2011年11月11日金曜日

PFドラッカー365の金言より 90

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やがて妥協が必要になるからこそ、何が受け入れやすいかではなく、何が正しいかを考えなければならない。そもそも、何が正しいかを知らずして、正しい妥協と間違えた妥協を見分けることはできない。

(コメント)
この先生の教えも文末から逆に読み解いていくと意味深いものとなるのではないでしょうか?
組織の中でも、社会生活においても、自分ひとりの我儘を通す訳にはいきません。全体で調整を図ることが必要となります。その為、どうしても多少の妥協または譲歩が必要となってしまいます。
しかし、大切なことは、このときです。
妥協または譲歩するにしても、「何が正しいか」を知らなければ正しい妥協や譲歩はできません。
妥協または譲歩が間違って為された場合には、寧ろ全体が変になってしまいます。
その為、妥協や譲歩が必要なときには、「何が正しいことなのか」をよく考えたうえで、妥協または譲歩することが必要となります。
私は社会保険労務士として会社の色々な問題を解決していくことを業としています。当然のこととして、法律を根拠として判断します。しかし、法律だけを根拠にするとその会社の状況に馴染まないことが多々あります。このようなときには、「何が正しいか」は「法律」に遡り考え、そのうえでその会社の現況も考慮して、「為すべきコト」を提案するようにしています。そして、時間を味方につけることで会社に「法律」と「人としての道」を理解してもらい、出来るだけ早く法律遵守できる会社になってもらいます。尚、それまでの間は放任しているのではなく、「つなぎの対策」として何らかの手法を講じて、法違反とならないように実行してもらうようにしています。
しかし、一般的には「損得」や「上下の人間関係」で妥協または譲歩してしまっていることが多いようです。
私は十数年前に経営していた会社を倒産させてしまうという苦い経験をしました。そして、その後で倒産に至った過去を振り返り、それまでの自分が「人間関係」を偏重した妥協や譲歩を繰り返していたことを学びました(二代目の甘さ)。このとき思い出したのが、PFドラッカー先生が言われるこの言葉です。
雪印、吉丁、エンロンのような不祥事をおこし消滅してしまった会社でも、中間管理職の中には事件となる前の初期段階で気付いていた人もいたことと思います。しかし、多分この人達は「何が正しいか」を考える前に妥協や譲歩してしまい「長いモノには巻かれろ」という考えに陥ってしまっていたのではないでしょうか? 初期段階で「間違った妥協」をしなければ会社が消滅することにはならなかったのではないでしょうか?
ツイッターやフェイスブックといったSNSが普及して情報共有される時代となりましたから、今まで以上にこの先生の教えは大切なものになっています。

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