2012年4月2日月曜日

PFドラッカー365の金言より 232

<< 本文 >>  「明日を支配するもの」
高度の知識を必要とする知識労働において、既に我々は仕事の質を測定している。心臓手術など難度の高い手術については、成功率によって外科医の腕前を測定している。
だが、問題は測定にあるのではない。そもそも仕事が何であり、何でなければならないのかを明確に定義できないことにある。
その良い例がアメリカの初等教育である。都市部の公立学校がひどい状況にある。その公立学校のすぐ隣に、同じような子供を相手にしながら立派に躾けをし、学ばせている私立学校がある。違いの原因については様々なことが言われている。だが、最大の原因は仕事の定義が異なることにある。
公立学校では、恵まれない子供を助けることを仕事としているのに対し、私立学校とくにカトリックのミッション・スクールでは、学びたい子供が学べるようにすることを仕事としている。前者が失敗を基準としているのに対し、後者は成功を基準としている。

(コメント)
この先生の文は難解です。しかし、言われたいことは理解できます。「何のために」と問うことが大切であり、目的を明確にしたうえで行っていることの進捗状況を測定しないとトンデモナイ方向に行ってしまうこと、進捗状況や成果を評価する尺度や基準は目的に沿ったものを選択しなければならないということではないかと思います。
教育という同じ行為を行う学校でさえ、アメリカでは公立学校と私立学校とでは目的が違うから自ずからその成果にも差が生じてしまうと言われたいのではないかと考えます。そして、企業においても同様のことが言えると先生は言われたいのではないかと思います。同業種の企業でも、その目的(=企業理念)が違うから、これからやるべきこと、選択すべき道に違いが生じ、成果に対する評価にも差がでることを指摘されたいのではないかと考えます。
私の顧問先に2つのゴルフ場があります。一つは一般企業ですが、残りの一つは社団法人です。社団法人と一般企業とでは目的が違いますから、同じゴルフ場でも業績を評価する際には評価時に使う指標に差があります。そして、選択すべきこれからの道にも差が生じます。

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