2011年11月28日月曜日

PFドラッカー365の金言より 107

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情報システムの究極の目的は不意打ちがなくなることである。
データのうち、意味あるものを知り、予めそれを情報として収集し分析しておくことで、データを情報に高めておくことが必要である。データを情報に予め高めておくことにより、行動が必要となる前にとるべき行動を決定しておくことである。

(コメント)
今春に東北大震災がありましたが、このことで通信システムの重要性と同時に危機管理の重要性に気付かれた方は多いと思います。通信システムが寸断されないようにして、正しいデータが入手できるようにしておくことが必要なことは言うまでもないことですが、正しいデータが入手できてもそれを元にどう対処すべきか予め考えられていなければ、データに振り回され狼狽するに終わってしまいます。
PFドラッカー先生は、情報システムの究極の目的は危機(リスク)管理にあると指摘されているようです。東日本大震災に限らず、会社や部門を経営(マネジメント)していると東日本大震災ほどの大きな危機でなくとも大小さまざまな危機(リスク)が伴うのではないでしょうか? そのリスクに備え、万が一発生してしまったときに狼狽することなくデータを情報に置き換えて冷静に行動できる体制を準備しておくことが必要ではないでしょうか?
私の仕事上の卑近な例となりますが、社内で不正事件が発覚した場合に狼狽したり感情的になり過ぎたりしてしまう会社が非常に多いのには驚きます(そうは言うものの、私も会社経営をしていた時代はそうでしたが・・・)。その都度、解決助力の要請がありますが、事前に解決パターン(「方法」ではなく「考え方」)を準備しておくと、会社の人が言われる事実データを情報に置き換えて冷静にアドバイスすることができます。
また、これは事業再生をお手伝いするときにも言えます。企業が倒産の危機に瀕したとき、経営者がパニックに陥っていることが多いのです。そのとき、外部から冷静に社内・社外のデータを集めて情報に転化し、経営者の意思決定に助力していくことが必要となります。
そして、一番私が重要だと考えることは、データも情報として正しく活用できるデータでなければ(体制が出来上がっていなければ)、単なるゴミの山を築くだけに終わるということです。書類や書籍または資料を机や本棚やパソコンに沢山収納している人を最近ではよく見かけますが、果たして「いざ」というときに使える状態にしてあるのでしょうか? 「いざ」というときに使えない情報であれば、寧ろ捨ててしまった方が良い場合も多いようです。「捨てる勇気をもつこと」、それがデータを活かす道と思います。

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