経済環境が厳しい中で法律が頻繁に改正された結果、大手企業でも人事労務管理が法律と現場現状に対応しきれていない会社が沢山あります。このような会社とは、事務代行契約は締結せずに、社内の総務部(人事部)に対するアドバイザー契約(セカンドオピニオン契約)を締結して労務監査を中心業務にしています(詳しくはH.P http://msr530706.jimdo.com をご覧ください)。
この仕事をしていて、一番大切なことは「双方の信頼関係」であることを痛感します。人事・労務に関する情報(個人情報)と企業機密の一部を私に提供する訳ですから、信頼関係が構築されいなければ法に抵触してしまう場合があり得ます。そのため、私から積極的な宣伝広告をすることはなく、社長から社長へのご紹介でお取引先が増えて行っている状態です。尚、個人情報取扱いに関しては万全を期していますが、全国社会保険労務士会から個人情報保護認定事業所(SRP)の認定も取得しています。

2012年3月26日月曜日

PFドラッカー365の金言より 225

<< 本文 >>  「ネクスト・ソサイェティ」
現代の労働者の仕事は専門的である。余りに専門的であるが故に、ほとんどの組織において細分化されざるを得ない。従って、現代の労働者(知識労働者)を基盤とする組織にとっては、それら細分化された専門知識をいかにマネジメントするかが大きな課題となる。

(コメント)
先生はこの本文の後に、アウトソーシングできる業務はアウトソーシングして出来うる限り本業に専念するよう心がけた上で、全体をマネジメントすることの大切さを説かれています。
しかし、私はこの本文を用いて、マネジメントの重要性が高まっていることを理解して頂きたいと思います。専門的になった個々の労働者又は職務のいずれか一つがどんなに優れていても、それが本業に直結するものでなければ、それが組織全体に対しておこなう貢献は僅かなものとなってしまいましす。
どんなに上手いバイオリン奏者がいても、全体をうまくコーディネイトできる指揮者がいなければ、その楽団は良い演奏を行うことは無理となります。指揮者が重要なのです。そして、楽器を運送する運転手、舞台装置係や照明係は外注すれば良いのです。
しかし、残念ながら、指揮者は直接的な成果(音を奏でる)を上げませんから、日本の中小・中堅企業では従来から軽んじられてきました。
チームとグループは違います。チームとは「共通の目的と目標をもち、力を合わせてそのゴールを目指している集団」のことを言います。一方、グループとは「人間の集団」であり必ずしも共通の目的・目標をもっているものではなく、烏合の衆である場合もあります。グループをチームに変えるためにはマネジメントが必要不可欠なものとなります。
色々な会社のご相談を承っていて、営業部長の延長戦上で仕事をしている社長、一般社員と同じように自分一人で実績を上げようとしている部長が多いことは気にかかることです。

2012年3月25日日曜日

PFドラッカー365の金言より 224

<< 本文 >>   「新しい現実」「明日を支配するもの」「ネクスト・ソサイエティ」
雇用の担い手としての製造業の地位の低下は、間違いなく新たな保護主義をもたらす。最初の反応は、寒風から自らの庭を守るための障壁の構築である。しかし、いかなる障壁といえども、国際水準に達していないものを守ることはできない。さらに脆弱にするだけである。
成果をあげうるうえでの最大の障害は、われわれの視野を狭める昨日の問題である。

(コメント)
過去のものとなった既得権を守ろうとすると、視野が狭くなり、成果をあげられなくなってしまう。自国の産業を国際競争から守るために保護すると、自国のその産業はぬるま湯に浸かってしまい、寧ろ脆弱化してしまうことは過去の歴史が証明しています。
いまの日本経済は正にこの状態に陥る危険性を孕んでいるのではないでしょうか? パナソニックほかの家電業界が韓国と中国の家電メーカーに敗れ、電子部品のエルピーダは韓国のメーカーに敗れてしまっています。一方では、労働者保護を表題として労働市場に対する法的規制は厳しくなるばかりです。このまま労働者偏重の法規制を行っていると、日本のメーカーは他国と比較して労働条件が厳しい日本国内から海外に移転し始めます(既に移転し始めています)。
アメリカのGEは一端は倒産しましたが、それまでボトルネックとなっていた労働者の医療保険と退職金に関する足枷を無くすることで見違えるような返り咲きを果たしました。日本のJALにしても、稲盛翁が既得権を主張する労働者に対して「あなた方の会社は既に倒産したんですヨ!!」と訴えかけて意識変革を迫ることで急激な業績改善を果たしました。
過去の約束や既得権を主張しても、それを維持する体力が会社になければ、会社は倒産し、主張していた労働者は自ら職を失ってしまいます。もし、それを地域労組のような部外者が会社外部から主張するとすれば本末転倒です。地域労組は会社が倒産しても自らに痛みはありません。
自国資源の乏しい西洋(ヨーロッパ)諸国は、「ISO基準」「個人情報保護」など資源も資金も必要ないことを世界に普及させることで自国経済を守りました。
現実(事実)を直視し、自らの体力と力量(競争力)を考え、法律に偏重した考えで権利を主張するのではなく、「人としての道(徳治)」と「法治」のバランスをとりながら現状を打開する対策を会社と従業員とが共考・共業することが必要な時代となっているようです。

2012年3月24日土曜日

PFドラッカー365の金言より 223

<< 本文 >>  「マネジメント・フロンティア」「新しい現実」
最も堅実なはずの行為が、結果として最も投機的な行為となりうる。
リスクを無くすることはできないが。しかし、リスクを最小限にすることはできる。

(コメント)
日々刻々と変化を続ける現代社会においては、従来通りのことを続けることが必ずしも堅実な行為とは言えなくなっています。変化しつつある「現実を直視」して、変化に対応することでリスクを最小限とする努力が必要となります。このときに邪魔をするのが「過去の慣習」「マンネリ化」「思い込み」「事実からの逃避」などだと思います。
起こりつつある事実から逃げるのではなく、また過去の類似した事例に当てはめて解決しようとするのではなく、事実を事実として受け入れ、その中から最適であろう解決策を見つけ出していくことが、寧ろリスクを少なくする最善の方法となる場合が多いようです。

2012年3月23日金曜日

PFドラッカー365の金言より 222

<< 本文 >>  「ポスト資本主義社会」「未来への決断」
専門化した知識は、それ単独では何も生み出さない。仕事に使われて、はじめて生産的な存在となる。ここにこそ、知識社会が組織社会になる原因がある。組織の機能は、共有する目的のもとに、専門化した知識を統合することにある。

(コメント)
私は社会保険労務士として労務管理の専門知識と実践を踏まえた智慧を有しています。しかし、会社と契約して貰えなければ、その知識と智慧は発揮することができません。弁護士でも、税理士、司法書士でも同じです。
また、組織(会社)は自らが必要とする知識を得ようとして、社外の士業と契約をします。社会保険労務士でも年金を専門とする者が会社と契約を結ぶことは稀だと思います。組織(会社)にとっては、その知識の必要性が低いからです。
組織(会社)内の従業員に関しても、これと類似した側面を持つようになっています。インターネットが普及したおかげで、情報は手に入れやすくなりました。しかし、手に入れた情報を上手く使うためには、それを使う知識と智慧をもつ者が必要となります。社内にそのような人財がいれば、その人財を活用すれば良いし、いなければ社外の専門家と契約をする必要があります。
現代社会では、仕事や作業のそれぞれが細分化し専門化しましたから、組織(会社)としてはその知識と智慧を有する人々をコーディネイト(プロジェクト・チーム化)して会社の課題や問題を解決することが必要な時代となったのだと私は考えています。

2012年3月22日木曜日

PFドラッカー365の金言より 221

<< 本文 >>  「明日を支配するもの」「ネクスト・ソサエティ」
経営戦略の基本が変わった。いかなる組織といえども、リーダー的な組織が設定する事実上の基準に達しない限り、成功はもちろん、生き残ることさえおぼつかなくなった。いかに事業と市場がローカルであろうとも、情報伝達の容易さと迅速さゆえに、あらゆる組織がグローバルな競争力を必要とするようになった。
そのため、同業他社のホームページを見ること、e-コマースに力を入れることが必要である。

(コメント)
昔の人は、自分の五感を使って、製品・商品の品質を見抜いていました。現代の人は、ブランドや企業イメージから品質を想像します。そのためブランドが非常に重要になっています。
インターネットが普及しましたから、ブランドが保証する品質の基準は簡単に調べることができます。一般消費者もインターネットを使って、どの商品・製品をどこで買うかを決めている時代です。インターネットを使えば、他社の製品・商品と比較することは簡単なことなのです。昔は、これができませんでした。
そのため、消費者はトップ企業が示す品質基準を参考にして、自分が購入したい製品・商品の品質基準をイメージしていきます。従って、トップ企業の基準をインターネットを利用して読み取ることが大切な時代となりました。

2012年3月21日水曜日

PFドラッカー365の金言より 220

<< 本文 >>  「未来への決断」
急速にネットワーク社会に向かいつつある。
そのため働く者の一人ひとりが、自らの配置に責任をもたなければならなくなる。このことは、「自らの強み」を把握し、「自らをマーケティング」しなければならなくなったことを意味する。

(コメント)
ご存じのように、現代はネットワーク社会となりつつあるのではなく、現代はネットワーク社会になっています。ですから、先生がご指摘されているように「自らの強み」を把握することが重要な時代となっています。そして、その強みを発揮できるように、その強みを必要としている人々を探すこと(マーケティング)が必要となっています。
世の中が細分化され専門化したため、人間一人が出来ることに限りがある時代となりました。そのために「連携」が必要であり、ネットワークを構築し活用することが不可欠な時代となっています。
情報がフンダンに手に入るようになり、人々が専門化した結果、自らの仕事を遂行するために必要となる情報と人がどこにいるのかを予め知っておくことが必要な時代です。変化のスピードが早い時代ですから、必要が生じてから探していたのでは間に合わなくなります。また全てのことを自らが予め習得しておくことは不可能な時代です。そのため、普段からネットワークを構築しておくことが大切です。

2012年3月20日火曜日

PFドラッカー365の金言より 219

<< 本文 >> 「明日を支配するもの」「ネクスト・ソサエティ」
先進国がリーダーシップを取り続けていくうえで鍵となるものは、知識のプロとしての知識労働者の社会的地位であり、社会的認知である。
知識労働者のマネジメントはマーケティグ的な仕事である。
マーケティングの基本はこちらが何を望むかではない。相手が何を望むか、相手にとっての価値は何か、目標は何か、成果は何かである。
知識労働者の動機付けはボランティアの動機付けと同じである。ボランティアは報酬を手にしない。それ故に仕事そのものから満足を得ければならない。何にもまして「挑戦の機会」をもたなければならない。
有能な社員には挑戦的な仕事を与えることが必要である。

(本文)
現代は、昔とは違い工場労働者(ブルーカラー)が少なくなり、事務系労働者(ホワイトカラー)が増えています。そのため、ブルーカラーを前提とした労務管理・人事管理が通用しなくなっています。ホワイトカラーは無意識のうちに自らを知識労働者と認識しています。時間から時間までを製造機械に向かい合って「モノ造り」をして生活の糧を得ていたブルーカラーとは異なり、ホワイトカラーは「モノ創り」をして自己満足・自己充足・自己実現を求めています。
ただし、ホワイトカラーの中にも「指示された作業をするだけの人」と「自らが考え人間としての仕事(創造)をする人」とがいることに注意することが必要です。
生活の糧を得る為にだけ働いている人であれば報酬のことを考えればことは足りますが、自己満足・自己充足・自己実現を求める人には報酬以外のことを考慮することが必要となります。その為には彼らに対してマーケティング的な発想(その人が求めているモノ・コトは何かを探り出すこと)から労務管理・人事政策を行っていくことが必要となります。そして、自己満足・自己充足・自己実現を求める人には「挑戦的な仕事」を与えることが必要になります。
ただし、本当に自己満足・自己充足・自己実現を求める人は、他人や上司から言われなくても、自らの仕事を挑戦的なものに自発的に変えていく傾向があります。それに対して、本当はそうでない人達は仕事をマンネリ化させ惰性・慣習として仕事を継続しようとする傾向がある点には留意すべきです。

2012年3月19日月曜日

PFドラッカー365の金言より 218

<< 本文 >>  「マネジメント・・・課題、責任、実践」
プロにとって最大の責任は、2500年前のギリシャの名医、ヒポクラテスの誓いの中にハッキリ示されている。「知りながら害をなすな」である。
医師、弁護士、ビジネスマンのいずれであろうと、顧客に対して必ず良い結果をもたらすとの保証を与えることはできない。最善を尽くすことしかできない。しかしながら、知りながら害をなすことはしないとの保証は与えなければならない。顧客となる者が、プロたる者は知りながら害をなすことはないと信じられなければならない。これを信じられなければ、何も信じられない。
従って、「知りながら害をなすな」との言葉こそ、プロとしての倫理の基本である。

(コメント)
契約には請負契約、委任契約ほかの契約があります。請負契約は成果に対して責任をもつものであり、委任契約はプロセスに対して責任をもつものです。PFドラッカー先生は委任契約を前提に語られているようです。そして、実務では環境を含めた状況が刻々と変化していきますから、成果に対して責任をもてれば良いのですがそれを保証することは難しいものがあります。そのため、せめてプロセスに対して責任を負うことが必要です。そして、そのときに最低限必要となるのが上記の「プロとして知りながら害をなすな」という考え方です。
これは私のような士業に限らず、サラリーマンの人達にも要求される事柄です。宮仕えと言われるサラリーマンといえども給与というお金をもらっている限りは「プロ」なのですから甘えは許されません。

2012年3月18日日曜日

PFドラッカー365の金言より 217

<< 本文 >>  「すでに起こった未来」
西洋の基本公理では、倫理すなわち個々人の道徳は、王子にも乞食にも、富者にも貧者にも、強者にも弱者にも同じように適用されるとする。キリスト教の伝統においては、倫理とは平等性の確認である。神、自然、社会のいずれを創造主としようが関係ない。適用すべき倫理は一つ、道徳は一つ、行動基準は一つである。
しかるに企業倫理は、この基本公理を否定する。従って、企業倫理なるものは、西洋の哲学と神学にいう倫理ではない。今日の企業倫理は、いかなる理由からか、倫理にかかわる一般のルールは企業に適用されないとする。それでは企業倫理とは何か?
西洋哲学の歴史家であれば、企業倫理とは決疑論だと答える。決疑論は、支配者たる者は、個人として求められる倫理と国家に対する責任とのバランスを図らなければならないとする。
   決疑論=倫理と義務の選択において義務を上位に置く理論
つまり普通の人に適用されるルールは、社会的な責任をもつ者には適用されないということである。彼らにとって、倫理とは、個としての良心と、地位による責務との考量によって定まるべきものである。即ち、支配者は支配される者の利益を優先すべきであるが故に、一般の倫理を免除されるとする。

(コメント)
非常に難しい先生からの問いかけです。
しかし、先生は日本の慶応義塾大学で学ぶことで福沢諭吉翁の思想、渋沢栄一翁の思想を始め、中国「論語」の影響を大変に受けている大の日本ファンであったと聞き及びます。一昔前の日本的経営をアメリカに紹介した先生でもあります。そして、ドライな経営を行うと思われているアメリカ企業でも、老舗は意外と日本的経営を行うことでヒトを大事にし、善悪を重視している点にも留意すべきです。日本のバブルが弾けた後に、アメリカから金融資本的な考えを基にした経営学が導入されていましたが、数年前に発生した世界的金融危機の事実からして、その経営学の基礎的部分(倫理)が間違えであったことは既に証明されています。
私が若い頃に属していた「商業界」という団体の創設者の教えには「損得の前に善悪を考えよう」というのがありました。この考えは企業倫理を優先させる前にコトの善悪を考えるべきだと教えているのだと思います。
一昔前の日本的経営は、得てして損得を優先させた企業倫理を優先させてしまいがちな世情に対して、家族的経営としての絆を重視し、何とか企業倫理よりも個人倫理と集団倫理を優先させようとしていました。老舗の家訓を垣間見ると、名門と呼ばれて永年生き延びている企業には必ずと言って良いほど企業倫理よりも人としての道(個人倫理と集団倫理)を優先させるべきことが記述されています。
是非一度、解説書でも良いですから「論語」を読まれることをお勧めします。論語には君子のあるべき姿、君子に仕えて人の上に立つ者(上司)のあるべき姿が描かれています。

2012年3月17日土曜日

PFドラッカー365の金言より 216

<< 本文 >>  「傍観者の時代」
責任なき権限に正当性はなく、権限なき責任にも正当性はない。
アメリカの巨大自動車会社のGMのCEOであるスローンにとっては、社会的責任なるものはプロ的でないだけでなく、無責任であって権力の濫用ともいうべきものだった。
私(PFドラッカー)が出席していたある社外の会議において、ある会社のCEOが「我々には高等教育に責任がある」と発言したのに対し、スローンは「それでは我々はどのような権限をもっているのか?」と問いかけ、「権限はない」との答えを得るや、「それなら責任について話するのはやめようではないか。権限と責任とは対である。権限を持ちたくない、また持つべきではないというのであれば、責任についても言ってはならないと思う。逆に責任をもちたくない、また持つべきではないというのであれば、権限について言ってはならないと思う」と言った。
スローンはこの考えをマネジメントの原則としていた。もちろんこれは政治理論と政治史が最初に教えることである。責任なき権限に正当性はなく、権限なき責任に正当性はない。いずれも専制の原因となる。
スローンはプロのマネジメントとして権限を求めたが、プロとしての責任も負っていた。彼は、その権限をプロとしてのマネジメントの領域に限定し、他の領域では責任をもつことを拒否していた。

(コメント)
実務として各社の相談を承っていて一番困るのが、責任は持たないが権限を持ちたがる人が多いことです。責任を他の人に転化してしまうのです。
中国の論語にも「過ちて、過ちを正さざるを過ちという」と記されています。人間ですから、過ちはつきものです。しかし、過ったときに責任から逃れようとするのではなく、素直にその過ちを認めて正すこと、他責とせずに自責とすることが大切です。
誤ったときに責任を取ろうとせず、一方で権限ばかりを振りかざしていると、それは専制君主体制となってしまいます。
実はアメリカの本当のエリートは、中国の論語や兵法を学んだことのある人が多いのです。

2012年3月16日金曜日

PFドラッカー365の金言より 215

<< 本文 >>  「未来への決断」
社会貢献活動においても、本業を見失わないことが大切である。
資本コスト以上の利益をあげられない企業は、社会的に無責任である。社会の諸資源を浪費している。利益とは、それがなければ他のいかなる責任も果たせず、よき雇用者にも、よき市民にも、よき隣人にもなれないというものである。
だが、経済的な利益だけが企業の唯一の責任ではない。組織なるものは、従業員、環境、顧客、その他何者に対してであれ、自らがかかわりをもつあらゆるものに対して与えるインパクトについて責任がある。それが組織の社会的責任である。
加えて社会は、社会の病そのものに取り組むことも組織に求める。ただし、この点に関しては慎重でなければならない。意図が良くとも社会的責任を果たしたことにはならない。本来の目的を遂行する能力を傷つけるような責任を受け入れたり、買って出たりすることは無責任である。能力のない分野で行動することも無責任である。

(コメント)
本来の役割を果たしたうえで、それを上回る社会貢献をするのならば良いが、本来の役割を果たさずに社会貢献を図ることは無責任であるという意味だろうと思います。
企業の役割・責任とは、資本コスト(給与以外に減価償却・銀行金利・株主配当ほかを含む)を上回る利益をあげることです(中長期的に利益をあげること)。ただし、資本コストを上回る利益を上げる行動を企業がとることに伴い生ずる社会的インパクトに配慮することも必要です。
社会は企業に色々なことを要求してきますが、資本コストを上回る利益を上げること、および社会的インパクトに配慮することから逸脱し、それらを阻害するようなことまでを企業は引き受けてはならないのです。
常に、「自らが果たすべき役割」を認識し、その責任を果たすことが大切であると先生は言われています。しかし、日常生活においては、人間関係やその場の雰囲気から、ついつい惰性に流されてしまうことが多いので注意したいものです。

2012年3月15日木曜日

PFドラッカー365の金言より 214

<< 本文 >>  「創造する経営者」
最も重要な昇進とは、トップマネジメントが選ばれる母集団への昇進である。
本当の貢献を必要とするのであれば、それらの貢献を行った人たちに報いなければならない。人事とくに昇進の人事が、組織が信じているもの、望んでいるもの、大事にしているものを明らかにする。昇進は、言葉よりも雄弁に語り、数字よりも明確に真意を明らかにする。
最も重要な昇進とは、本人にとっての最初の昇進ではない。逆にトップマネジメントとなる最終的な昇進でもない。トップマネジメントの地位には、すでに選ばれた人達の中から昇進していく。最も重要な昇進とは、明日のトップマネジメントが選び出される母集団への昇進である。トップマネジメントが選び出される母集団に属する人達は、事業全体のために働く。

(コメント)
誰をどの地位につけるかは、会社の考えている事、やろうとしている事、価値観などを物語ります。しかし、それらとは関係なく地位を乱発している会社をよく見受けます。長年勤めた功労に報いるために・・・、昇給させてやりたいが原資がないので昇給の代わりに昇格だけさせる・・・、一時的ながら多大な功績をあげたから・・・などです。しかしながら、こんなことをしていると、いずれは会社組織が崩壊してしまいます。
地位には権限と責任が伴い、一定の役割を担うものです。その能力が無い者をその地位に着けることは、一見すると慈悲深いようですが、本当は無慈悲であり、本人のためにも、会社のためにも、また他の従業員のためにもなりません。
そして特に重要なのが、経営責任の一翼を担う経営幹部の集団に誰を任命するかです。私の顧問先は中小・中堅企業が多いので、部長職以上を経営幹部の集団と捉えるようにしています。そして、課長職以下の人達は担当した課のことを中心にその運営を図れば良いのですが、部長職以上になると担当部門の事の前に全社のことを考えることが必要となると指導教授しています。係長から課長になるときの溝と課長から部長になるときの溝は、係長から課長になるときの溝が日本と中国程度の差であるとすると、課長から部長になるときの溝は月と地球位の差があります。従って、人選することが大切です。

2012年3月14日水曜日

PFドラッカー365の金言より 213

<< 本文 >>  「創造する経営者」
人事には、優れた人事と間違った人事があるだけである。
米国の自動車会社GMのCEOであるスローンは「私にはヒトを見分ける力があると思われるかもしれないが、そのような者がいる訳ではない。しかし、ヒトを見分ける力はなくとも、人事の誤りを少なくすることはできる」といっていた。
GMの役員会でも、人事でもめるのは常だった。ところがあるとき、全員が、これでまであらゆる危機と問題を切り抜けてきたある候補者を支持した。するとスローンは、「スミス君の実績は大したものに見える。しかし、そもそも彼は、どうしていつも問題に引きずり込まれるのか?」と訊いた。するとスミス氏を支持する声は消えた。
逆にあるとき、スローンが「ジョージ君のできないことばかり取り上げているようだ。彼がしたことの結果はどうだったのか?彼が得意なのは何か?」と訊いた。そこで説明を受けたスローンは「切れる訳でも冴えている訳でもない。しかし実績はあげているようだ」と言った。その後、このジョージ氏が、ある大事業部の事業部長として難局を乗り切ったのだった。

(コメント)
経営には「正解を得る法則は無い」が「行ってはならないことの法則は幾つかある」と言われます。経営の一部である人事に関しては、真さにそれが言える処です。
人事の誤りを防ぐために、その人物の表面的なコトだけを見るのではなく、その人物の本質的な資質を見抜くことが大切です。しかし、これが難しいのです。
本文の「何故、スミス君はいつも問題に巻き込まれるのか?」という質問は本質を突いていると思います。
論語では「その人の過去の過ちを看れば、その人の人柄がわかる」と教えています。
PFドラッカー先生は、人物評価をするときには「能力」ではなく「真摯さ」を重要視するよう教えています。その上で、その人の「強み」をもって現在の問題・課題が解決できるか否かを考えるべきであると諭されています(「弱み」を注視しないこと)。

2012年3月13日火曜日

PFドラッカー365の金言より 212

<< 本文 >>  「傍観者の時代」
正しい人事のために4時間かけなければ、あとで400時間とられる。
私が傍聴していた頃のGMの役員会では、設備投資、海外進出、車種別事業間のバランス、労使関係、財務構造など戦後の経営政策について基本的な決定を行っていた。ところが私は、これら経営政策に比べるならば不釣り合いなほど小さな人事に、かなりの時間を費やしていることに気がついた。ある日には、ラインのはるか下のポストの人事に何時間もかけていた。
そこで当時のCEOのスローンに訊いた処、「GMは重要な決定を行うためにかなりの報酬を私に支払っている。デイトンのあの職長の人事が間違ったら、たくさんの決定が画に描いた餅になる。決定を具体化するのはあのポストだ。時間がかかることなど何でもない。正しい人事を行うために4時間かけなければ、あとで400時間とられる。そんな時間はない。本当に重要な決定は人事だ。何でもこなせる優秀な人間を手に入れれば良いという人がいる。そうではない。我々にできることは人事だけである。成果をもたらすのは人事である。」というものだった。

(コメント)
昔しから「適材適所」の必要性がよく言われますが、これほど難しいことはありません。その人の「強みを活かせ」とも言われますが、「強み」が何であるか把握するのは難しいものがあります。
そこで、会社が解決すべき問題又は課題を明確にして、それを解決するために諸策を実行する人が重要となります。そのときに、その人の過去の失敗と成功を踏まえて、その人の「強み」であろうことで、会社の問題・課題が解決できる可能性があるか否かで適材であるか否かを判断せざるを得ません。このときにその人の「弱み」「弱点」を問題にしてはいけません。
トップが良い意図を持っていても、実行する現場がそれを実行する能力がなければ「良き意図があった」で終わってしまいます。現場責任者の人事は極めて重要です。
GMのような大企業ならば人材は腐るほどいる筈ですが、GMでさえ人事は慎重に時間をかけて決定していたのです。ましてや、人材の乏しい中小・中堅企業においてや、それが必要なことは言うまでもありません。しかし残念ながら、中小・中堅企業のトップは日常業務や現業に追われ、人事を慎重に検討する時間が無いようです。その結果、悪循環を繰り返しているのではないでしょうか?

2012年3月12日月曜日

PFドラッカー365の金言より 211

<< 本文 >>  「非営利組織の経営」
やり直しのきかない最も難しい人事がトップの承継である。それはギャンブルである。トップとしての仕事ぶりは、トップをやらせてみなければわからない。トップへの準備は、ほとんど行いようがない。
トップの承継にあたって前向きな方法は何か? それは仕事に焦点を合わせることである。これから数年、何が最も大きな仕事になるか? 次に候補者がどのような成果をあげてきたかを見る。こうして「組織としてのニーズ」と「候補者の実績」を合わせれば良い。

(コメント)
トップの後継者選びは判らないことだらけです。
中小・中堅企業の場合には、次のトップを誰にするかという問題は、経営能力以外にも相続の問題もあります。相続の問題は税理士に相談すれば適切な対策を立ててくれるでしょう。
しかし、誰を次のトップにするかは経営者自身が決めなければなりません。大変に重要な問題ですから、「自分がトップに就任すると同時に次期トップの選別を始めなければならない」と言う人が居る位です。
商工会議所などでは10年計画を立ててトップの承継をするよう勧めています。即ち、「選ぶ」のではなく、素養のある人物に教育・訓練をして「育てる」ことが必要となるのだと考えます。
また、息子だから、長男だからという理由だけで次のトップに使命することは必ずしも本人の幸せにはならないということも肝に命じておくべきことだと思います。日本では江戸時代から、商家が跡取りを決めるときには、長男だから、とか、息子だからという理由だけでは跡取りにしなかった慣習があります。無能な長男や息子には生活に困らない方法を講じて資産を分割し商家の経営には口出しさせないようにして、経営権は有能な人材に委ねるようにしたそうです。こうして老舗は維持され発展してきたという歴史があります。

2012年3月11日日曜日

PFドラッカー365の金言より 210

<< 本文 >>  「非営利組織経営」, eラーニング教材「人事の意思決定」
人事に完璧はない。しかし、人事に成功している者はいる。彼らは5つのルールに従っている。
①人事の失敗に責任を負う。自らが任命して、成果をあげられなかって者を責めることは責任逃れである。人事を行った者が間違ったのである。
②成果をあげられなかった者を再度動かす責任を果たす。そのままにしておいたのでは、他の者の迷惑であって全体の士気にかかわる。
③新しく任命された仕事で成果があげられなくとも辞めさせたりしない。適材適所でなかったに過ぎない。
④常に新しい人事を行うように努める。組織としての仕事ぶりは一人ひとりの働きによって規定されるが故に、人事は常に適切に行わなければならない。
⑤外部からスカウトしてきた者には、何を期待されているかが明らかであって、しかも手助けし易い仕事を与える。新しい大きな仕事は、仕事のやり方が明らかであって、かつ組織内で信頼されている者に担当させる。

(コメント)
上に立つ者として大変に重要な考え方です。
いま、私の顧問先で来期に向かっての新しい組織創りをされようとしている会社があります。この会社は過去3年間、経常利益では辛うじて黒字なのですが、営業利益が3年間連続して赤字でしたから(今期は見込み)、黒字体質に転換できるようにヒト・モノ・カネ・情報・時間の使い方を改める必要があるのです。このときに従来の責任者(現場のトップ)の処遇をどうするかという問題が発生しています。いまのままにしておこうという考え方が支配的ですが、私はこれには反対しています。2回(3年間)再チャレンジをさせても成果を上げることができなかった訳ですから、いままでと同じ地位と権限で来期もやらせようという考え方は、本人に対して冷酷であり、部下に対して無責任であると私は考えます。このような場合には、この人を今の地位につけたのは人事権のある人の責任ですから、
この人の給与は従来通りの額を補償して権限と責任が軽い地位につけて再チャレンジさせ、新しい責任者を任命することが必要であると私は思います。
また、新しい仕事を新たな中途採用者にさせようとするケースが現場ではよくあります。しかし、これも間違った考え方です。新しい仕事は、自分達でさえよく理解していませんから、中途採用者を指導することはできません。中途採用者には、自分達がよく理解できる仕事を任せて、いつでも中途採用者を指導育成できるうにして、新たな仕事は従来から会社に在籍して信頼がおける人が担当すべきです。
人事は人間のやることですから、間違えてしまうこともあります。論語に「誤りに気づいて、誤りを直そうとしないことが本当の誤りである」という教えがあります。間違った人事をしてしまったときには、躊躇せずに再度の人事異動を図るべきです。

2012年3月10日土曜日

PFドラッカー365の金言より 209

<< 本文 >>  「非営利組織の経営」
(他の人に)働いてもらっているのは、できないことのためではなく、できることのためである。(他人に共働してもらうときには、その人の「強み」に焦点をあわせなければならない)。
第二次大戦中、陸軍の参謀長を勤めたジョージ・C・マーシャル将軍は、最高の人事を行い続けたことで有名である。彼は600人の将校を司令官や参謀に任命していった。しかも、実践を指揮した経験をもつ者はほとんどいなかった。
「何某大佐は兵士の訓練は最高ですが、上官とうまくいったことがありません。将官に昇進させ、議会で証言させる必要が出てきますと大変です。きわめて無礼な男ですから」との副官の指摘に対して、「任務は何か? 訓練か? 訓練が一流なら昇進させよう。その後のことは私が引き受ける」といったという。
こうして彼は、ほとんど間違いを犯すことなく、わずかの期間で1300万人という史上最大の軍事力を組織したのだった。ここから学ぶべき教訓は、「強み」に焦点を合わせよである。
マーシャル将軍は、人事で5つの手順を踏んでいた。
①仕事の中身をつめた。
②数人の候補を検討した。
③候補者全員の(過去の)実績から、それぞれ強みとするものを探した。何ができないかは重要ではない。強みを見て、その強みが仕事の中身に合致しているかどうかを見た。成果は強みによってもたらされる。
④候補者自身と話しをしただけでなく、候補者それぞれと一緒に働いたことのある者数人と話しをした。重要な情報は(その人の)上司や同僚から得られることが多い。
⑤任命した者に仕事の中身を理解させた。そのための良い方法が、何をしなければならないかを徹底して考えさせ、3カ月後に書面で申告させることだった。

(コメント)
顧問先企業で次期社長を選任しつつある会社があります。親族にバトンタッチするまでのつなぎの社長なのですが、迷いに迷われています。どの候補者にも一長一短があるのです。ここで私は上記の先生の言葉を引用しました。
特に、
①会社の問題・課題を現社長が整理し直してみること
②候補者それぞれの「強み」を改めて把握すること
③「強み」を正しく認識できるように、その人の昔しの同僚や上司から話しを聴いてみること
④候補者達に会社の現状の問題・課題にどう取り組むべきかを真剣に考えさせること
を強調しました。

2012年3月9日金曜日

PFドラッカー365の金言より 208

<< 本文 >>  「マネジメント・・・課題、責任、実践」    <原文を多少加工しています>
産業が衰退する最初の兆候は、能力と意欲のある者に訴える力をもたなくなることである。
人材を確保するには、マーケティング的な目標を持つことが必要である。採用、育成、成果について具体的な目標を持たなければならない。能力と意欲の双方について基準を持たなければならない。優秀な人材を惹きつけ留まらせることについて、能力、意欲、実績の面から具体的な目標を設定しなければならない。

(コメント)
激変を続ける現代社会の中で、自社の将来像を描ける会社に人が魅力を感じるものです。将来像が描けない会社、ただ我武者羅さだけを求める会社には不安を抱き、優秀な人は入社して来なくなっています。
また数年前からの傾向として、新規学卒者が会社を選択する際に、「会社が入社後に自分にどんな教育訓練をしてくれるかが重要な要素ななりつつある」と報道されています。
これは確かな事実です。一部上場会社が突然に倒産するような現代社会において、学卒者は自分の将来に対して不安を抱き、将来に対する不安を少しでも低減させて自分の将来像を描きたいという願望が現れているのだと思います。従って、「仕事は先輩の背中を見ながら覚えろ」などというスタイルは通用しなくなっており、また現代の若者はこのように教科書のないやり方では仕事を覚えないのです。
従って、入社後半年間の訓練計画をスケジュール化し、その後の半年間の訓練計画は出来る限り具体的な計画にして、入社後3年間に行う教育訓練は修正があることを前提とした計画をたてることが最低限でも必要です。そして生涯教育としての選択枝のイメージをオボロゲにでも準備しておく方が好ましいと思います。

2012年3月8日木曜日

PFドラッカー365の金言より 207

<< 本文 >>  「非営利組織の経営」
組織の成果を左右するのは「人」である。組織は自らの人材(の能力)を超えて仕事をすることはできない。人的資源から引き出せるものによって、組織の成果が決定する。それ(成果)は、誰を採用し、誰を解雇し、誰を異動させ、誰を昇進させるかという人事によって決まる。
人を見分ける力に自信のある人ほど間違った人事を行なう。人を見分けるなどは、限りある身の人間に与えられた力ではない。
百発百中に近い人事を行う人は単純な前提に従っている。人を見分ける力などあり得よう筈がないという前提である。彼らは人物診断のプロセスを忠実に踏んでいく。
医療教育者は、優れた診断力をもつ者こそが問題だという。自分の目に頼ることなく、診断という忍耐を要するプロセスを踏むことを身につける必要がある。さもなければ患者を殺してしまう。
人事も同じである。自らの知識や眼力に頼ることなく、退屈なプロセスを実直に踏んでいくことを学ばなければならない。

(コメント)
企業は「ヒト・モノ・金・情報・技術」で成り立っているといわれますが、どんなに優れた「モノ」「金」「情報」「技術」があっても、それを使いこなせる人がいなければそれらは役にたつません。従って、ヒトをマネジメントすることは非常に大切なことなのです。
しかし、人間にはヒトを瞬時に正しく選別する能力は備わっていません。そのため直感に頼らざるを得ないのですが、その後に着実なプロセスを踏んで、その人を色々な面から再評価し続けることで、その人の「強み」を発揮してもらうしか方法はありません。直感に頼ることが悪いことなのではなく、直感に頼って判断したことに拘り、その後修正しようとしないことが悪いことなのではないでしょうか?人間は教育と訓練によって成長を続ける動物ですから・・・・・!!

2012年3月7日水曜日

PFドラッカー365の金言より 206

<< 本文 >>  「非営利組織の経営」
組織は、それを率いることができる者を必要とする。問題はリーダーに、リーダーとしての基本的な能力があるかである。
リーダーとしての能力は
①人の言うことを聴く意欲、能力、姿勢である。聴くことはスキルではく姿勢である。誰にでもできる。しなければならないことは、自分の口を閉ざすことである。
②コミュニケーションの意欲、つまり自らの考えを理解してもらう意欲である。その為には大変な忍耐を要する。
③言い訳をしないことである。思ったほど上手くいっていないからやり直そうと言えなければならない。
④仕事の重要性に比べれば、自分など取るに足らないことと認識することである。リーダーたる者は、自らを仕事の下に置かなければならない。重要なのは仕事であって、自らはその道具にすぎないと認識すべきである。

(コメント)
大昔の体験ですが、ある会社からの相談に応じていて、その会社ではトップと社員のコミュニケーションが不足していることに気づきましたので、その旨をトップに伝えました。そうした処、そのトップは会議を開いて延々3時間、大きな声で自分で話しをし続けていました。その間は質問も受け付けません。社員は何時もの事らしくウンザリ顔で体だけ参加させていました。まるで独演会場でした。コミュニケーションの目的は相互の意思疎通にある訳ですから、これでは目的が果たせないのは当たり前です。
自らの考えを理解してもらうことは、忍耐を要するもの以外の何ものでもありません。判ったつもりでも分っていないことがおおいのです。我が子を育てる気持ちで辛抱強い忍耐をもって理解してもらうしかありません。
言い訳をするリーダーも増えています。言い訳をするのであればまだマシなのですが、リスクを冒そうとしないリーダーさえ増えています。サラリーマン化してしまい、大過なくリーダーの役割を果たそうとするのです。しかし、必要なリスクさえ犯すことを恐れるようではリーダー足り得ません。
仕事の目的達成よりも、自らの目的を優先させるリーダーは昔しからいます。我が強いタイプです。しかし、この手のリーダーは歴史が証明しているように自滅していきます。

2012年3月6日火曜日

PFドラッカー365の金言より 205

<< 本文 >>  「非営利組織の経営」
幸か不幸か、いかなる組織も危機に襲われる。そのときがリーダーに頼るときである。
リーダーにとって最も重要な仕事は、危機の到来を予期することである。回避するためでなく備えるためである。危機の到来を待つことは責任の放棄である。暴風雨を予期し、先手を打たなければならない。災厄の到来を防ぐことはできない。だが、それに対処すべき態勢の整った組織、すなわち士気が高く、とるべき行動を知り、自信に溢れ、互いに信じ合う組織をつくることはできる。
訓練において重要なことは、将校への信頼を兵士に染み込ませることである。信頼なくして戦うことはできない。

(コメント)
東日本大震災の後から、どの会社でも危機管理の大切さを意識されるようになりました。そして、災害発生時に備えてマニュアルをつくったり、災害訓練を行ったりされています。しかし、危機は自然災害発生のとき以外にも発生します。機密情報漏えい、個人情報漏えい、金銭的不正事件、その他個別労働紛争など挙げればきりがありません。それぞれに対して規則やマニュアルをつくることも大切なことですが、私は本文末尾の2行が特に大切であると考えます。上司と部下の間に「普段からの信頼関係」が構築されていなければ規則やマニュアルがあったとしても、個々人がそれぞれ自分なりにそれを解釈し個別行動をとってしまい、かえって危機を増長させしまいます。
過去、温風ファンヒーターでパナソニックさんは見事な組織行動をとられました。同時期に同じ問題が発生した同業者は組織行動の選択を誤りました。
普段から組織の中に信頼関係が構築されているか否か、またその信頼関係をもとに予めマニュアル(手順書)が決められているか否かによって、同じような危機に見舞われても、結果に大差が現れるようです。
いずれにしても、「訓練の目的はマニュアルを周知させることではなく、上司と部下の信頼関係を普段から構築することにある」という先生のご指摘は大切なことだと考えます。
いま私にご相談頂いている案件の中に、NPOが従業員を解雇した処、その従業員が提訴してきた案件があります。そして、この案件の一番の問題は、裁判ではなく、NPO内部で理事相互に間に信頼関係が構築されていないことです。これでは裁判という争いの場で勝てる訳がありません。

2012年3月5日月曜日

PFドラッカー365の金言より 204

<< 本文 >>  「マネジメント・・・課題・責任・実践」
「真摯さ」を定義することは難しい。しかし、「真摯さ」の欠如は、マネジメントの地位にあることを不適とするほどに重大である。
①人の「強み」よりも「弱み」に目がいく者をマネジメントの地位につけてはならない。人のできることに目の向かない者は組織の精神を損なう。
②マネジメントに携わる者は現実家でなければならない。評論家であってはならない。
③「何が」正しいかよりも、「誰が」正しいかに関心を持つものをマネジメントの地位につけてはならない。誰が正しいかを気にすると、部下は無難な道をとる。犯した間違いを正すよりも隠そうとする。
④「真摯さ」よりも「頭のよさ」を重視する者をマネジメントの地位につけてはならない。有能な部下に脅威を感じる者もマネジメントの地位につけてはならない。
⑤自らの仕事に高い基準を設定しない者をマネジメントの地位につけてはならない。

(コメント)
経営理論は、「どうすれば良くなるか」は書かれていません。しかし、過去の経験則から「どうすることは良くないことか」は書かれています。この先生の教えは正にそれを物語っています。どんな人にマネジメントさせれば上手くいくかではなく、マネジメントさせてはならない人のタイプを指摘して消去法的にマネジメントさせるべき人を教えています。
私は「真摯さ」とは「目的に向かって、真面目にコツコツとひた向きに前進していく習性」と理解していますが、これは必ずしも「真摯さ」の全てを的確に表した言葉でないことは事実だと思います。
①の「部下の弱みではなく強みに目を向ける人」という指摘は、マネジメントさせる人にとって最初の課題です。部下の弱みに目を向けるということは、組織が本来果たすべき「人を組み合わせて使うことで、人の弱みを無くして組織成果を上げる」という組織の目的に反することになります。そして弁解をするに留まってしまいます。
②の教えは現代では特に注意しなければなりません。マスコミやインターネットが発達して、知識のある人が増えましたから評論家が増えているのです。評論家と実務家の違いは、実行力です。
③「誰が正しいか」などに興味・関心がいく人は、単なるゴシップ好みにしか過ぎません。派閥をつくってしまい、組織を誤った方向に導いてしまいます。「誰が」ではなく「何が」正しいか、「どうすればうまく行くか」が大切だと思います。
④の教えは現実的によく見かけます。頭の良い人にマネジメントさせると会社が良くなると思い込んでいるために発生する誤解です。マネジメントする人は頭の良い人を使いこなせば良いのであり、頭が良い人がマネジメントすると決断ができなくなる可能性を秘めています。何故なら、モノゴトには必ずメリットとディメリットがあり、決断するということは、他方のメリットを放棄することを意味するからです。方法論ばかりを述べて決断できずにいると、何時まで経っても実行されません。最後に必要なことは決断であり、勇気であると思います。
⑤他人任せで自らに基準が無い人にマネジメントができる訳はありません。そして、マネジメントする人の基準が高くなければ、組織や部下の基準は低いものとなってしまいます。役割に対する期待水準の問題です。

2012年3月4日日曜日

PFドラッカー365の金言より 203

<< 本文 >>  「変貌する産業社会」「非営利法人の経営」「プロフェッショナルの条件」
リーダーは権限を委譲する。だが、範となるべきことについては委譲しない。自ら率先して行う。
成果をあげるリーダーは、リーダーシップについて4つの簡単なことを知っている。
①リーダーには「従う者」がいる。
②リーダーシップにとって大事なことは人気ではなく「成果」である。
③リーダーは目立つ存在であって、他の人たちの「模範」となるべきものである。
④リーダーシップとは、地位、特権、称号、富の類ではなく「責任」である。
何もかも委譲してしまったり、責任を取らないリーダーは、敬意さえ期待することができなくなる。

(コメント)
実務で色々な会社の相談を受けていたら、
①部下のことを考えずに我が身のこと(保身)だけを考えている上司
②部下に嫌われることを恐れ、成果を上げるために必要となる厳しいことを部下に要求できない上司
③他の模範になり得ない上司
④部下の責任を取らず、部下の成功を我物にしてしまっている上司
によく出会います。
このような上司・社長のいる会社は業績が不振であるか、個別労働紛争が発生するか、社員の定着率が低いかのどれかが当てはまります。
私は、「厳しいけど、優しいリーダー」を育成するように指導しています。間違っても「甘くて、いい加減なリーダー」になってはいけません。

2012年3月3日土曜日

PFドラッカー365の金言より 202

<< 本文 >> 「経営者の条件」
リーダーにとって重要なことは、人を変えることではない。人のもつあらゆる強み、活力、意欲を動員し、全体の能力を増大させることである。そのためには、その人がもつ最大の「強み」に焦点を合わせ、その強みの発揮の妨げとならない限り「弱み」は関係ないものとして無視しなければならない。
リーダーと普通の人達との差は一定である。リーダーの仕事ぶりが高ければ、他の人の仕事ぶりも高くなる。集団全体の仕事ぶりをあげるよりも、リーダー1人の仕事ぶりをあげる方が易しい。従って、リーダーの役割の一つとして、その組織の標準を設定し定める役割があるが、これはリーダーにとって重要な役割である。

(コメント)
本文を多少カスタマイズしています。
この本文前段は注意すべき事項です。リーダーの役割とは、その組織全体の成果を増大させることであり、その中の一人の「弱み」を是正させることではないのです。人間には必ず弱みがあるものです。そのため、他の人または他の方法を用いることにより、その人の弱みを意味の無いものとしてしまえば良いのです。リーダーが最後まで拘るべきは成果であり、その人の性格や行動を矯正することではないのです。
また、リーダーはその組織の標準を決める立場にあるという考えも重要な考えです。リーダーが定めた標準の水準が低ければ、その組織の成果も低いものとなってしまいます。トヨタのQC活動では常に標準を現状よりも少し高い所に設定していくことでカイゼンを繰り返していったと聞き及びます。リーダーが低水準の標準で妥協すると、その組織の成果は低水準なものとなってしまいます。そのため、リーダーと一般の人の差は常にあり、リーダーが一般の人の目線と同じ水準でモノゴトを考えてはならないのです。アメリカの巨大企業GEを立て直して有名になったジャック・ウェルチ氏の言葉に「大胆なストレッチ目標(≒チャレンジ目標)をたて、手近かで明確な少数の具体的な目標を設定し、その目標に集中することで、シンプルに、かつ確実・着実に実行し、前進を続ける組織を創る」というのがあります。

2012年3月2日金曜日

PFドラッカー365の金言より 201

<< 本文 >> 「マネジメント・・・課題・責任・実践」「非営利組織の経営」
リーダーシップとは、人のビジョンを高め、成果の水準を高め、人格を高めることである。そのためには、行動についての厳格な原則と、成果についての高度の基準を確立し、ともに働く人たちと仕事に敬意を払うことが必要である。
自らへの関心を中心におくリーダーは、誤った方向へ進む。
重要なのはカリスマ性ではない。リーダーシップとは人を惹きつけることではない。人を惹きつけるのは扇動者にすぎない。
リーダーシップとは、人のビジョンを高めることである。

(コメント)
この本文は原文の文章の順番を前後させて、できるだけ判り易くしたものです。
リーダーシップを「勇ましく人を引っ張っていくこと」と誤解している人が沢山います。過去の私もそうでした。
しかし、本当のリーダーシップとは、相手に気づきを与え、相手の進むべき方向性を示し、相手自らが自分の意思でその方向に行動するよう導くことではないでしょうか?
だからリードするのがリーダーシップであり、相手に強制し無理やりに引っ張っていくことはリーダーシップとは言えません。また、人を惹きつけることだけをもって正しいリーダーシップとは言えないと思います。この文節で先生は、20世紀の最もカリスマ性的であった3人のリーダーとして、ヒットラー、スターリン、毛沢東の3人の名を上げ、人を惹きつけことに長けていたが人類に害をなした者と指摘されています。

2012年3月1日木曜日

PFドラッカー365の金言より 200

<< 本文 >> 「非営利組織の経営」
組織のリーダーを選ぶには何を見なければならないか?
第一に、その人が現在に至るまでに「何をしてきたか」、「何が強みか」を見る。成果をあげるのは
強みによってである。従って、「その強みを活かして何をしてきたか」を見る。
第二に、組織がおかれている状況を見て、行うべき重要なことは何かを考える。そして、そのニーズに強みを合わせる。
第三に、真摯さを見る。リーダー、特に強力なリーダーとは模範となるべき者である。組織内の人達、特に若い人達が真似をする。
ずっと前のことだが世界的な規模の大組織のトップを務めるある賢人から大事なことを教わった。「重要なことは、我が子をその人の下で働かせたいと思うか?」である。これが人事についての究極の判断基準である。

(コメント)
ここ数年、私はある中小企業のトップ人事を決めるお手伝いをしています。今のオーナーには子供がいないので、甥に継がせたいのですが、甥の人格に問題があると判断しているため、中継ぎにサラリーマン社長を入ってもらい、その間に甥を鍛え直そうとされているのです。このオーナーの人選に対する基準を上記の先生の教えに照らすと先生の教えが大変よくわかります。
第一の指摘は、その人の「強み」が大切であるということです。ただし、その人が自ら言う「強み」と実態とは必ずしも一致しません。そのため、その人が過去に行ったこと(成功事例、失敗事例)を訊きだして、その中からその人の本当の「強み」を推測するしかありません。そして、推測が正しいがどうかをテストするために、些細なことを依頼してみることが必要です。織田信長が自らの小姓を選ぶときに、織田信長の足の爪を切り取ったものを捨てるように指示してテストしたそうです。他の小姓は指示された通りに捨てましたが、森蘭丸だけは爪の数を数えて9個しか無いことを信長に告げ、衣服に残りの一つがついている可能性があることを告げたそうです。森蘭丸は小姓ですが、信長直轄の小姓ですから、信長からの伝言を武将に伝えてり、配下の小姓に指示を出す役割がありますから、リーダーとしてかなりの権限を持つ立場にいたと言えると思います。
第二に、会社にとって重要な問題を解決する能力があるか否かを判断しなければなりません。できれば、その人の「強み」が発揮できる分野と会社にとって重要な問題が属する分野とが同じであることが望ましいのです。私の相談先の重要問題は、技術力の低下とマーケティング能力の向上、そして後継者の育成です。
第三に、真摯さです。真摯さは全ての能力に優先する事項です。私は、「真摯さ」を「真面目にコツコツと目的に向かって継続してやり抜く力」と理解しています。上記の相談先には、生え抜きの幹部や銀行を定年退職してこの会社に入社した幹部、地元の大手企業から定年後に移籍した幹部等がいます。生え抜きの幹部と銀行から移籍してきた幹部は、自ら責任を引き受けようとせず逃げる習性があるので部下から信頼されていません。地元大手企業から移籍した幹部は、指示されたことを確実に行おうとしますが、自ら率先して課題を見つけ出し問題を解決していこうとはしません。結局、現在のオーナーは、その人に甥の教育をゆだねることになりますから、真摯さを重視されたようです。
私が思うに、優先順位は先生の指摘の逆の順番で丁度良いと考えます。まず最初に「真摯さ」で選別する。次に会社の課題・問題はどうすれば解決できるかを考える。そして最後に、その人の「強み」をその人の過去の「実績」と「失敗」から判断(その人が口頭でいう強みを鵜呑みにしない)して人選するという順番です。ただし、このときに会社の課題・問題を解決する能力が自らにあるか否かを問題にするのではなく、部下を使って課題・問題を解決する能力があるか否か(リーダーシップ)を問うことが大切です。ケースにもよりますが、自らで解決する能力を備えている人は、問題を一人で抱え込む傾向がありますから、リーダーに不向きな場合も多々あります。

2012年2月29日水曜日

PFドラッカー365の金言より 199

<< 本文 >> 「マネジメント・・・課題、責任、実践」
組織の目的は、凡人が非凡になれるようにすることである。
組織の精神とは、訓戒、説教、善意ではない。「実践」である。
第一に、組織の焦点は成果に合わせなければならない。組織の精神は目線の高さ(目指すべき目的・目標の水準)を必要とする。
第二に、組織の焦点は、問題ではなく機会にあわせなければならない。
第三に、異動、昇進、昇給、降級、解雇など人事の決定は、組織の信条と価値観に沿って行わなければならない。
第四に、人事の決定は、真摯さこそ唯一の条件であり身につけていなければならない。資質であることを示すものでなければならない。

(コメント)
優秀な人財がいないから良い業績が上げられないのではなく、人材を活かす組織や仕組み(凡人が非凡な能力を発揮できる組織や仕組み)が出来上がっていないから業績があがらないのではないでしょうか?具体的には、その人の強み・長所を発揮させ、その人の弱みや短所は他の人が補う仕組みを言います。
会社は訓戒を述べたり、説教したり、善意で業務を行うこものでありません。業務が遂行されるためには「実践されること」が大切です。どんなに良いスローガンや意図と言えども、実践されなければ絵に描いた餅と同じです。
①良い成果、高い業績を目指すと組織の精神も自ずと健全になっていきます。成果や業績で妥協を許していると、気づかないうちに組織が腐っていきます。
②色々な企業でご相談を承っていると、幹部の人達は発生した問題の解決に振り回されている現状を見受けます。問題が発生してから解決しようという姿勢ではなく、問題は発生しないように予防し、経営幹部はビジネスチャンス(機会)を活かすことに時間を費やすことが必要です。
③昇給、昇進、異動異動、降級、解雇は会社の信条と価値観に沿って行われることが必要です。朝礼や会議でどんなり立派な訓戒を述べようとも、従業員は人事を通じて会社の価値観・信条を理解していきます。
④人事の決定では、「能力」ではなく「真摯さ」が最も大切なものです。しかし、現実の昇格・昇給等では能力が高いからという理由でなされる場合が多々あるようです。そして数か月後に、能力は高いが真面目にコツコツとやらないということが判り、昇格・昇給の失敗を認めざるを得ないことになっています。「能力」は教育すれば引き上げることは可能ですが、「真摯さ」は生来の資質ですから教育訓練だけで身につけさせることはできません。

2012年2月28日火曜日

PFドラッカー365の金言より 198

<< 本文 >> 「マネジメント・・・課題・責任・実践」
全員が自らをマネジメントの一員とみなし、マネジメントとしての責任をもつ組織をつくらなければならない。マネジメントとしての責任とは、自らの仕事への「責任」、組織全体の成果への「責任」、社会への「責任」を指す。
責任とは外部に対するものであって、かつ内部に対するものである。外部に対しては成果に責任をもつことであり、内部に対しては成果をあげるために全力を傾けることである。
働く者としての責任とは、成果をあげことに責任を負うだけでなく、成果をあげるうえで必要なことの全てを行い、それらの成果に全力を傾けることである。

(コメント)
全員が経営者の意識をもつことの必要性を説かれています。
そして、そこには権利はなく、あるのは義務だけです。「組織全体の成果をあげること」こそが経営者(マネジメント)の責任です。この意識を全員がもつことが大切なのです。色々な企業から相談を承っていてよく見かけるのが、全体の成果を考えることなく、それぞれの部署の最適化または部署成果の達成を目指されているために発生している諸問題です。

2012年2月27日月曜日

PFドラッカー365の金言より 197

<< 本文 >> 「マネジメント・フロンティア」
企業とは人間組織であり、社会組織である。体系及び実践としてのマネジメントは、人と社会を扱う。組織は、自らの外にある目的のために存在する。
マネジメントが組織のなかの人的資源を生産的な存在となし得たとき、初めて組織は自らの外にある目的を達成することができる。
マネジメントは医療と同じく科学ではない。マネジメントと医療も実践である。実践は、科学という大きな存在から栄養をとる。マネジメントは経済学、心理学、数学、政治学、歴史学、哲学から栄養を補う。しかし、マネジメントはそれ自体独立した存在であり、固有の前提、目的、目標、道具、尺度をもつ体系である。

(コメント)
「マネジメントはヒトを扱う問題である」と先生は指摘されています。企業経営は、ヒト・モノ・カネ・情報・技術・文化で成り立っていると言われますが、全てはヒトに尽きるのではないでしょうか? どんなに優秀な機械設備や技術があっても、またどんなに沢山の資金があっても、それを有効に活用し得るヒトがいなければそれらは死んでしまいます。
また、会社組織は、会社組織の外にある目的に貢献して初めて成果を上げることが出来るとも指摘されています。会社は社会に貢献して初めて利益を上げることができるのであり、自己満足のための目的達成では利益を上げることはできません。
更に、マネジメントは純粋科学ではなく実践であるから、複数の科学を栄養源として活用することが大切であることも指摘されています。

2012年2月26日日曜日

PFドラッカー365の金言より 196

<< 本文 >> 「新しい現実」
長期的な「気候」は安定的であり予測可能である。しかし、短期的な「天候」は不安定であり予測不能である。複雑なシステムにおいては、短期的には何事も外生変数として除外することができない。短期的な現象にはシステムは無い。短期の現象にあるのは混沌である。

(コメント)
先生がここで言われる「システム」とは、「こうすれば、こうなる」・「必然性」「理論・法則」などというものだとご理解ください。
昔し、私はファッション業界で卸問屋を営んでいました。この頃にコンサルタントから「短期の流行に振り回されずに、長期のトレンド(傾向の変化)に上手く対応していくことが大切です」と教えられていました。短期の流行を追い求めようとすると、変化に振り回されて自らの強みを見失ってしまうことにもなりかねません。マネジメントには、「長期のトレンドを踏まえて短期の変化に対応する」ということが必要だと考えます。
会社の調子が悪くなると、どうしても目先(短期)の業績(利益)を求めてしまいます。しかし、短期の業績には法則性・必然性はありません。すべてが突発的・偶発的なものです。その結果、自らを見失うという坩堝(ルツボ)に嵌(ハマ)っていくのです。会社を再建しようとする際には、まず長期のトレンドを見据えることで方向性を間違えないようにしなければなりません。
中国の道教という教えに「無為」というのがあります。これは「何も行わない」という意味ではなく、「流れを活用して自らの目的を達成する」という教えです。短期間の流れは変幻自在に変化して捉えようがないことが多いのですが、長期間の流れはある程度の法則性があるものです。従って、その法則性を見抜き利用することが大切です。この教えを早くに知っていれば、私も会社を倒産させずに済んだかもしれません。
複雑で変化の激しい現代では、長期のトレンドを考え対策を講じていくことが大切なことだと考えます。

2012年2月25日土曜日

PFドラッカー365の金言より 195

<< 本文 >> 「変貌する産業社会」「マネジメント・・・課題・責任・実践」
部分は全体があって初めて意味をもつ。
企業とは、共同の事業へ自らの知識、技能、心身を投ずる人達からなる高度なシステム(有機体)である。
従って、部分の改善や効率化が全体の改善につながるとは限らない。部分の改善や効率化がシステム全体に害を与え、場合によってはシステムそものもを破壊することさえある。システム全体を強化する最善の方法が、ある特定の部分の弱体化、つまり曖昧化や非効率化であることさえある。重要なことは、技術的な効率ではなく、成長、均衡、調整、統合の結果しての「全体の成果」である。
部分の効率に重点をおくことは、システム全体にとって有害である。道具の正確さを追求して、全体の健全性と成果を犠牲にすることにもなる。

(コメント)
「ザ・ゴール」という本はボトルネックについて書かれています。A,B,Cの機械があり、製品をつくるときに、Aの次にB、Bの次にCの機械を使用する場合において、もしもBの製造能力が80個/時間(AとCは100個/時間)しか無く、A,Cより劣る場合に、もしも全ての機械が最大生産能力を発揮すると、AとBの間には時間あたり20個の仕掛在庫が累積していく。その結果、全体の製造成果は80個/時間となり、しかも仕掛在庫が増えるだけの結果に終わる。だから個々の製造能力を最大限発揮させても、それは必ずしも最適な結果をもたらさないということを小説として解説している書籍です。
先生のご指摘やこの小説の内容にあるように、部分の最大化・最適化は必ずしも全体の最大化・最適化という結果をもたらしません。会社組織の目的は、全体成果の最大化・最適化ですから、全体成果の最大化・最適化のために部分の最大化・最適化を図ることが必要です。
しかし、会社組織では役割を分担して仕事を遂行しますから、得てして部分成果の最大化・最適化に拘る傾向が強く、それが必ずしも全体成果の最大化・最適化をもたらさないことが多いのです。その為、「始点と視点を全体成果の最大化・最適化とすべきである」と説かれていると考えます。

2012年2月23日木曜日

PFドラッカー365の金言より 194

<< 本文 >>  「明日を支配するもの」
戦略は情報を基盤とする。変化は組織の外で起こる。組織の中にはコストセンターがあるにすぎない。
基本的な変化が始まり、それが重大な変化に発展していくのは、いまはまだ自社の顧客でない人達(ノンカスタマー)の世界においてである。産業そのものを変えた重要な技術のうち少なくとも半分が、それぞれの産業の外部で生まれたものである。

(コメント)
今までに幾度となくコメントしていますので、ノーコメントです。

2012年2月22日水曜日

PFドラッカー365の金言より 193

<< 本文 >> 「ネクストソサエティ」  (原文は少々解り難いと思ったので、多少加工しています)
全てを(自分の)傘下にしてしまうという一体化の公理が陳腐化した。原因は2つある。
①知識が専門化した結果、高価となり、自らが全てを賄うことが不可能になった。時折しか使わない知識は急速に劣化する。
②インターネットとe-メールのおかげで、コミュニケーション・コストが安くなった。その結果、あらゆる種類の事業活動において、提携(連携)が成果をあげる組織方法となった。

(コメント)
一昔前までは、できるだけ全てのことを内製化して一体化する方が良いと考えられていました。しかし、知識や技術が専門化し、かつ変化し続ける現代において、内製化してしまうと、その変化に対応しきれなくなります。反面では、インターネットの普及によって、コミュニケーションするために必要なコストがどんどんと安価になりました。その結果、自社にとってコアな部分は内製化するにしても、それ以外の部分は連携または提携して行う方が良い時代となっています。
私は社会保険労務士として色々な企業に経営や労務管理に関する事項のアドバイスをしていますが、先生のご指摘を痛感します。私の顧問先には、社内に総務担当者が10人以上いる会社でも私と契約して、社外からの意見を積極的に取り入れて行こうという会社が数社あります。人事労務に関する通常業務は社内の総務担当者がされていますが、私が法改正の動向を伝えたり、稀に個別労働紛争や懲戒処分の案件が発生すると私が担当しています。昨日はある会社の会長から次期社長の選任に関するご相談を頂きました。この次期社長の選任基準などは稀にしか使わない知識であり、かつ株式相続のほかに経営者として伝承すべき事項と法改正上の留意点などがありますから社内の判断だけでは十分な検討ができないためです。
これからは、全てのことを社内で処理できるように一体化してしまおうと考えるよりも、必要なときに必要な人と連携・提携して自らの目的を達成しようと考える時代となったことを痛感します。

2012年2月21日火曜日

PFドラッカー365の金言より 192

<< 本文 >> 「明日を支配するもの」ほか
これからは事業活動の多くのプロセスが、提携、合併、アウトソーシングを基盤として行われる。グローバル経済では、事業展開は、所有権や支配権ではなく戦略を基盤として行われる。それらパートナーシップにおいては、経済連鎖(サプライチェーン)全体の視点から戦略と製品企画を立てなければならない。
かつては内製率が高いほど良いとされてきた。しかし、今日では常にどこで製造すべきかを考え、自社よりも良い仕事をより安くできるパートナーを探して外注することが必要てある。
こうして、あらゆる事業活動を経済連鎖の一環として世界中で展開することを考えることが必要な時代である。

(コメント)
本社は東京にあるが、テレホンサービスは沖縄の企業に外注している。コンピューターのプログラムはインドでつくる。ユニクロの初期基本戦略は、日本の本社で企画し、中国のメーカーで製造し、日本国内で販売するというものでした。小規模なベンチャー企業では、自らは製造または営業に専念するために、会計や労務管理は外注している会社が多いようです。日本年金機構でさえ、未納保険料の回収を民間企業に委託外注しています。
グローバル経済が進行し、競争が激化した結果、自社の強みを発揮できる分野に集中せざるを得ない状況となりつつあるようです。
その結果、原子力発電やパソコンの集積回路チップにおいて、かつてはライバルと目されていた企業とも、必要に応じて連携することが発生しています。
このとき、「自社の果たすべき役割」を明確にしなければ、自社は根なし蔓となってしまいます。
数十年前にPFドラッカー先生が予測した上記の状態が、確実にいま進行しつつあるようです。

2012年2月20日月曜日

PFドラッカー365の金言より 191

<< 本文 >> 「乱気流時代の経営」
収益とは、マネジメントの仕事ぶりの尺度ではなく、事業の成果の尺度である。事業の成果は、前任のマネジメントの仕事ぶりの結果である。
(その人の)マネジメントの仕事ぶりとは、主として明日に備えた仕事をすることを意味する。
事業の将来は、4つの分野における今日のマネジメントの仕事ぶりによって左右される。
投資である。投資収益率を期待に照らして評価しなければならない。
人事である。人事の成果は評価不能ではない。かなり容易に評価できる。
イノベーションである。研究開発の成果は評価できる。
戦略である。期待したことは起こったか? 目標は正しかったか? 目標は達成されたか?
である。

(コメント)
この教えは「今期利益が増えたから新しい社長は有能だ」と考えることは間違いであると教えています。今期の利益は、前任社長の投資、人事、イノベーション、戦略が成果として結びついた場合がおおいのです。
顧問先のある部門で今期とても業績を伸ばしている部門があります。この会社の経営者は、「今度の新しい部長は優秀だ」と評価していますが、私が見る限り前任の部長が部下を育て、業務改革を行い、いまの部長は前任部長のたてた戦略を継承実行しているにしか過ぎないように見受けられます。前任部長の成果がタイムラグを経て、いま成果として現れ始めているのだと思っています。ただし、正しい戦略を引き継ぎ、正しく実行している今の部長もそれなりに良い仕事ぶりだとは思っています。
地位が上にればなるほど、その人が考えて実行したことの成果が数字として現れるまでにはタイムラグが発生してしまうことが多いのが実情ですから、人の仕事ぶりを評価するときには注意したいものです。特に、マスコミの短視眼的評論に振り回されないことが大切です。書籍「エクセレント・カンパニー」でも著者は「大きな歯車を最初はユックリと一人で回し始めて、そのうちに徐々に加速して仲間を増やしていくようなもの」と表現されています。
そして、自らの仕事ぶりを自らが評価するときには、①投資、②人事、③イノベーション、④戦略の成果という4つの視点から評価することが必要です。そして更に、現業に近い人ほど「現在」の仕事をし、地位が上になるほど「明日」に備えた仕事をするのが役割であると考えた方が良いと思います。従って、社長や部長が今日の仕事に翻弄されているようでは、社長や部長は本来の役割を果たそうとしていないことになると思います。取締役会や役員会が、いま発生している問題解決に翻弄されていませんか?

2012年2月19日日曜日

PFドラッカー365の金言より 190

<< 本文 >>  「チェンジ・リーダーの条件」
企業活動の目標は、富の創出能力を最大化することである。その責任は、株主、顧客、従業員、取引先、地域社会の利害をバランスさせてマネジメントすることではない。トップマネジメントの責任は、「富の創出能力」を最大化させることである。
「富の創出能力の最大化」こそ
①短期と長期の成果を統合し
②マーケティング、イノベーション、生産性、人材育成などの事業上の成果を財務上の成果に結び付けるものである。
そして、この目標こそ、株主、顧客、従業員などあらゆる利害関係者を満足させるうえで必要なものである。

(コメント)
この先生の教えの中には明らかに論語の「中庸」の考え方が入っているような気がします。
利害をバランスさせようと中途半端な妥協をすることではなく、「AもBも最大化しよう」と両極を極めたうえで「第三の道」を見つけ出し両方を打開させようとすることがトップマネジメントには必要であると言われているようです。
そして、「長期」も「短期」も「富の創出能力を最大化させる方法」(A or Bではなく、A and Bの考え方)を模索するのがトップマネジメントの役割であると言われたいのではないでしょうか?
韓国のサムソン電子は、10年前には3流のメーカーでした。しかし、積極的に教育訓練、設備投資、研究開発等を続けて、日本企業が目先の利益に右往左往している間に、富の創出能力の最大化に努め世界の冠たるメーカーに成長しました。いま、自動車産業ほかにおいても同様のことが起こり始めています。
手に入れた富を如何に分配するかは大変に重要なことですが、顧客、従業員、取引業者、株主、金融機関、地域住民ほかの関係者を一層満足させるためには「富の創出能力」を高めることがもっと重要なことになります。そのためには、「今日の利益」(短期)と「明日の利益」(長期)のバランスを取るのではなく、それぞれを最大化できる対策を講じることが必要となるのではないでしょうか?

2012年2月18日土曜日

PFドラッカー365の金言より 189

<< 本文 >>  「現代の経営」
利益は事業活動の究極の判断基準である。
利益には3つの役割がある。
①事業活動の有効性と健全性を評価測定する指標としての役割。
②設備他の陳腐化、更新、リスク、不確実性をカバーする役割。
この観点から見るならば、所謂、利益なるものは存在しないことになる。事業継続のコストがあるだけである。こうしたコストをカバーすることは企業の責任そのものである。
③事業のイノベーションと拡大に必要な資金調達を可能にする役割。
である。
問題は、「利益は十分か?」である。未来のコスト、企業存続のコスト、創造的破壊のコストを賄うに十分な資本形成を行っているかである。

(コメント)
利益を判断基準にせず、売上を判断基準にしている会社は、いまでも沢山あります。その結果、そのような企業は倒産への道を静かに歩んでいくことになります。先日もある土木建設業の中堅企業から、売上は昨年より伸びているのだが資材が高騰しているため赤字受注が増え、2期連続で赤字となり債務超過に陥った会社からリストラ(事業規模縮小)の相談がありました。
先生は利益(企業が生み出す付加価値)の役割を上記3つにされていますが、昨今の状況を考えると私は、
①-1既存の設備の更新に備えるための利益(=減価償却)
①-2新規(拡大)投資や変革に伴う費用を賄うための利益(=投資)
②リスクや不確実性に備えるための利益(=内部留保利益)
③株主・金融機関への配当・利子のための利益(=配当・利息)
の3分類(4分類)に分けて予算建てすべきと思います。
その上で、この利益(付加価値)を生むために、どのような企業(営業)活動を行い、幾らの売上が必要なのかを算出して予算(目標)を策定すべきではないでしょうか?
そして更に重要なことは、本当に利益が出ていれば現金・預金が増える筈であるということです。税理士が使用する税務申告用の損益計算書ではこれが把握できません。例えば、期末在庫を増やせば利益はでるのです。従って、日々、月々の営業活動の利益を把握するためにはキャッシュフロー計算書(特に営業活動によるキャッシュフロー)で「現金・預金の増減」を把握することが必要となります。
そして更に重要なことは末尾にあります。日本の常識は世界の非常識と言いますが、日本の中小企業の多くは投資(上記①-1と①-2)をしようとするとき、直ぐに銀行から借りれば良いと考えてしまう傾向があります。しかし、先生は「普段から(内部留保として)少しずつ蓄えておくべきである」と指摘されています。

2012年2月17日金曜日

PFドラッカー365の金言より 188

<< 本文 >>  「現代の経営」
利益の最大化を唯一の目標にすることは間違いである。マネジメントとは、多様なニーズと目標をバランスさせることである。利益だけを強調することは、企業の存続を危うくするところまでマネジメントに誤りを導く。
その結果、今日の利益のために明日の利益を犠牲にする。売り易い製品に力を入れ、明日のため製品をないがしろにする。そうして利益の足を引っ張る投資を避けるようになる。
目標は、事業の存続と繁栄に直接かつ重大な影響を与える全ての領域において必要である。目標を設定すべき領域は八つある。
①マーケティング
②イノベーション
③生産性
④物的資金的資源
⑤マネジメント能力
⑥人的資源
⑦社会的責任
⑧利益
である。
これらのうち「鍵」となる領域は企業によって異なり、成長段階によって異なる。しかし、事業、業況、規模、成長段階の如何にかかわらず、目標を設定すべき八つの領域そのものは変わらない。

(コメント)
経済環境が厳しく競争が激化している現状では、短期的利益にばかり力を入れて長期的利益を考えない傾向がでています。企業内の人事評価においても、成果主義が失敗している大半の理由は短期的業績にばかり社員が目を向けて長期的業績改善に努力しなくなる点にあります。極端な場合には雪印、不二家、赤福ほかのように、短期的利益を偏重し社会常識・倫理を逸脱した結果、企業が存続え難くなる場合もあります。長期と短期のバランスをとることがマネジメントには必要であり、そのバランスのとり方がマネジャー(経営者)の価値観の現れとなります。そして、その際に必要な視点が8つあると先生は教えられていらっしゃるのではないでしょうか?
設備投資、人材教育投資などを行うと経費が増えますから短期的な利益は減ってしまいます。しかし、長期的な増益を考えるとこれらは必要経費なのではないでしょうか?この点に関して、単なる投資家と経営者の違いが決定的に鮮明になります。

2012年2月16日木曜日

PFドラッカー365の金言より 187

<< 本文 >>  「ネクスト・ソサイエティ」
あらゆる組織が、生き残るために、起業家的なシステムをもたざるを得ない。
①資源を費やす価値のなくなった製品、サービス、プロセス、市場、流通チャネルを「体系的に廃棄」していくことである。
②「改善を体系的に継続」して行っていくことである。
③成功したものについて「新たな展開を体系的に」図っていくことである。
④「体系的にイノベーション」を行い、最も成功している製品さえ、「自ら陳腐化」させていくことである。
これら4つの起業家的なシステムは、もつことが望ましいのではない。今日を生き残るためには持たざるを得ないのである。

(コメント)
ここで先生が教えられたいことは「計画的・体系的な廃棄・廃止」が組織活性化のためには必要不可欠なことであるということだと思います。
過去の歴史を振り返ってみますと、過去からの慣習に固執したり、現在に満足した瞬間から、組織の衰退が始まっている例は幾多見受けられます。
そして、先生のこの教えは論語の「一日を新たな気持ちで、日々を新たな気持ちで、また一日を新たな気持ちで」という言葉からもたらされているような気がします。

2012年2月15日水曜日

PFドラッカー365の金言より 186

<< 本文 >>   「マネジメント・・・課題、責任、実践」
目標は計画に落とし込まなければ、目論見(夢)にすぎず、目標があるとは言えない。
しかも有能な人達が取り組んでくれて、はじめてプラン(計画)は成果を上げる。そのような取組みがなければ、口約束と目論見に過ぎず、プラン(計画)ではない。仕事のできる者を誰か担当させているかを聞かなければならない。いま担当させる訳にはいかない。今日の仕事を終わらせなければならないという答えが返ってくるようでは、プランが無いことを認めたに過ぎない。
仕事は、責任、期限、評価、フィードバック(報告)を伴う。そして、何をいかに測定するかが、意味ありとすべきことと、なすべきことを規定する。

(コメント)
実務でよく直面する問題です。
目標をたて計画を組み、それを推進していくメンバーを各課から選出しようとすると、どの課もヒトを出したがらない。ましてや優秀な人材は、なおさら出したがらないのです。しかし、優秀な人材にプラン(計画)実施を担当させなければ良い成果は得られません。優秀な人材にプラン(計画)実施を担当させなければ、「目標をたてた」、「計画をたてた」とは言えないのです。優秀ではない人材に担当させる状態を私は「・・・レバ・・・タラいいナ!!」状態と呼んでいます。
プラン(計画)をたてても実行しなければ「絵に描いた餅」です。
プラン(計画)とは、「誰が」、「何日(時)までに」、「どうやって」、「どんな目標」を達成するのか、そしてそれを「どういう尺度で評価」(売上なのか利益額なのか、それとももっと別の尺度なのか)するのかを決めなければ、正しい成果は得られません。簡単に言えば、「責任者」「役割」「期限」「達成すべき目標の内容(質・量)」を決めることが必要です。
しかも、プラン(計画)が優秀な成績をあげる為には、最も優秀な人財に担当させる必要があるのです。そのため、優秀な人財に仕事が集まってしまうことになる点は注意すべき点です。

2012年2月14日火曜日

PFドラッカー365の金言より 185

PFドラッカー先生の教えの中で特に有名なフレーズです。

<< 本文 >>  「現代の経営」
企業とは何かを理解するには、企業の目的から考えなければならない。企業の目的は、企業の外にある。企業の目的として有効な定義はただ1つである。「顧客の創造」である。顧客が事業の土台として事業の存在を支える。顧客だけが雇用を創出する。社会が企業に資源を託しているのは、その顧客に財とサービスを供給させるためである。
企業の目的が「顧客の創造」であることから、企業には2つの基本的な機能が存在する。
①マーケティング
②イノベーション
である。
従って、自社の製品が顧客のどのようなニーズを満たしているかを考えることが重要である。

(コメント)
『企業の目的は「顧客を創造していくこと」であり、そのためには①マーケティングと②イノベーションが不可欠となる。その為に、将来の計画を基に「今日、何をすべきか」を考え、実行していくことが大切である』と先生は教えられていますが、世の中、そうはなっていない企業が沢山あるようです。まず「自分が何をしたいか」ではなく、「何をして顧客に喜んでもらおうか、満足してもらおうか」を考えることが必要なのではないでしょうか?
この先生の考えを元に、私は「企業の売上はどれだけ顧客に喜んでもらえたかを計る指数、利益はどれだけ正しい努力をしたかを計る指数」と考えています。顧客に喜んでもらうことだけを考えても、それが正しい努力でなければ利益を生まないことになります。無料で顧客に財・サービスを提供しても、それは利益を生まないサンタクロースにしか過ぎないからです。利益を生まないサンタクロースの役割をしていては企業は存続できなくなってしまいます。

2012年2月13日月曜日

PFドラッカー365の金言より 184

<< 本文 >>  「明日を支配するもの」
新しいものは全て、小規模にテストする必要がある。試行(テスト)する必要がある。
その為には、その新しいものの実現に意欲ある者を探さなければならない。新しいものは常に障害にぶつかる。そのとき戦う者を必要とする。成功せさると胸を張り、取り組む者を必要とする。しかも、それは敬意を払われる存在でなければならない。
こうして試行(テスト)に成功するならば、市場、デザイン、アフターサービスについて、誰も気づかなかった「問題」が明らかにされ、誰も気づかなかった「機会(チャンス)」が明らかにされる。
こうして変化に伴うリスクは最小限にとどめられる

(コメント)
当たり前と言えば、その通りのことです。しかし、実務では、新聞や雑誌の華やかな記事に影響され格好の良さを求めたり、競合先との関係を考える末に焦ったりして、試行(テスト)もせずに大規模に実行してしまうことが多々見受けられます。また、試行が必要とされるからイノベーター(変革者)は保守性が必要となるのです。
そして更に、「新しいことには困難が伴う」ということも安易に考えられる傾向があります。困難を乗り越えようとせずに、些細な困難を出来ない理由にしてしまうのです。そして、困難を乗り切るためには「意欲ある者」を探し出さねばなりません。意欲ある者を探し出すためには説得とリーダーシップが必要となります。
こうして試行(テスト)していくと、当初は予期されなかった様々な困難が明らかとなり、それを乗り越えることで他社との差別化が実現できるようになります。
その意味で、「考えただけの人」と「それを実行した人」との間には、火星と地球の距離以上の差があります。

2012年2月12日日曜日

PFドラッカー365の金言より 183

<< 本文 >>  「ネクスト・ソサイエティ」
起業家精神のある人は変化を当たり前のものとして見る。自ら変化を起そうとはしないが、変化を探し、変化に反応し、変化を機会として利用しようとする。それが起業家精神である。
変化を観察しなければならない。あらゆる角度から見なければならない。して機会となり得るかを問わなければならない。あらゆる変化について、本物の変化か、それとも単なる一時的な流行かを問わなければならない。見分け方は簡単である。本物の変化とは「人が行うこと」であり、流行とは「人が言うこと」である。話しにしか出てこないものは流行にしかすぎない。
そして、それらの変化を機会として捉えなければならない。最初から脅威としてしまったら、もうイノベーションは無理である。
何事であれ、目論見と違うからと言って無視してはならない。予期せぬことこそ、しばしば最高のイノベーションの機会となる。

(コメント)
一時的な流行に惑わされず、変化に気づき、変化を受け入れ、変化の中にチャンスを見出すことが大切であると先生は教授されています。
そして、末尾2行が特に大切です。自分の予想・推測・目論見と違うからといって事実を否定しないことが大切です。事実を事実として認めると、その中から自分の固定概念(思い込み)の間違いが見つかり、そこにビジネス・チャンスが潜んでいることが多いと教えられています。トヨタ自動車の「ナゼを5回繰り返す」カイゼン運動の根源はここにあるのかも知れませんネ。
そして最初に必要となる「変化に気づく」ことさえ非常に難しいことです。人間は経験が永いほど固定概念と慣習、そして思い込みに支配されていることが多いため、普段から問題意識を持っていなければ中々できることではないと思います。その結果、「人間は過去の自分の成功体験により失敗する」という格言が生まれたのではないでしょうか? 環境が変化し、状況が変わったのに、過去の自分の成功体験に拘り過ぎて失敗してしまうことは多いものです。これを防ぐにはブレイクスルー思考法が教える「個々の問題はそれぞれに特徴がありユニークである(ユニークさの原則)」を基に考えることが必要です。

2012年2月11日土曜日

PFドラッカーの金言365より 182

<< 本文 >>  「現代の経営」「すでに起こった未来」「未来への決断」「明日を支配するもの」
今日の常識が明日の非常識となる。
先進国において、おそらく世界全体についても、既に一つのことが確実である。それは、根本的な変化の続く時代に入ったということである。あらゆる組織が変化のために組織されなくてはならない。もはや起業家的なイノベーションをマネジメントの枠外ないしは辺境に位置づけることは許されない。イノベーションこそ、マネジメントの中核に位置づけなければならない。
そもそも組織の機能は起業家的たるべきものである。それは、知識を仕事、道具、製品、プロセス、更には知識そのものに適用することである。
イノベーションの必要性を最も強調すべきは、技術変化が劇的でない事業においてである。技術変化が劇的でなく人目を引かない事業ほど、組織が硬直化する危険が大きい。意識してイノベーションに力を入れることが必要である。

(コメント)
ある仏壇屋さんは、変化を嫌い昨日までと同じことが今後も続けられることを念願し、変化から逃げ続けてきました。昔は金庫に金塊がいくつもある位に資金的ゆとりがあったのですが、10年後の今では倒産の危機に瀕して私財を投入することで事業をかろうじて継続されています。通りを挟んで斜め対面にある仏壇屋さんはこのたび廃業されました。
100mほど離れた所にある仏壇屋さんは業界の常識に挑み、自ら変化を創り出し、その変化にチャレンジして、10年間のうちに日本国内でも有数の仏壇屋さんに成長させました。
売っている仏壇に大差はありません。
この差を見ると、組織(特に経営者)のイノベーションに対する考え方の違いにより、その後の企業の成長に格差がついてしまうことを痛感させられます。

2012年2月10日金曜日

PFドラッカー365の金言より 181

<< 本文 >>  「乱気流時代の経営」「ザ・ハウツー・ドラッカー」
マネジメントに携わる者は、危険、機会、変化に備えるには何をなすべきかを考えければならない。
①「俊敏」に動けるよう、組織のぜい肉を落とさなければならない。重要なものに力を注げるよう、適切ならざる事業や活動を廃棄しなければならない。
②「時間」を最も高価な資源とし管理しなければならない。
③「成長の種類」を識別し、管理しなければならない。生産性の向上があって、はじめて健全な成長と言える。
④最も重要なこととして、「人材の育成」に努めなければならない。

(コメント)
①俊敏・機敏に動く組織をつくりあげること、そして何が重要なことなのかを正しく識別する能力をつけることが大切です。兵法にも「兵の拙速なるを見るも、いまだ巧なるを以て久しきを見ざるなり」とあります。ただし、拙速とは軽率な行動を意味するものではありません。拙速に行動できる為には普段の準備が大切となります。
②「時間」の管理が大切なことは言うまでもないことです。自分や組織の行動を1週間単位の時間で管理するか、1日単位か? 因みに私は、1日24時間単位で管理すると長すぎるので、2時間単位のブロックを分けて管理するようにしています。
③成長するチャンスはいたるところにあります。ただ気づかない人が多いだけです。本文にも「天より食物が降るとき、ある者はスプーンを取り出し、ある者は傘を取り出す」という箇所があります。しかし、そのチャンスがいかなる方向性をもつものであるのかを考えることが必要です。自分の目指す方向性を有するチャンスを選別することが大切です。
生産性が向上しない規模の拡大のことをPFドラカー先生は「肥満」と言われます。規模が拡大しなくても生産性が向上すれば企業は成長しているのです。
④組織にとって「人材の育成」が最も重要なことは言うまでもありません。どんなに優秀な設備があり、またどんなに豊富な資金があっても、それを正しく使う人材がいなければ、それらは十分な成果をあげることはできません。そのため人材の育成が重要となるのです。

2012年2月9日木曜日

PFドラッカー365の金言より 180

<< 本文 >>  「マネジメント・・・課題、責任、実践」
マネジャーは部分の総計を超える全体を創造しなければならない。それは、自らのビジョン、働き、リーダーシップによって、たくさんの楽器の音を統合するオーケストラの指揮者に似ている。
真の全体を創造するにし、全体としての成果と、それらの成果を実現するための多様な活動との双方を見なければならない。
マネジメントに携わる者は、
第一に、全体として如何なる成果の向上を必要とするか、そのためには個々の活動に何が要求されるのかを問い、
第二に、それらの個々の活動はいかなる向上が可能か、それによって如何なる全体の成果が可能となるかを問わなければならない。

(コメント)
組織は放っておくと「烏合の衆」となり、個々人の力を合わせたもの未満の成果しか挙げられなくなってしまいます。「1+1<2」となってしまう可能性があるのです。
ピーター・M・センゲ著「最強組織の法則」(徳間書店)では「一人ひとりの管理職のIQ(知能指数)が120を超えても、集団ではIQ63になってしまうことが何故起きるのか?」と指摘されています。
この状態になると、組織として活動するよりも、個人で活動した方が良い成果を生むことになってしまいます。何故ならば、ヒトが増える程、打ち合わせ他の余分な仕事や作業が増えてしまうからです。
マネジメントの役割は「1+12」となるような成果を生み出すことです。これを「テコの原理」と組織論では呼びます。マネジャーにとって「1+12」では不十分なのです。
しかし現実には、会社方針も計画も無く、だだただ個人が頑張って業績を挙げようとする会社が多いことには驚くばかりです。これでは「1+12」となることはあっても「1+12」となり得ることはあり得ません。
「1+12」となり得るためには、
①組織全体として達成すべき成果を明確にして
②その成果を達成するための個々人の役割を明確にする(役割分担)
③その上で、個々人のどんな能力を向上させることが可能か
④③の結果として組織全体としてどんな成果を向上させることができるか
を検討し、組織全体の成果を向上させることを実行することが必要なことです。
そうしなければ、個人に無理なことを要求する結果として組織目標が達成できなくなったり、個々人の活動が相殺し合うことも生じる結果、「1+12」となり得なくなってしまいます。

2012年2月8日水曜日

PFドラッカー365の金言より 179

<< 本文 >>  「イノベーションと起業家精神」
イノベーションに成功する者は保守的である。
イノベーションを成功させる人達は、リスクを求めて飛び出すよりも、時間をかけてキャッシャフローを調べる。彼らは、みなリスクを明らかにし、それを最小限にしようとする。リスク志向ではない。機会志向である。

(コメント)
真のイノベーションを実現する人は機会(チャンス)を活かそうとするが、無謀なリスクは避けようとする。そのためには保守性が必要となる。投資と博打は違う。将来を予測し、リスクを最低限にしようと試みる。このときに重要なのがキャッシュフローである。
従って、イノベーションに成功する者の活動は地道であり、新聞や雑誌の記事にはなり難い。

2012年2月7日火曜日

PFドラッカー365の金言より 178

<< 本文 >>   「創造する経営者」
未来を予測しようとしても無駄である。しかし、未来をつくるためのアプローチとして、互いに補完関係にある2つの方法がある。
①すでに起こった未来を利用すること
②来るべき未来を発生させること
である。
すでに起こった未来は、組織の内部ではなく外部にある。社会、知識、文化、産業、経済構造にある。それは一つのトレンドにおける小さな変化ではなく、大きなトレンドそのももの変わり目である。すでに起こった未来を探し、それが与える影響を予期することによって、人は新しいものの見方を獲得する。
しかし、未来を予測するだけでは問題を招くだけである。なすべきことは何か、すでに起こった未来に取り組むべきことは何かを考え、或いは来るべき未来を発生させるべく働くことである。

(コメント)
先生は、未来を予測するときに「占い」や「予想」に頼ることを否定されています。時代の大きな流れ(トレンド)の中から、その変化を見つけ出すことを勧められています。
先生は特に人口構造の変化(少子高齢化)を重視するように説かれていますが、卑近な私では人口構造の変化からトレンドを見抜くことは難しいのですが、大震災後からは自動車産業がガソリン車から電気自動車に様変わりしつつあること、インターネット、携帯電話やスマートフォンの普及により情報産業が大きな変わり目を迎えている事は分かります。また携帯電話が普及したため、街角の時計屋さんが消滅し、カメラ屋さんも消滅したこともわかります。コンビニが普及して街角のパン屋さんやタバコ屋さんが消滅していったことも分かります。モノの値段がドンドンと下落していき、従来のようにモノを売って儲けようとしても無理な時代が到来しつつあり、所有価値より使用価値が重視され、そこでは何がしかの人的付加価値(サービス)が必要とされつつあることもわかります。挙げればキリが無い位に、社会が変わり始めていることも分かります。
しかし、変化に気づくだけでは成果とはなりません。計画をたて、行動することが必要です。他に先駆けて変化を起し、消費者ニーズを先導する者には失敗というリスクの代償として利益という報償が用意されています。

2012年2月6日月曜日

PFドラッカー365の金言より 177

<< 本文 >>  「マネジメント・フロンティア」
イノベーションに優れた組織は、イノベーションがアイディアから生まれることを知っている。アイディアは赤ん坊に似ている。小さく未熟で形も定まらない。有望ではあるが実績はない。従って、イノベーションに優れた組織では、どんなアイディアでも「これは馬鹿げたアイディアだ」などとは言わない。これは生まれたての、未熟な、たいのないアイディアを意味あるものにするには何が必要かを問う。
それらの組織は、アイディアの大部分がアイディアのまま終わることを知っている。従って、イノベーションに優れた組織のリーダーは、アイディアをもってくる者に対し、技術・製品・プロセス・事業に育てあげるうえで必要となる仕事について徹底的に考えを求める。本格的に取り組む前に何をしなければならないか、何を見つけ出し、何を知らなければならないかを問う。
しかも彼らは、小さなイノベーションを行うのも大きなイノベーションを行うのも、同じように難しく、同じようにリスクが大きいことを知っている。彼らは製品や技術の小さな改善に留まることをしない。新しい事業を始めることを狙う。

(コメント)
部下が意見やアイディアを具申してきたときに、頭から否定してチャンスの芽を自ら摘み取っていませんか? 「何を馬鹿なことを部下は言っているのだ」と自分が思う事の中に新しい潮流の兆しが潜んでいることがあります。

2012年2月5日日曜日

PFドラッカー365の金言より 176

<< 本文 >>  「マネジメント・フロンティア」「明日を支配するもの」
イノベーションが本物であるか偽物であるかは、そのイノベーションが価値を創造しているか否かによって判定される。イノベーションとは、『顧客にとっての価値の創造』である。新奇さは面白いだけである。
イノベーションであるか否かは生産者が決めるのではない。顧客が欲し、その代金を支払うことによって決まる。
イノベーションに優れた組織は、科学的あるいは技術的な重要度によってではなく、顧客への貢献によってイノベーションを評価する

(コメント)
画期的なアイディアだと考えて新規事業を立ち上げて失敗する人が多いのが実社会の実情です。その原因の大半がここの指摘の中にあります。顧客の立場にたった基準ではなく自分の基準によってイノベーションを評価して思い込んでしまっているのです。
顧客の立場になって自らが行おうとすることを評価してみることが大切です。
そして、更に実行するタイミング(時機)も重要な要素となります。どんなに良いアイディア・考えも時機を逸するとイノベーションとはならなくなってしまいます。

2012年2月4日土曜日

PFドラッカー365の金言より 175

<< 本文 >>   「明日を支配するもの」「ネクスト・ソサエティ」
変化はコントロールできない。できるのは、変化の先頭に立つことだけである。今日のよう乱気流の時代にあっては、変化が常態である。変化はリスクに満ち、楽ではない。悪戦苦闘を強いられる。だが、変化の先頭に立たない限り、生き残ることはできない。急激な構造変化の時代を生き残れるのは、チェンド・リーダーとなる者だけである。
チェンジ・リーダーとなる為には、変化を脅威としてではなくチャンスとして捉えなければならない。変化を探し、本物の変化を見分け、それらを意味あるものとして利用しなければならない。
自ら変化をつくることにはリスクが伴う。しかし、自ら未来をつくろうとしないことの方がリスクは大きい。成功するとは限らない。だが、自ら未来をつくろうとせずに成功することはない。
変化をコントロールする最善の方法は、自ら変化をつくりだすことである。

(コメント)
受動的に変化に対応しようとするのではなく、寧ろ自ら変化を創り出すことで、自らを存続・維持・発展させる道を創り出す努力が大切であると言われています。
受動的に変化に対応しようとすると、変化に振り回され、自らを見失ってしまうことになります。
自ら変化を創り出すようにすると、自らが中心となり計画化することが可能になります。
しかし、人間は昨日までのことを変えることに抵抗する傾向がありますから、自ら変化を創り出すことには勇気が必要です。
ブレイクスルー思考法の中に、「電球は切れてから交換するのではなく、切れる前に交換しよう」という原則があります。電球か゛切れてから慌てて電球を暗闇の中で探し回ることは大変なことです。それよりも電球が傷んできたなと思ったとき(電球が切れる前に)に交換してしまうと暗闇で電球を探すことが必要ではなくなります。電球を止めてLEDにすれば(手段・方法を変える)このような心配は不要になるかもしれません。「壊れる前に治せ」とは先生のこの教えからきている原則だろうと私は思います。

2012年2月3日金曜日

PFドラッカー365の金言より 174

<< 本文 >>  「マネジメント・・・課題・責任・実践」
目的と使命に取り組むうえで答えるべき究極の問いは、「顧客にとっての価値は何であるか」である。これが最も重要な問いである。しかし、最も問うことの少ない問いである。答えはわかっていると思い込んでてるからである。品質が価値だという。だが、この答えはほとんど間違いである。顧客は製品を買っているのではない。買っているのは、欲求の充足である。彼らにとっての価値である。
10代の少女にとって、靴の価値はファッションにある。流行っていなければならない。価値は二の次であって、耐久性など全く意味がない。ところが数年経って母親になると、ファッションが絶対ではなくなる。流行遅れは買わない。しかし、重視するのは耐久性、価格、履き心地である。10代の女の子にとって価値あるものが、その姉には価値が無い。
何を価値とするかは、顧客だけが答えられる複雑な問題である。推察してはならない。顧客の所へ出かけて行き、顧客に訊かなければならない。

(コメント)
昨日のブログに続いて、この先生の教えは大変に重要な教えだと思います。
①顧客が価値ありとするものは
②顧客だけが知っている
③しかも、年齢やその顧客の状況によってそれが変わっていく
④それを推察してはならない
⑤顧客の所に行き、顧客に直接訊くこと
が大切であると教えられているのではないでしょうか?
顧客が、他に無いからシブシブそれを買ったのか、喜んで買ったのかは売上数字からは分かりません。
昨日は20年ぶりに旧友が経営する建材屋さんに行きました。昔は沢山の従業員さんがいらっしゃったのですが、今は4人の従業員さんだけで維持しており、細々と辛うじて経営を維持しているそうです。サプライチェーンが発達して地方問屋に在庫を持つ必要がなくなった現在では、建材というモノだけを売っていると経営は維持できなくなってしまうと思います。
また昨日、地方の中堅企業である建設会社にお伺いしました。リストラの相談です。社長は技術畑のご出身で「良い建築物を建築するにはどうすべきかは十分に分かっている」と言われていました。しかし、社長が考える「良い建築物」が果たして顧客の価値ありとするモノ・コトを満たしているのか否かについては何も言われませんでした。
別の顧問先の中に電話交換機屋さんがあります。今時、電話交換機を知っている人も少ないと思いますが、一昔前までは中堅企業以上の規模では必需品でした。この企業の昔しは電話交換機を販売し敷設工事することがビジネスの中心でしたが、今ではIPフォンや携帯電話をパソコンと連動させシステムを構築することがこの会社のメイン・ビジネスとなっています。
企業は「変化適応業」であり、顧客のニーズは変化していくものだと思います。そして、最も厄介なことは、顧客自身が自分の真のニーズに気づいていないことが多いことです。そのため、顧客に直接に訊き、そこから専門家が推測し(顧客の半歩先を行って提案する)、それを顧客に確認することが一番必要な時代となっていると思います。だから数年前から、「仮説→検証→実行」が大切と言われているのではないでしょうか?
孫子の兵法に「必死は必死」とあります。拘り過ぎると、かえってそれが死の原因になってしまうという意味です。変化の激しい現代では、自分の過去の成功体験に拘り過ぎると死滅の遠因となってしまうことが多いようです。

2012年2月2日木曜日

PFドラッカー365の金言より 173

<< 本文 >>  「マネジメント・・・課題、責任、実践」
「顧客は誰か」の問いこそ、企業の目的と使命を定義するうえで、最初に考えるべき最も重要な問いである。やさしい問いではない。まして答えのわかりきった問いではない。だが、この問いに対する答えによって、企業が自らをどう定義するかが決まってくる。
最終需要者たる消費者は、常に顧客である。しかし、ほとんどの事業が2種類の顧客を持つ。その両方が買ってくれなければならない。生活用品のメーカーは主婦と小売店という2種類の顧客を持つ。主婦に買う気を起させても、店が品を置いてくれなければ何もならない。店が目につくように陳列してくれても、主婦が買ってくれなければ何もならない。一方だけでは売上につながらない。

(コメント)
最も重要な先生の教えだと私は考えています。
特に、事業規模が大きくなると色々な特性をもった顧客が増え、自社が「主たる顧客」と考えている顧客がわからなくなってしまいます。「主たる顧客」は単に売上高だけから決められるものではありません。売上数字は過去の数字であり、「顧客は誰か」と自ら考えることは未来に向かってのことだからだと思います。一時流行った「選択と集中」は顧客を明確にする処から始まります。
中小・零細企業はあれやこれやの顧客を相手にしなければ存続・維持できないと言われます。ましてや地方の中小・零細企業は尚更のことです。しかし、それでは成長するのに一定の限界があります。中小・零細企業は、あれやこれやの顧客に対応して少しずつ成長し、その過程で顧客が自社に期待することを考えて未来の顧客を創造していきます。そして、その過程では無視する顧客のニーズもでてきます。ということは「自社の顧客は誰か」ということを無意識のうちに行っていることになります。無意識のうちにやってしまうよりも、明文化し明確にすれば(間違っていれば修正すれば良い)より一層効果的に組織が活動し成長できるようになります。朝令暮改は悪いことではなく、止むを得ないことなのです。ましてや変更は必要なことなのです。

2012年2月1日水曜日

PFドラッカー365の金言より 172

<< 本文 >>  「マネジメント・・・課題・責任・実践」
会社の事業は、社名や定款や設立趣意書によって定義されるものではない。顧客が満足させる欲求によって定義される。顧客を満足させることが、企業の使命であり目的である。従って、「われわれの事業は何か」との問いは、外部すなわち顧客と市場の観点から見て、初めて答えることができる。顧客が見、考え、思い、欲しがるものを客観的な事実として、セールスマンの報告、技術者の実験、会計士の数字と同じように正面から受け止めなければならない。
顧客の心を読もうとするのではなく、顧客自身から直接答えを得るべく意識して努力しなければならない。

(コメント)
だから、「わが社は何を事業とする会社か」を考えるとき、最初にやるべきことは自分や社内で考えることではなく、まず現場に立って顧客に直接訊くことから始めることが必要です。そして、そこで体感(五感を使い感じ取ったこと)したことを元にして考えてみることが必要です。「わが社の事業は何か」を決めているのは社長ではなく顧客なのです。
昔しは街角に電気屋さんがあり、そこでテレビや冷蔵庫を買っていた時代があります(40年位前)。しかし、その後はそれらを買う時にはヤマダ電機のような大型電気量販店で買い、街角の小さな電気屋さんでは電球や蛍光灯が切れて急に必要となったものだけを買うようになりました。この時代には街角の電気屋さんとは別に家庭の電気の具合が悪いときには修理屋さんがありました。しかし、いま生き延びている街角の電気屋では電気の不具合やパソコンの不具合もある程度は修理し生活に密着することで生き延びているようです。街角の電気屋さんに顧客が期待することが時代とともに変わったのであり、その変化に対応できた電気屋さんが生き延びています。過去に私とご縁があった企業の中に街角の電気屋さんに製品を販売する卸問屋さんがあるのでよく判ります。そこでは、一昔前までは大型量販店に街角の電気屋さんが対抗できる商材を探すことが主たる目的でした。その後は、売り出し等の販売企画を提案し共同チラシをつくるボランタリーチェーン本部のように変化されました。そして、最近では街角の電気屋さんに保守(修理)技術を指導・教育することに力を入れられているようです。
そして何よりも大切なことは、「こうすれば顧客のためになる筈」と考える前に顧客にストレートに訊いてみることが大切です。ただし、顧客も自分がどうしてもらえたいのかが分かっていない場合が多いですから、色々な顧客に訊いて、次には自分で考えるしか方法はありません。その上で実行しながら修正を加えていき、顧客の真のニーズを探り出していくことが必要だと思います。その為、考えても実行していなければ意味のないことになってしまいます。

2012年1月31日火曜日

PFドラッカー365の金言より 171

<< 本文 >>  「産業人の未来」
いかなる権力も、正統でない限り永続きしない。いかなる社会といえども、一人ひとりの成員を組み入れない限り機能しない。産業社会にしても、それを構成する一人ひとりの人間が「位置づけ」と「役割」を与えられない限り、解体ざるを得ない。
大衆は反逆しない。しらけるのみである。自由にともなう責任から逃れるだけである。自由とは、そこに社会的な意味がなければ負担と脅威以外の何ものでもない。
われわれには二つの道しかない。社会として機能する産業社会を構築するか、自由が無秩序や圧制のうちに消滅するのを座視するかのどちらかである。

(コメント)
本文の「社会」と「産業社会」を「会社組織」に置き直してお読みください。意味深い教えだと思います。
①権力には正当性が必要である。
②各構成員の「位置づけ」と「役割」を明確にしなければならない。
自由には責任が伴う。責任を伴わない自由は無秩序か、圧制を招くだけである。
会社組織と言えども以上を踏まえて運営しなければ、いずれは崩壊してしまうか、或いは独裁体制を招いてしまうという教えであろうと思います。
PFドラッカー先生の経歴は、欧州オーストリアに生まれ、ドイツに移り住んだもののナチスの圧制から逃れるためイギリスに渡り、その後にアメリカ合衆国に移住された筈でから、自由と圧制を体感されています。先生はこの体感を会社組織にも当てはめるべきだと教えられたいのではないでしょうか?

2012年1月30日月曜日

PFドラッカー365の金言より 170

<< 本文 >>  「現代の経営」
技術の発展はマネジメントの領域を拡大する。一般社員とされている人達の多くがマネジメントの仕事を行わなければならない。あらゆるレベルにおいて、責任、能力、ビジョン、リスクの選択、マネジメント手法、ヒトのマネジメント、意思決定能力に対する要求が増大していく。
新技術は最大限の分権化を要求する。中央の計画によって経済を運営すべく、自立した企業の自由なマネジメントを避ける社会は全て滅びる。責任と決定の権限をトップに集中する企業も同じ運命をたどる。
環境変化に対応できない小さな中枢神経によって、巨大な体をコントロールしようとした恐竜と同じように滅びる。

(コメント)
自立した社員を育てる必要性と会社理念・方針を徹底させる必要性が説かれる根拠はここにあります。
不規則で激しい環境の変化が続く現代において、またパソコンやインターネットが普及した現代において、中央集権的な組織運営をしていたのでは環境の変化に適応できなくなってしまいます。そこでは分権化が必要となり、また分権化が行われるから一般社員にまでマネジメント能力が要求されるようになったのです。役職者でない一般社員がプロジェクトのリーダーに選任され、プロジェクトのマネジメントを行わなければならないことは日常茶飯事です。また更に、プロジェクトではないにしても、それぞれの仕事が専門化した現代においては人間一人ができる仕事の範囲には限りがありますから、関係者を巻き込むことで自らの目的を達成することが必要かつ不可欠となっています。この状況下において、巻き込んだ人達をマネジメントする必要が生じてきます。
そして、会社が組織本来のメリットを活かすために「力の集結」を図ろうとすると、会社理念・方針を社員に浸透させることで、会社の方向性(基本戦略)を示し、各自のマネジメントの方向性を束ねていくことが必要となったのです。
そして、その為には「これをしろ・・・」「あれをしろ・・・」という命令ではなく、結果として従業員とのコミュニケーションが重要になる考え、従業員を自立させていくことが必要となっているのだと思います。そうしなければ、会社は不規則かつ急激な変化を続ける環境に適応できなくなってしまいます。

2012年1月29日日曜日

PFドラッカー365の金言より 169

<< 本文 >>  「すでに起こった未来」
経済的な発展は、経済的な富ではなく、人間のエネルギーによってもたらされる。人間のエネルギーを生み出し、その方向づけを行うものがマネジメントである。
資金しかなかった所に経済的発展は見られなかった。マネジメントの力によって人間のエネルギーを結集した所でのみ、急速な経済発展を見ることができた。
経済と社会の発展はマネジメントの結果である。発展途上国など存在しない。あるのはマネジメント途上国である。

(コメント)
本文の「経済的発展」を「会社の発展」に置き直してください。
会社が成長するには資金や設備(カネとモノ)が必要です。しかし、その資金と設備を生み出すものは人間の智慧です。また資金や設備があったとしても、それを使うのは人間(ヒト)です。従って、「会社を成長させるのはヒトであり、倒産させるのもヒトである」と言えます。そして、ヒトのエネルギーを結集させてパワーを生み出すためにはマネジメントが必要となります。
ここで注意すべきことがあります。よくマネジメントとは「管理することなり」と思い込んでいる人がいます。しかし、これはマネジメントの一部しか考えていません。マネジメントは「人間(ヒト)のエネルギーを集結されること」も必要とされます。従って、どんなに管理が徹底されていても、エネルギーを終結させることが出来ていなければマネジメントしているとは言い難い状態といえます。そのため、マネジメントには「ヒトの力を集結させる目的・目標を見つけ出し、創造することが必要である」と言われます。結果として、マネジメントには①管理力(狭義のマネジメント)と②創造力が必要であるということになります。
これをもっと具体的に表現すると、「◎◎が無いからできない」「××だから出来ない」と「出来ない理由探し」をしている限りはマネジメントしていることにはならず、「どうすれば出来るようになるか」を智慧と勇気を振り絞って考え実行している状態がマネジメントしている状態と言えると思います。これをMSRでは「出来ない理由探しよりも、出来る方法探しをしよう」とスローガンにしています。色々なベンチャー企業さんや、倒産の危機に瀕した企業の再生をお手伝いしていると「出来る方法探し」の大切さを痛感する次第です。

2012年1月28日土曜日

PFドラッカー365の金言より 168

<< 本文 >>  「断絶の時代」
再民間化とは、家族やコミュニティが担いきれなくなったために政府に任された仕事を、政府以外の組織に戻すことである。再民間化に企業が適しているのは、それがイノベーションのための組織だからである。他の組織はすべて、変化を阻止するか、少なくとも緩和するためにつくられている。それらは、止むを得ざる時に不承不承イノベーションを行う。
しかも企業には、政府に不可能な2つのことができる。第一は、事業を止めることができる。市場で活動しているならば事業を止めざるを得ないことがある。第二に、企業は社会が消滅を許す唯一の組織である。企業は仕事ぶりを厳しく評価される。消費者は製品がどれだけ役に立つかだけを考える。役に立たなければ、それをつくった企業が消滅しても残念とは思わない。投資家も残念とは思わない。
企業が優れている最大の理由は、利益の機能にあるのではない。赤字の機能にある。だからこそ企業は、あらゆる組織のうち最も適応性に富み、最も柔軟である。

(コメント)
郵便局が無くなっても、やまと運輸さんが頑張ってくれる時代となりました。一昔前に第三セクターが流行った時代がありましたが、当時の第三セクターは天下り集団に過ぎず、設立されて暫らくすると利益に対する責任意識が薄いためにイノベーションを拒否または回避するようになり、大半の第三セクターはその役割ほ果たすことなく消滅していきました。
本文で最も重要だと私が思う箇所は、最後の2行です。先生は別書籍で「企業とは変化適応業なり」と言われています。
しかし、民間企業でもイノベーションや変化を嫌う企業は沢山あります。そして、それらは大きなトレンドで見ると、いずれ消滅していっています。「もっと儲けるためにイノベーションを行う」のではなく「将来、赤字にならないために今イノベーションを行う」というと消極的に聞こえるかもしれませんが、投機的行動を避け地に足の着いた堅実なイノベーションを行うためには、最低限に必要とそれる考え方だと思います。
企業は環境の変化に適応し利益を上げて行かなければ、いずれ市場から淘汰され消滅せざるを得なくなります。イノベーションの妥当性・適切性を判断する指標が「利益」である(「利益」が先にあるのではない)と先生は言われたいのではないでしょうか?
私への相談依頼先に、変化を避ける企業があります。昨日まで、昨年まで、今までと同じやり方でなんとか生き延びていこうとしています。そのことに一生懸命なのですが、残念ながら変化に対応しないため利益が出ないため、年を経るごとに事業規模は縮小しています。一方では、協同組合でありながら、組合員のために変化に適応する事業を考え実行されている組合があります。この組合では、毎年利益がでていると聞きます。しかし、この組合は「利益」のためにイノベーションを繰り返している訳ではなく、組合員により一層貢献するためにイノベーションを繰り返すから結果として「利益」がてでいるという状態ではないかと考えます。
尚、この「断絶の時代」という先生の書籍を、いまから30年位まえの学生時代に私は読み、中小企業を経営する父親に話しましたが理解して貰えなかったことを今でも覚えています。あのとき「利益が先だ」と主張する親爺と、「利益は結果だ」と言う私の主張はかみ合いませんでした。いま思えば懐かしい親爺とのやり取りでした。

2012年1月27日金曜日

PFドラッカー365の金言より 167

<< 本文 >>  「ポスト資本主義社会」
組織は成果(社会への貢献)をあげる能力を取り戻さなければならない。再建されなければならない。企業、政府、労組、大学、病院のいずれであれ、再建には3つの段階が必要とされる。
ステップ① 機能しないもの、機能しなかったもの、有益性や貢献能力を失ったものを「廃棄」すること
ステップ② 機能するもの、成果を生むもの、組織の能力を高めるものに「集中」すること
ステップ③ 半ば成功し、半ば失敗しているものを「分析」すること
再建のためには、成果を生まないものは全て廃棄し、成果を生むものは全て更に行わなければならない。うまくいっているものに集中することによって成果を高めることが大切である。

(コメント)
俗に「選択と集中」と呼ばれる組織再生の原則は、PFドラッカー先生のこのお考えから生まれました。
ただし、先生が第一ステップで「廃棄」から始められていることに注意すべきです。廃棄・廃止しなければ、本当の意味での集中はできません。しかし、既得権や利害集団、あるいは過去の慣習に阻まれて「廃棄」が一番難しく、勇気とリーダーシップが必要とされるのです。
昨年末に私は自宅の色々なものを一機に廃棄しました。いつか使うだろう、もったいない、昔使った思い出の品等々が溜まり、日常生活に支障が出る状態となっていたのです。必要かつ最低限のもの以外は残さないようにしました。そうすると、無駄なく効率的な日常生活が過ごせるようになり、快適な日々が続いています。
よく同じようなことは会社の事務所でも見かけます。資料保管ロッカーは使いもしない資料が山積みにされている、机の引き出しの中に1年以上見たことも無い資料が入れられている。これらは、いずれも業務を妨げてしまいます。
だから、組織を活性化する第一歩は「5S運動」(整理、整頓、清掃、清潔、しつけ)から始まると言われます。整理整頓の習慣を定着させることで、無駄なもの、機能していないものを削ぎ落とし、効率的・能率的かつ有効性の高い活動が行えるようにすることが必要です。その上で、うまくいっているもの(相対的に判断)に集中していくと、業績は自然と上がってくるようになる場合が多いのが実情です。

2012年1月26日木曜日

PFドラッカー365の金言より 166

<< 本文 >>  「産業人の未来」
我々はすでに、経済発展が最高の目的であるとする信条を捨てた。経済的な成果を最高の価値にすることはやめ、数多くの価値の一つにすぎないことは、つまるところ、経済活動をあらゆる社会活動の基盤として扱うことを止めるということである。経済的な領域を社会の中心的な領域とすることを止めるということは、更に大きな意味をもつ。それは、人はみな経済人(エコノミック・マン)であり、行動の動機は経済的であり、自己実現は経済的な成功と報償によって測られるという信条を捨てることを意味する。
われわれは、人間の本質および社会の目的についての新しい理念を基盤として、じゆうで機能する社会をつくりあげなければならない。従って、我々は社会についての理念を見つけなければならない。
その為、マネジャーは全員が全力をつくして貢献することができる目標を示すことが必要である。

(コメント)
私は「顧客満足は従業員の満足から始まる」と考え、数年前からGPTW(Great Place to Work)による「働きがい」の定義を参考にアンケート用紙をつくり、給与体系を変更した後には従業員さんからのアンケートを募るようにしています。
私の考えとしては、労働条件(給与、労働時間、休日等)は従業員の「やりがい・満足度」を得る基礎となるもので、労働条件は従業員の期待値を下回ると不満の源となるが、逆にそれらが高いだけでは決して従業員のやりがい・満足度が高くすることは出来ない衛生要因のようなものであり、家を建てるときの基礎工事(土台)にあたるものだと考えています。そして、従業員のやりがい・満足度を得ようとすると、その土台のうえに「上司・経営陣との信頼関係」「仕事への誇り」「同僚との人間関係」という柱を立てることが必要であると考えてアンケート用紙を作成しています。
やり始めた頃は「何を無駄なことをしているのか?」と煙たがられましたが、最近では「ありがとう。良い参考になる」と言われるようになりました。明らかに、「給与は多い方が良い」「会社は規模が大きい方が良い」という価値観が変わり始めている証だと思います。その典型が、昇進させようとすると「管理職になると責任が重くなるから今のままの方が良い」と昇進を拒否する若人が現れていることではないでしょうか? 明らかに従業員の価値観が変化し過去の成長第一主義の価値観が通用しなくなりつつあります。
その状況下において、会社が肥満ではなく内実を伴った成長をするためには、会社の目的・理念が従業員さん達と共有され、目標が明確になっていることが必要不可欠であると考えます。

2012年1月25日水曜日

PFドラッカー365の金言より 165

<< 本文 >>  「企業とは何か」
企業にとっての利益の追求は、自動的に社会的責任の遂行を意味する。
経済的な目的は、企業が社会的責任を免除されるべきことを意味しない。逆に、企業にとっての利益の追求が、自動的に社会的責任の遂行を意味しなければならない。
企業を基盤とする社会は、個々の企業が自らの社会的意識にかかわらず、社会の目的と安定に貢献することによってのみ意味する。

(コメント)
この先生の言葉は、平常時に聞くと当然のことのように聞こえます。しかし、企業が存亡の危機に瀕しているとき、あるいは地域社会と板挟みになったときに大変に意味あることに聞こえます。
企業の「利益追求」と社会への「貢献」が矛盾するとき、それはどちらを選択しようかと迷うべき問題ではなく、そもそも社会に貢献しない利益追求は、その利益追求自体が間違えているのだと考えると良いのではないかと思います。
私は「競争の原理」は正しいが「市場の原理」は必ずしも正しくはないと考えます。

2012年1月24日火曜日

PFドラッカー365の金言より 164

<< 本文 >>  「新しい現実」
カリスマがはやりである。いたるところで論じられている。だが、カリスマ待望は集団的自殺行為である。カリスマを警戒せよ。
重要なことはカリスマ性の有無ではない。正しい方向に導くか、間違った方向に導くかである。20世紀における建設的な成果は、カリスマ性とは縁のない人たちによるものだった。

(コメント)
企業で相談を承っていると、シバシバ社長から「うちに優秀な社員さえいれば・・・」「どこかに優秀な社員はいないだろうか・・・」などとカリスマを求めるような声やボヤキを聞くことがあります。このような状態である限りは、他力本願ですから、その企業の業績が向上することは望めません。
ある会社での実話ですが、極めて営業力が高く社員へのリーダーシップも優れている人が幹部として入社しました。数年後にはその人を社長にすることになりましたが、それから更に数年経ったときにオーナーが気づいたときには手遅れで、その会社はその優秀な人に乗っ取られてしまっていました。この優秀な人は、秀でた点も多くあったのですが、問題点もかなりあり、結局は社長を辞任してもらうことになりましたが、その後が大変です。その間、その優秀な人のワンマン経営であったため代わるべきリーダーが育っておらず社内が大混乱を起こしてしまいました。
大切なことは、カリスマ性のある人を求めて一機に問題や課題の解決を図ることではなく、身の丈に合ったやり方で着実に堅実に問題や課題を解決していき、そうすることで自らに力(能力)をつけていくことではないでしょうか?
歴史を振り返ってみると、ヒットラー、スターリン、ムッソリーニ、毛沢東などカリスマ的政治家と呼ばれる人達は、結局は害をもたらしたが社会を良くすることはできなかったように思います。

2012年1月23日月曜日

PFドラッカー365の金言より 163

<< 本文 >>  「産業人の自由」「バージニア・クォータリー・レビュー」
自由とは「選択の責任」である。
自由とは楽しいものではない。幸福、安心、平和、進歩のいずれでもない。それは選択の責任である。権利ではなく義務である。真の自由は何かからの自由ではない。それでは特権にすぎない。
自由とは、行うことと行わないこと、ある方法で行うことと他の方法で行うこと、ある信条をもつことと逆の信条をもつことからの選択である。楽しいどころか重荷である。それは、自らの行動と社会の行動にかかわる選択の責任である。

(コメント)
うちの息子に言って聞かせたい言葉です。いま息子は大学生で学生生活を謳歌していますが、自由と放任(勝手気まま)とを勘違いしています。
このようなことは社会人にもよく見受けられます。「◎◎するのは私の自由でショ!!」と言って拘束されることから逃れようとします。しかし、会社(社会)は協働(共同)の場ですから、「責任を伴う自由」は許されても、「勝手気ままな自由」は許されません。
社会が豊かになったことは良いことだと思いますが、それに伴い道徳教育が改廃され、法律を元に個人の「自由」と「権利」ばかりが強調された結果、自由と権利に伴う「義務」が蔑ろにされ続けているような気がします。その結果、訳の分からない権利や自由を主張する人達が増えているようです。労働紛争が増えているのは、この辺りにも原因があるのではないでしようか?
うちの息子も早く気づいてくれれば良いのですが・・・!!

2012年1月22日日曜日

PFドラッカー365の金言より 162

<< 本文 >>  「傍観者の時代」
傍観者には、役者と観客には見えないものが見える。傍観者は自分の目で見、自分の頭で考える。
何をすべきか、何がなされるべきかを知る為に、敢えて傍観者になることが必要である。そして、その上で行動することである。ただし、人を驚かせないように気をつける必要がある。

(コメント)
大変に難しいことです。しかし、特に経営者(マネジメントする人)には必要なことです。
私流に表現すると、マネジメントしているとツイツイ自分の思い込みが入ってしまい主観的になる傾向が強いので、『決断し行動する前に一度は自分を第三者的にとらえて、全体の状況を客観的に鳥瞰し、そのうえで決断することが大切である』となります。
私は昔し小さな会社の経営をしていました(倒産しましたが)。その頃を振り返ってみると、当時は自分が環境の中にドップリと浸かってしまい、その上で主観的に判断をし、情熱と勢いと行動していました。その結果、前後左右には予め見えていないこと(気付いていなかったこと)が沢山あり、後でシマッタ!!と後悔することが多かったような気がします。仮に成功しても、自分の当初の期待とは違う成果となることも多々ありました。
そして、現在は特定社会保険労務士の看板を掲げてコンサルタントのような生業を営んでいます。この立場になると、主観、情熱、勢い等だけで活動する訳にはいきません。いまでは、何か大切なアドバイスをする際には、一晩おいて考えます。一晩の間をとることで、頭の中で熟成させるのです。そしてその際には、自分をAさん、相談者をBさんと匿名の第三者に置き換えて、鳥の眼で空から見るように状況分析と相談者の意図とを熟慮するようにします。必要な場合には体系図式化してみることでモレとダブリを防ぐようにします。
ただし、その後に相談者が決断したら、後は情熱と勢いをつけて一機に行動を開始します。
大手有名企業の経営者はコーチングを受けている経営者が多いこと、社外取締役の重要性が社会的に認識され始めていること等は以上のようなことを元にするからではないでしょうか?
「論語と算盤」の中に「小事は分別せよ、大事に驚くことなかれ」とあります。分別し、驚かないためには、一時は傍観者に敢えてなってみることも必要です。

2012年1月21日土曜日

PFドラッカー365の金言より 161

<< 本文 >>  「新しい現実」
マネジメントとは人にかかわることである。
マネジメントの役割は、人が共同して成果をあげることを可能にし、強みを発揮させ、弱みを無意味なものにすることである。これが組織の目的である。従って、組織にとってマネジメントは決定要因である。
マネジメントとは、「個の責任」と「コミュニケーション」を基盤とするものである。組織の成員すべてが、自らの目標を考え、他者がそれを理解していることを確かめなればならない。同時に、自らが他者の恩恵を被っていることを考え、他者がそれを理解していることを確かめなければならない。更に、他者に期待していることを考え、他者がそれを理解していることを確かめなければならない。
マネジメントは、ニーズと機会の変化に応じ、組織とそこに働く者を成長させなければならない。

(コメント)
大変に重要な箇所です。
第一行目で「マネジメントは人にかかわることである」と先生は言われています。野球界では「名選手必ずしも名監督ならず」と言われます。また実務でも、財務・経理に長けた人が長になった、売ることが上手い人(業績をよく伸ばした人)が出世して長になっても必ずしも経営が上手くできる訳では無い(これらの技術・知識・経験とマネジメントで必要とされるものとは別なもの)ことが多いようです。
私論ですが、「過去の成果と貢献だけを見て昇格させ部下をもたせていると、寧ろ悲惨な状態になることがあります。個人としての成績を上げるときに必要とされる能力と、上司としてチーム成績を上げるために必要とされる能力とは別なものです。課長職以上の昇格に関しては、人を動かす能力があるか否かも考慮してください」と依頼しています。
二段落目は昔から「組織の原則」=「テコの原理」と呼ばれているもので、組織はその成果が「1+1=2」では失敗であり、「1+1≧3」となって初めて上手く運営されているということになります。
三段落目では二段落目で必要となることを具体的に説明されています。「個の責任」を明確にして「コミュニケーション」することが大切となるのです。
①「自らの目標を考え」、
②「それを協働者に伝え理解してもらい」、
③「自らの仕事は他の人の仕事によって支えられていることを自ら考え」、
④「自らが考えた③の内容をその人に伝え」、
⑤「自らが他の協働者に期待することを考え」、
⑥「⑤の内容をその人に伝えること」
が必要なのです。何か酷く難しいことを言われているような気がしますが、経営の神様と言われる松下幸之助翁は「私は〇〇〇をしたいのだが、もしあなたが×××をしてくれ△△△という成果を上げてくれると大変に助かる。もし、あなたが△△△という成果を上げてくれると、あなたは□□□という良い状態になり、私は◎◎◎という良い状態になれるのだが、やって貰えないだろか?」と問いかけて、本人が了解したら依頼したそうです。
簡単に言えば、「各自の役割と責任」を明確にして、各自が自分だけの思い込みに走らないよう相互に確認するためコミュニケーションをするということが必要であるということではないでしょうか?
労働紛争の相談や、経営危機を乗り切る相談を承っていて、これらのことが出来ていなかったからそのような状態に陥ってしまっていたということは良くあることです。最近の傾向として、個の責任はそれぞれよく考えられるようになっています。しかし、自分が考えた自分の責任を協働者に伝えて間違っていないか確認をしないので、それが独善的判断で終わり、協働者との擦れ違いが生じ、そこから組織としての無駄が生じたり、組織と個人の葛藤が始まっているケースが増えています。昔のように上司から言われたことだけを黙々と実行する人は減り、各自それぞれ自分なりに考える時代となりましたから、今まで以上にコミュニケーションが大事な時代となっています。しかも本当のコミュニケーションはメールや文章だけでは充分な成果をあげることはできません。顔と顔、お腹とお腹を向かい合わせて話しをすることが大切だと考えます。
最終段落も大切です。マネジメントには「人を成長させる」責任もあると先生は言われています。しかも「ニーズと機会の変化に応じて」成長する機会を与えることが必要だと言われています。そのため、OJTは不可欠です。人間は、ニーズと機会が目の前にあっても必ずしもそれに気づくとは限りませんから、マネジメントの役割としてそれを本人に気付かせるようにする努力が必要となります。

2012年1月20日金曜日

PFドラッカー365の金言より 160

<< 本文 >>  「イノベーションと企業家精神」「すでに起こった未来」「未来への決断」
コミュニティと家族は「安定」のためのものである。安定を求め、変化を阻止し、あるいは変化を減速しようとする。しかし我々は、人の手によるあらゆるものが歳をとり、硬直化し、苦しみに変わることを知っている。それは成熟による腐敗から起こる。思想と機関の破綻から起こる。自己改革の失敗から起こる。改革は解決策とはならない。
企業、政府、大学、軍隊のいずれであれ、社会的機関が継続性を維持するための唯一の方法は、それらの組織構造そのものの中に、体系的かつ組織的なイノベーションのメカニズムを組み込むことである。そうすれば、生命を失った後も生き延びる。それらのものは、目的を達しても達してなくても生き延びる。
かくして、ビジネスにおいても社会的サービスにおいても、イノベーションと起業家精神が必要となる。現代の組織は不安定要因とならなければならない。常にイノベーションをもたらすよう構造されなければならない。

(コメント)
人間は安心、安全と安定を求める傾向にあると思います。しかし、それは家庭や仲間集団に求めるものであり、ビジネスに求めるべきものではありません。ビジネスに安定を求めると腐敗が始まります。
私の顧客の中に仏壇屋さんがあります。この社長は徹底して安定を求め、変化を避けようとします。そのため、会社規模はみるみる縮小してしまいました。しかし、この業種においても、この顧客から100mほど離れた所にある仏壇屋さんは、同じ期間内に日本有数の仏壇屋さんに成長されました。
別なお客様に調剤薬局のチェーン店があります。この社長は、顧客の一層の満足のために少しずつですが業務改善をされ毎年過去最高益を更新されています。一方、私の知人の調剤薬局は儲からないと言う理由で数年前に廃業し、貸しビル業に転業してしまいました。
「安定」は家庭や仲間集団に求めるものであり、企業においては既得権を主張したり安定を求めることは禁じ手であり、企業は常に顧客のためになる改善・改革(イノベーション)にチャレンジし続けなければならないものです。
一時は世界のフィルム業界の覇者であったコダックが経営破たんする時代ですから・・・・・。

2012年1月19日木曜日

PFドラッカー365の金言より 159

<< 本文 >>  「ポスト資本主義社会」
組織はコミュニティにおいて活動する。成果はコミュニティに現れる。しかし、組織はコミュニティに埋没されることを許されず、コミュニティに従属することを許されない。組織の論理はコミュニティを超越する。
組織の論理は、コミュニティによってではなく、その果たしている機能によって決まる。組織の価値観は、コミュニティによってではなく、その役割によって決まる。
組織の論理がコミュニティの価値と衝突するとき、組織の論理が優先する。さもなければ、組織は社会への貢献を行えなくなる。

(コメント)
先生の言われる「コミュニティ」をどう理解するかは昔しからの私の悩みの種です。先生がこの箇所で引用されている事例ではコミュニティは地域社会・小集団を意味しているようですが、私は「当面において直接・間接的に利害関係にあるすべての人々(ステークホルダー)」と幅広く理解するようにしています。
しかし、『組織は「社会への貢献」によってその正当性が認められる。従って、組織の価値観は社会の中でその組織が果たすべき役割によって決まるべきものである。社会への貢献、社会の中で果たすべき機能によってその組織は定義されることが大切である。そして役割・貢献・機能に基づく組織の論理はステークホルダーの論理よりも優先すべきである』という点は理解ができます。
社会(≒ステークホルダー)へ正しく貢献していれば利益は出る筈です。一生懸命に努力しても利益が出ないときは、努力する方向性を間違えており、自らの努力が社会(≒ステークホルダー)に貢献していないのではないかと考えることが大切です。
このように言うと何やら難しいことを言っているようですが要は『人間関係や過去の慣習・やり方に拘ることなく、為すべきことを為し社会に貢献すること』が大切であるということではないでしょうか?
また、色々な会社を訪問させて頂いていると、中小・零細企業の中には「うちは特殊だから・・・」と言われる社長さんが多いのが実情です。しかし、その会社が社会の中で果たすべき役割・機能と貢献から考えると同業他社と大差ない場合の方が多いようです(稀に例外はありますが・・・)。
競争が激化し他企業との差別化の重要性が叫ばれ初めて久しいものがありますが、本当の意味での差別化要因を見つけ出すためにも、自らの組織の役割、機能、貢献を導き出す企業理念・経営方針を再考することが大切ではないでしょうか? 組織の価値観・論理が最終的に最優先すべきものの筈ですから・・・。

2012年1月18日水曜日

PFドラッカー365の金言より 158

<< 本文 >>  「明日ほ支配するもの」
変革が常態となったからには継続性の基盤を堅固にしなければならない。
使命、価値、成果の定義など組織の基本にかかわることについては、継続性が不可欠である。変革と継続の両立を報酬、認知、褒賞のシステムに組み込まなければならない。継続に報いなければならない。もっぱら継続的な改善を行なう者も、変革を行なうイノベーターと同じように、認知と褒賞に値する者として評価しなければならない。
変革と継続の両立には、情報への不断の取り組みが必要である。情報の不足、信頼性の欠如ほど、継続性を損ない関係を傷つけるものはない。従って、あらゆる組織が、あらゆる変化について誰に知らせるかを考えなければならない。このことは、協力して働く者がIT機器を利用して別々の場所で働く時代にあっては、特に重要である。

(コメント)
このせいか、最近は中堅企業から従業員の処遇制度(昇給、賞与、昇格、福利厚生ほか)を再検討したいというご相談が増えています。これらの企業は、ここ数年で従業員の不祥事が続けて発生し、それを通じて従業員の価値観が変化し始めていることを理解することを通じて、自社の考え方の一部が時代にそぐわなくなり始めていることに気づかれたので、従業員の処遇制度(特に評価制度)の洗い直しを始められたのです。
そして、今のように変化が継続的に起こっている時代にあっては、大きな変革をもたらす者だけではなく、日々少しずつ改善を続けている目立たないが縁の下の力持ちとなっている人達を正しく評価することを忘れないようにしなければなりません。大きな変革は話題にもなるし目にも止まりますが、日々少しずつの改善は見過ごされ易く評価され難いものです。
そのことに気づかれた会社が人事評価制度あるいは従業員の処遇の洗い直しを始められたのです。
逆の事例ですが、労働紛争のご相談を頂いたときに共通して言えることは、馬鹿な人は一時に大きな悪事を働きますが、賢い人は会社側が「些細なこと」「そんなことなら・・・」と考えるような些細な改悪を少しずつ行い、会社が気付いたときには既に慣習化し既得権化してしまっている場合が多いようです。人間は少しずつの変化には鈍いものです。
ブレイクスルー思考法では「ゆでガエル」と「フライパン・ガエル」とを例にします。常温の水の中にカエルを入れて下から徐々に熱するとカエルが気づかず(変温動物のため)、逃げ出そうともせずに最後には「ゆでガエル」となり死んでいるそうです。それに対して、熱したフライパンの上にカエルを落とすと飛び跳ねて熱さから逃げ出そうとするそうです。これと一緒で人間は日々の少しずつの変化には疎いし、直に慣れてしまう習性をもっていますから注意することが大切です。
そのため、徐々に悪くしつつある人には大事に至る前に早めに警告・注意し、徐々に良くしている人にはそれを褒め認めることが必要となります。
そして、先生のご指摘の後半部分は特に大切です。以上の対応が適切に出来るようになる為には、「適切な情報を的確に伝えること」と「相互の信頼関係」が不可欠であるということです。信頼関係がなければ情報の伝達はあり得ません(音の伝達があるだけ)し、信頼関係を構築するためには普段からの的確・適切な情報の伝達が必要不可欠となります。俗にいう報告・連絡・相談以外に、相互のコミュニケーション(特に下の意見を訊く姿勢)が必要であると考えます。