2011年11月12日土曜日

PFドラッカー365の金言より 91

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何が受け入れ易いかでなく、「何が正しいか」からスタートしなければならない。誰が正しいか等は論外である。そもそも何が正しいかを知らなければ、正しい妥協と間違った妥協の区別はつかない。
妥協には2種類ある。一つは古い諺の「半切れのパンでも、無いよりはまし」であり、もう一つはソロモン王の裁きの「半分の赤ん坊は奪われるよりも悪い」である。前者では、半分は目的を満足させる。だが後者では、半分の目的さえ満足させない。それも命あるものとしての子供の半分ではない。死骸の半分に過ぎない。
直面している問題について、正しい妥協と間違った妥協の双方を書き出し、何が正しいかを考えることで、間違った妥協をしないようにしなければならない。

(コメント)
会社の会議等で、誰が間違えており、誰が正しいか等と考えていませんか? 「誰が」ではなく、「どの考え方」が正しいかが大切なことです。「誰が」に固執してしまうと、正しかった人がその後に誤った発言をしても、また逆の場合にも、当初の「正誤」というイメージに引きずられてしまいます。
また交渉には必ず交渉には妥協や譲歩が必要となるから、最初は大きく要求しておき、交渉の結果で妥協や譲歩をして結論を得るという考え方があります。しかし、「何が正しいか」を知らずして妥協や譲歩を繰り返していると、間違った方向に結論がたどり着いてしまいます。
しかし、実ビジネス界では「何が正しいか」は中々分からない場合が多いのが実情です。ただ、その場合においても、少なくとも「半分の赤ん坊」になる妥協はせず、「半切れのパン」となる妥協をすることが必要です。
交渉ゴトではありませんが企業活動においても、雪印、吉丁、赤福あるいはエンロン事件のように、何が正しいかを考えることなく日常活動において妥協や譲歩を繰り返していると、気付いたときには犯罪になっている場合さえあります。
ツイッターやブログ等のSNSが普及し情報を隠ぺいしておくことが難しくなった現代においては、何が正しいかを考えて誤りに気付いたときには速やかに謝罪し、訂正・修正して正しい方向に向かい直すことが必要です。パナソニックは温風ファンヒーターの人身事故の際に速やかかつ大規模な反省・修正活動を行うことで寧ろ世風に好評されたことは周知の事実です。何が正しいかがわからない状態で進行しているときに謝りに気づいたら、隠ぺいしようとするのではなく、謝罪し修正することが必要な時代となっています。

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