2012年2月29日水曜日

PFドラッカー365の金言より 199

<< 本文 >> 「マネジメント・・・課題、責任、実践」
組織の目的は、凡人が非凡になれるようにすることである。
組織の精神とは、訓戒、説教、善意ではない。「実践」である。
第一に、組織の焦点は成果に合わせなければならない。組織の精神は目線の高さ(目指すべき目的・目標の水準)を必要とする。
第二に、組織の焦点は、問題ではなく機会にあわせなければならない。
第三に、異動、昇進、昇給、降級、解雇など人事の決定は、組織の信条と価値観に沿って行わなければならない。
第四に、人事の決定は、真摯さこそ唯一の条件であり身につけていなければならない。資質であることを示すものでなければならない。

(コメント)
優秀な人財がいないから良い業績が上げられないのではなく、人材を活かす組織や仕組み(凡人が非凡な能力を発揮できる組織や仕組み)が出来上がっていないから業績があがらないのではないでしょうか?具体的には、その人の強み・長所を発揮させ、その人の弱みや短所は他の人が補う仕組みを言います。
会社は訓戒を述べたり、説教したり、善意で業務を行うこものでありません。業務が遂行されるためには「実践されること」が大切です。どんなに良いスローガンや意図と言えども、実践されなければ絵に描いた餅と同じです。
①良い成果、高い業績を目指すと組織の精神も自ずと健全になっていきます。成果や業績で妥協を許していると、気づかないうちに組織が腐っていきます。
②色々な企業でご相談を承っていると、幹部の人達は発生した問題の解決に振り回されている現状を見受けます。問題が発生してから解決しようという姿勢ではなく、問題は発生しないように予防し、経営幹部はビジネスチャンス(機会)を活かすことに時間を費やすことが必要です。
③昇給、昇進、異動異動、降級、解雇は会社の信条と価値観に沿って行われることが必要です。朝礼や会議でどんなり立派な訓戒を述べようとも、従業員は人事を通じて会社の価値観・信条を理解していきます。
④人事の決定では、「能力」ではなく「真摯さ」が最も大切なものです。しかし、現実の昇格・昇給等では能力が高いからという理由でなされる場合が多々あるようです。そして数か月後に、能力は高いが真面目にコツコツとやらないということが判り、昇格・昇給の失敗を認めざるを得ないことになっています。「能力」は教育すれば引き上げることは可能ですが、「真摯さ」は生来の資質ですから教育訓練だけで身につけさせることはできません。

2012年2月28日火曜日

PFドラッカー365の金言より 198

<< 本文 >> 「マネジメント・・・課題・責任・実践」
全員が自らをマネジメントの一員とみなし、マネジメントとしての責任をもつ組織をつくらなければならない。マネジメントとしての責任とは、自らの仕事への「責任」、組織全体の成果への「責任」、社会への「責任」を指す。
責任とは外部に対するものであって、かつ内部に対するものである。外部に対しては成果に責任をもつことであり、内部に対しては成果をあげるために全力を傾けることである。
働く者としての責任とは、成果をあげことに責任を負うだけでなく、成果をあげるうえで必要なことの全てを行い、それらの成果に全力を傾けることである。

(コメント)
全員が経営者の意識をもつことの必要性を説かれています。
そして、そこには権利はなく、あるのは義務だけです。「組織全体の成果をあげること」こそが経営者(マネジメント)の責任です。この意識を全員がもつことが大切なのです。色々な企業から相談を承っていてよく見かけるのが、全体の成果を考えることなく、それぞれの部署の最適化または部署成果の達成を目指されているために発生している諸問題です。

2012年2月27日月曜日

PFドラッカー365の金言より 197

<< 本文 >> 「マネジメント・フロンティア」
企業とは人間組織であり、社会組織である。体系及び実践としてのマネジメントは、人と社会を扱う。組織は、自らの外にある目的のために存在する。
マネジメントが組織のなかの人的資源を生産的な存在となし得たとき、初めて組織は自らの外にある目的を達成することができる。
マネジメントは医療と同じく科学ではない。マネジメントと医療も実践である。実践は、科学という大きな存在から栄養をとる。マネジメントは経済学、心理学、数学、政治学、歴史学、哲学から栄養を補う。しかし、マネジメントはそれ自体独立した存在であり、固有の前提、目的、目標、道具、尺度をもつ体系である。

(コメント)
「マネジメントはヒトを扱う問題である」と先生は指摘されています。企業経営は、ヒト・モノ・カネ・情報・技術・文化で成り立っていると言われますが、全てはヒトに尽きるのではないでしょうか? どんなに優秀な機械設備や技術があっても、またどんなに沢山の資金があっても、それを有効に活用し得るヒトがいなければそれらは死んでしまいます。
また、会社組織は、会社組織の外にある目的に貢献して初めて成果を上げることが出来るとも指摘されています。会社は社会に貢献して初めて利益を上げることができるのであり、自己満足のための目的達成では利益を上げることはできません。
更に、マネジメントは純粋科学ではなく実践であるから、複数の科学を栄養源として活用することが大切であることも指摘されています。

2012年2月26日日曜日

PFドラッカー365の金言より 196

<< 本文 >> 「新しい現実」
長期的な「気候」は安定的であり予測可能である。しかし、短期的な「天候」は不安定であり予測不能である。複雑なシステムにおいては、短期的には何事も外生変数として除外することができない。短期的な現象にはシステムは無い。短期の現象にあるのは混沌である。

(コメント)
先生がここで言われる「システム」とは、「こうすれば、こうなる」・「必然性」「理論・法則」などというものだとご理解ください。
昔し、私はファッション業界で卸問屋を営んでいました。この頃にコンサルタントから「短期の流行に振り回されずに、長期のトレンド(傾向の変化)に上手く対応していくことが大切です」と教えられていました。短期の流行を追い求めようとすると、変化に振り回されて自らの強みを見失ってしまうことにもなりかねません。マネジメントには、「長期のトレンドを踏まえて短期の変化に対応する」ということが必要だと考えます。
会社の調子が悪くなると、どうしても目先(短期)の業績(利益)を求めてしまいます。しかし、短期の業績には法則性・必然性はありません。すべてが突発的・偶発的なものです。その結果、自らを見失うという坩堝(ルツボ)に嵌(ハマ)っていくのです。会社を再建しようとする際には、まず長期のトレンドを見据えることで方向性を間違えないようにしなければなりません。
中国の道教という教えに「無為」というのがあります。これは「何も行わない」という意味ではなく、「流れを活用して自らの目的を達成する」という教えです。短期間の流れは変幻自在に変化して捉えようがないことが多いのですが、長期間の流れはある程度の法則性があるものです。従って、その法則性を見抜き利用することが大切です。この教えを早くに知っていれば、私も会社を倒産させずに済んだかもしれません。
複雑で変化の激しい現代では、長期のトレンドを考え対策を講じていくことが大切なことだと考えます。

2012年2月25日土曜日

PFドラッカー365の金言より 195

<< 本文 >> 「変貌する産業社会」「マネジメント・・・課題・責任・実践」
部分は全体があって初めて意味をもつ。
企業とは、共同の事業へ自らの知識、技能、心身を投ずる人達からなる高度なシステム(有機体)である。
従って、部分の改善や効率化が全体の改善につながるとは限らない。部分の改善や効率化がシステム全体に害を与え、場合によってはシステムそものもを破壊することさえある。システム全体を強化する最善の方法が、ある特定の部分の弱体化、つまり曖昧化や非効率化であることさえある。重要なことは、技術的な効率ではなく、成長、均衡、調整、統合の結果しての「全体の成果」である。
部分の効率に重点をおくことは、システム全体にとって有害である。道具の正確さを追求して、全体の健全性と成果を犠牲にすることにもなる。

(コメント)
「ザ・ゴール」という本はボトルネックについて書かれています。A,B,Cの機械があり、製品をつくるときに、Aの次にB、Bの次にCの機械を使用する場合において、もしもBの製造能力が80個/時間(AとCは100個/時間)しか無く、A,Cより劣る場合に、もしも全ての機械が最大生産能力を発揮すると、AとBの間には時間あたり20個の仕掛在庫が累積していく。その結果、全体の製造成果は80個/時間となり、しかも仕掛在庫が増えるだけの結果に終わる。だから個々の製造能力を最大限発揮させても、それは必ずしも最適な結果をもたらさないということを小説として解説している書籍です。
先生のご指摘やこの小説の内容にあるように、部分の最大化・最適化は必ずしも全体の最大化・最適化という結果をもたらしません。会社組織の目的は、全体成果の最大化・最適化ですから、全体成果の最大化・最適化のために部分の最大化・最適化を図ることが必要です。
しかし、会社組織では役割を分担して仕事を遂行しますから、得てして部分成果の最大化・最適化に拘る傾向が強く、それが必ずしも全体成果の最大化・最適化をもたらさないことが多いのです。その為、「始点と視点を全体成果の最大化・最適化とすべきである」と説かれていると考えます。

2012年2月23日木曜日

PFドラッカー365の金言より 194

<< 本文 >>  「明日を支配するもの」
戦略は情報を基盤とする。変化は組織の外で起こる。組織の中にはコストセンターがあるにすぎない。
基本的な変化が始まり、それが重大な変化に発展していくのは、いまはまだ自社の顧客でない人達(ノンカスタマー)の世界においてである。産業そのものを変えた重要な技術のうち少なくとも半分が、それぞれの産業の外部で生まれたものである。

(コメント)
今までに幾度となくコメントしていますので、ノーコメントです。

2012年2月22日水曜日

PFドラッカー365の金言より 193

<< 本文 >> 「ネクストソサエティ」  (原文は少々解り難いと思ったので、多少加工しています)
全てを(自分の)傘下にしてしまうという一体化の公理が陳腐化した。原因は2つある。
①知識が専門化した結果、高価となり、自らが全てを賄うことが不可能になった。時折しか使わない知識は急速に劣化する。
②インターネットとe-メールのおかげで、コミュニケーション・コストが安くなった。その結果、あらゆる種類の事業活動において、提携(連携)が成果をあげる組織方法となった。

(コメント)
一昔前までは、できるだけ全てのことを内製化して一体化する方が良いと考えられていました。しかし、知識や技術が専門化し、かつ変化し続ける現代において、内製化してしまうと、その変化に対応しきれなくなります。反面では、インターネットの普及によって、コミュニケーションするために必要なコストがどんどんと安価になりました。その結果、自社にとってコアな部分は内製化するにしても、それ以外の部分は連携または提携して行う方が良い時代となっています。
私は社会保険労務士として色々な企業に経営や労務管理に関する事項のアドバイスをしていますが、先生のご指摘を痛感します。私の顧問先には、社内に総務担当者が10人以上いる会社でも私と契約して、社外からの意見を積極的に取り入れて行こうという会社が数社あります。人事労務に関する通常業務は社内の総務担当者がされていますが、私が法改正の動向を伝えたり、稀に個別労働紛争や懲戒処分の案件が発生すると私が担当しています。昨日はある会社の会長から次期社長の選任に関するご相談を頂きました。この次期社長の選任基準などは稀にしか使わない知識であり、かつ株式相続のほかに経営者として伝承すべき事項と法改正上の留意点などがありますから社内の判断だけでは十分な検討ができないためです。
これからは、全てのことを社内で処理できるように一体化してしまおうと考えるよりも、必要なときに必要な人と連携・提携して自らの目的を達成しようと考える時代となったことを痛感します。

2012年2月21日火曜日

PFドラッカー365の金言より 192

<< 本文 >> 「明日を支配するもの」ほか
これからは事業活動の多くのプロセスが、提携、合併、アウトソーシングを基盤として行われる。グローバル経済では、事業展開は、所有権や支配権ではなく戦略を基盤として行われる。それらパートナーシップにおいては、経済連鎖(サプライチェーン)全体の視点から戦略と製品企画を立てなければならない。
かつては内製率が高いほど良いとされてきた。しかし、今日では常にどこで製造すべきかを考え、自社よりも良い仕事をより安くできるパートナーを探して外注することが必要てある。
こうして、あらゆる事業活動を経済連鎖の一環として世界中で展開することを考えることが必要な時代である。

(コメント)
本社は東京にあるが、テレホンサービスは沖縄の企業に外注している。コンピューターのプログラムはインドでつくる。ユニクロの初期基本戦略は、日本の本社で企画し、中国のメーカーで製造し、日本国内で販売するというものでした。小規模なベンチャー企業では、自らは製造または営業に専念するために、会計や労務管理は外注している会社が多いようです。日本年金機構でさえ、未納保険料の回収を民間企業に委託外注しています。
グローバル経済が進行し、競争が激化した結果、自社の強みを発揮できる分野に集中せざるを得ない状況となりつつあるようです。
その結果、原子力発電やパソコンの集積回路チップにおいて、かつてはライバルと目されていた企業とも、必要に応じて連携することが発生しています。
このとき、「自社の果たすべき役割」を明確にしなければ、自社は根なし蔓となってしまいます。
数十年前にPFドラッカー先生が予測した上記の状態が、確実にいま進行しつつあるようです。

2012年2月20日月曜日

PFドラッカー365の金言より 191

<< 本文 >> 「乱気流時代の経営」
収益とは、マネジメントの仕事ぶりの尺度ではなく、事業の成果の尺度である。事業の成果は、前任のマネジメントの仕事ぶりの結果である。
(その人の)マネジメントの仕事ぶりとは、主として明日に備えた仕事をすることを意味する。
事業の将来は、4つの分野における今日のマネジメントの仕事ぶりによって左右される。
投資である。投資収益率を期待に照らして評価しなければならない。
人事である。人事の成果は評価不能ではない。かなり容易に評価できる。
イノベーションである。研究開発の成果は評価できる。
戦略である。期待したことは起こったか? 目標は正しかったか? 目標は達成されたか?
である。

(コメント)
この教えは「今期利益が増えたから新しい社長は有能だ」と考えることは間違いであると教えています。今期の利益は、前任社長の投資、人事、イノベーション、戦略が成果として結びついた場合がおおいのです。
顧問先のある部門で今期とても業績を伸ばしている部門があります。この会社の経営者は、「今度の新しい部長は優秀だ」と評価していますが、私が見る限り前任の部長が部下を育て、業務改革を行い、いまの部長は前任部長のたてた戦略を継承実行しているにしか過ぎないように見受けられます。前任部長の成果がタイムラグを経て、いま成果として現れ始めているのだと思っています。ただし、正しい戦略を引き継ぎ、正しく実行している今の部長もそれなりに良い仕事ぶりだとは思っています。
地位が上にればなるほど、その人が考えて実行したことの成果が数字として現れるまでにはタイムラグが発生してしまうことが多いのが実情ですから、人の仕事ぶりを評価するときには注意したいものです。特に、マスコミの短視眼的評論に振り回されないことが大切です。書籍「エクセレント・カンパニー」でも著者は「大きな歯車を最初はユックリと一人で回し始めて、そのうちに徐々に加速して仲間を増やしていくようなもの」と表現されています。
そして、自らの仕事ぶりを自らが評価するときには、①投資、②人事、③イノベーション、④戦略の成果という4つの視点から評価することが必要です。そして更に、現業に近い人ほど「現在」の仕事をし、地位が上になるほど「明日」に備えた仕事をするのが役割であると考えた方が良いと思います。従って、社長や部長が今日の仕事に翻弄されているようでは、社長や部長は本来の役割を果たそうとしていないことになると思います。取締役会や役員会が、いま発生している問題解決に翻弄されていませんか?

2012年2月19日日曜日

PFドラッカー365の金言より 190

<< 本文 >>  「チェンジ・リーダーの条件」
企業活動の目標は、富の創出能力を最大化することである。その責任は、株主、顧客、従業員、取引先、地域社会の利害をバランスさせてマネジメントすることではない。トップマネジメントの責任は、「富の創出能力」を最大化させることである。
「富の創出能力の最大化」こそ
①短期と長期の成果を統合し
②マーケティング、イノベーション、生産性、人材育成などの事業上の成果を財務上の成果に結び付けるものである。
そして、この目標こそ、株主、顧客、従業員などあらゆる利害関係者を満足させるうえで必要なものである。

(コメント)
この先生の教えの中には明らかに論語の「中庸」の考え方が入っているような気がします。
利害をバランスさせようと中途半端な妥協をすることではなく、「AもBも最大化しよう」と両極を極めたうえで「第三の道」を見つけ出し両方を打開させようとすることがトップマネジメントには必要であると言われているようです。
そして、「長期」も「短期」も「富の創出能力を最大化させる方法」(A or Bではなく、A and Bの考え方)を模索するのがトップマネジメントの役割であると言われたいのではないでしょうか?
韓国のサムソン電子は、10年前には3流のメーカーでした。しかし、積極的に教育訓練、設備投資、研究開発等を続けて、日本企業が目先の利益に右往左往している間に、富の創出能力の最大化に努め世界の冠たるメーカーに成長しました。いま、自動車産業ほかにおいても同様のことが起こり始めています。
手に入れた富を如何に分配するかは大変に重要なことですが、顧客、従業員、取引業者、株主、金融機関、地域住民ほかの関係者を一層満足させるためには「富の創出能力」を高めることがもっと重要なことになります。そのためには、「今日の利益」(短期)と「明日の利益」(長期)のバランスを取るのではなく、それぞれを最大化できる対策を講じることが必要となるのではないでしょうか?

2012年2月18日土曜日

PFドラッカー365の金言より 189

<< 本文 >>  「現代の経営」
利益は事業活動の究極の判断基準である。
利益には3つの役割がある。
①事業活動の有効性と健全性を評価測定する指標としての役割。
②設備他の陳腐化、更新、リスク、不確実性をカバーする役割。
この観点から見るならば、所謂、利益なるものは存在しないことになる。事業継続のコストがあるだけである。こうしたコストをカバーすることは企業の責任そのものである。
③事業のイノベーションと拡大に必要な資金調達を可能にする役割。
である。
問題は、「利益は十分か?」である。未来のコスト、企業存続のコスト、創造的破壊のコストを賄うに十分な資本形成を行っているかである。

(コメント)
利益を判断基準にせず、売上を判断基準にしている会社は、いまでも沢山あります。その結果、そのような企業は倒産への道を静かに歩んでいくことになります。先日もある土木建設業の中堅企業から、売上は昨年より伸びているのだが資材が高騰しているため赤字受注が増え、2期連続で赤字となり債務超過に陥った会社からリストラ(事業規模縮小)の相談がありました。
先生は利益(企業が生み出す付加価値)の役割を上記3つにされていますが、昨今の状況を考えると私は、
①-1既存の設備の更新に備えるための利益(=減価償却)
①-2新規(拡大)投資や変革に伴う費用を賄うための利益(=投資)
②リスクや不確実性に備えるための利益(=内部留保利益)
③株主・金融機関への配当・利子のための利益(=配当・利息)
の3分類(4分類)に分けて予算建てすべきと思います。
その上で、この利益(付加価値)を生むために、どのような企業(営業)活動を行い、幾らの売上が必要なのかを算出して予算(目標)を策定すべきではないでしょうか?
そして更に重要なことは、本当に利益が出ていれば現金・預金が増える筈であるということです。税理士が使用する税務申告用の損益計算書ではこれが把握できません。例えば、期末在庫を増やせば利益はでるのです。従って、日々、月々の営業活動の利益を把握するためにはキャッシュフロー計算書(特に営業活動によるキャッシュフロー)で「現金・預金の増減」を把握することが必要となります。
そして更に重要なことは末尾にあります。日本の常識は世界の非常識と言いますが、日本の中小企業の多くは投資(上記①-1と①-2)をしようとするとき、直ぐに銀行から借りれば良いと考えてしまう傾向があります。しかし、先生は「普段から(内部留保として)少しずつ蓄えておくべきである」と指摘されています。

2012年2月17日金曜日

PFドラッカー365の金言より 188

<< 本文 >>  「現代の経営」
利益の最大化を唯一の目標にすることは間違いである。マネジメントとは、多様なニーズと目標をバランスさせることである。利益だけを強調することは、企業の存続を危うくするところまでマネジメントに誤りを導く。
その結果、今日の利益のために明日の利益を犠牲にする。売り易い製品に力を入れ、明日のため製品をないがしろにする。そうして利益の足を引っ張る投資を避けるようになる。
目標は、事業の存続と繁栄に直接かつ重大な影響を与える全ての領域において必要である。目標を設定すべき領域は八つある。
①マーケティング
②イノベーション
③生産性
④物的資金的資源
⑤マネジメント能力
⑥人的資源
⑦社会的責任
⑧利益
である。
これらのうち「鍵」となる領域は企業によって異なり、成長段階によって異なる。しかし、事業、業況、規模、成長段階の如何にかかわらず、目標を設定すべき八つの領域そのものは変わらない。

(コメント)
経済環境が厳しく競争が激化している現状では、短期的利益にばかり力を入れて長期的利益を考えない傾向がでています。企業内の人事評価においても、成果主義が失敗している大半の理由は短期的業績にばかり社員が目を向けて長期的業績改善に努力しなくなる点にあります。極端な場合には雪印、不二家、赤福ほかのように、短期的利益を偏重し社会常識・倫理を逸脱した結果、企業が存続え難くなる場合もあります。長期と短期のバランスをとることがマネジメントには必要であり、そのバランスのとり方がマネジャー(経営者)の価値観の現れとなります。そして、その際に必要な視点が8つあると先生は教えられていらっしゃるのではないでしょうか?
設備投資、人材教育投資などを行うと経費が増えますから短期的な利益は減ってしまいます。しかし、長期的な増益を考えるとこれらは必要経費なのではないでしょうか?この点に関して、単なる投資家と経営者の違いが決定的に鮮明になります。

2012年2月16日木曜日

PFドラッカー365の金言より 187

<< 本文 >>  「ネクスト・ソサイエティ」
あらゆる組織が、生き残るために、起業家的なシステムをもたざるを得ない。
①資源を費やす価値のなくなった製品、サービス、プロセス、市場、流通チャネルを「体系的に廃棄」していくことである。
②「改善を体系的に継続」して行っていくことである。
③成功したものについて「新たな展開を体系的に」図っていくことである。
④「体系的にイノベーション」を行い、最も成功している製品さえ、「自ら陳腐化」させていくことである。
これら4つの起業家的なシステムは、もつことが望ましいのではない。今日を生き残るためには持たざるを得ないのである。

(コメント)
ここで先生が教えられたいことは「計画的・体系的な廃棄・廃止」が組織活性化のためには必要不可欠なことであるということだと思います。
過去の歴史を振り返ってみますと、過去からの慣習に固執したり、現在に満足した瞬間から、組織の衰退が始まっている例は幾多見受けられます。
そして、先生のこの教えは論語の「一日を新たな気持ちで、日々を新たな気持ちで、また一日を新たな気持ちで」という言葉からもたらされているような気がします。

2012年2月15日水曜日

PFドラッカー365の金言より 186

<< 本文 >>   「マネジメント・・・課題、責任、実践」
目標は計画に落とし込まなければ、目論見(夢)にすぎず、目標があるとは言えない。
しかも有能な人達が取り組んでくれて、はじめてプラン(計画)は成果を上げる。そのような取組みがなければ、口約束と目論見に過ぎず、プラン(計画)ではない。仕事のできる者を誰か担当させているかを聞かなければならない。いま担当させる訳にはいかない。今日の仕事を終わらせなければならないという答えが返ってくるようでは、プランが無いことを認めたに過ぎない。
仕事は、責任、期限、評価、フィードバック(報告)を伴う。そして、何をいかに測定するかが、意味ありとすべきことと、なすべきことを規定する。

(コメント)
実務でよく直面する問題です。
目標をたて計画を組み、それを推進していくメンバーを各課から選出しようとすると、どの課もヒトを出したがらない。ましてや優秀な人材は、なおさら出したがらないのです。しかし、優秀な人材にプラン(計画)実施を担当させなければ良い成果は得られません。優秀な人材にプラン(計画)実施を担当させなければ、「目標をたてた」、「計画をたてた」とは言えないのです。優秀ではない人材に担当させる状態を私は「・・・レバ・・・タラいいナ!!」状態と呼んでいます。
プラン(計画)をたてても実行しなければ「絵に描いた餅」です。
プラン(計画)とは、「誰が」、「何日(時)までに」、「どうやって」、「どんな目標」を達成するのか、そしてそれを「どういう尺度で評価」(売上なのか利益額なのか、それとももっと別の尺度なのか)するのかを決めなければ、正しい成果は得られません。簡単に言えば、「責任者」「役割」「期限」「達成すべき目標の内容(質・量)」を決めることが必要です。
しかも、プラン(計画)が優秀な成績をあげる為には、最も優秀な人財に担当させる必要があるのです。そのため、優秀な人財に仕事が集まってしまうことになる点は注意すべき点です。

2012年2月14日火曜日

PFドラッカー365の金言より 185

PFドラッカー先生の教えの中で特に有名なフレーズです。

<< 本文 >>  「現代の経営」
企業とは何かを理解するには、企業の目的から考えなければならない。企業の目的は、企業の外にある。企業の目的として有効な定義はただ1つである。「顧客の創造」である。顧客が事業の土台として事業の存在を支える。顧客だけが雇用を創出する。社会が企業に資源を託しているのは、その顧客に財とサービスを供給させるためである。
企業の目的が「顧客の創造」であることから、企業には2つの基本的な機能が存在する。
①マーケティング
②イノベーション
である。
従って、自社の製品が顧客のどのようなニーズを満たしているかを考えることが重要である。

(コメント)
『企業の目的は「顧客を創造していくこと」であり、そのためには①マーケティングと②イノベーションが不可欠となる。その為に、将来の計画を基に「今日、何をすべきか」を考え、実行していくことが大切である』と先生は教えられていますが、世の中、そうはなっていない企業が沢山あるようです。まず「自分が何をしたいか」ではなく、「何をして顧客に喜んでもらおうか、満足してもらおうか」を考えることが必要なのではないでしょうか?
この先生の考えを元に、私は「企業の売上はどれだけ顧客に喜んでもらえたかを計る指数、利益はどれだけ正しい努力をしたかを計る指数」と考えています。顧客に喜んでもらうことだけを考えても、それが正しい努力でなければ利益を生まないことになります。無料で顧客に財・サービスを提供しても、それは利益を生まないサンタクロースにしか過ぎないからです。利益を生まないサンタクロースの役割をしていては企業は存続できなくなってしまいます。

2012年2月13日月曜日

PFドラッカー365の金言より 184

<< 本文 >>  「明日を支配するもの」
新しいものは全て、小規模にテストする必要がある。試行(テスト)する必要がある。
その為には、その新しいものの実現に意欲ある者を探さなければならない。新しいものは常に障害にぶつかる。そのとき戦う者を必要とする。成功せさると胸を張り、取り組む者を必要とする。しかも、それは敬意を払われる存在でなければならない。
こうして試行(テスト)に成功するならば、市場、デザイン、アフターサービスについて、誰も気づかなかった「問題」が明らかにされ、誰も気づかなかった「機会(チャンス)」が明らかにされる。
こうして変化に伴うリスクは最小限にとどめられる

(コメント)
当たり前と言えば、その通りのことです。しかし、実務では、新聞や雑誌の華やかな記事に影響され格好の良さを求めたり、競合先との関係を考える末に焦ったりして、試行(テスト)もせずに大規模に実行してしまうことが多々見受けられます。また、試行が必要とされるからイノベーター(変革者)は保守性が必要となるのです。
そして更に、「新しいことには困難が伴う」ということも安易に考えられる傾向があります。困難を乗り越えようとせずに、些細な困難を出来ない理由にしてしまうのです。そして、困難を乗り切るためには「意欲ある者」を探し出さねばなりません。意欲ある者を探し出すためには説得とリーダーシップが必要となります。
こうして試行(テスト)していくと、当初は予期されなかった様々な困難が明らかとなり、それを乗り越えることで他社との差別化が実現できるようになります。
その意味で、「考えただけの人」と「それを実行した人」との間には、火星と地球の距離以上の差があります。

2012年2月12日日曜日

PFドラッカー365の金言より 183

<< 本文 >>  「ネクスト・ソサイエティ」
起業家精神のある人は変化を当たり前のものとして見る。自ら変化を起そうとはしないが、変化を探し、変化に反応し、変化を機会として利用しようとする。それが起業家精神である。
変化を観察しなければならない。あらゆる角度から見なければならない。して機会となり得るかを問わなければならない。あらゆる変化について、本物の変化か、それとも単なる一時的な流行かを問わなければならない。見分け方は簡単である。本物の変化とは「人が行うこと」であり、流行とは「人が言うこと」である。話しにしか出てこないものは流行にしかすぎない。
そして、それらの変化を機会として捉えなければならない。最初から脅威としてしまったら、もうイノベーションは無理である。
何事であれ、目論見と違うからと言って無視してはならない。予期せぬことこそ、しばしば最高のイノベーションの機会となる。

(コメント)
一時的な流行に惑わされず、変化に気づき、変化を受け入れ、変化の中にチャンスを見出すことが大切であると先生は教授されています。
そして、末尾2行が特に大切です。自分の予想・推測・目論見と違うからといって事実を否定しないことが大切です。事実を事実として認めると、その中から自分の固定概念(思い込み)の間違いが見つかり、そこにビジネス・チャンスが潜んでいることが多いと教えられています。トヨタ自動車の「ナゼを5回繰り返す」カイゼン運動の根源はここにあるのかも知れませんネ。
そして最初に必要となる「変化に気づく」ことさえ非常に難しいことです。人間は経験が永いほど固定概念と慣習、そして思い込みに支配されていることが多いため、普段から問題意識を持っていなければ中々できることではないと思います。その結果、「人間は過去の自分の成功体験により失敗する」という格言が生まれたのではないでしょうか? 環境が変化し、状況が変わったのに、過去の自分の成功体験に拘り過ぎて失敗してしまうことは多いものです。これを防ぐにはブレイクスルー思考法が教える「個々の問題はそれぞれに特徴がありユニークである(ユニークさの原則)」を基に考えることが必要です。

2012年2月11日土曜日

PFドラッカーの金言365より 182

<< 本文 >>  「現代の経営」「すでに起こった未来」「未来への決断」「明日を支配するもの」
今日の常識が明日の非常識となる。
先進国において、おそらく世界全体についても、既に一つのことが確実である。それは、根本的な変化の続く時代に入ったということである。あらゆる組織が変化のために組織されなくてはならない。もはや起業家的なイノベーションをマネジメントの枠外ないしは辺境に位置づけることは許されない。イノベーションこそ、マネジメントの中核に位置づけなければならない。
そもそも組織の機能は起業家的たるべきものである。それは、知識を仕事、道具、製品、プロセス、更には知識そのものに適用することである。
イノベーションの必要性を最も強調すべきは、技術変化が劇的でない事業においてである。技術変化が劇的でなく人目を引かない事業ほど、組織が硬直化する危険が大きい。意識してイノベーションに力を入れることが必要である。

(コメント)
ある仏壇屋さんは、変化を嫌い昨日までと同じことが今後も続けられることを念願し、変化から逃げ続けてきました。昔は金庫に金塊がいくつもある位に資金的ゆとりがあったのですが、10年後の今では倒産の危機に瀕して私財を投入することで事業をかろうじて継続されています。通りを挟んで斜め対面にある仏壇屋さんはこのたび廃業されました。
100mほど離れた所にある仏壇屋さんは業界の常識に挑み、自ら変化を創り出し、その変化にチャレンジして、10年間のうちに日本国内でも有数の仏壇屋さんに成長させました。
売っている仏壇に大差はありません。
この差を見ると、組織(特に経営者)のイノベーションに対する考え方の違いにより、その後の企業の成長に格差がついてしまうことを痛感させられます。

2012年2月10日金曜日

PFドラッカー365の金言より 181

<< 本文 >>  「乱気流時代の経営」「ザ・ハウツー・ドラッカー」
マネジメントに携わる者は、危険、機会、変化に備えるには何をなすべきかを考えければならない。
①「俊敏」に動けるよう、組織のぜい肉を落とさなければならない。重要なものに力を注げるよう、適切ならざる事業や活動を廃棄しなければならない。
②「時間」を最も高価な資源とし管理しなければならない。
③「成長の種類」を識別し、管理しなければならない。生産性の向上があって、はじめて健全な成長と言える。
④最も重要なこととして、「人材の育成」に努めなければならない。

(コメント)
①俊敏・機敏に動く組織をつくりあげること、そして何が重要なことなのかを正しく識別する能力をつけることが大切です。兵法にも「兵の拙速なるを見るも、いまだ巧なるを以て久しきを見ざるなり」とあります。ただし、拙速とは軽率な行動を意味するものではありません。拙速に行動できる為には普段の準備が大切となります。
②「時間」の管理が大切なことは言うまでもないことです。自分や組織の行動を1週間単位の時間で管理するか、1日単位か? 因みに私は、1日24時間単位で管理すると長すぎるので、2時間単位のブロックを分けて管理するようにしています。
③成長するチャンスはいたるところにあります。ただ気づかない人が多いだけです。本文にも「天より食物が降るとき、ある者はスプーンを取り出し、ある者は傘を取り出す」という箇所があります。しかし、そのチャンスがいかなる方向性をもつものであるのかを考えることが必要です。自分の目指す方向性を有するチャンスを選別することが大切です。
生産性が向上しない規模の拡大のことをPFドラカー先生は「肥満」と言われます。規模が拡大しなくても生産性が向上すれば企業は成長しているのです。
④組織にとって「人材の育成」が最も重要なことは言うまでもありません。どんなに優秀な設備があり、またどんなに豊富な資金があっても、それを正しく使う人材がいなければ、それらは十分な成果をあげることはできません。そのため人材の育成が重要となるのです。

2012年2月9日木曜日

PFドラッカー365の金言より 180

<< 本文 >>  「マネジメント・・・課題、責任、実践」
マネジャーは部分の総計を超える全体を創造しなければならない。それは、自らのビジョン、働き、リーダーシップによって、たくさんの楽器の音を統合するオーケストラの指揮者に似ている。
真の全体を創造するにし、全体としての成果と、それらの成果を実現するための多様な活動との双方を見なければならない。
マネジメントに携わる者は、
第一に、全体として如何なる成果の向上を必要とするか、そのためには個々の活動に何が要求されるのかを問い、
第二に、それらの個々の活動はいかなる向上が可能か、それによって如何なる全体の成果が可能となるかを問わなければならない。

(コメント)
組織は放っておくと「烏合の衆」となり、個々人の力を合わせたもの未満の成果しか挙げられなくなってしまいます。「1+1<2」となってしまう可能性があるのです。
ピーター・M・センゲ著「最強組織の法則」(徳間書店)では「一人ひとりの管理職のIQ(知能指数)が120を超えても、集団ではIQ63になってしまうことが何故起きるのか?」と指摘されています。
この状態になると、組織として活動するよりも、個人で活動した方が良い成果を生むことになってしまいます。何故ならば、ヒトが増える程、打ち合わせ他の余分な仕事や作業が増えてしまうからです。
マネジメントの役割は「1+12」となるような成果を生み出すことです。これを「テコの原理」と組織論では呼びます。マネジャーにとって「1+12」では不十分なのです。
しかし現実には、会社方針も計画も無く、だだただ個人が頑張って業績を挙げようとする会社が多いことには驚くばかりです。これでは「1+12」となることはあっても「1+12」となり得ることはあり得ません。
「1+12」となり得るためには、
①組織全体として達成すべき成果を明確にして
②その成果を達成するための個々人の役割を明確にする(役割分担)
③その上で、個々人のどんな能力を向上させることが可能か
④③の結果として組織全体としてどんな成果を向上させることができるか
を検討し、組織全体の成果を向上させることを実行することが必要なことです。
そうしなければ、個人に無理なことを要求する結果として組織目標が達成できなくなったり、個々人の活動が相殺し合うことも生じる結果、「1+12」となり得なくなってしまいます。

2012年2月8日水曜日

PFドラッカー365の金言より 179

<< 本文 >>  「イノベーションと起業家精神」
イノベーションに成功する者は保守的である。
イノベーションを成功させる人達は、リスクを求めて飛び出すよりも、時間をかけてキャッシャフローを調べる。彼らは、みなリスクを明らかにし、それを最小限にしようとする。リスク志向ではない。機会志向である。

(コメント)
真のイノベーションを実現する人は機会(チャンス)を活かそうとするが、無謀なリスクは避けようとする。そのためには保守性が必要となる。投資と博打は違う。将来を予測し、リスクを最低限にしようと試みる。このときに重要なのがキャッシュフローである。
従って、イノベーションに成功する者の活動は地道であり、新聞や雑誌の記事にはなり難い。

2012年2月7日火曜日

PFドラッカー365の金言より 178

<< 本文 >>   「創造する経営者」
未来を予測しようとしても無駄である。しかし、未来をつくるためのアプローチとして、互いに補完関係にある2つの方法がある。
①すでに起こった未来を利用すること
②来るべき未来を発生させること
である。
すでに起こった未来は、組織の内部ではなく外部にある。社会、知識、文化、産業、経済構造にある。それは一つのトレンドにおける小さな変化ではなく、大きなトレンドそのももの変わり目である。すでに起こった未来を探し、それが与える影響を予期することによって、人は新しいものの見方を獲得する。
しかし、未来を予測するだけでは問題を招くだけである。なすべきことは何か、すでに起こった未来に取り組むべきことは何かを考え、或いは来るべき未来を発生させるべく働くことである。

(コメント)
先生は、未来を予測するときに「占い」や「予想」に頼ることを否定されています。時代の大きな流れ(トレンド)の中から、その変化を見つけ出すことを勧められています。
先生は特に人口構造の変化(少子高齢化)を重視するように説かれていますが、卑近な私では人口構造の変化からトレンドを見抜くことは難しいのですが、大震災後からは自動車産業がガソリン車から電気自動車に様変わりしつつあること、インターネット、携帯電話やスマートフォンの普及により情報産業が大きな変わり目を迎えている事は分かります。また携帯電話が普及したため、街角の時計屋さんが消滅し、カメラ屋さんも消滅したこともわかります。コンビニが普及して街角のパン屋さんやタバコ屋さんが消滅していったことも分かります。モノの値段がドンドンと下落していき、従来のようにモノを売って儲けようとしても無理な時代が到来しつつあり、所有価値より使用価値が重視され、そこでは何がしかの人的付加価値(サービス)が必要とされつつあることもわかります。挙げればキリが無い位に、社会が変わり始めていることも分かります。
しかし、変化に気づくだけでは成果とはなりません。計画をたて、行動することが必要です。他に先駆けて変化を起し、消費者ニーズを先導する者には失敗というリスクの代償として利益という報償が用意されています。

2012年2月6日月曜日

PFドラッカー365の金言より 177

<< 本文 >>  「マネジメント・フロンティア」
イノベーションに優れた組織は、イノベーションがアイディアから生まれることを知っている。アイディアは赤ん坊に似ている。小さく未熟で形も定まらない。有望ではあるが実績はない。従って、イノベーションに優れた組織では、どんなアイディアでも「これは馬鹿げたアイディアだ」などとは言わない。これは生まれたての、未熟な、たいのないアイディアを意味あるものにするには何が必要かを問う。
それらの組織は、アイディアの大部分がアイディアのまま終わることを知っている。従って、イノベーションに優れた組織のリーダーは、アイディアをもってくる者に対し、技術・製品・プロセス・事業に育てあげるうえで必要となる仕事について徹底的に考えを求める。本格的に取り組む前に何をしなければならないか、何を見つけ出し、何を知らなければならないかを問う。
しかも彼らは、小さなイノベーションを行うのも大きなイノベーションを行うのも、同じように難しく、同じようにリスクが大きいことを知っている。彼らは製品や技術の小さな改善に留まることをしない。新しい事業を始めることを狙う。

(コメント)
部下が意見やアイディアを具申してきたときに、頭から否定してチャンスの芽を自ら摘み取っていませんか? 「何を馬鹿なことを部下は言っているのだ」と自分が思う事の中に新しい潮流の兆しが潜んでいることがあります。

2012年2月5日日曜日

PFドラッカー365の金言より 176

<< 本文 >>  「マネジメント・フロンティア」「明日を支配するもの」
イノベーションが本物であるか偽物であるかは、そのイノベーションが価値を創造しているか否かによって判定される。イノベーションとは、『顧客にとっての価値の創造』である。新奇さは面白いだけである。
イノベーションであるか否かは生産者が決めるのではない。顧客が欲し、その代金を支払うことによって決まる。
イノベーションに優れた組織は、科学的あるいは技術的な重要度によってではなく、顧客への貢献によってイノベーションを評価する

(コメント)
画期的なアイディアだと考えて新規事業を立ち上げて失敗する人が多いのが実社会の実情です。その原因の大半がここの指摘の中にあります。顧客の立場にたった基準ではなく自分の基準によってイノベーションを評価して思い込んでしまっているのです。
顧客の立場になって自らが行おうとすることを評価してみることが大切です。
そして、更に実行するタイミング(時機)も重要な要素となります。どんなに良いアイディア・考えも時機を逸するとイノベーションとはならなくなってしまいます。

2012年2月4日土曜日

PFドラッカー365の金言より 175

<< 本文 >>   「明日を支配するもの」「ネクスト・ソサエティ」
変化はコントロールできない。できるのは、変化の先頭に立つことだけである。今日のよう乱気流の時代にあっては、変化が常態である。変化はリスクに満ち、楽ではない。悪戦苦闘を強いられる。だが、変化の先頭に立たない限り、生き残ることはできない。急激な構造変化の時代を生き残れるのは、チェンド・リーダーとなる者だけである。
チェンジ・リーダーとなる為には、変化を脅威としてではなくチャンスとして捉えなければならない。変化を探し、本物の変化を見分け、それらを意味あるものとして利用しなければならない。
自ら変化をつくることにはリスクが伴う。しかし、自ら未来をつくろうとしないことの方がリスクは大きい。成功するとは限らない。だが、自ら未来をつくろうとせずに成功することはない。
変化をコントロールする最善の方法は、自ら変化をつくりだすことである。

(コメント)
受動的に変化に対応しようとするのではなく、寧ろ自ら変化を創り出すことで、自らを存続・維持・発展させる道を創り出す努力が大切であると言われています。
受動的に変化に対応しようとすると、変化に振り回され、自らを見失ってしまうことになります。
自ら変化を創り出すようにすると、自らが中心となり計画化することが可能になります。
しかし、人間は昨日までのことを変えることに抵抗する傾向がありますから、自ら変化を創り出すことには勇気が必要です。
ブレイクスルー思考法の中に、「電球は切れてから交換するのではなく、切れる前に交換しよう」という原則があります。電球か゛切れてから慌てて電球を暗闇の中で探し回ることは大変なことです。それよりも電球が傷んできたなと思ったとき(電球が切れる前に)に交換してしまうと暗闇で電球を探すことが必要ではなくなります。電球を止めてLEDにすれば(手段・方法を変える)このような心配は不要になるかもしれません。「壊れる前に治せ」とは先生のこの教えからきている原則だろうと私は思います。

2012年2月3日金曜日

PFドラッカー365の金言より 174

<< 本文 >>  「マネジメント・・・課題・責任・実践」
目的と使命に取り組むうえで答えるべき究極の問いは、「顧客にとっての価値は何であるか」である。これが最も重要な問いである。しかし、最も問うことの少ない問いである。答えはわかっていると思い込んでてるからである。品質が価値だという。だが、この答えはほとんど間違いである。顧客は製品を買っているのではない。買っているのは、欲求の充足である。彼らにとっての価値である。
10代の少女にとって、靴の価値はファッションにある。流行っていなければならない。価値は二の次であって、耐久性など全く意味がない。ところが数年経って母親になると、ファッションが絶対ではなくなる。流行遅れは買わない。しかし、重視するのは耐久性、価格、履き心地である。10代の女の子にとって価値あるものが、その姉には価値が無い。
何を価値とするかは、顧客だけが答えられる複雑な問題である。推察してはならない。顧客の所へ出かけて行き、顧客に訊かなければならない。

(コメント)
昨日のブログに続いて、この先生の教えは大変に重要な教えだと思います。
①顧客が価値ありとするものは
②顧客だけが知っている
③しかも、年齢やその顧客の状況によってそれが変わっていく
④それを推察してはならない
⑤顧客の所に行き、顧客に直接訊くこと
が大切であると教えられているのではないでしょうか?
顧客が、他に無いからシブシブそれを買ったのか、喜んで買ったのかは売上数字からは分かりません。
昨日は20年ぶりに旧友が経営する建材屋さんに行きました。昔は沢山の従業員さんがいらっしゃったのですが、今は4人の従業員さんだけで維持しており、細々と辛うじて経営を維持しているそうです。サプライチェーンが発達して地方問屋に在庫を持つ必要がなくなった現在では、建材というモノだけを売っていると経営は維持できなくなってしまうと思います。
また昨日、地方の中堅企業である建設会社にお伺いしました。リストラの相談です。社長は技術畑のご出身で「良い建築物を建築するにはどうすべきかは十分に分かっている」と言われていました。しかし、社長が考える「良い建築物」が果たして顧客の価値ありとするモノ・コトを満たしているのか否かについては何も言われませんでした。
別の顧問先の中に電話交換機屋さんがあります。今時、電話交換機を知っている人も少ないと思いますが、一昔前までは中堅企業以上の規模では必需品でした。この企業の昔しは電話交換機を販売し敷設工事することがビジネスの中心でしたが、今ではIPフォンや携帯電話をパソコンと連動させシステムを構築することがこの会社のメイン・ビジネスとなっています。
企業は「変化適応業」であり、顧客のニーズは変化していくものだと思います。そして、最も厄介なことは、顧客自身が自分の真のニーズに気づいていないことが多いことです。そのため、顧客に直接に訊き、そこから専門家が推測し(顧客の半歩先を行って提案する)、それを顧客に確認することが一番必要な時代となっていると思います。だから数年前から、「仮説→検証→実行」が大切と言われているのではないでしょうか?
孫子の兵法に「必死は必死」とあります。拘り過ぎると、かえってそれが死の原因になってしまうという意味です。変化の激しい現代では、自分の過去の成功体験に拘り過ぎると死滅の遠因となってしまうことが多いようです。

2012年2月2日木曜日

PFドラッカー365の金言より 173

<< 本文 >>  「マネジメント・・・課題、責任、実践」
「顧客は誰か」の問いこそ、企業の目的と使命を定義するうえで、最初に考えるべき最も重要な問いである。やさしい問いではない。まして答えのわかりきった問いではない。だが、この問いに対する答えによって、企業が自らをどう定義するかが決まってくる。
最終需要者たる消費者は、常に顧客である。しかし、ほとんどの事業が2種類の顧客を持つ。その両方が買ってくれなければならない。生活用品のメーカーは主婦と小売店という2種類の顧客を持つ。主婦に買う気を起させても、店が品を置いてくれなければ何もならない。店が目につくように陳列してくれても、主婦が買ってくれなければ何もならない。一方だけでは売上につながらない。

(コメント)
最も重要な先生の教えだと私は考えています。
特に、事業規模が大きくなると色々な特性をもった顧客が増え、自社が「主たる顧客」と考えている顧客がわからなくなってしまいます。「主たる顧客」は単に売上高だけから決められるものではありません。売上数字は過去の数字であり、「顧客は誰か」と自ら考えることは未来に向かってのことだからだと思います。一時流行った「選択と集中」は顧客を明確にする処から始まります。
中小・零細企業はあれやこれやの顧客を相手にしなければ存続・維持できないと言われます。ましてや地方の中小・零細企業は尚更のことです。しかし、それでは成長するのに一定の限界があります。中小・零細企業は、あれやこれやの顧客に対応して少しずつ成長し、その過程で顧客が自社に期待することを考えて未来の顧客を創造していきます。そして、その過程では無視する顧客のニーズもでてきます。ということは「自社の顧客は誰か」ということを無意識のうちに行っていることになります。無意識のうちにやってしまうよりも、明文化し明確にすれば(間違っていれば修正すれば良い)より一層効果的に組織が活動し成長できるようになります。朝令暮改は悪いことではなく、止むを得ないことなのです。ましてや変更は必要なことなのです。

2012年2月1日水曜日

PFドラッカー365の金言より 172

<< 本文 >>  「マネジメント・・・課題・責任・実践」
会社の事業は、社名や定款や設立趣意書によって定義されるものではない。顧客が満足させる欲求によって定義される。顧客を満足させることが、企業の使命であり目的である。従って、「われわれの事業は何か」との問いは、外部すなわち顧客と市場の観点から見て、初めて答えることができる。顧客が見、考え、思い、欲しがるものを客観的な事実として、セールスマンの報告、技術者の実験、会計士の数字と同じように正面から受け止めなければならない。
顧客の心を読もうとするのではなく、顧客自身から直接答えを得るべく意識して努力しなければならない。

(コメント)
だから、「わが社は何を事業とする会社か」を考えるとき、最初にやるべきことは自分や社内で考えることではなく、まず現場に立って顧客に直接訊くことから始めることが必要です。そして、そこで体感(五感を使い感じ取ったこと)したことを元にして考えてみることが必要です。「わが社の事業は何か」を決めているのは社長ではなく顧客なのです。
昔しは街角に電気屋さんがあり、そこでテレビや冷蔵庫を買っていた時代があります(40年位前)。しかし、その後はそれらを買う時にはヤマダ電機のような大型電気量販店で買い、街角の小さな電気屋さんでは電球や蛍光灯が切れて急に必要となったものだけを買うようになりました。この時代には街角の電気屋さんとは別に家庭の電気の具合が悪いときには修理屋さんがありました。しかし、いま生き延びている街角の電気屋では電気の不具合やパソコンの不具合もある程度は修理し生活に密着することで生き延びているようです。街角の電気屋さんに顧客が期待することが時代とともに変わったのであり、その変化に対応できた電気屋さんが生き延びています。過去に私とご縁があった企業の中に街角の電気屋さんに製品を販売する卸問屋さんがあるのでよく判ります。そこでは、一昔前までは大型量販店に街角の電気屋さんが対抗できる商材を探すことが主たる目的でした。その後は、売り出し等の販売企画を提案し共同チラシをつくるボランタリーチェーン本部のように変化されました。そして、最近では街角の電気屋さんに保守(修理)技術を指導・教育することに力を入れられているようです。
そして何よりも大切なことは、「こうすれば顧客のためになる筈」と考える前に顧客にストレートに訊いてみることが大切です。ただし、顧客も自分がどうしてもらえたいのかが分かっていない場合が多いですから、色々な顧客に訊いて、次には自分で考えるしか方法はありません。その上で実行しながら修正を加えていき、顧客の真のニーズを探り出していくことが必要だと思います。その為、考えても実行していなければ意味のないことになってしまいます。