2012年3月31日土曜日

PFドラッカー365の金言より 230

<< 本文 >> 「明日を支配するもの」「知識労働者の生産性」
肉体労働者は、なすべき仕事が決まっている。
これに対し知識労働者は、「何を行うべきか」が第一の、しかも決定的な問題になる。
知識労働者の生産性を向上させるためには、知識労働者自身に対して、行うべき仕事は何か、何でなければならないか、何を期待して良いか、何が邪魔であり無くすべきか、を問わなければならない。知識労働者では、いかに行うかは、何を行うかの後に来る問題である。

(コメント)
だから、昨今は「目的を明確にすること」が大切であると言われるのです。目的を明確にした後に、いかにしてその目的を達成するか(手段・方法)を考えるべきなのです。今では機械にさせることが出来る作業を人間が行っていた時代は大半の人が肉体労働者(=作業員)でした。しかし、現在ではコンピューターが発達した結果、工場ではロボットが作業を行い、事務所ではPCが作業を代行してくれる時代です。ただし、ロボットにしてもPCにしても、その使い方を間違えると、目的としたゴールにはたどり着けません。従って、最初に目的を明確にして、次にその目的を達成するためにロボットやPCを如何に使いこなすかを考えることが必要です。
このため、私は「仕事」と「作業」とは別なものであり、目的を明確にして如何にして実行するかを考える所までが仕事であり、それ以降は作業ではないかと考えています。
目的を明確にして、期間と担当者を決めて、目標を定めること、そして出来る限り具体的な方法を計画にすること(後々に変更が必要することが必要となるので事前に計画をつくる)が必要な時代となったと私は思います。

2012年3月30日金曜日

PFドラッカー365の金言より 229

<< 本文 >>  「明日を支配するもの」
知識労働者の生産性向上の条件は、大きなものだけで6つある。
①なされるべきことを考えることである。
②働く者自身に生産性向上の責任をもたせることである。即ち、自らをマネジメントさせることである。自律性を持たせることである。
③継続してイノベーションを行わせることである。
④継続して学ばせ、かつ継続して人に教えさせることである。
⑤知識労働者の生産性は、量よりも質の問題であることを認識させることである。
⑥知識労働者をコストではなく資本財として扱うことである。何にもまして知識労働者自身が、組織のために働くことを欲しなければならない。

(コメント)
①目的を明確にさせ惰性・慣習に流されないようにすること
②1時間当たりの生産性を比較すること。もし生産性を計る尺度がなければ、代用数値を決めること。
③カイゼン活動、QC活動をさせること
④自己啓発を継続させ、かつそれを他人に教えされることで理解を深めさせること・・・人は他人に教えることを通じて自らの理解を深めることができる。
⑤量に惑わされないようにすること。
⑥会社組織への帰属意識を強めること

2012年3月29日木曜日

PFドラッカー365の金言より 228

<< 本文 >> 「明日を支配するもの」
知識労働にも肉体労働の部分がある。
自動車工場のベルトコンベアー上の作業をする肉体労働者の生産性を向上させたアメリカ人(テイラー)による生産性向上の方法は、極めて簡単だった。仕事を動作に分解して、それらの動作に要する時間を測定する。その上で、無駄な動作を捨てる。残った動作を、肉体的心理的に負担をかけずに短い時間で行えるようにする。それらの一新された動作を組み立て直す。仕上げとして、それらの動作に必要な道具をつくる。
このテーラーの方法は、今後とも肉体的労働が成長分野であり続ける国において、大きな役割を果たし続ける。だが、先進国にとって、中心の課題はもはや肉体労働の生産性向上ではない。知識労働の生産性向上である。
しかし、知識労働にも肉体労働の部分がある。それらの生産性向上にはテイラーの発展型としてのインダストリアル・エンシニアリング(IE)が必要とされる。
知識労働者も、自分の仕事を知識集約的な部分とそうでない部分に分け、後者の部分にはIEの手法を適用していくことが必要である。

(コメント)
私は、毎日行っている職務には、「仕事」としての部分と「作業」としての部分があると考えています。仕事とは人間にしかできない「考える」「決める」「コミュニケーション」等が必要なことを言います。そうでない部分を作業と呼びます。作業は出来る限り機械化(例えばパソコン処理、ロボット化)をして、人間にしかできない「仕事」の部分を行う時間を創り出す工夫をしましょう、とお勧めしています。
しかし、残念ながら前記「仕事をしている間」は、側目に観ると仕事をしていないように見えてしまいます。反対に「作業」をしていると仕事をしているかのように観えます。その結果、作業をすることで仕事をしているようなフリをする輩が続出することになってしまいます。悩み解決しなければならない問題・課題は放置して、作業に逃げ込み、問題や課題を解決するタイミングを先延ばしにしてしまうのです。
これを防ぐには、問題に対する意識を鮮明にして、解決すべき問題・課題に優先順位をつけ、時間配分を明確にしたうえで集中(期限を設定)して問題・課題の解決を図るようにし、作業は空いた時間に行う習慣づくりを心がけるしかないのではないかと思います。

2012年3月28日水曜日

PFドラッカー365の金言より 227

<< 本文 >>  「未来への決断」
人はコストではなく資源である。
働く人達こそ同僚であり、主たる資源であるとの私の考えに、最初に敏感に反応してくれたのが日本企業だった。真の生産性は、働く人達にそのような敬意をもつときにもたらされる。
人はコストではなく資源である。共有する目的に向けて共に働くとき、大きな成果が得られる。マネジメントとは地位や身分ではない。かけひきでもない。仕事、生活、人生にかかわることである。
成長するものとして人を見ることが大切である。そして、共に学ぶことが大切である。学んだことを使えるようにすることが必要である。

(コメント)
全く同感です。
経営相談に応じるとき財務分析をしてアドバイスをしますが、このときに「人件費比率」という言葉をよく使います。この時、私はいつもこの言葉に後ろめたさを感じています。人件費とは人はコストという考えを元にしたものだからです。
私は基本的に「人は成長・変化するものである。だから教育訓練をして能力を高めることが必要である。給与・賞与は、成果を分かち合う手段であると同時に、そのための投資の一部である」と考えているからです。その意味では給与や賞与の一部は投資であると言えます。投資ですから、人選、方向性、方法、時機を間違えて教育訓練投資するとリターンは少なくなります。教育訓練と言えどもON-JTがベースとなります。OFF-JTはON-JTでは補えない部分を補う方法に過ぎませんから、ON-JTを行う習慣がない企業が従業員にOFF-JTを受けさせても効果はあがりません。仕事をしながら教育訓練をして、そのときに「人としてのモノゴトの考え方(人生や生活)」も自然と教育していくことが大切です。人生や生活について教えることなく仕事のこと(技術的なノウハウ)だけを教えていると、人間として偏った人間になってしまいます。ときには論語のような古書をひも解いてみることも必要になります。人生や生活を押し付けるのではなく、自らで悟らせていくことが大切なのです。最近の企業動向を見ていますと、景気が低迷する中で競争が激化している結果、これをするユトリと心構えがなく、人を使い捨てのように使い捨ててしまっている企業(人をコストとしてだけ見做している)をよく目にしますが、これでは早晩企業は行き詰ってしまいます。銀行など金融資本と民間経営者の一番の違いはここにあるような気がします。

2012年3月27日火曜日

PFドラッカー365の金言より 226

<< 本文 >>  「ネクスト・ソサイエティ」
今日、人材マネジメントが大きく変わりつつある。雇用業務代行会社(PEO)が急成長しつつある。主たる原因は雇用関係規制と記帳報告義務の増大であり、それを処理するための専門能力へのニーズの増大である。雇用業務代行会社は主として中堅企業と中小企業を顧客にしている。この代行務を利用することによって、規制への対応と記帳業務から解放され、その分、本業に力を入れることができるようになっている。コンサルタント会社の調査によれば、これら雇用業務や人事業務のアウトソーシングは、30%のコスト削減と大幅な従業員満足をもたらしているという。

(コメント)
先生がここで言われる雇用業務代行会社(PEO)は、日本では社会保険労務士が公式の資格とされています。ただし、社会保険労務士にも、会社の人事労務を専門とする人、年金を専門とする人ほか色々な専門分野に分かれています。
手前味噌となりますが、私は会社の人事労務を専門とする社会保険労務士です。諸届事務代行、給与計算代行、労働紛争解決、社員教育、給与・退職金制度の提案、組織図の提案、戦略立案のためのコーチング他、会社が円滑に運営できるように、また本業に専念して頂けるように、人事・労務管理を受託しています。会社は私に社内情報を提供する社内担当者を指名するだけです。
ここ数年を振り返ってみますと、経済環境が厳しい中で法律が頻繁に改正された結果、大手企業でも人事労務管理が法律と現場現状に対応しきれていない会社が沢山あります。このような会社とは、事務代行契約は締結せずに、社内の総務部(人事部)に対するアドバイザー契約(セカンドオピニオン契約)を締結して労務監査を中心業務にしています(詳しくはH.P http://msr530706.jimdo.com をご覧ください)。
この仕事をしていて、一番大切なことは「双方の信頼関係」であることを痛感します。人事・労務に関する情報(個人情報)と企業機密の一部を私に提供する訳ですから、信頼関係が構築されいなければ法に抵触してしまう場合があり得ます。そのため、私から積極的な宣伝広告をすることはなく、社長から社長へのご紹介でお取引先が増えて行っている状態です。尚、個人情報取扱いに関しては万全を期していますが、全国社会保険労務士会から個人情報保護認定事業所(SRP)の認定も取得しています。

2012年3月26日月曜日

PFドラッカー365の金言より 225

<< 本文 >>  「ネクスト・ソサイェティ」
現代の労働者の仕事は専門的である。余りに専門的であるが故に、ほとんどの組織において細分化されざるを得ない。従って、現代の労働者(知識労働者)を基盤とする組織にとっては、それら細分化された専門知識をいかにマネジメントするかが大きな課題となる。

(コメント)
先生はこの本文の後に、アウトソーシングできる業務はアウトソーシングして出来うる限り本業に専念するよう心がけた上で、全体をマネジメントすることの大切さを説かれています。
しかし、私はこの本文を用いて、マネジメントの重要性が高まっていることを理解して頂きたいと思います。専門的になった個々の労働者又は職務のいずれか一つがどんなに優れていても、それが本業に直結するものでなければ、それが組織全体に対しておこなう貢献は僅かなものとなってしまいましす。
どんなに上手いバイオリン奏者がいても、全体をうまくコーディネイトできる指揮者がいなければ、その楽団は良い演奏を行うことは無理となります。指揮者が重要なのです。そして、楽器を運送する運転手、舞台装置係や照明係は外注すれば良いのです。
しかし、残念ながら、指揮者は直接的な成果(音を奏でる)を上げませんから、日本の中小・中堅企業では従来から軽んじられてきました。
チームとグループは違います。チームとは「共通の目的と目標をもち、力を合わせてそのゴールを目指している集団」のことを言います。一方、グループとは「人間の集団」であり必ずしも共通の目的・目標をもっているものではなく、烏合の衆である場合もあります。グループをチームに変えるためにはマネジメントが必要不可欠なものとなります。
色々な会社のご相談を承っていて、営業部長の延長戦上で仕事をしている社長、一般社員と同じように自分一人で実績を上げようとしている部長が多いことは気にかかることです。

2012年3月25日日曜日

PFドラッカー365の金言より 224

<< 本文 >>   「新しい現実」「明日を支配するもの」「ネクスト・ソサイエティ」
雇用の担い手としての製造業の地位の低下は、間違いなく新たな保護主義をもたらす。最初の反応は、寒風から自らの庭を守るための障壁の構築である。しかし、いかなる障壁といえども、国際水準に達していないものを守ることはできない。さらに脆弱にするだけである。
成果をあげうるうえでの最大の障害は、われわれの視野を狭める昨日の問題である。

(コメント)
過去のものとなった既得権を守ろうとすると、視野が狭くなり、成果をあげられなくなってしまう。自国の産業を国際競争から守るために保護すると、自国のその産業はぬるま湯に浸かってしまい、寧ろ脆弱化してしまうことは過去の歴史が証明しています。
いまの日本経済は正にこの状態に陥る危険性を孕んでいるのではないでしょうか? パナソニックほかの家電業界が韓国と中国の家電メーカーに敗れ、電子部品のエルピーダは韓国のメーカーに敗れてしまっています。一方では、労働者保護を表題として労働市場に対する法的規制は厳しくなるばかりです。このまま労働者偏重の法規制を行っていると、日本のメーカーは他国と比較して労働条件が厳しい日本国内から海外に移転し始めます(既に移転し始めています)。
アメリカのGEは一端は倒産しましたが、それまでボトルネックとなっていた労働者の医療保険と退職金に関する足枷を無くすることで見違えるような返り咲きを果たしました。日本のJALにしても、稲盛翁が既得権を主張する労働者に対して「あなた方の会社は既に倒産したんですヨ!!」と訴えかけて意識変革を迫ることで急激な業績改善を果たしました。
過去の約束や既得権を主張しても、それを維持する体力が会社になければ、会社は倒産し、主張していた労働者は自ら職を失ってしまいます。もし、それを地域労組のような部外者が会社外部から主張するとすれば本末転倒です。地域労組は会社が倒産しても自らに痛みはありません。
自国資源の乏しい西洋(ヨーロッパ)諸国は、「ISO基準」「個人情報保護」など資源も資金も必要ないことを世界に普及させることで自国経済を守りました。
現実(事実)を直視し、自らの体力と力量(競争力)を考え、法律に偏重した考えで権利を主張するのではなく、「人としての道(徳治)」と「法治」のバランスをとりながら現状を打開する対策を会社と従業員とが共考・共業することが必要な時代となっているようです。

2012年3月24日土曜日

PFドラッカー365の金言より 223

<< 本文 >>  「マネジメント・フロンティア」「新しい現実」
最も堅実なはずの行為が、結果として最も投機的な行為となりうる。
リスクを無くすることはできないが。しかし、リスクを最小限にすることはできる。

(コメント)
日々刻々と変化を続ける現代社会においては、従来通りのことを続けることが必ずしも堅実な行為とは言えなくなっています。変化しつつある「現実を直視」して、変化に対応することでリスクを最小限とする努力が必要となります。このときに邪魔をするのが「過去の慣習」「マンネリ化」「思い込み」「事実からの逃避」などだと思います。
起こりつつある事実から逃げるのではなく、また過去の類似した事例に当てはめて解決しようとするのではなく、事実を事実として受け入れ、その中から最適であろう解決策を見つけ出していくことが、寧ろリスクを少なくする最善の方法となる場合が多いようです。

2012年3月23日金曜日

PFドラッカー365の金言より 222

<< 本文 >>  「ポスト資本主義社会」「未来への決断」
専門化した知識は、それ単独では何も生み出さない。仕事に使われて、はじめて生産的な存在となる。ここにこそ、知識社会が組織社会になる原因がある。組織の機能は、共有する目的のもとに、専門化した知識を統合することにある。

(コメント)
私は社会保険労務士として労務管理の専門知識と実践を踏まえた智慧を有しています。しかし、会社と契約して貰えなければ、その知識と智慧は発揮することができません。弁護士でも、税理士、司法書士でも同じです。
また、組織(会社)は自らが必要とする知識を得ようとして、社外の士業と契約をします。社会保険労務士でも年金を専門とする者が会社と契約を結ぶことは稀だと思います。組織(会社)にとっては、その知識の必要性が低いからです。
組織(会社)内の従業員に関しても、これと類似した側面を持つようになっています。インターネットが普及したおかげで、情報は手に入れやすくなりました。しかし、手に入れた情報を上手く使うためには、それを使う知識と智慧をもつ者が必要となります。社内にそのような人財がいれば、その人財を活用すれば良いし、いなければ社外の専門家と契約をする必要があります。
現代社会では、仕事や作業のそれぞれが細分化し専門化しましたから、組織(会社)としてはその知識と智慧を有する人々をコーディネイト(プロジェクト・チーム化)して会社の課題や問題を解決することが必要な時代となったのだと私は考えています。

2012年3月22日木曜日

PFドラッカー365の金言より 221

<< 本文 >>  「明日を支配するもの」「ネクスト・ソサエティ」
経営戦略の基本が変わった。いかなる組織といえども、リーダー的な組織が設定する事実上の基準に達しない限り、成功はもちろん、生き残ることさえおぼつかなくなった。いかに事業と市場がローカルであろうとも、情報伝達の容易さと迅速さゆえに、あらゆる組織がグローバルな競争力を必要とするようになった。
そのため、同業他社のホームページを見ること、e-コマースに力を入れることが必要である。

(コメント)
昔の人は、自分の五感を使って、製品・商品の品質を見抜いていました。現代の人は、ブランドや企業イメージから品質を想像します。そのためブランドが非常に重要になっています。
インターネットが普及しましたから、ブランドが保証する品質の基準は簡単に調べることができます。一般消費者もインターネットを使って、どの商品・製品をどこで買うかを決めている時代です。インターネットを使えば、他社の製品・商品と比較することは簡単なことなのです。昔は、これができませんでした。
そのため、消費者はトップ企業が示す品質基準を参考にして、自分が購入したい製品・商品の品質基準をイメージしていきます。従って、トップ企業の基準をインターネットを利用して読み取ることが大切な時代となりました。

2012年3月21日水曜日

PFドラッカー365の金言より 220

<< 本文 >>  「未来への決断」
急速にネットワーク社会に向かいつつある。
そのため働く者の一人ひとりが、自らの配置に責任をもたなければならなくなる。このことは、「自らの強み」を把握し、「自らをマーケティング」しなければならなくなったことを意味する。

(コメント)
ご存じのように、現代はネットワーク社会となりつつあるのではなく、現代はネットワーク社会になっています。ですから、先生がご指摘されているように「自らの強み」を把握することが重要な時代となっています。そして、その強みを発揮できるように、その強みを必要としている人々を探すこと(マーケティング)が必要となっています。
世の中が細分化され専門化したため、人間一人が出来ることに限りがある時代となりました。そのために「連携」が必要であり、ネットワークを構築し活用することが不可欠な時代となっています。
情報がフンダンに手に入るようになり、人々が専門化した結果、自らの仕事を遂行するために必要となる情報と人がどこにいるのかを予め知っておくことが必要な時代です。変化のスピードが早い時代ですから、必要が生じてから探していたのでは間に合わなくなります。また全てのことを自らが予め習得しておくことは不可能な時代です。そのため、普段からネットワークを構築しておくことが大切です。

2012年3月20日火曜日

PFドラッカー365の金言より 219

<< 本文 >> 「明日を支配するもの」「ネクスト・ソサエティ」
先進国がリーダーシップを取り続けていくうえで鍵となるものは、知識のプロとしての知識労働者の社会的地位であり、社会的認知である。
知識労働者のマネジメントはマーケティグ的な仕事である。
マーケティングの基本はこちらが何を望むかではない。相手が何を望むか、相手にとっての価値は何か、目標は何か、成果は何かである。
知識労働者の動機付けはボランティアの動機付けと同じである。ボランティアは報酬を手にしない。それ故に仕事そのものから満足を得ければならない。何にもまして「挑戦の機会」をもたなければならない。
有能な社員には挑戦的な仕事を与えることが必要である。

(本文)
現代は、昔とは違い工場労働者(ブルーカラー)が少なくなり、事務系労働者(ホワイトカラー)が増えています。そのため、ブルーカラーを前提とした労務管理・人事管理が通用しなくなっています。ホワイトカラーは無意識のうちに自らを知識労働者と認識しています。時間から時間までを製造機械に向かい合って「モノ造り」をして生活の糧を得ていたブルーカラーとは異なり、ホワイトカラーは「モノ創り」をして自己満足・自己充足・自己実現を求めています。
ただし、ホワイトカラーの中にも「指示された作業をするだけの人」と「自らが考え人間としての仕事(創造)をする人」とがいることに注意することが必要です。
生活の糧を得る為にだけ働いている人であれば報酬のことを考えればことは足りますが、自己満足・自己充足・自己実現を求める人には報酬以外のことを考慮することが必要となります。その為には彼らに対してマーケティング的な発想(その人が求めているモノ・コトは何かを探り出すこと)から労務管理・人事政策を行っていくことが必要となります。そして、自己満足・自己充足・自己実現を求める人には「挑戦的な仕事」を与えることが必要になります。
ただし、本当に自己満足・自己充足・自己実現を求める人は、他人や上司から言われなくても、自らの仕事を挑戦的なものに自発的に変えていく傾向があります。それに対して、本当はそうでない人達は仕事をマンネリ化させ惰性・慣習として仕事を継続しようとする傾向がある点には留意すべきです。

2012年3月19日月曜日

PFドラッカー365の金言より 218

<< 本文 >>  「マネジメント・・・課題、責任、実践」
プロにとって最大の責任は、2500年前のギリシャの名医、ヒポクラテスの誓いの中にハッキリ示されている。「知りながら害をなすな」である。
医師、弁護士、ビジネスマンのいずれであろうと、顧客に対して必ず良い結果をもたらすとの保証を与えることはできない。最善を尽くすことしかできない。しかしながら、知りながら害をなすことはしないとの保証は与えなければならない。顧客となる者が、プロたる者は知りながら害をなすことはないと信じられなければならない。これを信じられなければ、何も信じられない。
従って、「知りながら害をなすな」との言葉こそ、プロとしての倫理の基本である。

(コメント)
契約には請負契約、委任契約ほかの契約があります。請負契約は成果に対して責任をもつものであり、委任契約はプロセスに対して責任をもつものです。PFドラッカー先生は委任契約を前提に語られているようです。そして、実務では環境を含めた状況が刻々と変化していきますから、成果に対して責任をもてれば良いのですがそれを保証することは難しいものがあります。そのため、せめてプロセスに対して責任を負うことが必要です。そして、そのときに最低限必要となるのが上記の「プロとして知りながら害をなすな」という考え方です。
これは私のような士業に限らず、サラリーマンの人達にも要求される事柄です。宮仕えと言われるサラリーマンといえども給与というお金をもらっている限りは「プロ」なのですから甘えは許されません。

2012年3月18日日曜日

PFドラッカー365の金言より 217

<< 本文 >>  「すでに起こった未来」
西洋の基本公理では、倫理すなわち個々人の道徳は、王子にも乞食にも、富者にも貧者にも、強者にも弱者にも同じように適用されるとする。キリスト教の伝統においては、倫理とは平等性の確認である。神、自然、社会のいずれを創造主としようが関係ない。適用すべき倫理は一つ、道徳は一つ、行動基準は一つである。
しかるに企業倫理は、この基本公理を否定する。従って、企業倫理なるものは、西洋の哲学と神学にいう倫理ではない。今日の企業倫理は、いかなる理由からか、倫理にかかわる一般のルールは企業に適用されないとする。それでは企業倫理とは何か?
西洋哲学の歴史家であれば、企業倫理とは決疑論だと答える。決疑論は、支配者たる者は、個人として求められる倫理と国家に対する責任とのバランスを図らなければならないとする。
   決疑論=倫理と義務の選択において義務を上位に置く理論
つまり普通の人に適用されるルールは、社会的な責任をもつ者には適用されないということである。彼らにとって、倫理とは、個としての良心と、地位による責務との考量によって定まるべきものである。即ち、支配者は支配される者の利益を優先すべきであるが故に、一般の倫理を免除されるとする。

(コメント)
非常に難しい先生からの問いかけです。
しかし、先生は日本の慶応義塾大学で学ぶことで福沢諭吉翁の思想、渋沢栄一翁の思想を始め、中国「論語」の影響を大変に受けている大の日本ファンであったと聞き及びます。一昔前の日本的経営をアメリカに紹介した先生でもあります。そして、ドライな経営を行うと思われているアメリカ企業でも、老舗は意外と日本的経営を行うことでヒトを大事にし、善悪を重視している点にも留意すべきです。日本のバブルが弾けた後に、アメリカから金融資本的な考えを基にした経営学が導入されていましたが、数年前に発生した世界的金融危機の事実からして、その経営学の基礎的部分(倫理)が間違えであったことは既に証明されています。
私が若い頃に属していた「商業界」という団体の創設者の教えには「損得の前に善悪を考えよう」というのがありました。この考えは企業倫理を優先させる前にコトの善悪を考えるべきだと教えているのだと思います。
一昔前の日本的経営は、得てして損得を優先させた企業倫理を優先させてしまいがちな世情に対して、家族的経営としての絆を重視し、何とか企業倫理よりも個人倫理と集団倫理を優先させようとしていました。老舗の家訓を垣間見ると、名門と呼ばれて永年生き延びている企業には必ずと言って良いほど企業倫理よりも人としての道(個人倫理と集団倫理)を優先させるべきことが記述されています。
是非一度、解説書でも良いですから「論語」を読まれることをお勧めします。論語には君子のあるべき姿、君子に仕えて人の上に立つ者(上司)のあるべき姿が描かれています。

2012年3月17日土曜日

PFドラッカー365の金言より 216

<< 本文 >>  「傍観者の時代」
責任なき権限に正当性はなく、権限なき責任にも正当性はない。
アメリカの巨大自動車会社のGMのCEOであるスローンにとっては、社会的責任なるものはプロ的でないだけでなく、無責任であって権力の濫用ともいうべきものだった。
私(PFドラッカー)が出席していたある社外の会議において、ある会社のCEOが「我々には高等教育に責任がある」と発言したのに対し、スローンは「それでは我々はどのような権限をもっているのか?」と問いかけ、「権限はない」との答えを得るや、「それなら責任について話するのはやめようではないか。権限と責任とは対である。権限を持ちたくない、また持つべきではないというのであれば、責任についても言ってはならないと思う。逆に責任をもちたくない、また持つべきではないというのであれば、権限について言ってはならないと思う」と言った。
スローンはこの考えをマネジメントの原則としていた。もちろんこれは政治理論と政治史が最初に教えることである。責任なき権限に正当性はなく、権限なき責任に正当性はない。いずれも専制の原因となる。
スローンはプロのマネジメントとして権限を求めたが、プロとしての責任も負っていた。彼は、その権限をプロとしてのマネジメントの領域に限定し、他の領域では責任をもつことを拒否していた。

(コメント)
実務として各社の相談を承っていて一番困るのが、責任は持たないが権限を持ちたがる人が多いことです。責任を他の人に転化してしまうのです。
中国の論語にも「過ちて、過ちを正さざるを過ちという」と記されています。人間ですから、過ちはつきものです。しかし、過ったときに責任から逃れようとするのではなく、素直にその過ちを認めて正すこと、他責とせずに自責とすることが大切です。
誤ったときに責任を取ろうとせず、一方で権限ばかりを振りかざしていると、それは専制君主体制となってしまいます。
実はアメリカの本当のエリートは、中国の論語や兵法を学んだことのある人が多いのです。

2012年3月16日金曜日

PFドラッカー365の金言より 215

<< 本文 >>  「未来への決断」
社会貢献活動においても、本業を見失わないことが大切である。
資本コスト以上の利益をあげられない企業は、社会的に無責任である。社会の諸資源を浪費している。利益とは、それがなければ他のいかなる責任も果たせず、よき雇用者にも、よき市民にも、よき隣人にもなれないというものである。
だが、経済的な利益だけが企業の唯一の責任ではない。組織なるものは、従業員、環境、顧客、その他何者に対してであれ、自らがかかわりをもつあらゆるものに対して与えるインパクトについて責任がある。それが組織の社会的責任である。
加えて社会は、社会の病そのものに取り組むことも組織に求める。ただし、この点に関しては慎重でなければならない。意図が良くとも社会的責任を果たしたことにはならない。本来の目的を遂行する能力を傷つけるような責任を受け入れたり、買って出たりすることは無責任である。能力のない分野で行動することも無責任である。

(コメント)
本来の役割を果たしたうえで、それを上回る社会貢献をするのならば良いが、本来の役割を果たさずに社会貢献を図ることは無責任であるという意味だろうと思います。
企業の役割・責任とは、資本コスト(給与以外に減価償却・銀行金利・株主配当ほかを含む)を上回る利益をあげることです(中長期的に利益をあげること)。ただし、資本コストを上回る利益を上げる行動を企業がとることに伴い生ずる社会的インパクトに配慮することも必要です。
社会は企業に色々なことを要求してきますが、資本コストを上回る利益を上げること、および社会的インパクトに配慮することから逸脱し、それらを阻害するようなことまでを企業は引き受けてはならないのです。
常に、「自らが果たすべき役割」を認識し、その責任を果たすことが大切であると先生は言われています。しかし、日常生活においては、人間関係やその場の雰囲気から、ついつい惰性に流されてしまうことが多いので注意したいものです。

2012年3月15日木曜日

PFドラッカー365の金言より 214

<< 本文 >>  「創造する経営者」
最も重要な昇進とは、トップマネジメントが選ばれる母集団への昇進である。
本当の貢献を必要とするのであれば、それらの貢献を行った人たちに報いなければならない。人事とくに昇進の人事が、組織が信じているもの、望んでいるもの、大事にしているものを明らかにする。昇進は、言葉よりも雄弁に語り、数字よりも明確に真意を明らかにする。
最も重要な昇進とは、本人にとっての最初の昇進ではない。逆にトップマネジメントとなる最終的な昇進でもない。トップマネジメントの地位には、すでに選ばれた人達の中から昇進していく。最も重要な昇進とは、明日のトップマネジメントが選び出される母集団への昇進である。トップマネジメントが選び出される母集団に属する人達は、事業全体のために働く。

(コメント)
誰をどの地位につけるかは、会社の考えている事、やろうとしている事、価値観などを物語ります。しかし、それらとは関係なく地位を乱発している会社をよく見受けます。長年勤めた功労に報いるために・・・、昇給させてやりたいが原資がないので昇給の代わりに昇格だけさせる・・・、一時的ながら多大な功績をあげたから・・・などです。しかしながら、こんなことをしていると、いずれは会社組織が崩壊してしまいます。
地位には権限と責任が伴い、一定の役割を担うものです。その能力が無い者をその地位に着けることは、一見すると慈悲深いようですが、本当は無慈悲であり、本人のためにも、会社のためにも、また他の従業員のためにもなりません。
そして特に重要なのが、経営責任の一翼を担う経営幹部の集団に誰を任命するかです。私の顧問先は中小・中堅企業が多いので、部長職以上を経営幹部の集団と捉えるようにしています。そして、課長職以下の人達は担当した課のことを中心にその運営を図れば良いのですが、部長職以上になると担当部門の事の前に全社のことを考えることが必要となると指導教授しています。係長から課長になるときの溝と課長から部長になるときの溝は、係長から課長になるときの溝が日本と中国程度の差であるとすると、課長から部長になるときの溝は月と地球位の差があります。従って、人選することが大切です。

2012年3月14日水曜日

PFドラッカー365の金言より 213

<< 本文 >>  「創造する経営者」
人事には、優れた人事と間違った人事があるだけである。
米国の自動車会社GMのCEOであるスローンは「私にはヒトを見分ける力があると思われるかもしれないが、そのような者がいる訳ではない。しかし、ヒトを見分ける力はなくとも、人事の誤りを少なくすることはできる」といっていた。
GMの役員会でも、人事でもめるのは常だった。ところがあるとき、全員が、これでまであらゆる危機と問題を切り抜けてきたある候補者を支持した。するとスローンは、「スミス君の実績は大したものに見える。しかし、そもそも彼は、どうしていつも問題に引きずり込まれるのか?」と訊いた。するとスミス氏を支持する声は消えた。
逆にあるとき、スローンが「ジョージ君のできないことばかり取り上げているようだ。彼がしたことの結果はどうだったのか?彼が得意なのは何か?」と訊いた。そこで説明を受けたスローンは「切れる訳でも冴えている訳でもない。しかし実績はあげているようだ」と言った。その後、このジョージ氏が、ある大事業部の事業部長として難局を乗り切ったのだった。

(コメント)
経営には「正解を得る法則は無い」が「行ってはならないことの法則は幾つかある」と言われます。経営の一部である人事に関しては、真さにそれが言える処です。
人事の誤りを防ぐために、その人物の表面的なコトだけを見るのではなく、その人物の本質的な資質を見抜くことが大切です。しかし、これが難しいのです。
本文の「何故、スミス君はいつも問題に巻き込まれるのか?」という質問は本質を突いていると思います。
論語では「その人の過去の過ちを看れば、その人の人柄がわかる」と教えています。
PFドラッカー先生は、人物評価をするときには「能力」ではなく「真摯さ」を重要視するよう教えています。その上で、その人の「強み」をもって現在の問題・課題が解決できるか否かを考えるべきであると諭されています(「弱み」を注視しないこと)。

2012年3月13日火曜日

PFドラッカー365の金言より 212

<< 本文 >>  「傍観者の時代」
正しい人事のために4時間かけなければ、あとで400時間とられる。
私が傍聴していた頃のGMの役員会では、設備投資、海外進出、車種別事業間のバランス、労使関係、財務構造など戦後の経営政策について基本的な決定を行っていた。ところが私は、これら経営政策に比べるならば不釣り合いなほど小さな人事に、かなりの時間を費やしていることに気がついた。ある日には、ラインのはるか下のポストの人事に何時間もかけていた。
そこで当時のCEOのスローンに訊いた処、「GMは重要な決定を行うためにかなりの報酬を私に支払っている。デイトンのあの職長の人事が間違ったら、たくさんの決定が画に描いた餅になる。決定を具体化するのはあのポストだ。時間がかかることなど何でもない。正しい人事を行うために4時間かけなければ、あとで400時間とられる。そんな時間はない。本当に重要な決定は人事だ。何でもこなせる優秀な人間を手に入れれば良いという人がいる。そうではない。我々にできることは人事だけである。成果をもたらすのは人事である。」というものだった。

(コメント)
昔しから「適材適所」の必要性がよく言われますが、これほど難しいことはありません。その人の「強みを活かせ」とも言われますが、「強み」が何であるか把握するのは難しいものがあります。
そこで、会社が解決すべき問題又は課題を明確にして、それを解決するために諸策を実行する人が重要となります。そのときに、その人の過去の失敗と成功を踏まえて、その人の「強み」であろうことで、会社の問題・課題が解決できる可能性があるか否かで適材であるか否かを判断せざるを得ません。このときにその人の「弱み」「弱点」を問題にしてはいけません。
トップが良い意図を持っていても、実行する現場がそれを実行する能力がなければ「良き意図があった」で終わってしまいます。現場責任者の人事は極めて重要です。
GMのような大企業ならば人材は腐るほどいる筈ですが、GMでさえ人事は慎重に時間をかけて決定していたのです。ましてや、人材の乏しい中小・中堅企業においてや、それが必要なことは言うまでもありません。しかし残念ながら、中小・中堅企業のトップは日常業務や現業に追われ、人事を慎重に検討する時間が無いようです。その結果、悪循環を繰り返しているのではないでしょうか?

2012年3月12日月曜日

PFドラッカー365の金言より 211

<< 本文 >>  「非営利組織の経営」
やり直しのきかない最も難しい人事がトップの承継である。それはギャンブルである。トップとしての仕事ぶりは、トップをやらせてみなければわからない。トップへの準備は、ほとんど行いようがない。
トップの承継にあたって前向きな方法は何か? それは仕事に焦点を合わせることである。これから数年、何が最も大きな仕事になるか? 次に候補者がどのような成果をあげてきたかを見る。こうして「組織としてのニーズ」と「候補者の実績」を合わせれば良い。

(コメント)
トップの後継者選びは判らないことだらけです。
中小・中堅企業の場合には、次のトップを誰にするかという問題は、経営能力以外にも相続の問題もあります。相続の問題は税理士に相談すれば適切な対策を立ててくれるでしょう。
しかし、誰を次のトップにするかは経営者自身が決めなければなりません。大変に重要な問題ですから、「自分がトップに就任すると同時に次期トップの選別を始めなければならない」と言う人が居る位です。
商工会議所などでは10年計画を立ててトップの承継をするよう勧めています。即ち、「選ぶ」のではなく、素養のある人物に教育・訓練をして「育てる」ことが必要となるのだと考えます。
また、息子だから、長男だからという理由だけで次のトップに使命することは必ずしも本人の幸せにはならないということも肝に命じておくべきことだと思います。日本では江戸時代から、商家が跡取りを決めるときには、長男だから、とか、息子だからという理由だけでは跡取りにしなかった慣習があります。無能な長男や息子には生活に困らない方法を講じて資産を分割し商家の経営には口出しさせないようにして、経営権は有能な人材に委ねるようにしたそうです。こうして老舗は維持され発展してきたという歴史があります。

2012年3月11日日曜日

PFドラッカー365の金言より 210

<< 本文 >>  「非営利組織経営」, eラーニング教材「人事の意思決定」
人事に完璧はない。しかし、人事に成功している者はいる。彼らは5つのルールに従っている。
①人事の失敗に責任を負う。自らが任命して、成果をあげられなかって者を責めることは責任逃れである。人事を行った者が間違ったのである。
②成果をあげられなかった者を再度動かす責任を果たす。そのままにしておいたのでは、他の者の迷惑であって全体の士気にかかわる。
③新しく任命された仕事で成果があげられなくとも辞めさせたりしない。適材適所でなかったに過ぎない。
④常に新しい人事を行うように努める。組織としての仕事ぶりは一人ひとりの働きによって規定されるが故に、人事は常に適切に行わなければならない。
⑤外部からスカウトしてきた者には、何を期待されているかが明らかであって、しかも手助けし易い仕事を与える。新しい大きな仕事は、仕事のやり方が明らかであって、かつ組織内で信頼されている者に担当させる。

(コメント)
上に立つ者として大変に重要な考え方です。
いま、私の顧問先で来期に向かっての新しい組織創りをされようとしている会社があります。この会社は過去3年間、経常利益では辛うじて黒字なのですが、営業利益が3年間連続して赤字でしたから(今期は見込み)、黒字体質に転換できるようにヒト・モノ・カネ・情報・時間の使い方を改める必要があるのです。このときに従来の責任者(現場のトップ)の処遇をどうするかという問題が発生しています。いまのままにしておこうという考え方が支配的ですが、私はこれには反対しています。2回(3年間)再チャレンジをさせても成果を上げることができなかった訳ですから、いままでと同じ地位と権限で来期もやらせようという考え方は、本人に対して冷酷であり、部下に対して無責任であると私は考えます。このような場合には、この人を今の地位につけたのは人事権のある人の責任ですから、
この人の給与は従来通りの額を補償して権限と責任が軽い地位につけて再チャレンジさせ、新しい責任者を任命することが必要であると私は思います。
また、新しい仕事を新たな中途採用者にさせようとするケースが現場ではよくあります。しかし、これも間違った考え方です。新しい仕事は、自分達でさえよく理解していませんから、中途採用者を指導することはできません。中途採用者には、自分達がよく理解できる仕事を任せて、いつでも中途採用者を指導育成できるうにして、新たな仕事は従来から会社に在籍して信頼がおける人が担当すべきです。
人事は人間のやることですから、間違えてしまうこともあります。論語に「誤りに気づいて、誤りを直そうとしないことが本当の誤りである」という教えがあります。間違った人事をしてしまったときには、躊躇せずに再度の人事異動を図るべきです。

2012年3月10日土曜日

PFドラッカー365の金言より 209

<< 本文 >>  「非営利組織の経営」
(他の人に)働いてもらっているのは、できないことのためではなく、できることのためである。(他人に共働してもらうときには、その人の「強み」に焦点をあわせなければならない)。
第二次大戦中、陸軍の参謀長を勤めたジョージ・C・マーシャル将軍は、最高の人事を行い続けたことで有名である。彼は600人の将校を司令官や参謀に任命していった。しかも、実践を指揮した経験をもつ者はほとんどいなかった。
「何某大佐は兵士の訓練は最高ですが、上官とうまくいったことがありません。将官に昇進させ、議会で証言させる必要が出てきますと大変です。きわめて無礼な男ですから」との副官の指摘に対して、「任務は何か? 訓練か? 訓練が一流なら昇進させよう。その後のことは私が引き受ける」といったという。
こうして彼は、ほとんど間違いを犯すことなく、わずかの期間で1300万人という史上最大の軍事力を組織したのだった。ここから学ぶべき教訓は、「強み」に焦点を合わせよである。
マーシャル将軍は、人事で5つの手順を踏んでいた。
①仕事の中身をつめた。
②数人の候補を検討した。
③候補者全員の(過去の)実績から、それぞれ強みとするものを探した。何ができないかは重要ではない。強みを見て、その強みが仕事の中身に合致しているかどうかを見た。成果は強みによってもたらされる。
④候補者自身と話しをしただけでなく、候補者それぞれと一緒に働いたことのある者数人と話しをした。重要な情報は(その人の)上司や同僚から得られることが多い。
⑤任命した者に仕事の中身を理解させた。そのための良い方法が、何をしなければならないかを徹底して考えさせ、3カ月後に書面で申告させることだった。

(コメント)
顧問先企業で次期社長を選任しつつある会社があります。親族にバトンタッチするまでのつなぎの社長なのですが、迷いに迷われています。どの候補者にも一長一短があるのです。ここで私は上記の先生の言葉を引用しました。
特に、
①会社の問題・課題を現社長が整理し直してみること
②候補者それぞれの「強み」を改めて把握すること
③「強み」を正しく認識できるように、その人の昔しの同僚や上司から話しを聴いてみること
④候補者達に会社の現状の問題・課題にどう取り組むべきかを真剣に考えさせること
を強調しました。

2012年3月9日金曜日

PFドラッカー365の金言より 208

<< 本文 >>  「マネジメント・・・課題、責任、実践」    <原文を多少加工しています>
産業が衰退する最初の兆候は、能力と意欲のある者に訴える力をもたなくなることである。
人材を確保するには、マーケティング的な目標を持つことが必要である。採用、育成、成果について具体的な目標を持たなければならない。能力と意欲の双方について基準を持たなければならない。優秀な人材を惹きつけ留まらせることについて、能力、意欲、実績の面から具体的な目標を設定しなければならない。

(コメント)
激変を続ける現代社会の中で、自社の将来像を描ける会社に人が魅力を感じるものです。将来像が描けない会社、ただ我武者羅さだけを求める会社には不安を抱き、優秀な人は入社して来なくなっています。
また数年前からの傾向として、新規学卒者が会社を選択する際に、「会社が入社後に自分にどんな教育訓練をしてくれるかが重要な要素ななりつつある」と報道されています。
これは確かな事実です。一部上場会社が突然に倒産するような現代社会において、学卒者は自分の将来に対して不安を抱き、将来に対する不安を少しでも低減させて自分の将来像を描きたいという願望が現れているのだと思います。従って、「仕事は先輩の背中を見ながら覚えろ」などというスタイルは通用しなくなっており、また現代の若者はこのように教科書のないやり方では仕事を覚えないのです。
従って、入社後半年間の訓練計画をスケジュール化し、その後の半年間の訓練計画は出来る限り具体的な計画にして、入社後3年間に行う教育訓練は修正があることを前提とした計画をたてることが最低限でも必要です。そして生涯教育としての選択枝のイメージをオボロゲにでも準備しておく方が好ましいと思います。

2012年3月8日木曜日

PFドラッカー365の金言より 207

<< 本文 >>  「非営利組織の経営」
組織の成果を左右するのは「人」である。組織は自らの人材(の能力)を超えて仕事をすることはできない。人的資源から引き出せるものによって、組織の成果が決定する。それ(成果)は、誰を採用し、誰を解雇し、誰を異動させ、誰を昇進させるかという人事によって決まる。
人を見分ける力に自信のある人ほど間違った人事を行なう。人を見分けるなどは、限りある身の人間に与えられた力ではない。
百発百中に近い人事を行う人は単純な前提に従っている。人を見分ける力などあり得よう筈がないという前提である。彼らは人物診断のプロセスを忠実に踏んでいく。
医療教育者は、優れた診断力をもつ者こそが問題だという。自分の目に頼ることなく、診断という忍耐を要するプロセスを踏むことを身につける必要がある。さもなければ患者を殺してしまう。
人事も同じである。自らの知識や眼力に頼ることなく、退屈なプロセスを実直に踏んでいくことを学ばなければならない。

(コメント)
企業は「ヒト・モノ・金・情報・技術」で成り立っているといわれますが、どんなに優れた「モノ」「金」「情報」「技術」があっても、それを使いこなせる人がいなければそれらは役にたつません。従って、ヒトをマネジメントすることは非常に大切なことなのです。
しかし、人間にはヒトを瞬時に正しく選別する能力は備わっていません。そのため直感に頼らざるを得ないのですが、その後に着実なプロセスを踏んで、その人を色々な面から再評価し続けることで、その人の「強み」を発揮してもらうしか方法はありません。直感に頼ることが悪いことなのではなく、直感に頼って判断したことに拘り、その後修正しようとしないことが悪いことなのではないでしょうか?人間は教育と訓練によって成長を続ける動物ですから・・・・・!!

2012年3月7日水曜日

PFドラッカー365の金言より 206

<< 本文 >>  「非営利組織の経営」
組織は、それを率いることができる者を必要とする。問題はリーダーに、リーダーとしての基本的な能力があるかである。
リーダーとしての能力は
①人の言うことを聴く意欲、能力、姿勢である。聴くことはスキルではく姿勢である。誰にでもできる。しなければならないことは、自分の口を閉ざすことである。
②コミュニケーションの意欲、つまり自らの考えを理解してもらう意欲である。その為には大変な忍耐を要する。
③言い訳をしないことである。思ったほど上手くいっていないからやり直そうと言えなければならない。
④仕事の重要性に比べれば、自分など取るに足らないことと認識することである。リーダーたる者は、自らを仕事の下に置かなければならない。重要なのは仕事であって、自らはその道具にすぎないと認識すべきである。

(コメント)
大昔の体験ですが、ある会社からの相談に応じていて、その会社ではトップと社員のコミュニケーションが不足していることに気づきましたので、その旨をトップに伝えました。そうした処、そのトップは会議を開いて延々3時間、大きな声で自分で話しをし続けていました。その間は質問も受け付けません。社員は何時もの事らしくウンザリ顔で体だけ参加させていました。まるで独演会場でした。コミュニケーションの目的は相互の意思疎通にある訳ですから、これでは目的が果たせないのは当たり前です。
自らの考えを理解してもらうことは、忍耐を要するもの以外の何ものでもありません。判ったつもりでも分っていないことがおおいのです。我が子を育てる気持ちで辛抱強い忍耐をもって理解してもらうしかありません。
言い訳をするリーダーも増えています。言い訳をするのであればまだマシなのですが、リスクを冒そうとしないリーダーさえ増えています。サラリーマン化してしまい、大過なくリーダーの役割を果たそうとするのです。しかし、必要なリスクさえ犯すことを恐れるようではリーダー足り得ません。
仕事の目的達成よりも、自らの目的を優先させるリーダーは昔しからいます。我が強いタイプです。しかし、この手のリーダーは歴史が証明しているように自滅していきます。

2012年3月6日火曜日

PFドラッカー365の金言より 205

<< 本文 >>  「非営利組織の経営」
幸か不幸か、いかなる組織も危機に襲われる。そのときがリーダーに頼るときである。
リーダーにとって最も重要な仕事は、危機の到来を予期することである。回避するためでなく備えるためである。危機の到来を待つことは責任の放棄である。暴風雨を予期し、先手を打たなければならない。災厄の到来を防ぐことはできない。だが、それに対処すべき態勢の整った組織、すなわち士気が高く、とるべき行動を知り、自信に溢れ、互いに信じ合う組織をつくることはできる。
訓練において重要なことは、将校への信頼を兵士に染み込ませることである。信頼なくして戦うことはできない。

(コメント)
東日本大震災の後から、どの会社でも危機管理の大切さを意識されるようになりました。そして、災害発生時に備えてマニュアルをつくったり、災害訓練を行ったりされています。しかし、危機は自然災害発生のとき以外にも発生します。機密情報漏えい、個人情報漏えい、金銭的不正事件、その他個別労働紛争など挙げればきりがありません。それぞれに対して規則やマニュアルをつくることも大切なことですが、私は本文末尾の2行が特に大切であると考えます。上司と部下の間に「普段からの信頼関係」が構築されていなければ規則やマニュアルがあったとしても、個々人がそれぞれ自分なりにそれを解釈し個別行動をとってしまい、かえって危機を増長させしまいます。
過去、温風ファンヒーターでパナソニックさんは見事な組織行動をとられました。同時期に同じ問題が発生した同業者は組織行動の選択を誤りました。
普段から組織の中に信頼関係が構築されているか否か、またその信頼関係をもとに予めマニュアル(手順書)が決められているか否かによって、同じような危機に見舞われても、結果に大差が現れるようです。
いずれにしても、「訓練の目的はマニュアルを周知させることではなく、上司と部下の信頼関係を普段から構築することにある」という先生のご指摘は大切なことだと考えます。
いま私にご相談頂いている案件の中に、NPOが従業員を解雇した処、その従業員が提訴してきた案件があります。そして、この案件の一番の問題は、裁判ではなく、NPO内部で理事相互に間に信頼関係が構築されていないことです。これでは裁判という争いの場で勝てる訳がありません。

2012年3月5日月曜日

PFドラッカー365の金言より 204

<< 本文 >>  「マネジメント・・・課題・責任・実践」
「真摯さ」を定義することは難しい。しかし、「真摯さ」の欠如は、マネジメントの地位にあることを不適とするほどに重大である。
①人の「強み」よりも「弱み」に目がいく者をマネジメントの地位につけてはならない。人のできることに目の向かない者は組織の精神を損なう。
②マネジメントに携わる者は現実家でなければならない。評論家であってはならない。
③「何が」正しいかよりも、「誰が」正しいかに関心を持つものをマネジメントの地位につけてはならない。誰が正しいかを気にすると、部下は無難な道をとる。犯した間違いを正すよりも隠そうとする。
④「真摯さ」よりも「頭のよさ」を重視する者をマネジメントの地位につけてはならない。有能な部下に脅威を感じる者もマネジメントの地位につけてはならない。
⑤自らの仕事に高い基準を設定しない者をマネジメントの地位につけてはならない。

(コメント)
経営理論は、「どうすれば良くなるか」は書かれていません。しかし、過去の経験則から「どうすることは良くないことか」は書かれています。この先生の教えは正にそれを物語っています。どんな人にマネジメントさせれば上手くいくかではなく、マネジメントさせてはならない人のタイプを指摘して消去法的にマネジメントさせるべき人を教えています。
私は「真摯さ」とは「目的に向かって、真面目にコツコツとひた向きに前進していく習性」と理解していますが、これは必ずしも「真摯さ」の全てを的確に表した言葉でないことは事実だと思います。
①の「部下の弱みではなく強みに目を向ける人」という指摘は、マネジメントさせる人にとって最初の課題です。部下の弱みに目を向けるということは、組織が本来果たすべき「人を組み合わせて使うことで、人の弱みを無くして組織成果を上げる」という組織の目的に反することになります。そして弁解をするに留まってしまいます。
②の教えは現代では特に注意しなければなりません。マスコミやインターネットが発達して、知識のある人が増えましたから評論家が増えているのです。評論家と実務家の違いは、実行力です。
③「誰が正しいか」などに興味・関心がいく人は、単なるゴシップ好みにしか過ぎません。派閥をつくってしまい、組織を誤った方向に導いてしまいます。「誰が」ではなく「何が」正しいか、「どうすればうまく行くか」が大切だと思います。
④の教えは現実的によく見かけます。頭の良い人にマネジメントさせると会社が良くなると思い込んでいるために発生する誤解です。マネジメントする人は頭の良い人を使いこなせば良いのであり、頭が良い人がマネジメントすると決断ができなくなる可能性を秘めています。何故なら、モノゴトには必ずメリットとディメリットがあり、決断するということは、他方のメリットを放棄することを意味するからです。方法論ばかりを述べて決断できずにいると、何時まで経っても実行されません。最後に必要なことは決断であり、勇気であると思います。
⑤他人任せで自らに基準が無い人にマネジメントができる訳はありません。そして、マネジメントする人の基準が高くなければ、組織や部下の基準は低いものとなってしまいます。役割に対する期待水準の問題です。

2012年3月4日日曜日

PFドラッカー365の金言より 203

<< 本文 >>  「変貌する産業社会」「非営利法人の経営」「プロフェッショナルの条件」
リーダーは権限を委譲する。だが、範となるべきことについては委譲しない。自ら率先して行う。
成果をあげるリーダーは、リーダーシップについて4つの簡単なことを知っている。
①リーダーには「従う者」がいる。
②リーダーシップにとって大事なことは人気ではなく「成果」である。
③リーダーは目立つ存在であって、他の人たちの「模範」となるべきものである。
④リーダーシップとは、地位、特権、称号、富の類ではなく「責任」である。
何もかも委譲してしまったり、責任を取らないリーダーは、敬意さえ期待することができなくなる。

(コメント)
実務で色々な会社の相談を受けていたら、
①部下のことを考えずに我が身のこと(保身)だけを考えている上司
②部下に嫌われることを恐れ、成果を上げるために必要となる厳しいことを部下に要求できない上司
③他の模範になり得ない上司
④部下の責任を取らず、部下の成功を我物にしてしまっている上司
によく出会います。
このような上司・社長のいる会社は業績が不振であるか、個別労働紛争が発生するか、社員の定着率が低いかのどれかが当てはまります。
私は、「厳しいけど、優しいリーダー」を育成するように指導しています。間違っても「甘くて、いい加減なリーダー」になってはいけません。

2012年3月3日土曜日

PFドラッカー365の金言より 202

<< 本文 >> 「経営者の条件」
リーダーにとって重要なことは、人を変えることではない。人のもつあらゆる強み、活力、意欲を動員し、全体の能力を増大させることである。そのためには、その人がもつ最大の「強み」に焦点を合わせ、その強みの発揮の妨げとならない限り「弱み」は関係ないものとして無視しなければならない。
リーダーと普通の人達との差は一定である。リーダーの仕事ぶりが高ければ、他の人の仕事ぶりも高くなる。集団全体の仕事ぶりをあげるよりも、リーダー1人の仕事ぶりをあげる方が易しい。従って、リーダーの役割の一つとして、その組織の標準を設定し定める役割があるが、これはリーダーにとって重要な役割である。

(コメント)
本文を多少カスタマイズしています。
この本文前段は注意すべき事項です。リーダーの役割とは、その組織全体の成果を増大させることであり、その中の一人の「弱み」を是正させることではないのです。人間には必ず弱みがあるものです。そのため、他の人または他の方法を用いることにより、その人の弱みを意味の無いものとしてしまえば良いのです。リーダーが最後まで拘るべきは成果であり、その人の性格や行動を矯正することではないのです。
また、リーダーはその組織の標準を決める立場にあるという考えも重要な考えです。リーダーが定めた標準の水準が低ければ、その組織の成果も低いものとなってしまいます。トヨタのQC活動では常に標準を現状よりも少し高い所に設定していくことでカイゼンを繰り返していったと聞き及びます。リーダーが低水準の標準で妥協すると、その組織の成果は低水準なものとなってしまいます。そのため、リーダーと一般の人の差は常にあり、リーダーが一般の人の目線と同じ水準でモノゴトを考えてはならないのです。アメリカの巨大企業GEを立て直して有名になったジャック・ウェルチ氏の言葉に「大胆なストレッチ目標(≒チャレンジ目標)をたて、手近かで明確な少数の具体的な目標を設定し、その目標に集中することで、シンプルに、かつ確実・着実に実行し、前進を続ける組織を創る」というのがあります。

2012年3月2日金曜日

PFドラッカー365の金言より 201

<< 本文 >> 「マネジメント・・・課題・責任・実践」「非営利組織の経営」
リーダーシップとは、人のビジョンを高め、成果の水準を高め、人格を高めることである。そのためには、行動についての厳格な原則と、成果についての高度の基準を確立し、ともに働く人たちと仕事に敬意を払うことが必要である。
自らへの関心を中心におくリーダーは、誤った方向へ進む。
重要なのはカリスマ性ではない。リーダーシップとは人を惹きつけることではない。人を惹きつけるのは扇動者にすぎない。
リーダーシップとは、人のビジョンを高めることである。

(コメント)
この本文は原文の文章の順番を前後させて、できるだけ判り易くしたものです。
リーダーシップを「勇ましく人を引っ張っていくこと」と誤解している人が沢山います。過去の私もそうでした。
しかし、本当のリーダーシップとは、相手に気づきを与え、相手の進むべき方向性を示し、相手自らが自分の意思でその方向に行動するよう導くことではないでしょうか?
だからリードするのがリーダーシップであり、相手に強制し無理やりに引っ張っていくことはリーダーシップとは言えません。また、人を惹きつけることだけをもって正しいリーダーシップとは言えないと思います。この文節で先生は、20世紀の最もカリスマ性的であった3人のリーダーとして、ヒットラー、スターリン、毛沢東の3人の名を上げ、人を惹きつけことに長けていたが人類に害をなした者と指摘されています。

2012年3月1日木曜日

PFドラッカー365の金言より 200

<< 本文 >> 「非営利組織の経営」
組織のリーダーを選ぶには何を見なければならないか?
第一に、その人が現在に至るまでに「何をしてきたか」、「何が強みか」を見る。成果をあげるのは
強みによってである。従って、「その強みを活かして何をしてきたか」を見る。
第二に、組織がおかれている状況を見て、行うべき重要なことは何かを考える。そして、そのニーズに強みを合わせる。
第三に、真摯さを見る。リーダー、特に強力なリーダーとは模範となるべき者である。組織内の人達、特に若い人達が真似をする。
ずっと前のことだが世界的な規模の大組織のトップを務めるある賢人から大事なことを教わった。「重要なことは、我が子をその人の下で働かせたいと思うか?」である。これが人事についての究極の判断基準である。

(コメント)
ここ数年、私はある中小企業のトップ人事を決めるお手伝いをしています。今のオーナーには子供がいないので、甥に継がせたいのですが、甥の人格に問題があると判断しているため、中継ぎにサラリーマン社長を入ってもらい、その間に甥を鍛え直そうとされているのです。このオーナーの人選に対する基準を上記の先生の教えに照らすと先生の教えが大変よくわかります。
第一の指摘は、その人の「強み」が大切であるということです。ただし、その人が自ら言う「強み」と実態とは必ずしも一致しません。そのため、その人が過去に行ったこと(成功事例、失敗事例)を訊きだして、その中からその人の本当の「強み」を推測するしかありません。そして、推測が正しいがどうかをテストするために、些細なことを依頼してみることが必要です。織田信長が自らの小姓を選ぶときに、織田信長の足の爪を切り取ったものを捨てるように指示してテストしたそうです。他の小姓は指示された通りに捨てましたが、森蘭丸だけは爪の数を数えて9個しか無いことを信長に告げ、衣服に残りの一つがついている可能性があることを告げたそうです。森蘭丸は小姓ですが、信長直轄の小姓ですから、信長からの伝言を武将に伝えてり、配下の小姓に指示を出す役割がありますから、リーダーとしてかなりの権限を持つ立場にいたと言えると思います。
第二に、会社にとって重要な問題を解決する能力があるか否かを判断しなければなりません。できれば、その人の「強み」が発揮できる分野と会社にとって重要な問題が属する分野とが同じであることが望ましいのです。私の相談先の重要問題は、技術力の低下とマーケティング能力の向上、そして後継者の育成です。
第三に、真摯さです。真摯さは全ての能力に優先する事項です。私は、「真摯さ」を「真面目にコツコツと目的に向かって継続してやり抜く力」と理解しています。上記の相談先には、生え抜きの幹部や銀行を定年退職してこの会社に入社した幹部、地元の大手企業から定年後に移籍した幹部等がいます。生え抜きの幹部と銀行から移籍してきた幹部は、自ら責任を引き受けようとせず逃げる習性があるので部下から信頼されていません。地元大手企業から移籍した幹部は、指示されたことを確実に行おうとしますが、自ら率先して課題を見つけ出し問題を解決していこうとはしません。結局、現在のオーナーは、その人に甥の教育をゆだねることになりますから、真摯さを重視されたようです。
私が思うに、優先順位は先生の指摘の逆の順番で丁度良いと考えます。まず最初に「真摯さ」で選別する。次に会社の課題・問題はどうすれば解決できるかを考える。そして最後に、その人の「強み」をその人の過去の「実績」と「失敗」から判断(その人が口頭でいう強みを鵜呑みにしない)して人選するという順番です。ただし、このときに会社の課題・問題を解決する能力が自らにあるか否かを問題にするのではなく、部下を使って課題・問題を解決する能力があるか否か(リーダーシップ)を問うことが大切です。ケースにもよりますが、自らで解決する能力を備えている人は、問題を一人で抱え込む傾向がありますから、リーダーに不向きな場合も多々あります。