<< 本文 >> 「マネジメント・・・課題、責任、実践」
組織の目的は、凡人が非凡になれるようにすることである。
組織の精神とは、訓戒、説教、善意ではない。「実践」である。
第一に、組織の焦点は成果に合わせなければならない。組織の精神は目線の高さ(目指すべき目的・目標の水準)を必要とする。
第二に、組織の焦点は、問題ではなく機会にあわせなければならない。
第三に、異動、昇進、昇給、降級、解雇など人事の決定は、組織の信条と価値観に沿って行わなければならない。
第四に、人事の決定は、真摯さこそ唯一の条件であり身につけていなければならない。資質であることを示すものでなければならない。
(コメント)
優秀な人財がいないから良い業績が上げられないのではなく、人材を活かす組織や仕組み(凡人が非凡な能力を発揮できる組織や仕組み)が出来上がっていないから業績があがらないのではないでしょうか?具体的には、その人の強み・長所を発揮させ、その人の弱みや短所は他の人が補う仕組みを言います。
会社は訓戒を述べたり、説教したり、善意で業務を行うこものでありません。業務が遂行されるためには「実践されること」が大切です。どんなに良いスローガンや意図と言えども、実践されなければ絵に描いた餅と同じです。
①良い成果、高い業績を目指すと組織の精神も自ずと健全になっていきます。成果や業績で妥協を許していると、気づかないうちに組織が腐っていきます。
②色々な企業でご相談を承っていると、幹部の人達は発生した問題の解決に振り回されている現状を見受けます。問題が発生してから解決しようという姿勢ではなく、問題は発生しないように予防し、経営幹部はビジネスチャンス(機会)を活かすことに時間を費やすことが必要です。
③昇給、昇進、異動異動、降級、解雇は会社の信条と価値観に沿って行われることが必要です。朝礼や会議でどんなり立派な訓戒を述べようとも、従業員は人事を通じて会社の価値観・信条を理解していきます。
④人事の決定では、「能力」ではなく「真摯さ」が最も大切なものです。しかし、現実の昇格・昇給等では能力が高いからという理由でなされる場合が多々あるようです。そして数か月後に、能力は高いが真面目にコツコツとやらないということが判り、昇格・昇給の失敗を認めざるを得ないことになっています。「能力」は教育すれば引き上げることは可能ですが、「真摯さ」は生来の資質ですから教育訓練だけで身につけさせることはできません。
2012年2月29日水曜日
2012年2月28日火曜日
PFドラッカー365の金言より 198
<< 本文 >> 「マネジメント・・・課題・責任・実践」
全員が自らをマネジメントの一員とみなし、マネジメントとしての責任をもつ組織をつくらなければならない。マネジメントとしての責任とは、自らの仕事への「責任」、組織全体の成果への「責任」、社会への「責任」を指す。
責任とは外部に対するものであって、かつ内部に対するものである。外部に対しては成果に責任をもつことであり、内部に対しては成果をあげるために全力を傾けることである。
働く者としての責任とは、成果をあげことに責任を負うだけでなく、成果をあげるうえで必要なことの全てを行い、それらの成果に全力を傾けることである。
(コメント)
全員が経営者の意識をもつことの必要性を説かれています。
そして、そこには権利はなく、あるのは義務だけです。「組織全体の成果をあげること」こそが経営者(マネジメント)の責任です。この意識を全員がもつことが大切なのです。色々な企業から相談を承っていてよく見かけるのが、全体の成果を考えることなく、それぞれの部署の最適化または部署成果の達成を目指されているために発生している諸問題です。
全員が自らをマネジメントの一員とみなし、マネジメントとしての責任をもつ組織をつくらなければならない。マネジメントとしての責任とは、自らの仕事への「責任」、組織全体の成果への「責任」、社会への「責任」を指す。
責任とは外部に対するものであって、かつ内部に対するものである。外部に対しては成果に責任をもつことであり、内部に対しては成果をあげるために全力を傾けることである。
働く者としての責任とは、成果をあげことに責任を負うだけでなく、成果をあげるうえで必要なことの全てを行い、それらの成果に全力を傾けることである。
(コメント)
全員が経営者の意識をもつことの必要性を説かれています。
そして、そこには権利はなく、あるのは義務だけです。「組織全体の成果をあげること」こそが経営者(マネジメント)の責任です。この意識を全員がもつことが大切なのです。色々な企業から相談を承っていてよく見かけるのが、全体の成果を考えることなく、それぞれの部署の最適化または部署成果の達成を目指されているために発生している諸問題です。
2012年2月27日月曜日
PFドラッカー365の金言より 197
<< 本文 >> 「マネジメント・フロンティア」
企業とは人間組織であり、社会組織である。体系及び実践としてのマネジメントは、人と社会を扱う。組織は、自らの外にある目的のために存在する。
マネジメントが組織のなかの人的資源を生産的な存在となし得たとき、初めて組織は自らの外にある目的を達成することができる。
マネジメントは医療と同じく科学ではない。マネジメントと医療も実践である。実践は、科学という大きな存在から栄養をとる。マネジメントは経済学、心理学、数学、政治学、歴史学、哲学から栄養を補う。しかし、マネジメントはそれ自体独立した存在であり、固有の前提、目的、目標、道具、尺度をもつ体系である。
(コメント)
「マネジメントはヒトを扱う問題である」と先生は指摘されています。企業経営は、ヒト・モノ・カネ・情報・技術・文化で成り立っていると言われますが、全てはヒトに尽きるのではないでしょうか? どんなに優秀な機械設備や技術があっても、またどんなに沢山の資金があっても、それを有効に活用し得るヒトがいなければそれらは死んでしまいます。
また、会社組織は、会社組織の外にある目的に貢献して初めて成果を上げることが出来るとも指摘されています。会社は社会に貢献して初めて利益を上げることができるのであり、自己満足のための目的達成では利益を上げることはできません。
更に、マネジメントは純粋科学ではなく実践であるから、複数の科学を栄養源として活用することが大切であることも指摘されています。
企業とは人間組織であり、社会組織である。体系及び実践としてのマネジメントは、人と社会を扱う。組織は、自らの外にある目的のために存在する。
マネジメントが組織のなかの人的資源を生産的な存在となし得たとき、初めて組織は自らの外にある目的を達成することができる。
マネジメントは医療と同じく科学ではない。マネジメントと医療も実践である。実践は、科学という大きな存在から栄養をとる。マネジメントは経済学、心理学、数学、政治学、歴史学、哲学から栄養を補う。しかし、マネジメントはそれ自体独立した存在であり、固有の前提、目的、目標、道具、尺度をもつ体系である。
(コメント)
「マネジメントはヒトを扱う問題である」と先生は指摘されています。企業経営は、ヒト・モノ・カネ・情報・技術・文化で成り立っていると言われますが、全てはヒトに尽きるのではないでしょうか? どんなに優秀な機械設備や技術があっても、またどんなに沢山の資金があっても、それを有効に活用し得るヒトがいなければそれらは死んでしまいます。
また、会社組織は、会社組織の外にある目的に貢献して初めて成果を上げることが出来るとも指摘されています。会社は社会に貢献して初めて利益を上げることができるのであり、自己満足のための目的達成では利益を上げることはできません。
更に、マネジメントは純粋科学ではなく実践であるから、複数の科学を栄養源として活用することが大切であることも指摘されています。
2012年2月26日日曜日
PFドラッカー365の金言より 196
<< 本文 >> 「新しい現実」
長期的な「気候」は安定的であり予測可能である。しかし、短期的な「天候」は不安定であり予測不能である。複雑なシステムにおいては、短期的には何事も外生変数として除外することができない。短期的な現象にはシステムは無い。短期の現象にあるのは混沌である。
(コメント)
先生がここで言われる「システム」とは、「こうすれば、こうなる」・「必然性」「理論・法則」などというものだとご理解ください。
昔し、私はファッション業界で卸問屋を営んでいました。この頃にコンサルタントから「短期の流行に振り回されずに、長期のトレンド(傾向の変化)に上手く対応していくことが大切です」と教えられていました。短期の流行を追い求めようとすると、変化に振り回されて自らの強みを見失ってしまうことにもなりかねません。マネジメントには、「長期のトレンドを踏まえて短期の変化に対応する」ということが必要だと考えます。
会社の調子が悪くなると、どうしても目先(短期)の業績(利益)を求めてしまいます。しかし、短期の業績には法則性・必然性はありません。すべてが突発的・偶発的なものです。その結果、自らを見失うという坩堝(ルツボ)に嵌(ハマ)っていくのです。会社を再建しようとする際には、まず長期のトレンドを見据えることで方向性を間違えないようにしなければなりません。
中国の道教という教えに「無為」というのがあります。これは「何も行わない」という意味ではなく、「流れを活用して自らの目的を達成する」という教えです。短期間の流れは変幻自在に変化して捉えようがないことが多いのですが、長期間の流れはある程度の法則性があるものです。従って、その法則性を見抜き利用することが大切です。この教えを早くに知っていれば、私も会社を倒産させずに済んだかもしれません。
複雑で変化の激しい現代では、長期のトレンドを考え対策を講じていくことが大切なことだと考えます。
長期的な「気候」は安定的であり予測可能である。しかし、短期的な「天候」は不安定であり予測不能である。複雑なシステムにおいては、短期的には何事も外生変数として除外することができない。短期的な現象にはシステムは無い。短期の現象にあるのは混沌である。
(コメント)
先生がここで言われる「システム」とは、「こうすれば、こうなる」・「必然性」「理論・法則」などというものだとご理解ください。
昔し、私はファッション業界で卸問屋を営んでいました。この頃にコンサルタントから「短期の流行に振り回されずに、長期のトレンド(傾向の変化)に上手く対応していくことが大切です」と教えられていました。短期の流行を追い求めようとすると、変化に振り回されて自らの強みを見失ってしまうことにもなりかねません。マネジメントには、「長期のトレンドを踏まえて短期の変化に対応する」ということが必要だと考えます。
会社の調子が悪くなると、どうしても目先(短期)の業績(利益)を求めてしまいます。しかし、短期の業績には法則性・必然性はありません。すべてが突発的・偶発的なものです。その結果、自らを見失うという坩堝(ルツボ)に嵌(ハマ)っていくのです。会社を再建しようとする際には、まず長期のトレンドを見据えることで方向性を間違えないようにしなければなりません。
中国の道教という教えに「無為」というのがあります。これは「何も行わない」という意味ではなく、「流れを活用して自らの目的を達成する」という教えです。短期間の流れは変幻自在に変化して捉えようがないことが多いのですが、長期間の流れはある程度の法則性があるものです。従って、その法則性を見抜き利用することが大切です。この教えを早くに知っていれば、私も会社を倒産させずに済んだかもしれません。
複雑で変化の激しい現代では、長期のトレンドを考え対策を講じていくことが大切なことだと考えます。
2012年2月25日土曜日
PFドラッカー365の金言より 195
<< 本文 >> 「変貌する産業社会」「マネジメント・・・課題・責任・実践」
部分は全体があって初めて意味をもつ。
企業とは、共同の事業へ自らの知識、技能、心身を投ずる人達からなる高度なシステム(有機体)である。
従って、部分の改善や効率化が全体の改善につながるとは限らない。部分の改善や効率化がシステム全体に害を与え、場合によってはシステムそものもを破壊することさえある。システム全体を強化する最善の方法が、ある特定の部分の弱体化、つまり曖昧化や非効率化であることさえある。重要なことは、技術的な効率ではなく、成長、均衡、調整、統合の結果しての「全体の成果」である。
部分の効率に重点をおくことは、システム全体にとって有害である。道具の正確さを追求して、全体の健全性と成果を犠牲にすることにもなる。
(コメント)
「ザ・ゴール」という本はボトルネックについて書かれています。A,B,Cの機械があり、製品をつくるときに、Aの次にB、Bの次にCの機械を使用する場合において、もしもBの製造能力が80個/時間(AとCは100個/時間)しか無く、A,Cより劣る場合に、もしも全ての機械が最大生産能力を発揮すると、AとBの間には時間あたり20個の仕掛在庫が累積していく。その結果、全体の製造成果は80個/時間となり、しかも仕掛在庫が増えるだけの結果に終わる。だから個々の製造能力を最大限発揮させても、それは必ずしも最適な結果をもたらさないということを小説として解説している書籍です。
先生のご指摘やこの小説の内容にあるように、部分の最大化・最適化は必ずしも全体の最大化・最適化という結果をもたらしません。会社組織の目的は、全体成果の最大化・最適化ですから、全体成果の最大化・最適化のために部分の最大化・最適化を図ることが必要です。
しかし、会社組織では役割を分担して仕事を遂行しますから、得てして部分成果の最大化・最適化に拘る傾向が強く、それが必ずしも全体成果の最大化・最適化をもたらさないことが多いのです。その為、「始点と視点を全体成果の最大化・最適化とすべきである」と説かれていると考えます。
部分は全体があって初めて意味をもつ。
企業とは、共同の事業へ自らの知識、技能、心身を投ずる人達からなる高度なシステム(有機体)である。
従って、部分の改善や効率化が全体の改善につながるとは限らない。部分の改善や効率化がシステム全体に害を与え、場合によってはシステムそものもを破壊することさえある。システム全体を強化する最善の方法が、ある特定の部分の弱体化、つまり曖昧化や非効率化であることさえある。重要なことは、技術的な効率ではなく、成長、均衡、調整、統合の結果しての「全体の成果」である。
部分の効率に重点をおくことは、システム全体にとって有害である。道具の正確さを追求して、全体の健全性と成果を犠牲にすることにもなる。
(コメント)
「ザ・ゴール」という本はボトルネックについて書かれています。A,B,Cの機械があり、製品をつくるときに、Aの次にB、Bの次にCの機械を使用する場合において、もしもBの製造能力が80個/時間(AとCは100個/時間)しか無く、A,Cより劣る場合に、もしも全ての機械が最大生産能力を発揮すると、AとBの間には時間あたり20個の仕掛在庫が累積していく。その結果、全体の製造成果は80個/時間となり、しかも仕掛在庫が増えるだけの結果に終わる。だから個々の製造能力を最大限発揮させても、それは必ずしも最適な結果をもたらさないということを小説として解説している書籍です。
先生のご指摘やこの小説の内容にあるように、部分の最大化・最適化は必ずしも全体の最大化・最適化という結果をもたらしません。会社組織の目的は、全体成果の最大化・最適化ですから、全体成果の最大化・最適化のために部分の最大化・最適化を図ることが必要です。
しかし、会社組織では役割を分担して仕事を遂行しますから、得てして部分成果の最大化・最適化に拘る傾向が強く、それが必ずしも全体成果の最大化・最適化をもたらさないことが多いのです。その為、「始点と視点を全体成果の最大化・最適化とすべきである」と説かれていると考えます。
2012年2月23日木曜日
PFドラッカー365の金言より 194
<< 本文 >> 「明日を支配するもの」
戦略は情報を基盤とする。変化は組織の外で起こる。組織の中にはコストセンターがあるにすぎない。
基本的な変化が始まり、それが重大な変化に発展していくのは、いまはまだ自社の顧客でない人達(ノンカスタマー)の世界においてである。産業そのものを変えた重要な技術のうち少なくとも半分が、それぞれの産業の外部で生まれたものである。
(コメント)
今までに幾度となくコメントしていますので、ノーコメントです。
戦略は情報を基盤とする。変化は組織の外で起こる。組織の中にはコストセンターがあるにすぎない。
基本的な変化が始まり、それが重大な変化に発展していくのは、いまはまだ自社の顧客でない人達(ノンカスタマー)の世界においてである。産業そのものを変えた重要な技術のうち少なくとも半分が、それぞれの産業の外部で生まれたものである。
(コメント)
今までに幾度となくコメントしていますので、ノーコメントです。
2012年2月22日水曜日
PFドラッカー365の金言より 193
<< 本文 >> 「ネクストソサエティ」 (原文は少々解り難いと思ったので、多少加工しています)
全てを(自分の)傘下にしてしまうという一体化の公理が陳腐化した。原因は2つある。
①知識が専門化した結果、高価となり、自らが全てを賄うことが不可能になった。時折しか使わない知識は急速に劣化する。
②インターネットとe-メールのおかげで、コミュニケーション・コストが安くなった。その結果、あらゆる種類の事業活動において、提携(連携)が成果をあげる組織方法となった。
(コメント)
一昔前までは、できるだけ全てのことを内製化して一体化する方が良いと考えられていました。しかし、知識や技術が専門化し、かつ変化し続ける現代において、内製化してしまうと、その変化に対応しきれなくなります。反面では、インターネットの普及によって、コミュニケーションするために必要なコストがどんどんと安価になりました。その結果、自社にとってコアな部分は内製化するにしても、それ以外の部分は連携または提携して行う方が良い時代となっています。
私は社会保険労務士として色々な企業に経営や労務管理に関する事項のアドバイスをしていますが、先生のご指摘を痛感します。私の顧問先には、社内に総務担当者が10人以上いる会社でも私と契約して、社外からの意見を積極的に取り入れて行こうという会社が数社あります。人事労務に関する通常業務は社内の総務担当者がされていますが、私が法改正の動向を伝えたり、稀に個別労働紛争や懲戒処分の案件が発生すると私が担当しています。昨日はある会社の会長から次期社長の選任に関するご相談を頂きました。この次期社長の選任基準などは稀にしか使わない知識であり、かつ株式相続のほかに経営者として伝承すべき事項と法改正上の留意点などがありますから社内の判断だけでは十分な検討ができないためです。
これからは、全てのことを社内で処理できるように一体化してしまおうと考えるよりも、必要なときに必要な人と連携・提携して自らの目的を達成しようと考える時代となったことを痛感します。
全てを(自分の)傘下にしてしまうという一体化の公理が陳腐化した。原因は2つある。
①知識が専門化した結果、高価となり、自らが全てを賄うことが不可能になった。時折しか使わない知識は急速に劣化する。
②インターネットとe-メールのおかげで、コミュニケーション・コストが安くなった。その結果、あらゆる種類の事業活動において、提携(連携)が成果をあげる組織方法となった。
(コメント)
一昔前までは、できるだけ全てのことを内製化して一体化する方が良いと考えられていました。しかし、知識や技術が専門化し、かつ変化し続ける現代において、内製化してしまうと、その変化に対応しきれなくなります。反面では、インターネットの普及によって、コミュニケーションするために必要なコストがどんどんと安価になりました。その結果、自社にとってコアな部分は内製化するにしても、それ以外の部分は連携または提携して行う方が良い時代となっています。
私は社会保険労務士として色々な企業に経営や労務管理に関する事項のアドバイスをしていますが、先生のご指摘を痛感します。私の顧問先には、社内に総務担当者が10人以上いる会社でも私と契約して、社外からの意見を積極的に取り入れて行こうという会社が数社あります。人事労務に関する通常業務は社内の総務担当者がされていますが、私が法改正の動向を伝えたり、稀に個別労働紛争や懲戒処分の案件が発生すると私が担当しています。昨日はある会社の会長から次期社長の選任に関するご相談を頂きました。この次期社長の選任基準などは稀にしか使わない知識であり、かつ株式相続のほかに経営者として伝承すべき事項と法改正上の留意点などがありますから社内の判断だけでは十分な検討ができないためです。
これからは、全てのことを社内で処理できるように一体化してしまおうと考えるよりも、必要なときに必要な人と連携・提携して自らの目的を達成しようと考える時代となったことを痛感します。
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