2012年3月5日月曜日

PFドラッカー365の金言より 204

<< 本文 >>  「マネジメント・・・課題・責任・実践」
「真摯さ」を定義することは難しい。しかし、「真摯さ」の欠如は、マネジメントの地位にあることを不適とするほどに重大である。
①人の「強み」よりも「弱み」に目がいく者をマネジメントの地位につけてはならない。人のできることに目の向かない者は組織の精神を損なう。
②マネジメントに携わる者は現実家でなければならない。評論家であってはならない。
③「何が」正しいかよりも、「誰が」正しいかに関心を持つものをマネジメントの地位につけてはならない。誰が正しいかを気にすると、部下は無難な道をとる。犯した間違いを正すよりも隠そうとする。
④「真摯さ」よりも「頭のよさ」を重視する者をマネジメントの地位につけてはならない。有能な部下に脅威を感じる者もマネジメントの地位につけてはならない。
⑤自らの仕事に高い基準を設定しない者をマネジメントの地位につけてはならない。

(コメント)
経営理論は、「どうすれば良くなるか」は書かれていません。しかし、過去の経験則から「どうすることは良くないことか」は書かれています。この先生の教えは正にそれを物語っています。どんな人にマネジメントさせれば上手くいくかではなく、マネジメントさせてはならない人のタイプを指摘して消去法的にマネジメントさせるべき人を教えています。
私は「真摯さ」とは「目的に向かって、真面目にコツコツとひた向きに前進していく習性」と理解していますが、これは必ずしも「真摯さ」の全てを的確に表した言葉でないことは事実だと思います。
①の「部下の弱みではなく強みに目を向ける人」という指摘は、マネジメントさせる人にとって最初の課題です。部下の弱みに目を向けるということは、組織が本来果たすべき「人を組み合わせて使うことで、人の弱みを無くして組織成果を上げる」という組織の目的に反することになります。そして弁解をするに留まってしまいます。
②の教えは現代では特に注意しなければなりません。マスコミやインターネットが発達して、知識のある人が増えましたから評論家が増えているのです。評論家と実務家の違いは、実行力です。
③「誰が正しいか」などに興味・関心がいく人は、単なるゴシップ好みにしか過ぎません。派閥をつくってしまい、組織を誤った方向に導いてしまいます。「誰が」ではなく「何が」正しいか、「どうすればうまく行くか」が大切だと思います。
④の教えは現実的によく見かけます。頭の良い人にマネジメントさせると会社が良くなると思い込んでいるために発生する誤解です。マネジメントする人は頭の良い人を使いこなせば良いのであり、頭が良い人がマネジメントすると決断ができなくなる可能性を秘めています。何故なら、モノゴトには必ずメリットとディメリットがあり、決断するということは、他方のメリットを放棄することを意味するからです。方法論ばかりを述べて決断できずにいると、何時まで経っても実行されません。最後に必要なことは決断であり、勇気であると思います。
⑤他人任せで自らに基準が無い人にマネジメントができる訳はありません。そして、マネジメントする人の基準が高くなければ、組織や部下の基準は低いものとなってしまいます。役割に対する期待水準の問題です。

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