2012年3月17日土曜日

PFドラッカー365の金言より 216

<< 本文 >>  「傍観者の時代」
責任なき権限に正当性はなく、権限なき責任にも正当性はない。
アメリカの巨大自動車会社のGMのCEOであるスローンにとっては、社会的責任なるものはプロ的でないだけでなく、無責任であって権力の濫用ともいうべきものだった。
私(PFドラッカー)が出席していたある社外の会議において、ある会社のCEOが「我々には高等教育に責任がある」と発言したのに対し、スローンは「それでは我々はどのような権限をもっているのか?」と問いかけ、「権限はない」との答えを得るや、「それなら責任について話するのはやめようではないか。権限と責任とは対である。権限を持ちたくない、また持つべきではないというのであれば、責任についても言ってはならないと思う。逆に責任をもちたくない、また持つべきではないというのであれば、権限について言ってはならないと思う」と言った。
スローンはこの考えをマネジメントの原則としていた。もちろんこれは政治理論と政治史が最初に教えることである。責任なき権限に正当性はなく、権限なき責任に正当性はない。いずれも専制の原因となる。
スローンはプロのマネジメントとして権限を求めたが、プロとしての責任も負っていた。彼は、その権限をプロとしてのマネジメントの領域に限定し、他の領域では責任をもつことを拒否していた。

(コメント)
実務として各社の相談を承っていて一番困るのが、責任は持たないが権限を持ちたがる人が多いことです。責任を他の人に転化してしまうのです。
中国の論語にも「過ちて、過ちを正さざるを過ちという」と記されています。人間ですから、過ちはつきものです。しかし、過ったときに責任から逃れようとするのではなく、素直にその過ちを認めて正すこと、他責とせずに自責とすることが大切です。
誤ったときに責任を取ろうとせず、一方で権限ばかりを振りかざしていると、それは専制君主体制となってしまいます。
実はアメリカの本当のエリートは、中国の論語や兵法を学んだことのある人が多いのです。

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